>そして、これもまた >古代から続く >出雲族と >秦氏の >勢力争いの一環であること >が分かってきました。 参考リンク http://raptu_neo.com/?p=28361 >ちなみに >麻生太郎とロスチャイルドは >同じ一族で、 >ロスチャイルドは秦氏です。 上記「麻生太郎」と同じ一族と指摘される「ロスチャイルド」は「仏国系」 「秦氏」という点に関しては「麻生太郎」の地盤が「九州福岡」である事 その「福岡」が「イルミナティ(フリーメーソン)」の支配都市と化して いること(「タワー」は米国ワシントンDCに設置されている「オベリスク 尖塔」と同じ連中のシンボルでありランドマーク(マーキング)として機能 などから筋は通る中国の上海には「徳川幕藩体制転覆クーデター」当時既に 「フリーメーソン」のロッジが存在していた
岸田や前任総理の菅も「出雲族」だと推察 安倍・岸一族は「蘇我氏」一族に排除されたそれまで神祇を司ってきた 「物部氏」との関係が指摘されており安倍の女房が「大本教」や「生長の家」 などの宗教活動に深く関与しているのは甚だ興味深い 「蘇我氏」と繋がる「天武天皇」血統が排除され再び天智血統が日本統治の 表向きの権力者の座に就く過程で実際の権力を手にしたのが「藤原不比等」 自分達にとって都合の良い「律令制」と「天皇制」システムを構築 政治を牛耳る藤原姓はそのままに神祇を司る藤原は「中臣」姓に戻したと 安倍や岸一族は「出雲族」に属するのか「秦氏」族に属するのか 昨年のクリスマスニューヨークのケネディ家のパーティーに皇族を離脱した 真子氏が出席していたと報道されているが米国オバマ政権当時駐日大使とし て赴任したキャロライン・ケネディと安倍はフリーメーソン式握手を交わし ていたと指摘されている つまり秋篠宮家の姉妹が「日本皇室」の「解放」や「変革」その先の「解体」 に向け協力させられている背後には仏国革命やロシア革命同様に「フリーメー ソン」が存在していることは疑いようのない事実だと言える --------------------------------------------------------- https://adoi.hatenablog.com/entry/2022/01/07/132040 2022-01-07 呪いで始まる令和4年 告知 呪詛 アニメ ちょっとチェックし忘れていたのですが、本日7日午後9時、日本テレビ系の金曜ロードショーで、呪いのチャンピオンとも言えるあのアニメ映画が放映されるようです。
https://blog.goo.ne.jp/adoi
映画に予告された123便事件 2022-01-05 14:49:44 / JAL123便墜落事故 これまでに、主に本ブログの「芸能界の闇」シリーズなどで、123便事件発生の1985年8月12日に至るまでの1970,80年代に、123便撃墜計画を示唆するメディア作品が複数制作されていた点について、その事例を報告してきました。 その中で、劇映画に関しては、邦画で1978年公開の「皇帝のいない八月」、また外国映画では、007シリーズで123便事件の発生直前、1985年5月に公開された「美しき獲物たち」を取り上げました。 関連記事: (皇帝のいない八月) ・123便事件と芸能界の闇(12) − 八月に天皇は殺される (美しき獲物たち) ・James Bond Returned ・123便事件と芸能界の闇(14)−007の日本終了宣言 当然、この他にも関係性が著しく認められる作品は存在するのですが、今回はその中から、比較的分かりやすい物を一つピックアップしてみます。 以下の画像はある映画シーンからのカットです。 画像1:ご存知あの数字 さて、これらのシーンが描写された映画作品のタイトルは何でしょうか?ヒントは、この作品も1985年、123便事件が発生する前に封切りされたものです。もう一つ、主演の女優さんは可愛いかったので私も好きでしたし、当時はその名前を冠したグラビア雑誌なども発刊されたのを覚えています。 なお、画像2は123便事件とは直接関係ないようですが、最近封切りされたあのSF映画のキーワードと一致する点で注目です。ここから、どうやら1985年当時に失敗したあの計画が、再び発動されようとしているのが窺われるのです。 http://maakata.holy.jp/2021/12/31/2238/ 殺風景なダムの砂防施設に、どうして大きな石を等間隔に並べる必要があるのでしょうか? 実は、ダム建設のように山を削り谷を埋めるような、大きな自然破壊を伴う土木は、山神の祟りがあると考えられているのです。祟りに遭わず開発を進めるにはどうしたらよいのか、その解決策として帰結したのが 祟り神そのものを封印してしまう という方法論なのです。