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2024年3月6日 12時00分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/313324?rct=tokuhou
能登半島地震の震源地近くが建設予定地だった珠洲(すず)原発。計画を阻止した地元、石川県珠洲市の反対住民の闘いなどを追った本「ためされた地方自治 原発の代理戦争にゆれた能登半島・珠洲市民の13年」が再々出版された。改めて脚光を浴びる意味とは。この本を手がかりに何を学ぶべきか。筆者でライターの山秋真(やまあきしん)さん(53)と考えた。(野呂法夫)
◆現場を訪れて気づいた「押しつける側にいた」
珠洲原発計画は1976年、北陸・関西・中部電力の共同事業として同市高屋、寺家(じけ)両地区を建設予定地とすることが公表され、地元で反対運動が起きた。
神奈川県藤沢市出身の山秋さんが珠洲の問題に関わりだしたのは、東京都内の大学の4年だった92年。名古屋の反原発運動の人に勧められて訪問した。珠洲の反対運動で中心的存在だった円龍寺住職の塚本真如(まこと)さん(78)らに出会い、「原発建設が都会の遠隔地で計画され、押しつける側にいたことに気がついた」と言う。
◆住民たちは「草の根民主主義」で闘った
山秋さんは珠洲の計画が一地域にとどまらない全国共通の問題として関心を抱き、現場や関連裁判の傍聴に通い続ける中、計画は2003年に頓挫した。
05年から社会学者上野千鶴子さんの東大大学院ゼミで学び、自主研究のテーマに選んだのを機に執筆し、07年に本を出版した。原発計画に反対する住民がその声や思いを集会や市長選などで実現させようとする草の根民主主義の動きと、ブローカーらが原発用地買収に暗躍する実態を描いている。
◆福島第1原発事故後から久しぶりの増刷
本の増刷は、13年前の東京電力福島第1原発事故後以来のこと。出版元の桂書房(富山市)の勝山敏一(としいち)代表(81)によると、能登半島地震後に在庫が売り切れたという。
改めて脚光を浴びる背景には何があるのか。
今回の震源地近くで計画されたのが、珠洲原発だった。山秋さんは「もし原発ができていたら、初めての原発直下型事故が複数炉で起きた可能性がある。珠洲は電気も水もなく、通信も通行もダメで、日本は悲惨な状況だった」とみる。
◆岸田政権は原発稼働へまい進
地震後、珠洲原発の存在を知った人たちから注文が相次いだ。原発事故の脅威に危機感を募らせ、詳細を学びたいと10冊を購入した首都圏の脱原発グループもあった。上野さんが新聞のコラムで珠洲原発計画に触れて本を紹介したことも背を押した。
この本が描く珠洲の反対運動からは、学ぶべきことがあるという。
福島原発事故での大惨事や犠牲が10年余で忘れ去られようとする中、岸田政権は各地の原発稼働にまい進する。市民の脱原発運動も後退気味だ。
◆「諦めるのは政府の思うつぼ」
近年は中国電力上関原発(山口県)を巡る問題を追う山秋さんは「諦めるのは政府の思うつぼ」と説き、こう続ける。
「小さい声を上げ続けるのは浮き沈みがあり、手応えがないときもある。疲れたら休めばいい。決して屈せずに各人のペースで言い続けることが国策を変えることを珠洲の反対運動が教えてくれている」
◇
山秋さんがゲストで参加するトークイベント「能登・珠洲原発を止めた人々とテレビ番組」が9日午後2時、(広告になるので、投稿者が削除しましたが、記事URLからご覧になってください。)。
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