国葬にこだわる政府の矛盾 「国全体で弔意」でも「国民には求めない」…識者「それは私的行事では?」(東京新聞) 2022年8月30日 12時00分https://www.tokyo-np.co.jp/article/198886?rct=politics https://www.tokyo-np.co.jp/article/198886/2?rct=politics 政府は26日の閣議で、安倍晋三元首相の国葬に、国費約2億5000万円を支出することを決定した。ただ、省庁に弔旗掲揚や黙禱もくとうを求める閣議了解は見送り、国民に対しても弔意の表明を要望しないという。それならなぜ、多額の税金をつぎ込む国葬とするのか。位置付けにいっそう疑問が湧く。国民の批判を回避しようとする弥縫策びほうさくが、矛盾を拡大していないか。(特別報道部・岸本拓也、中沢佳子) ◆異例の「弔意は求めない」 「国民に弔意を求めるものであるとの誤解を招くことがないよう閣議了解は行わない」。国葬への国費支出を閣議決定した26日の記者会見で、松野博一官房長官は、国民に弔意表明は求めないと明言した。併せて、地方自治体や教育委員会に協力を呼びかける予定はないとも説明した。 ただ、戦後唯一の国葬だった吉田茂氏のケースのほか、2020年の中曽根康弘元首相の内閣・自民党合同葬などでも、広く故人への弔意を示すよう求める閣議了解が行われてきただけに、見送りは異例だ。 一方で、岸田文雄首相はこれまで安倍氏の国葬について「敬意と弔意を国全体として表す国の公式行事」と発言してきた。国全体では弔意を示すのに、国民には求めないというのは、どこかちぐはぐだが、街の人たちはどう思っているのか。JR新橋駅前で聞いてみた。 友人と待ち合わせをしていた東京都荒川区の無職田中優二さん(67)は「国葬という言葉自体が、国民に弔意を求めることを含んでいると思う。それなのに国民には弔意を求めないというのはよく分からない。最初から自民党主体で葬儀を行えば良かったのでは」と政府の対応に首をかしげる。国葬の開催に賛成という大田区の女性会社員(43)も「国として行う行事なのに、哀悼の意を求めないのはどうかと思う」とこちらも納得いかない様子だ。 ◆世論は反対多数で「弔問外交」強調 国葬の意義について、松野官房長官は「国内、海外から(安倍氏に対する)高い評価と幅広い弔意が寄せられており、国際儀礼の観点からも国として応える必要がある。海外からの参列者の出席を得る形で葬儀を行うことが適切と判断した」と説明した。要は「外交に役立つ」という主張だ。政府は各国の要人を含め、国内外から6000人の参列者を想定する。 しかし、額面通りには受け止められない。政治アナリストの伊藤惇夫氏は「国葬への世論の反発が予想以上に強く、強制的に国民に弔意を求めれば、一層反発を招きかねない。批判逃れで、弔問外交を前面に押し出したのだろう」とみる。 実際に国葬を巡る最近の各種メディアの世論調査の結果をみると、ほとんどで反対が賛成を上回る。共同通信やNHK、毎日新聞、産経新聞・FNNなどが先月末から今月下旬に、それぞれ世論調査を行ったが、国葬実施についてはいずれも反対が5割以上で、賛成を大きく上回った。 世論の逆風を受けて、政府・与党は、国葬の意義づけを「国全体の弔意」から弔問外交にすり替え、押し切ろうとしているように見える。ただ、法的根拠が曖昧な国葬に対して、違憲訴訟や住民監査請求が相次ぐ。中止を求めるデモや署名活動も活発だ。 国葬反対の声明を出した弁護士グループの沢藤統一郎氏は「国民全体の名前で行う国葬は、それ自体が直接的でなくても国民全体に弔意を強制する性質のもの。そうした原則論を無視して弔問外交のために国葬を行う、というのは倒錯した議論だ」と語気を強める。 ◆内閣・自民党合同葬よりも「扱いが軽くなる」不思議 7月の安倍氏の家族葬の際、東京都は都立高校などに半旗掲揚を求めた。都総務局の依頼文書を都教育委員会が転送する形式だった。