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創価学会・池田大作 日本経済乗っ取りの野望(4)
−創価学会の財政のすべて−
会員からしぼりとった金の力で、日本の全面支配へと乗り出す池田大作 第6章_1
社長会中止後の外郭団体、会社の展開
昭和五十二年〜平成十年
内部文書が示す創価学会本部による外郭管理システム 創価学会本体の路線や財政が大きく動いていったこの時期、外郭会社や団体群は、どうなっていたか。 私の手元に、これまた、外郭会社と創価学会の関係を示す貴重な内部資料が存在する。 昭和五十二年一月八日付で、創価学会本部総務局次長宮村義一(総務)から、北条理事長経由で池田大作に提出された、決裁を求める報告書がそれである。 当時の八尋頼雄総務局長(弁護士、副会長、ルノワール絵画疑惑の中心人物)、北条浩理事長らの印が押されている。 “外郭連絡会議の件”と題して、その翌日開かれる同名の会議の次第、出席者、議題が記されている。 以下、原文のまま紹介する。
これを見れば、創価学会による完全支配の実態が歴然としている。 外部の目を気にして、いちおう独立性をよそおい、万一、事故があっても創価学会に責任が及ばぬようにしながら、“陰でガッチリ管理する”という方針が露骨に示されているのである。
すべてを創価学会本部で集中管理
外郭会社や団体は、事業方針(活動方針)、経理内容、人事等すべてが学会本部に報告を義務づけられ、創価学会代表役員の北条浩氏の最終決裁(時により第一庶務経由で、池田大作の決裁)を仰がなくてはならない。(第四、第五項) 外郭に関する一切の資料(職員名簿を含む)が、学会本部にそなえられ、集中管理されるし、“職員採用”に関しては、創価学会本部のチェックを受けるための手続きまで定められているのである。 注目すべきは、この“外郭”の中に、公明党、創価大学、創価学園が入っていることである。
公明党も“外郭”として完全管理 “政教一致”の動かぬ証拠
“政教分離”を宣言したはずの公明党は、なんと創価学会の“外郭”の一つとして、活動方針から人事、経理に至るまで、逐一、創価学会に報告し、決裁と指し図を受けていたという“動かぬ証拠”である。 報告を受け決裁をするのは、他ならぬ池田大作と北条浩氏であることも、明示されているのである。 “政教一致”などといった生やさしいものでなく、公明党は、創価学会の“一部局、一外郭”として完全に組み込まれているのである。 このような関係は、今日に到るまで変わっていない。 公明党が細川内閣で閣僚を出したとき、池田大作が、 「デージンデージン」 と喜び「皆の家来だから存分に“つかおう”」と言ったのも、直接支配下の“外郭の幹部”が大臣になったのだから、当然といえば当然のことである。
「デージン発言」
池田大作の肉声
https://torideorg.web.fc2.com/ikemondai.html#skyo
事前に報告を受け、自分で「うむ、それでいいだろう」と決裁をしているのだから、組閣が発表される何日も前に 「いよいよデージンが出る。法務、郵政、環境、運輸」 とポストをあげて自慢できるのも、じつにたやすいことであった。 こんな公明党と手を組もうという政党は、創価学会そのものと手を組むのと同じである。いずれ亡びぬわけがない。 また、創価大学、創価学園は、公益法人の一つ学校法人として設立され、国や東京都から多額の助成金を受けている。 運営についても、学校教育法の趣旨から、独立性が厳しく確保されなくてはならない。 それが、創価学会によって完全に支配されている現実は、明らかに違法性をおびる。 国や東京都からの助成金は、特定宗教団体に対する“資金援助”と同じであり、憲法違反である。 この会議では、創価学会の支配を前提に、指示や連絡が徹底しやすいよう、“連絡網”の整備が検討されている。 昭和五十六年にはじまった私の刑事裁判で創価学会側が提出した、外郭または関連会社の一覧は、次の通りである。 もっとも、この一覧には、後に“一億七千万円金庫事件”で、中西治雄氏が金をくすねたとされる外郭会社の「叶迢潤v「株ェ葉」が、故意に除かれている。同様に、私が東洋物産の処理から引き受け、管理していた「シーホース」の名も除かれている。 民音との関係や聖教新聞との関連が深いプロダクションや広告代理店も、一覧から抹消されているし、千件近い“聖教新聞取り次ぎ店”も載っていない。 作為的な“自己申告書”であり、前提の、外郭管理の実態とはちょっと性質の違うものだが、参考までに紹介しておく。 これら外郭の主なものについて、その後の動向をたどってみよう。
池田大作、創価大学を私物化している実態
まず、最大手は、創価大学である。 創価学会が百億円以上の資金をつぎ込んで立ち上げた創価大学は、その後も、常に創価学会からの資金注入を仰ぎ続けた。 そのかいあって、法、文、教育、経済、経営等の各部に、札びらを切って、多少、名のある学者達をかり集め、それなりの体制が整えられた。 当初、池田大作は、文字どおり“創価学会大学”とする心づもりだった。自ら文学部で“名誉教授”として万葉集の講義をする、と意気込んでいた。 また、創価学会幹部で、大学卒の学歴のあるものをすべて“講師”とし、助教授、教授に登用し、博士号をとらせてハクをつける……そんな“夢”をもっていた。 設立前に、将来、創価大学の講師になるべき数百人の幹部が集められ、池田大作直々にその旨を申しわたされた。 だが、そんなに世の中は甘くない。 桐村泰次に書かせた代作論文で四流大学の卒業の資格を買った程度で、大学の“教授”の資格など得られるわけがない。 また、在学中、学会活動にふけって何度も落第しながら、やっと卒業にこぎつけた者がほとんど、という幹部達についても同様である。 大学設立に当たって、基準を満たさなければ認可が下りないことが知らされ、したがって、当初はほとんど“外部(会員以外)”の教員で発足せざるをえず、その後も教員歴のない創価学会幹部の登用は不可能、ということを告げられ、池田大作はつむじをまげた。 「お前らは信心が足りない!! やる気が見られない!!」 と高松和男学長、岡安博司事務局長らは、池田大作からこっぴどく八つ当たりされた。 仕方がないから、何とか札束で頬を叩いてかり集めた教授、助教授達でスタートしたものの、創価学会や学会幹部で固める事務局と教授会はいつも対立し、もめた。