これは、家を建てる前に地鎮祭を行うのとよく似ていますが、この場合の呪術は、神霊に恭しくお伺いを立てるのではなく、神霊そのものの働きを封じ自分の勝手を押し通そうとする点で極めて悪辣なのです。 鉱山開発などの場合も、専属の呪術師が事前に山神封じを行うことで、開発が可能になると信じられているのです。しかも、このような神封じが時には神社の中で行われており、これが世に言う「神国日本」の本当の姿である 黄線はこの丘陵地をかすめていますが、この傾斜地には県営団地や小学校など公共用地が広く確保されていることから、それが土地の保全を目的とする別の意図を含むものとも考えられ、実際に松香団地公園内には舞松原古墳と言う古墳が残されています。 おそらく、この丘陵地の下には大規模な古代遺跡群が眠っていて、先ほどの鳥居もこの一帯を狙った封印術であると考えれば色々と辻褄が合います。そこで私は、香椎浜から急ぎ舞松原古墳へと向かったのです。 上の写真は、現地で撮影した古墳の全景です。全長約37m、高さ4m程度の中型の帆立貝式古墳で、4世紀終わり頃のものでないかと考えられているようです。 知人の歴史研究家G氏によると、埋蔵品はいくつか見つかっているものの、盗掘されているのは明らかで、被葬者の権威なり地位を表す重要なものは既に無く、ここに誰が葬られているのかは不明だと言うことです。 福岡市の説明板では「地域の首長」という、要するに「土地の偉い人」という説明にもなっていない説明が適当に記述されているのみですが、遺物が喪失している状況ではそれも仕方がないかもしれません。 そこで、ここで地形と祭祀・呪術的形式からこの被葬者がどのような地位の人物であったかをざっくりと推測してみます。 松香団地公園内は木が生い茂り、もはや高台からの展望はほとんど望めないのですが、古墳への上り道から撮った写真(画像12)を見ると、この地が周囲を見渡す、特に博多湾の海上を見渡すことのできる好地にあることが分かります。 これは、海上交通を主としていた古代期においては非常に重要なことで、船の行き来を監視する見晴台として最適であるだけでなく、船からの目印としてもなくてはならないものです。 そのような誰もが仰ぎ見る重要な場所に、「土地の偉い人」レベルの小役人が埋葬されるのだろうかという疑問が生じます。そしてもっと大事な事実は、仲哀天皇の祀られている香椎宮がこの丘陵の東側の裾野に位置するということ、つまり、この古墳の被葬者を仲哀天皇が仰ぎ見ているという形がここに出来ているという事実です。 ここから推測されるのは、この古墳の被葬者がただの「偉い人」レベルの人物ではなく、天皇という日本の王が仰ぎ見るという位置付けから、仲哀天皇より前の時代に皇位にあった人物、あるいはその皇子など高貴な存在であった可能性が高いのです。 しかも、この古墳は円墳に「造り出し」という祭場がわざわざ設けられていることから、祭祀・呪術においても極めて重要な場所であったと考えられるのです。そして、現代においても香椎浜にあれだけ強力な神封じが掛けられていたことを考え併せると、呪術世界の常識として、ここには天皇クラスの被葬者が居たと考えざるを得ないのです。 歴史資料および以上の考察から、この古墳の被葬者が誰であるのか大体当たりが付いたのですが、まだ決定的とは言えないのでここには書きません。しかも、この仮説が成立するには、7世紀位までは九州に王朝があったという、いわゆる「九州王朝説」の正しいことが前提となるのです。 なぜここまで強い封印が掛けられているのか?その疑問こそが「太宰府に残る占領の印」で言及した、外国軍による福岡・太宰府占領を示す一つの証左になると考えたからです。つまりは、「第2次大戦の敗戦まで日本は一度も侵略されたことがない神の国」という歴史観自体が、侵略者によって後から創作された「神話ファンタジー」でしかなかったということになるのです。 https://adoi.hatenablog.com/entry/2021/11/05/152714
歴史を隠したい福岡 呪詛 歴史考察 先月末、(神)ブログ記事「再び天孫降臨の地へ(2)」では、あの有名な「漢倭奴国王」の金印発見の由来について、博多湾沖にある志賀島で発見されたという伝承がそもそも捏造されたものではないか?という疑いを、現地の神社に残る古伝を元に解説しています。 f:id:adoi:20211105151232p:plain 画像:問題の金印(福岡市発物館) そして、この記事に対応した(神)ブログメルマガ41号では、その隠蔽工作に現地の黒田藩だけでなく、当時(江戸時代)の京都朝廷が積極的に関与した可能性について論じています。 この話題に関連して、福岡出身の知人から次の様な体験談を寄せられましたので、それを紹介したいと思います。 J区(福岡市内のある沿岸地域)の古老が若かりし頃、郷土史研究で、ナの国の調査(ナは「主」の古語)でさまざまな出土品等を、当時の九大(九州大学)の教授が参考にさせてくれと乞うてきたそうです。 