同様の依頼は仙台市や川崎市、山口県、福岡市などもしていた。 国葬でも半旗掲揚を依頼したら、政府が弔意を求めない方針と矛盾する。都教委の担当者は「対応は決まっていない。7月の家族葬の際も、弔意の強制ではない。事務連絡の内容を『情報提供』として伝えただけ」との言い分だ。 中曽根氏の内閣・自民党合同葬で、文部科学省は国立大学などに、弔旗や黙禱で弔意を示すよう通知。都道府県教委にも「参考」として文書を送った。安倍氏の国葬について同省は「弔意表明の協力は呼びかけないという官房長官の方針に則し、通知は出さない方向」(総務課)という。国葬なのに、ある意味、扱いが軽くなる。 外務省は7月、日本と国交がある195カ国と4地域などに、国葬開催を連絡した。同省総務課は「要人が一堂に会する貴重な機会」と弔問外交の意義をアピールするが、ウクライナに侵攻したロシアや、クーデター後、市民を弾圧するミャンマーなど、岸田首相が当初強調した「民主主義を守り抜く決意」という開催意義と齟齬そごを生むような国も通知対象に含まれる。 ◆岸田内閣による安倍氏の「表彰式」 国民に弔意を求めないとしても、数々の疑問が解消されるわけではない。 「誰の敬意、弔意を示す儀式なのか」とは、東京都立大の木村草太教授(憲法学)。「政府は、国葬を『敬意と弔意を国全体として表す国の公式行事』と定義したが、『国全体』とは何を指すのか」と指摘する。「国全体」をどう解釈しても、憲法上の問題が生じるからだ。「国全体が『国民全員』を表すなら、国民各自の敬意と弔意を国が勝手に表す行事になり、思想良心の自由、表現の自由を侵す。『敬意と弔意を持つ一部国民』なら私的行事であり、国の公式行事にならない。『内閣』ならば、内閣葬としか名乗れない」 国葬は個人の特別扱いで、憲法の平等原則との関係が問題になるという木村氏は、内実は岸田内閣による安倍氏の「表彰式」だと言い表す。「国葬に客観的な基準がないため、岸田内閣による主観的な評価で実施が決まった。政治の功績は、政治から独立した第三者機関が客観的に判断しなくてはならない」 ◆あれもこれも閣議決定 政府は安倍氏の国葬が、内閣府設置法にある「国の儀式」に当たり、内閣府が所掌し、国民の権利の制限や義務が生じる行事ではないため、開催は内閣の会議(閣議)で決められるとの見解だ。ただ、同法で内閣府の所掌事務は、経済に関する重要政策や都市の再生、科学技術、青少年の健全育成など多岐にわたる。 慶応大の小熊英二教授(歴史社会学)は「列挙された所掌事務は、相当に広範だ。これが根拠なら、国葬に限らず『あれもこれも閣議決定でできる』ことの先例になりかねない。内閣府の所掌事務にあることを根拠に閣議決定で決めていいのか。その広さから考えると、法治国家の安定性を損なうのでは」と危ぶむ。 成蹊大学の武田真一郎教授(行政法)も「内閣府設置法は内閣府の所掌事務を示したにすぎず、その仕事を具体的に行う権限を与えてはいない。権限を行使するには別に法律を定める必要がある」と指摘する。 そもそも、国葬は民主主義社会にそぐわない、と武田氏は説く。「国葬は戦前、一定の皇族と天皇の考えで行い、天皇制を補強するための制度だった。多様な価値観を認める民主主義下では、時代錯誤」。しかし、費用2億5000万円を国費から投じると、閣議で決まった。武田氏は「税金を使うなら、国会での議論は不可欠だ。閣議決定で決めるのは民主主義のプロセスとして疑問だ」と訴えた。 ◆デスクメモ 閣僚の話し合いで開催を決めていいんです。国民に義務を課さない国の行事だから。ほら弔意表明をお願いしないでしょ。政府の理屈は、こじつけの域に達している。国の行事とすべきかの根拠と議論は欠如したまま。取り繕っても無理があり、日本の民主主義に傷を残すだけだ。(北) 【関連記事】安倍元首相の国葬から増大する予備費を考える
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