教職員の労働組合に手を焼き、
自ら組合つぶしに乗り出した池田大作
中には、左翼がかった者や、創価学会への反感を露骨に示す教員もいて、その対応に手を焼いた池田大作は、シンパの教員を優遇し、批判的な教員を冷遇する作戦に出た。 これに対して、批判派教員は、“労働組合”を結成して対抗した。 この組合切りくずしのため、私が理事として創価大学に派遣された。 例によって、種々な方法で身辺調査を行い、何人かを手なづけてスパイとし、仲間割れを仕掛けた。この時の調査資料の一部が存在する。池田大作が決裁した印がついている。 教授会などを使って圧力を加える一方、留学やポストでつって切りくずしをはかり、事実上の組合解散に追いこんだ。やがて中心者の教員達は追い出されるように去っていった。 以後、教員の補充にあたっては、助手、講師等はもっぱら学生部出身者を採用し、教員の“大政翼賛体制”をつくり上げた。
御用学生自治会をあやつり支配
前代未聞の“授業料値上げ運動”
一方、学生対策として、左翼の運動が入り込むのを防ぎ、また、教員をけんせいするために、御用生徒自治会をつくらせた。 創価学会学生部の精鋭が執行部をにぎり、生徒会長には、後に第一庶務に就職した男が就任し、留年を重ねて長い間牛耳った。 生徒会は、池田大作に批判的な教員を吊るし上げ、 “大学に創立者池田大作先生をお招きする運動” を行った。 この自治会は暴走して“池田先生の負担を軽くするために”と、「授業料値上げ運動」も行った。 およそ学生運動や自治会の活動では、「授業料値下げ」を訴えるのが常であり、自ら「授業料値上げ!!」を訴えて運動したのは、我が国の大学史上、あとにも先にも、この創価大学の学生自治会だけである。 もちろん、この生徒自治会は、背後で創価学会学生部があやつり、その背後で池田大作があやつっていたのはいうまでもない。
色魔と化した!? 自治会幹部
生徒自治会の会長を長い間つとめた男は、第一庶務に就職後も、創価大学のボスとして君臨した。 やがて、女子学生に、 「池田先生に会わせてやるから……」 等ともちかけ、手当たり次第に関係を結んでいたことが発覚し、クビになり、失脚した。
“天下盗り”の道具、国家試験受験特訓コース
創価大学は、ステータス向上の手段として、「国家試験合格」と、「一流企業就職」を看板にかかげた。 前者は、じつを言うと私の発案によるもので、法学部に“司法試験受験者特訓コース”を設け、桐ヶ谷章、八尋頼雄両弁護士、(前者は創価大学法学部教員となり、後に法学部長となった)を中心に、成績の良い学生を集めて特訓した。 その他の国家試験(外交官、上級公務員等)についても同様なコースが設けられた。 経済学部では、“公認会計士受験コース”が設けられ、やはり猛特訓が行われた。 やがて、創価大学から、毎年、まとまった合格者が出るようになり、今日に到っている。 暴力検事として名をとどろかせた金沢仁氏も、創価大学出身で、彼は聖教新聞紙上に合格体験談を発表している。 まさに“国家乗っとり”の尖兵養成機関となっているのである。
創価学会のしり押しで大企業への就職が売りものに
一方、卒業生の就職は、創価学会、聖教新聞社、公明党などが一体となってプッシュする体制をとった。 取引先の三菱銀行をはじめとする大手銀行、大手生保、ゼネコン、商社、そして放送局や出版社に、卒業生を二人、三人と割り当て、押し込んだ。 創価学会と関係が深いところほど、また取引が大きい会社ほど、たくさん採用するのは当然のなりゆきである。 これら大企業の幹部は、口をそろえて、 「創価学会については、公明党への票の提供と、創価大学卒業生の採用をすれば、仕事は間違いなくもらえる」 と語っている。 まさに、持ちつ持たれつのクサレ縁であるが、学会員家庭は、貧困層が多いだけに、 「大企業に就職できる!!」 ということで、我も我もと、子弟を創価大学受験へかり立てた。 学会員以外でも、私学出で一流企業に就職することは、なかなか難しいから、創価大学の受験生が増え、そして大学のランクも上がっていったのである。彼らは、やがて在学中に折伏され、池田親衛隊に加わる。その方が“より良い就職”を世話してもらえるからである。
最高の利用価値“創立者”の肩書き
“勲章あさり”の有力武器
池田大作にとって、最も価値ある創価大学利用法は、“創立者”という肩書きで、世界各国の大学を訪問出来ることだった。 日本の、あやしげなカルト教団創価学会の会長としては、まるで相手にしてくれないアメリカやヨーロッパの大学が、“創価大学創立者”という肩書きがつくと簡単に門を開いてくれた。本音は“寄付金目当”でも、表向き「文化人」「学術後援者」として受け入れた方が、さしさわりがないことはいうまでもない。 おかげで、著名な大学や学者と交流ができ、その後、多額の寄付や贈り物攻勢をかけて、“名誉博士称号”をもらったり、“記念講演”を行って、大いにハクをつけることができた。はじめ、ソ連圏、中国、アフリカ、中南米、アジアなどの貧しい国、貧しい大学に行き、その実績の上でヨーロッパやアメリカに進出していった。 もちろん、そのための寄付や有力な学者への贈与、研究協力費の提供、そして、日本、主に創価大学への招待や留学の提供、その間の破格の優遇等、膨大な金が創価学会から支出されたのは、言うまでもない。そして、こうした“ハク付け”のための金が、「池田先生の世界広布のための金だ。出せ!! 出せ!!」と会員から絞り取られた金である。 各国のエリート育成機関である大学への接近は、又、各国エリートや権力機構へ接近する窓口でもあった。 池田大作の“ノーベル賞ねらい”の有力な武器として、創価大学は重要な存在であり、現在の、数々の勲章や名誉称号とりのパイロット役でもある。 これら、勲章や名誉称号が、創価学会に対してではなく、池田大作個人に与えられていることも、けっして創価学会そのものに対する評価ではないことを物語っているのである。
文化人、官僚、マスコミ対策の牙城 裁判の裏工作も?
