本記事に触発され、日曜日でもあるので、この機会に、憲法9条を読み返し、理解を深めることにしたい。 少し長くなりそうなので、興味がある方のみ、時間を許す範囲で、一読いただければと思う。その前に、憲法前文の中から、関連する重要なフレーズを拾ってみた。 日本国憲法前文(抜粋)(番号は、私が加筆した。) @日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、・・・ 政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、 ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。 A日本国民は、恒久の平和を念願し、・・・ われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。 B日本国民は、国家の名誉にかけて、全力をあげて崇高な理想と目的を達成することを誓う。 これらは、すべてが、読み落とせない重要な言葉である。 @は、日本国憲法の狙い、憲法9条の狙いが、 「・・・政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにする」ことにあると明言している。 日本国憲法が、政府の暴走から国民を守り、政府の行為による戦争は、絶対に起こさせないぞ、という決意表明だ。 Aは、先の侵略戦争で隣国の人々に多大な犠牲者を強いただけではなく、日本国民さえも300万人もの犠牲者を出した、惨禍の反省の上に立って、 平たく言えば、日本国民は、全世界の国民(当然日本国民も含む)の「平和の内に生存する権利」を尊重し、侵しません、と誓ったということだ。 この誓いの根底にあるのは、「自然権」の思想だろう。 J.ロックは「生命,身体および財産」への権利であるとし,国家はこの自然権を保障するための組織であるから,いかなる国家権力も自然権を侵害することは 許されず,そのような侵害に対して人民は抵抗権をもつと主張、これも自然権とした。 ここに出てくる自然権は、 「生命,身体および財産」への自然権と。 それが侵害されたときの、抵抗権。 憲法前文に取り入れられているのは、このうち、「生命,身体および財産」への自然権のほうということになるだろう。 自然権の思想においては、その行動が抵抗権の行使であったとしても、その行動の結果として、他者、他国の「生命,身体および財産」への自然権を侵してはならないというものだ。 そして、日本国民は、憲法前文で、全世界の国民(当然日本国民も含む)の「平和の内に生存する権利」を尊重し、侵しません、と誓った。 Bは、日本国民の名誉にかけて、世界に誓うと、断言した。 なんと、崇高な言葉ではないか。 次に、「憲法9条」を見てみよう。 「第9条 」 1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、 国権の発動たる戦争と、 武力による威嚇又は武力の行使は、 国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない。 現在の日本国憲法が制定された経緯に目を向ければ、憲法9条を素直に理解できる。 すなわち、 先の大東亜戦争、第二次世界大戦で、日本の権力者、為政者が列強からの「解放」を名目にして、あるいは「自衛」を錦の御旗にして、日本国民を徴兵で強制的に狩立て、アジア近隣諸国を「侵略」し、他国民の「生命・財産・生活」を奪い、同時に、日本国民を無謀な「侵略戦争」の地獄の中で、日本人だけでも、軍人、民間人、合わせて300万人もの犠牲者を出してしまった。 そんな悲劇を二度と起こさない、起こさせない、との「誓い」が、9条には込められている。 そういう認識に立てば、9条の規定は、時の権力者が暴走することがあっても、先の大戦のような「侵略戦争」を禁じ、放棄することを、宣言したものだということがわかる。 時の権力者、為政者に「侵略戦争」を起こさせないためのものであると解釈するのが正しい。 憲法9条の1項の記述の主語が、主権者である「日本国民」であることが、そのことの決意を示している。 「日本国民は、・・・国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」 一方、憲法9条の2項の記述はどうか。 1項の「戦争放棄」の宣言の実行を担保するために、国家権力、為政者に対しての権限、政策を制限しているものと解釈するのが正しいのではないか。 「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」 つまり、主権者たる国民が、過去に「侵略戦争」につながった、「戦力」を持たないと宣言し、そのことにより、為政者に対して、戦力を持つという政策は認めないとした。 さらに、国家権力に他国に戦争を仕掛ける権限を認めないし、 国民を戦争に狩立てる権限も認めない。 と、法体系の頂点にある憲法に明記したということではないか。 権力者の権力を縛るという憲法の、真骨頂と言えよう。 憲法9条では、自衛権については直接的には述べていない。 何故なら、それは改めて述べるまでもなく、独立主権国家の自然権として、「その国の自然権が侵害されたときの、抵抗権」としての自衛権はあるということが、不文律として、どの国にも認められていることを、どの国も認めているからだ。 改めて憲法に記載するまでもない。 あえて探すとすれば、憲法前文の 「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」 という記述に、その思想を見ることができよう。 危険なのは、「自衛権」という言葉の意味をあえて曲解し、拡大解釈して、敵基地攻撃能力の保有とか、核共有などと、憲法違反の政策を、声高に叫ぶ輩が少なくないということだ。 しかし、「自衛権」の意味するところを、その根源に遡って考えれば、彼らの「詭弁」ぶりが明らかになる。 そもそも、「自衛権」とは、国家の「自然権」として、「その国の自然権が侵害されたときの、「抵抗権」を「自衛権」と言い換えたに等しい。 言葉の意味を再確認し、整理しよう 「抵抗する」とは: 英語で言えば、resist。日本語に訳し直すと、堪える、抵抗する、反抗する。 