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「監獄襲撃を計画」「裏切り者を脅した」石原慎太郎の壮絶人生
https://friday.kodansha.co.jp/article/227978
2022年02月04日 FRIDAYデジタル
2月1日に逝去した石原慎太郎氏については、賞賛がある一方、政治家としての言動に否定的な声も少なくない。作家から政治家へ。国会議員として計27年、東京都知事として13年以上を務め、その間、環境庁長官、運輸相として入閣も果たしている。
この稀有な政治家をウオッチしてきたジャーナリストが、本人の執筆活動からその「素顔」をひもといた。
ありし日の石原慎太郎氏。都知事として多くの「改革」を断行した。2003年撮影。最愛の長男・石原伸晃氏に「総理の夢」を託していたとも 写真:ロイター/アフロ
慎太郎が「在野の言論人」だったころ
彼はもともと大学在学中に『太陽の季節』で芥川賞を受賞して有名人となった。その知名度を生かして1968年に35歳で政治家に転身。以来「タカ派の論客」として存在感を持ち続けた。都知事を辞めた後も2年間、国会議員をしており、政界を引退したのは2014年のことである。
そんな石原氏だが、長い政治家人生の途中1995年、国会議員在職25年を機に、一度政治家を辞めている。その後、1999年の都知事選で政界復帰するが、この間は在野の言論人として活動した。
その浪人時代に、月刊誌『諸君!』96年1月号から98年8月号まで「国家なる幻影〜わが政治への反回想」と題した回想録を寄稿するのだが、その内容がきわめて興味深い。個人の手記だから、もしかしたら脚色めいた話もあるのかもしれないが、それでもそれまでの四半世紀の政治家人生のさまざまな裏話が記されていて、ときおりハッとさせられるような記述がちりばめられている。
たとえばカネの話。田中角栄が他派閥も含めてカネをばら撒いていたとか、自民党から野党にもカネがばら撒かれていたとかの一般的な話だけでなく、「自民党総裁選で佐藤栄作首相を訪ねたら、現金の入った紙袋をもらった」とか「宗教政治研究会に名義貸しで副会長となったら、会長の玉置和郎から1千万円もらった」などの具体的な体験談も書いている。
また、自民党内での抗争では「ある時は手洗いに立った相手を追いかけていき、トイレの中で襟足を締め上げ、裏切り行為を咎めて脅した」「ある議員なんぞはホテルの目のつかぬ片隅に拉致していって、胸の内ポケットにさしていた万年筆を抜いてキャップを外し、ペン先をナイフのように見立てて相手の顔すれすれに突き出し、ここで裏切らぬと誓わなければこのペン先で目ん玉をくりぬいてやるなどといって脅しもした」などとかなりやんちゃなエピソードも明らかにしている。
安全保障分野で筆者が興味を持ったのは、「沖縄で見た核」と題された1章だ。石原氏は沖縄の嘉手納米軍基地を訪問した際、核弾頭を見学したとの記述がある。石原氏はその“見た物体”を、ただ「薄青味がかった巨きな金属の箱」だったとだけ伝えているが、いくらなんでも米軍が日本の政治家に沖縄配備の核兵器を見せるはずはない(仮に所持していとしても)。これはおそらく石原氏の勘違いだろう。
数々の武勇伝のなかでも凄まじいのは
さらに、政界入りする前後の時期からのさまざまな自身の政財界の人脈についての記述も興味深い。自民党右派の大物の名前が並ぶが、CIAなど米国の反共右派との関係にも言及している。また、コワモテな右翼活動家たちの名前も頻繁に登場する。
それと、同手記にはロッキード事件は米国の陰謀だったとか、1983年にサハリン沖でソ連軍に撃墜された大韓航空機はスパイ機だったとか、湾岸戦争は米国の陰謀だっとか、その種の話も多い。
数々の武勇伝が語られている手記「国家なる幻影」に記されているエピソードの中でも、最も破天荒な物語が、フィリピン監獄襲撃計画の話だろう。
それは、フィリピンがマルコス大統領の独裁政権下だった時期。同書では1982年の自民党総裁選の前後の頃と記されているが、状況的におそらくその数年前のことと思われる。石原氏の盟友でもある反体制派の大物政治家であるベニグノ・アキノ氏(後にマルコス政権により暗殺される)が収監中に獄中で謀殺されるという情報を入手した石原氏が、独自に救出作戦を計画したというのである。
そのくだりを引用する。
<私は意を決してある日、その子息との知己の縁あって日頃懇意だったある人物に、ある相談を持ち掛けに出かけていったのだった。
相手はかつての幻のクーデタといわれた三月事件の首謀者の一人、当時ではたった一人存命の、いわば日本の最後の本物の右翼ともいわれていた清水行之助氏だった。
(中略)
そんな相手の事務所に出向いて、
「先生、一つ黙って私のために二千万円つくっていただけませんか」
(中略)
「で、どうやって救い出す」
「彼が繋がれている監獄の見取り図も手に入れました。後は向こうと連絡とって日を選び、船で乗りつけて彼をさらいます。監獄はどこかの入り江に面していて、海からの接近は簡単で警備も薄いそうです」
「あなた一人で出来はしまいが」
「専門家を連れていきます」
「どんな」
「自衛隊の特殊訓練を受けたことのある男たちです」
「なるほど、何人くらい」
「三人。それと船を動かす専門家と、後は私が」>
……まるで映画である。しかも戦後まもなくの混乱期のストーリーではなく、高度経済成長が終わって10年近く経過した時代の話だ。
この作戦自体は結局は未遂に終わった。が、大物右翼の実名を明記してまったくの虚偽を書くことは考えにくく、こうした計画を考えたことがあり、実際に清水氏とやりとりしたのは事実なのだろう。石原氏は当時40代後半。すでに環境庁長官で入閣経験もある現職の衆議院議員である。よく言えば、破天荒な人物といえる。
なお、石原氏はその他にも武勇伝は多く、同手記にはやはり右翼人脈と協力して尖閣諸島に灯台を作った話なども登場する。
しかも、同手記を連載している最中の1997年、石原氏はイギリス船籍の船で尖閣近海まで行くのだが、その船に自動小銃など大量の武器が積まれていたという事件もあった。これは別の政治家が日本漁船で尖閣に上陸したのに同行したという話だが、石原氏が乗船していたイギリス船は石原氏の旧知のプロデューサーが所有する船で、石原氏の依頼でフィリピンから回してくる際、そのプロデューサーがフィリピンで武器を調達したものだった。もちろん通関手続きなしで日本領海に持ち込み、石垣港に停泊したというのだから違法である。
石原氏サイドはこの武器については知らなかったとしているが、件のプロデューサーは石原氏が船に武器が積載されていたことは知っていたと証言している。
その疑惑は立証されていないので真相は不明だが、いずれにせよなかなかインパクトのあるエピソードである。
石原氏は癖の強い政治家であり、彼の政治家としての功罪の評価は、各人の立場によって大きく異なっているが、エピソードの弾けぶりは日本政界随一の人物だったといっていいだろう。
故人のご冥福をお祈りします。
取材・文:黒井文太郎 写真:ロイター/アフロ
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