創価大学は、また、学会員の学者を集め、日本中の学者や文化人、裁判官や検事、官僚に対する、シンパ作りのための働きかけや工作をするための機関でもある。 有力学者や各種学会に金をばらまくことから始まり、裁判を有利にするための裁判官等に対する働きかけも、こうした学者達の手引きによって行われた。 東大教授だった三ケ月章氏(後に細川内閣の法務大臣に池田大作のあと押しで就任)を創価学会シンパにしたのも、弟子が創価大学教員に採用されたことが大きなきっかけであった。 創価大学は、国内でも、池田大作が、文化人・学者工作として金をばらまくための機関である。創価大学によって、池田大作と創価学会が受け取った“イメージアップ”のメリットははかり知れない。
池田教親衛隊養成大学
池田大作にとって、第二の価値ある利用法は、学生を在学中にバリバリの池田教信者に育て、卒業後、各界に送り込み、“天下盗り”の前衛とする手段としてである。 政界、官界、財界、言論界、医学界、学者等々、あらゆる分野に送り込まれた卒業生は“創価学会のため”を、あらゆることに優先して行動し、創価学会に秘密情報を送り続ける。 そうした中から、池田大作の眼がねにかなった者が、“公明党議員”に取り立てられていく。 これら、創価大学卒業エリートは、また、幼少から特別訓練を受け、創価小学校、中学校、高等学校、そして大学と進んだ者が多いから、まさに、生まれて以来、“池田教”にどっぷりつかった“ハイル池田”である。 創価大学を“創価教育の仕上げの場”とすることを目論む池田大作の発言は、既に社長会記録で紹介した。
大学施設は学会活動・選挙活動に使用
職員は専従幹部の職場に
第三に、もっと実用的な利用価値は、広大な大学の施設を学会活動、選挙活動のための行事に用いることであり、また、事務局を、広い意味での“本部職員雇用の場”として用い、それら職員を、学会本部職員と同じく“専従職員”として、昼夜の区別なく、組織活動、選挙活動の中心者としてこきつかえることである。 この点において、創価大学は、創価学会本体の施設とまったく変わらない。 幹部会や選挙のための会合に、創価大学の体育館、講堂が使われるのは、すでに日常化していたし、教学試験その他や行事にも可能なかぎり使われる。 事務局の職員、学会員の教員は、全員が学会組織において、副会長、本部長、支部長といった役職者であるし、その妻や子達も同様である。 池田大作は、けっして無駄な投資はしない。出した金の何倍、何十倍の利益を取り返す。創価大学は、まさにこの典型的な事例といえよう。
池田に私物化された創価大学に
“免税”と“年間十三億の助成金”
このように、池田創価学会によって支配され、私物化されている創価大学であるが、公益法人であるから、収入は“免税”の恩典が与えられている。 その上、国から毎年十三億円を越える助成金が与えられているのである。もちろん、その出所は、国民の税金である。 一から十まで池田大作のために利用される施設に免税の恩典が与えられ、その上に、税金から十三億円もの“追い銭”が与えられるという、“憲法違反”の状況が存在しているのは、学校法人法に違反した、池田大作と創価学会による創価大学支配ということが放置されているからに他ならない。
医学部が作れない事情
池田大作は、創価大学に医学部を作り、付属病院を全国に展開する構想を、早くから抱いていた。 既に、昭和四十年代中頃に、東京都中野区に、その準備として“病院”を作ることを計画していた。この計画は結局とりやめになった。 その後、大きな病院の買収話、あるいは経営に行きづまった医科大学の買い取り話等が、何度も、かなりの具体性をもって話題となった。しかし、現在まで実現していない。 理科系の学部、とりわけ医学部は、巨額の金がかかる。現状では、病院経営は投資に対する見返りの効率がけっして良いとはいえない。 創価学会や創価大学が経営する病院などでは、会員を、貧乏だからといって受け入れ拒否はできないし、これまで“病気になるのは信心が足りないからだ!! 拝めばなおる”と指導してきた立て前上、医学による病院経営はどうしても矛盾する。 そうしたこともあって、医学部設立は見送られている。
ゆりかごから墓場まで
“創価エスカレーター社会”の中心に 創価学会は、誕生祝から七・五・三のお参り、保育園、幼稚園、小・中・高・大学、就職の世話、結婚式場、そして葬儀会社と、「人生のエスカレーター事業体系」を作り、会員は創価学会にいれば一生面倒をみてもらえるかわり、その支出はすべて創価学会やその関連企業に吸収されるという、「信者囲い込みシステム」を作っている。 新聞も“聖教さえ読めば良い”し、商売も互いに学会員同士で応援し合う。創価学会外郭には、“サラ金会社(日章等)”まである。 その体系の中で、今のところ唯一欠けているのが病院であるが、その代わりに公明党議員のあっせんする公立病院が使われている。
公明党が支配する公立病院
都立、区立、県立、市立といった公立病院は、入院者が多く、風邪のはやるときなど仲々入院できないが、公明党議員の圧力によって、学会員は優先的に送り込まれる。 議員による病院人事や経営に対する介入を背景にしているから、病院側は拒めない。 入院者、下働きの職員等は、学会員が多く、わが者顔にふるまっていると、公立病院関係者は語っている。
創価学会前衛組織の中枢“民音”、創価学会と一体