最初は、教授も勉強会やフィールドワークにも謙虚に参加してきていて、邪馬台国論争における近畿説などは有り得ないことを物証ベースで進めようということになったそうです。 そこで、沖ノ島(玄界灘の孤島)出土と同じタイプの金の指輪、冠等のかなりの量の出土品他を、九州説実証の参考にしてくれと、その教授に貸したそうです。 後日、その教授は確かに古代史の論文を出したけど、内容は全くミスリードのような内容で、更に物証は他の研究機関に渡したと言います。 もちろん揉めてしまうのですが、教授は面談や連絡にも出ない、徹底して避けるので埒が開かず、いよいよ九大にまで乗り込んだそうです。 それで、何であんなことをしたんだ、物証を返せ、などなど詰め寄ったけど、ダンマリでただただ頭を下げて一言も発さず、ということがあったそうです。 私は、日本書紀・古事記など、基本的に古代史書と呼ばれるものはどれも偽書であろうという見方をしています。それは、史書がその時の権力によって好き勝手に書き換えられるのは当たり前ですし、歴史家が世の中の全体像を捉えることや、それを正確に記述することなど、そもそも物理的に不可能なことですから、本人がどんなに正直に歴史を綴っているつもりでも、嘘や間違いがそこに入り込むのは避けられないと考えるからです。 しかし、それでも救いがあるのが、当時の歴史家たちは、記述に細工をすることで、権力の介入や立場による価値観の違いに依らない正確な史実を何とか伝えようとした痕跡も見られることです。そもそも、似たような史実を日本書紀と古事記に分けて書き残したこと自体、その意図の表れとも捉えることができます。 ですから、古墳や出土品など物証を通して、記述を一つ一つ検証していくのが日本古代史の解明上欠かせないプロセスなのですが、その出土品まで都合よく隠されてしまう、しかも隠す主体が国立の研究機関だというのは、日本人としてなんとも情けない話としか言いようがありません。 私の見立てでは、福岡と言う街は、日本の成立史を知る上で重要な証拠に溢れています。つまり、今でもこの地で証拠隠しが行われるのは、 現在の為政者にとって不都合な歴史 がここに眠っているからでしょう。その証左になるかどうか分かりませんが、この10月に福岡の調査取材に出向いた私に対しても、当局ヘリコプターによる上空旋回や、超低空飛行による急接近など、監視行動とも嫌がらせとも取れるお出迎えを受けました。その顛末についてもメルマガでは詳細な説明を書いています。 日本の歴史のどこかで為政者が入れ替わった、これは私に限らず歴史研究家の間でよく指摘されることですが、それが事実であるとすれば、このような当局のリアクションは極めて良く理解できます。 私が調査を続ける1985年の123便事件も、その発端が古代期に起きた混乱であり、その長きに亘る対立と確執の延長上に起きたものであると考えた時、初めて同事件の本質が見えてくるのです。 どうやら、日本という国が「平和な単一民族国家」であるというのは全くの幻想であり、その実体は古代から現在に至るまで、内乱と隠蔽と呪詛に縛られ続けてきた「呪われた国」であったのではないか、私はそう考えるのです。 * * * そう言えば、直近の記事「モールの灯は絶やさない」の話題も福岡の地下施設(*)でした。歴史に地下開発に、本当に福岡の関係者は隠すことが多くて大変だなと思わず感心してしまいます。 *地下施設:宣伝のようになってしまいますが、メルマガでは地下施設潜入者の証言も掲載しています。 ここまで書いたついでにもう一つ付け加えるなら、 福岡は悪魔的象徴の宝庫 であることがあげられます。それらの象徴、シンボル・モニュメント類を集めただけで、おそらく立派な写真集が出来てしまうことでしょう。私も、古代呪術の研究をする上で、福岡の呪術掛かった街造りを大いに参考にしています。その意味ではあまりここを悪くは言えないのですが・・ f:id:adoi:20211105152453p:plain 画像:福岡タワー 男性器を象徴するオベリスクでもある f:id:adoi:20211105221402p:plain 画像:香椎浜の公園に置かれた石(10月20日現地にて撮影) 見る人が見ればこれが封印術の為に置かれたものだとすぐ分かる(解除済) 昨年、このブログで「悪魔タウンの地上絵」という記事を、地名を伏せて掲載させて頂きましたが、もうお分かりのように、私が言う悪魔タウンとは福岡市のことであり、そう呼ぶにはこのような事情があったからです。 食事も美味しく、親切な人も多い福岡が私は好きなのですが、それだけに、悪魔の都とはなって欲しくありません。おそらく古代そうであったように、京都や奈良よりも古く、日本の中心であった都に再び蘇って欲しいと心から願っているのです。
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