「自衛する」とは: 英語で言えば、defend oneself、日本語に訳し直すと、自らを守る、身を守る、防御する。 「攻撃する」とは: 英語で言えば、attack。日本語に訳し直すと、攻撃する、襲撃する、攻める。 「反撃する」とは: 英語で言えば、たとえば、counterattackが分かり易いか。日本語に訳し直すと、反撃する、逆襲する、切り返す。要するに、防御から一転して攻撃に移ること。 ここで分かるように、大元の「抵抗」という言葉にも、それを言い換えた「自衛」という言葉にも、「攻める」という概念が入ってこない。 従って、国、人の「自然権」とはいうものの、「自衛権」とは、ひたすら、堪え、抗い、防御し、身を守るという、制限されたものであることがわかるだろう。 この場合も、武力で攻撃されたときに、武力で抗い、防御することを否定しているわけではない。 自然権の思想でもそのことには触れていない。。 抵抗権にしろ、それを言い換えた自衛権にしろ、非武装、無抵抗を謳っているわけではない。。 ただし、抵抗にしても、自衛にしても、決して無制限であるわけがない。 自ずと制限がある。 それは、自衛のために武力で抗い、防御するために武力を行使する場合であっても、 他者、他国の「生命,身体および財産」への自然権を侵してはならないというものだ。 日本国民が、憲法で「全世界の国民(当然日本国民も含む)の「平和の内に生存する権利」を尊重し、侵しません、と誓った。」、そのことの重大さが理解できるだろう。 そう考えると、敵基地攻撃能力の保有とか、核共有などというものは、「他者、他国の「生命,身体および財産」への自然権を侵すための戦力でしかなく、発想がすでに憲法に違反しているし、そんなものを保有することは、憲法9条の2項に明確に違反することは明らかだ。 自衛権は自然権だから、憲法に超越するだの、自衛権には反撃権を含むだの、自衛権と反撃権は自然権だのと、単語を捏造しながら、戯言を、恥ずかしげもなく吹聴する輩もいるが、そんなのは、無知を越えて、単なる「恥さらし」でしかない。 仮に、相手国から先にミサイルを撃ち込まれたとして、そのことを「錦の御旗」にして、敵の領土にミサイルを撃ち返したとき、そのニュースの号外のタイトルを想像してみよう。 きっと、 「本日、我が国は、戦争状態に入れり。」 同時に、緊急事態の宣言と、緊急事態条項の適用。 そのことによる、実質的な憲法の効力停止。 そして、次にくるのが、「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」 その後に、「隣組の復活」、「欲しがりません、勝つまでは」、「国家総動員」 そうなることは、繰り返し行われてきた戦争の歴史が、証明している。 「本日、我が国は、戦争状態に入れり。」 日本国民は、「戦争放棄」を表明している。 従って、「本日、我が国は、戦争状態に入れり。」となるような行動はとれない。為政者が、そのような行動をとることは、憲法9条で明確に禁じている。 さらに、世界に目を向ければ、国連憲章においても、戦争は禁止している。 従って、日本を含め、国連に加盟している193か国は、戦争を禁止している国連憲章を承認したうえで、加盟していることを考えれば、当然、戦争を禁じていると言える。 どのような状況においても、他国の領土にミサイルを撃ち込むことに、免罪符などはないということだ。 他国の領土にミサイルを撃ち込むこと、そのことが、「戦争」そのものではないか。 今の、ロシアは、非難されて当然と言える。彼らとて、どのように言い繕おうとも、免罪符とはなり得ない。 実は、私は、一つの「詭弁」を用いている。 それは、「仮に、相手国から先にミサイルを撃ち込まれたとして、そのことを「錦の御旗」にして、敵の領土にミサイルを撃ち返したとき、」という状況設定においてだ。 現実には、どこからともなく、突然ミサイルが飛んでくることなどあり得ない。 飛んできたとしても、どこの国のミサイルかもわからないだろう。、 いまの時代、国と国とがミサイルを撃ち合うような「戦争」が始まる前には、必ず紛争を話し合いで解決しようとする、「努力」がある。 それは、「外交」に他ならない。 「戦争」を防ぐために、その最も大切な「外交」については、効果がなかったかの如く、黙殺し、「ミサイルが飛んできた・・・」というところから、話始めた。 外交のフェーズをスルーすることで、「外交」の重要性を主張する意見を封殺し、「外交」が有効でないとの錯誤を誘ったものだ。
誤解のないように、改めて書けば、国と国の紛争を解決するための最も大切な行動は、「話し合い」であり「外交」だ。 国連憲章の示す行動規範も、「話し合い」による解決を求めている。 最後に、 外交の努力も叶わず、ミサイルが撃ち込まれてきた場合の日本がとるべき行動は、敵の領土にミサイルを撃ち返すことではなく、(皮肉を込めて言えば)日本が世界に誇る、イージス艦を主体とする、ミサイル迎撃システムのお出ましではないのか。 個人的には、「ガラクタ」でしかないと思っているが・・・。莫大な税金を投入されてしまったものである以上、働いてもらわなければとの心境だ。 ミサイルが撃ち込まれてきた、そんな時に、敵の領土にミサイルを撃ち返す以外に、「何もせずに、何もできない」などとは言わせない。 実戦にお出ましして、その時、「ガラクタ」でしかなかったことがわかるだろう。 日本が、他国から武力をもって「平和の内に生存する権利」を侵害され時、日本の自衛権を行使し、武器を手にして抗えるのは、日本の領土、領海、領空内、である。 公海上については知識がないのでコメントができない。 そうすれば、全世界の国民(当然日本国民も含む)の「平和の内に生存する権利」を尊重し、侵しません、との誓いに反しない。 戦争を放棄する、との誓いにも反しない。 日本国憲法が、改めて、世界に誇れる、日本国民の宝物であることがわかろうというものだ。 権力者が、「権力者の権力を縛る憲法」を変えたいとする、「動機」は一つしかない。 「動機」は、権力行使を縛るものを取り除く。 条文を削除するか、上書きして、権力を縛ることを無効化するか、緊急事態条項のように、憲法そのものを、飾り物にするかだ。 「ナチスに学べ」の実践だ。 そんな改憲は、現在の子供たち、未来の子供たちのために、絶対に阻止しなければならない。
|