創価大学と並ぶ重要な外郭が、財団法人民主音楽協会である。 当初、「労働者音楽協会(通称労音)」に対抗して作られたが、その後、目的は会員を対象に“演歌”の興業や映画の入場券売上げで儲けることに絞られた。 公益法人でありながら、公益事業は全く行わず、あまり売れないあるいはトウのたった学会員芸能人を優先的に出演させる“演歌興業”ばかりを手がけた。その合間に、ヒットしそうな映画の入場券を会員に売りつけ、手数料かせぎをした。 民音は、長い間、学会本部の間近か、信濃町の聖教新聞社のとなりに本拠があり、地方の事務局は、創価学会会館内にあり、事務局の一角に机と電話を置いていた。その事務も、創価学会の職員が代行したり、あるいは“民音職員”として採用された者も、創価学会の仕事を手伝わされていたから、まるで区別がつかなかった。 各地で行われた“演歌ショー”の入場券は、創価学会の組織で強制的に割り当てられ、無理やり買わされた下級幹部や会員は、ショーの当日に観に行こうと思っても、たいてい学会活動と重なって行けないものだから、日頃、公明党への投票を依頼する近隣の人にあげたりする他なかった。 選挙が近づくと、“民音”の入場券を“F取り”に利用するよう指導が行われたから、会員は、戸別訪問のとき、手土産として持参した。 こうしたやり方で会員からしぼり取った利益は、ほとんどが、池田大作の指示で購入する土地代金に充てられた。あるいは、池田大作や創価学会の使った費用を経費として計上するなど、まさに、創価学会の外郭営利会社とまるで変わらなかった。 言論問題の際、そのあり方が問題となり、私達の指摘にもとづき、“公益事業の充実”と創価学会との分離がはかられた。 また、会員に対するチケットの強制割り当ての中止が決められた。
池田豪華専用施設を民音名義で
例えば、箱根研修所は、当初“民音箱根研修所”として、民音の施設という外形をとっていたが、実際は、池田大作の“別荘”であり、それがまずいということで、創価学会の施設として幹部の研修と併用されるようになった。 後に、その敷地の一角に、独立した数奇屋作りの“専用施設”が作られた。 内容は、池田専用施設の典型的なもので、豪華、ぜいたく、そのものであった。 昭和四十九年〜五十一年にかけて、私と桐ヶ谷、八尋ら弁護士と、阿部教学部長、藤本庶務部長ら宗務院役僧の訴訟の打ち合わせ(妙信講事件、松本勝彌事件)のため、二、三回、特別にこの専用施設の使用を許された。 ちょうど池田大作が、日蓮正宗に気をつかっていた時期のことであり、“接待”をかねてのことであったが、他の学会首脳には、そのようなことは、まだ許していなかった。 このとき、宗務院の僧侶方は、室内の豪華さに目を見張り、そして浴室、洗面所を見て絶句した。 ひのきの湯舟、カベ、広々とした明るい浴室内、金ぴかの洗面所、そして、大きな全身鏡。かつて、言論問題のとき、呼びつけられて立ち入ったことのある、古い旅館を改造したような専用室とは天地の相違があった。 私達弁護士も、はじめは度肝をぬかれた。 「いったい、どのくらい金をかけているのだろう?」 私達は顔を見合わせてささやき合った。 しかし、その後、数々の専用施設に出入りするようになり、宿泊することも許されるようになると、箱根は、まだまだ中の下くらいの施設であることがわかってきたのである。 更に、敷地の一角に、池田大作夫妻が新婚当時住人でいた大田区内の民家がそっくり移され、建てられた。 池田大作は、時折そこを訪れ、 「昔は、こんなものだった。それが今はこのように人間界最高の“ぜいたく”を味わっている」 と、自己満足と感傷にひたるのだった。 民音の研修所は、他にも、例えば、都内代々木上原・古賀政男邸近くにもあった。 これも豪邸で、ゴーストライターの北川昌宏夫妻が管理人として住み込み、その様子が社長会記録に、池田大作みずからの言葉として残っている。 この施設は、言論問題以後、創価学会首脳と公明党首脳の秘密会談に使われ、その後、民音から切りはなされて「財団法人東洋哲学研究所」の事務所となっている。 民音は、会員のチケット販売と興行の運営が主業務だった。 民音会員といってもすべてが学会員であり、チケットは座談会等で強制的に割り当てられた。 その集金をめぐって、時折、使い込みなどの不祥事が生じ、幹部が懲戒免職になった。 また、興行をめぐって、民音職員とプロダクション等の業者の間に、ワイロ等の授受が生じていた。
“民音職員”松本勝彌氏の内部告発と御供養金返還訴訟
民音職員で、創価学会男子部部隊長であった松本勝彌氏が、元東洋物産職員ら学会員多数と共に造反し、告発本を発行したり、“正本堂御供養金返還訴訟”を起こしたのは、昭和四十七年から同四十八年にかけてである。 これに先がけ、昭和四十七年夏には、『週刊ポスト』で、外郭会社の実態と池田大作夫妻のぜいたくぶりが暴露されている。 私達弁護団は、松本勝彌氏を懲戒解雇するために、証拠の改ざんやデッチ上げ、堙滅などを行った。 この訴訟の中心者は猪熊重二弁護士であり公明党参議院議員を長くつとめた。同弁護士自筆の、証拠堙とくに関する報告書が存在する。
形ばかり、公益性をよそおうための“公益事業”
私達の強い指摘でしぶしぶはじめた公益事業では、音楽コンクール、音楽教室、日比谷公園などでの無料演奏会(創価学会の軍楽隊や鼓笛隊、合唱団やオーケストラが出演するので、ギャラはかからなかった)等が行われた。また、海外からのクラシックのオーケストラやバレー、オペラなどの招待公演も増加した。 だが、これらも、“演歌興業”に比べると何十分の一にすぎない。まさにカムフラージュである。
国税調査で創価学会と事務局分離
昭和五十三年、国税局の調査によって、創価学会会館内に民音事務局が置かれている部分について、 「宗教活動に関係ない、営利事業である」 と認定され、そのスペースだけ、分離課税するといわれ、あわてて、事務局分離の方向にふみ切った。 昭和四十年代後半以後、一方の雄であった「労音」が衰退し、“演歌ショー”の興業に関しては、全国規模の組織として、民音が我が国唯一、最大の団体にのし上がった。 民音の興業を無視しては、ほとんどの芸能プロダクションもタレントもやっていけなくなったから、民音の芸能界における支配力は極めて強くなった。プロダクション支配を通じて番組作成を支配する関係から、テレビ局の芸能部門への影響力を持つようになり、落ち目になりかけた学会系タレントを推して出演させ人気回復をはかることもしばしばだった。
芸能界、テレビ局に支配力
そして、この“芸能部門”を突破口として、テレビ局の報道番組、ニュース番組への支配力を増していった。もちろん、創価学会の金にいと目をつけないコマーシャル作戦も、テレビ局の経営に直接影響を与えることはいうまでもない。 大新聞だけでなく、テレビでも創価学会の不祥事を報道しなくなったのは、こうした民音の力が大きく働いているのである。 芸能人には、もともと、折伏されてわけも分からず入会する者が多かったが、民音の支配力の傘下に入ろうとして入会する者も少なくなかった。
創価学会の広告塔に利用される“民音芸能人”
池田大作は、こうした芸能人を、創価学会のイメージアップや広告塔として、また公明党の選挙に思う存分利用した。 参議院議員に沢たまきらのタレントを送り込んだ他、山本リンダ、磯野洋子、杉田かおるその他のタレントは、選挙のたびに総動員でかり立てられるのである。彼らは、創価学会の芸術部員である。 最近、「週刊ポスト」(八月十六日号)に、杉田かおるさんの手記がのっていたが、興味深くよませていただいた。 池田大作は、若い女性タレントのお気に入りのメンバー十数名を、常に身辺にはべらせていた。 霧島研修所などに呼び、“お父さま”と呼ばせて人前はばからず、ゆかた姿で肩をもませていた。その一人と、弁護士グループとの間に、池田大作の指示で縁談話がすすめられたこともある。 私の恥をさらして恐縮だが、笹川陽平氏(現日本財団理事長、船舶振興会会長)と遊び歩いていたとき、 「良い女を世話するから……」 と、銀座資生堂ビル六階のフランス料理店にさそわれたことがある。 二人で待っていると、やがてあらわれたのは、池田大作の所で何度も顔を合わせていた美人女優であった。 笹川氏は、そんなこととは知らず、本気で私と彼女の仲をとり持つつもりでいたから、私は笹川氏をトイレにさそい、 「あの人はだめだよ。池田大作さんのお気に入りで、いつも大作さんのところで顔を合わせている」というと、笹川氏は目をむいて絶句した。 別れぎわに、彼女は、さりげなく私に 「このことはお互いに内緒にしましょうね」 と言った。 こんなことを書いて、約束を破ってしまうのは申しわけないが、今はやむをえない。 彼女は、いわゆる良家の子女で、立ち居ふるまいも立派、頭のよい女性で、池田大作お気に入り芸能人の中でも、ひときわ目立っていた。 民音は、設立時以来、秋谷栄之助会長の監督下におかれていた。公明党元参議院議員黒柳明氏、現参議院議員大久保直彦氏らは、その事務局長を歴任した後に政界へ送られた。 言論問題以後の民音を切り回した吉田要氏(専務理事)は先頃病気で亡くなった。
宇宙戦艦「ヤマト」と民音
私自身、民音にはいろいろと深く関わっているが、一番記憶に残っているのは、新宿区内の精華学園の校舎と用地を買収し、民音の本部としたことである。 昭和四十二年頃、私の友人から持ちかけられた売却話を池田大作に取りついだところ、池田大作は大乗り気で、さっそく民音で、現金十三億円で買い取った。今では、数百億円は下るまい。 敷地内には、小さなグランドの他、プールとテニスコートがあり、池田家の子供達はここでよくテニスや水泳に興じていた。 民音の関連で、もう一つ忘れられないのは「宇宙戦艦ヤマト」のことである。 大久保直彦氏の事務局長時代、その下で重用されていたプロデューサーの西崎義展氏は、その後、大久保氏にきらわれ、遠ざけられた。 昭和四十二〜三年頃、交通違反を重ねて、数十枚の呼出状をかかえ、逮捕状請求の情報にあわてた西崎氏は私に泣きついてきた。 「一週間後に結婚式を控えていて、その前、あるいはその場で逮捕されてはたまらない。何とかしてくれ」 この時は何とか罰金だけですませたが、その後ナシのツブテだった。 その次に会ったのは、昭和四十五年以後、プロダクション経営に失敗し、その債務整理に追われているときだった。 私も多少手助けして、何とか身一つで逃げ切ることができた西崎氏は、その後、いろいろな仕事を転々とした後、手塚治虫氏のアニメーション制作に関与するようになった。 手塚氏の倒産さわぎのとき、またまた私は泣きつかれ債権者集会などに立ち合ったが、退職金がわりに何本かのアニメの権利を得、独立した。 銀行のPRの仕事などをしたのち、「宇宙戦艦ヤマト」を作成したが、配給を引き受けるところがなく、やっと一社が、“どこか、まとまって入場券を引き受けてくれること”を条件に、応じても良いということになった。 西崎氏は、私のところにきていきなり土下座し、 「民音にたのんで、百万枚ほど買ってほしい。このとおり、おねがいします」 と泣きついた。 私は、民音の担当者に話し、その結果、少年向けの“夏休み教室”の一つとして「宇宙戦艦ヤマト」をとり上げてくれることになった。これで、やっと上映にこぎつけることができたのである。 その後、「宇宙戦艦ヤマト」は大当たりし、U、V、Wとシリーズが作られ、西崎氏は大もうけをした。そうなると、いろいろな人達の協力で成功したことを忘れ、慢心した振舞いが多くなって、協力者や部下は次第に離れていった。 やがて、会社は倒産し、西崎氏は最近、覚醒剤、麻薬取締法違反で逮捕されたという。 彼は才能も力もある人物であるから、初心にかえって出直してほしいと思っている。
アメリカ、ソ連圏での“民音”の役割り
民音で、忘れてはならぬことは、アメリカ、ソ連圏布教などでの役割である。 アメリカでは、創価学会は、“民音活動”を前面に押し出して布教活動をした。 会員男女にさまざまなコスチュームを着せ、折あるごとに街頭パレードやフェスティバルを行った。著名な芸能人や野球選手を入会させ、“広告塔”として使う他、アメリカの“建国二百年祭”の催事に参加し、華やかな興行で世間の目を引いた。 こうした状況では、“信仰”は二の次になる。また、会員に対する負担も大きくなる。 アメリカでの創価学会員の出入りは極めてはげしく、組織のトラブルは絶えることがなかった。 アメリカ本部長ジョージ・ウイリアムス(日本名・貞永靖)は、それでも「民音ドンチャカ、チンドン屋路線」を突っ走ったが、池田大作の長男博正氏の留学をめぐる不手際から、池田大作の怒りを買い、失脚してしまった。
“長男博正氏をアメリカ大統領に!!”池田大作の妄想
池田大作は、長男博正氏をアメリカに留学させ、永住権、そして国籍を取得させて、将来アメリカ創価学会の中心者にすえることを決めていた。 その上で、 「日本の天下をとったあと、いつの日か、アメリカ大統領選挙に長男を出馬させ、当選させる」 という、とほうもない妄想をいだいていた。 この博正氏の留学が、手違いでできなくなった。 池田大作は、 「貞永は、アメリカの組織を博正に渡したくないから、ワザと留学手続をしくじったのだ!」 と疑い、以後、貞永氏を遠ざけた。 日頃、貞永氏が、池田大作の信頼と当面の成功に、調子に乗って、とかく無視したりしていた北条浩氏以下の首脳達は、この時とばかり寄ってたかって貞永氏を叩き、二度と立ち上がれないように足元をこわしてしまった。 同時に、アメリカ創価学会は虚飾がはがれ、見るかげもなく凋落していったのである。
寄付、招待、贈りものでソ連圏にくい込む
一方、ソ連圏では、バレエ団、オーケストラなどの日本招へい、その際の贈り物攻勢などで、各国の中枢にくい込む尖兵となった。 外貨に困窮していたソ連圏諸国にとって、創価学会が、民音活動を通じてもたらす金はヨダレが出るほど貴重なものだったから、争ってむらがった。 そうした、民音を通じての金まき、また、先述の創価大学等をダシにしての金まきで、池田大作は、ロシヤや、東欧諸国の首脳とじっこんになった。 ゴルバチョフ元大統領との仲は有名であるが、かのルノワール絵画疑惑で闇に消えた数十億円の金が、ゴルバチョフ氏の手元に渡った、といった記事が週刊誌に載ったことがある。 池田大作はルーマニアのチャウシェスク大統領とも、互いに心を許し合った「親友」となり、そのことを大いに自己宣伝に用いた。 しかし、チャウシェスク氏が革命によって処刑され、その独裁悪の数々が公けにされると、池田大作は、手の平をかえしたように、“素知らぬフリ”を決め込んだのである。
池田大作“お気に入り”手造りのオモチャ創価学園
民音、大学と並んで重要な外郭が、創価学園である。 創価大学と違って、創価学園は、設立準備の段階から池田大作が直接手がけ、いわば、“手作り”で立ち上げた外郭である。 土地購入から、校舎の建設、教師の選定も、すべて池田大作が自ら行った。 特に、教師は、学生部の中から優秀な人材を選び、みずから特別訓練をほどこした。 創価学会幹部会で、池田大作は、これら教師を幹部達に自慢げに披露したが、東大、慶応、その他国立大学、一流私大出身ばかりで、また、学生部の幹部ぞろいだった。 中でも、池田大作が、息子達の家庭教師に選び、手もとで訓練した東大出の松田氏、山本氏らが、将来の校長、理事長になる人物として紹介された。 松田氏は、しかし、その後、女性問題を起こし、創価学園も学会幹部もやめて、妻の実家に引っ込んだという。
宗教や収入で入試差別
生徒の入学試験では、学会員であることが条件とされたことは、もちろんであるが、その他に 「月謝がちゃんと払えるかどうか」 が、厳しくチェックされた。 何しろ学会員は、先に述べたとおり貧乏人が多いから、入学金や月謝が払えぬ恐れが多分にあり、そうかといって、それを理由に退学させることはいかにも体面が悪い。 そこで、受験の際、「宗教」や「収入」を書かせ、チェックした。 このことは、明らかに学校教育法はおろか、憲法にも違反する。 後に、創価学園の不正が問題になったとき、表向きの調査はこっそりと廃止されたが、しかし、受験生の地元の創価学会組織にこっそり照会して調べるから、結局、同じことである。
「創価学園は信心がある!!」池田大作の口グセ
池田大作は、校歌まで自ら製作し、教育のカリキュラムを勝手にいじり、正規の授業をけずって創価学会精神を叩き込むための行事や指導の時間を多く割り込ませた。 全寮制のもと、筋がね入りの教員を選んで寮監とし、生徒に昼夜、「池田大作崇拝」を叩き込んだ。 年に何度か創価学園をおとずれる池田大作は、時に図に乗って、窓から飛び出す等の奇行を演じて生徒や父兄を呆れさせたが、本人は、 「創価学園は、一番信心がある。心がきれいで、私は一番好きだ。学会本部より“信心”は上だ。一番信心がないのは創価大学だ!!」 と、口ぐせのように言っていた。 創価学園の運営は、すべて池田大作が直轄し、他の首脳は一切口出しを許されなかった。
仔飼いの教員が造反、内部告発“違法なカリキュラム、
無資格教員”
昭和五十二年、東京都学事課に、創価学園教師から、一通の内部告発が寄せられた。 「創価学園は、池田大作によって独裁され、正規の授業時間をけずって、教員や生徒に宗教教育や宗教行事、選挙活動を強制している。通常の教育よりも、“筋金入りの創価学会員、池田親衛隊”の育成のための教育に力が入れられている。 教員は、教員としての実績ではなくて、信仰上の忠実度で評価される。常に、教職以外の奉仕を強要され、信仰活動を強要され、本人も家族も創価学会組織の監視下に置かれている。 職員会議は、池田大作の意向を校長らが一方的に伝える場にすぎない。 また、資格のない教師に授業を行わせ、必要な資格を持つ教員が欠けている。 受験にあたって、信仰や親の収入で差別が行われている。また、創価学会の指示で、情実入学が行われている。」 学校教育法にもとづき設立され、私学として助成を受け、また公益法人として免税の恩典を受けている創価学園で、驚くべき違法の数々が行われている、という内部告発に、東京都の幹部は驚き、あわてた。
東京都職員が公明党都議に密告 協同してモミ消しをはかる
こともあろうに都は、この“内部告発”の事実を、公明党都議会幹部につつ抜けに伝えた。 公明党都議から、その日のうちに、創価学会へ通報されたのは、言うまでもない。 折から、創価学園の数名の教師が叛旗をひるがえし、労働組合結成の動きを見せたから、池田大作は大いにあわてた。 創価高校では、校長、理事長らが創価学会首脳にこっぴどく総括され、シリを叩かれて、犯人捜しや、教員の引き締めにかかった。“犯人”と目された教師達に対して、他の教師達に“村八分”をやらせたり、暗に“辞職”を迫ったりした。 だが、そういう方法が逆効果だったことは言うまでもない。六人の教師が、組合作りを発表し、公然と造反した。 造反教師は、ほとんどが、池田大作が自ら選んだ“よりすぐり”の中から出た。 彼らは、当初は、待遇と校内改革をめざしての行動であったが、東京都学事課への内密の通告が、ただちに創価学会側に洩れ、弾圧となってはね返って来たことに、態度を硬化させ、騒ぎを公けにしても徹底的に戦うかまえを見せた。
ついに調査、しかし“八百長”
東京都にしても、成り行き上、創価学園の“調査”を行わないわけにはいかなくなった。 公明党都議を間に、事前に、調査の方針と、学校側の対応、そして都としての処置が打ち合せされた上で、“八百長”的な調査が行われた。 それでも、カリキュラムの不備、資格のない教員の担当、試験のあり方など、カバーしきれない違法が残り、改善の指示が出され、これに従うことになった。 池田大作が目指した創価学園の“池田私塾化”は、違法だと判断されたのである。 法律上、必要な改善は行われたが、“池田親衛隊”の教師達と、造反教師達の間に、反感と憎しみが増幅されて残り、ことあるごとにいがみ合って、校内は異様な雰囲気につつまれたままだった。 こうした状況で、例によって私に、お鉢が回ってきた。 “創価学園筆頭理事”という肩書きで乗り込んだ私は、結局、池田大作が築き上げた体質をこわすしか、問題解決の方法がなかったから、その方向で作業を進めた。 “池田親衛隊”の教師達は、密かに池田大作に不満を訴えたり、 「創価学園に信心がなくなる!!」 などと騒いだが、池田大作としても、自分が招いた事態だから、手の出しようがなかった。
造反教師達の処遇にかゝわった私
彼らは、当面、勝利をかちとったように見えたが、一度牙をむいた以上、創価学会あっての創価学園の中で、将来も無事にいられるとは、もはや思っていなかった。教師も職員も生徒も父兄も学会幹部ばかりの中で、“池田先生に背いた者”が、いつまでも無事にいられるわけがない。 ほとんどの者が、 「若いうちに、他の職場に転職したい。当面の生活が確保され、そしてあとで仕打ちをされたり、報復されたりする心配のないような形で、名誉ある撤退をしたい」 という気持に傾いた。 一方、こうした造反教師の傾向を伝えると、池田大作は、すぐ飛びついた。 「たのむ。彼らを何とか追い出してくれ!! 創価学園の純粋性を守るにはそれしかない。金ですむなら、けっこうだ。」 私も、六人の造反者にとっては、満足のいく補償を得て外に出た方が、結局は幸せだろう、と判断し、彼らと交渉した。 結局、相当額の退職手当ての支給、再就職の妨害や迫害を加えないこと、その他の条件で、彼らは、創価学園から去って行った。 もっとも、彼らは、 「創価学園に在職中に知り得たこと、創価学会の組織に関する事がらを、絶対外に洩らさないこと」 を誓約させられたから、不祥事は外に洩れることなく終わった。 この事件で、学園から去った教師達は、新しい職場で、今日まで充実した人生を送っている。 彼らは、人間として、教師として、当然の行動をしただけであり、そのことによって創価学園から排除されたということは、創価学園、ひいてはその事実上の運営者である池田大作が、いかに反社会的な傾向の持ち主であるかを証明している。
異常な学園で池田教狂信者を育成する
このような異常な学園で小・中・高校時代を送り、創価大学を経て世に出た、学会員の子弟がどのような人格になるかは、“純血”で育ち青年部の中枢に現在座っている連中の姿を見れば、一目瞭然である。 なお、私は、創価学園の問題処理のため、一年半近く理事として週一回くらい出かけて行った。 その際、“理事長室”や“会長室”の一部使用を許されたが、そのころ創価学園の“会長専用室”は、各地の池田専用施設から運びこまれた調度品の隠し場所になっていた。 ぜいたくな家具や調度品が、大量に、無造作につみ上げられていたが、いずれも、税務調査や国会での追及を恐れ、池田専用施設を“恩師記念室”に改造、カムフラージュした際に移されたものであった。民音も、大学も、学園も、このころ、創価学会の“ぜいたく品隠し場所”として利用されていたのである。 この創価学園は、小・中・高校に幼稚園を加え、東京都だけでなく、大阪府、札幌市、その他各地に、次々と増殖している。
女子学園に入りびたり生徒に“お父さま”と呼ばせて
ヤニ下がる池田大作
池田大作は、中でも大阪府下の女子学園がお気に入りで、長男博正氏が、女子高校の教員をしていたこともある。 ひんぱんに出向いた池田大作は、女子学生に囲まれ、 「お父さんく」 と呼ばせてヤニ下がっていた。 創価学園は、また、新聞記者、その他創価学会シンパを取り込むため、その子弟を池田大作の命令で特別入学させた。
男子校の地元東村山市は“創価門前町”化
反対運動の市議は怪死!!
男子校発祥の地、都下東村山市は、池田大作が特に力を入れ、八王子市と同様、創価学会の“城下町”化した。 市と創価学会の不正なゆ着をいつも指摘しつづけた市会議員の朝木さんが、創価学会の陰険ないやがらせや攻撃にさらされ続けたあげく、平成七年、ビルから転落して不審死をとげたことは、まだ記憶に新しい。 創価学園では、はじめ“勉学一筋”といった進学校をめざし、スポーツは軽視されていた。とりわけ、野球部についても、特別扱いはせず、むしろ冷遇されていた。 しかし、PL学園や佼成学園が甲子園で活躍し、教団のイメージアップに大いに貢献しているのを見て、池田大作以下、考えを変え、野球部に力を入れるようになった。 学会員かどうかわからない、信心の薄い指導者を招き、全国の会員の子弟から野球の才能のある者を集め、強化につとめた結果、甲子園大会に出場するまでになった。 しかし、スタンドで応援者が唱題したり、池田大作の作った校歌(全三番のうち、二番)をやたら歌ったりで、異様さがひんしゅくを買った。
<関連書籍>
日蓮正宗から横領したに等しい“富士美術館”
池田大作が、これら巨大公益法人と並んで力を入れているのが、「財団法人富士美術館」である。 当初、富士宮市の大石寺正本堂の脇に作られた富士美術館は、正本堂御供養金を使って建物や美術品が整えられた。これは、正本堂の付属施設である“垂迹堂”という、宗教上の意味を持たせた施設であった。 一言でいえば、末法において大御本尊御出現後は信仰の対象とならなくなった仏像仏画、美術工芸品等を、歴史的、文化的、美術的見地から保存するための施設である。これを“財団法人”として日蓮正宗大石寺から切り離し、創価学会の幹部で人事を固めてしまったのは、池田大作の狡猾さである。
池田ニセ物コレクションの倉庫 全国に展開し
“金集め”の大義名分に
池田大作が、金と見得にまかせて買いあさった美術品の多くをここに収めたが、そのほとんどがニセ物であった。 やがて、八王子市により大きな美術館が作られ、さらに各地に造られていったが、この“美術館建設”は、財務や広布基金等の金集めの名目の一つに利用されたのである。 富士美術館は、各種の催事などで新聞社や外国の美術館と交流し、池田大作の強力な武器の一つになった。 富士美術館所蔵の美術品は、しばしば池田大作によって持ち出され、専用施設や本部などの居間や応接室に飾られた。 池田大作にとって富士美術館は、自分のお宝の収納所であり、 「どうだ、みごとだろう“皆な俺のものだぞ!!」 と見せびらかす場所である。
ルノワール疑惑も“広宣流布”のため?
バブルの最中、ルノワールの絵が海外から輸入され、富士美術館が最終購入者となった。画商が何人か仲介し、三菱商事が介在したこの取引は、後に税務署の調査で十億円をはるかに超える“使途不明金”のあることが発覚した。 実質上の購入者である創価学会の担当者は、池田大作の懐刀の一人・八尋頼雄弁護士(副会長、事務総長)であった。 その金は、前述のとおり、ゴルバチョフ氏に提供された、などとマスコミにさわがれたが、結局、ウヤムヤのまま、画商が“脱税”の汚名を一人で引っかぶった。 時価より何十億円も高い金を支出した創価学会、そして汚ない取引を仲介した大商社三菱商事には何のおとがめもなかった。一人罪をかぶった画商は、関係者から、 「これで、あいつは学会に恩を売って、一生喰いはぐれがないぞ!」 と噂された。 この事件の解明を担当した当時の警視庁幹部は、その後退職し、国会議員となったが、選挙にあたって 「俺に、公明党候補がたてつくなら、えらいことが明るみに出るぞ」 と、ぶっそうな独り言を言っていたそうである。 本体の創価学会同様、これら外郭公益法人もまた、ダーティーな事件にまみれているのである。 この事件については、国会でも疑惑追及がなされている。 少し長いが、事件の核心を突いているので引用する。
2 平成六年十月十八日 楢崎泰昌(自民)参議院予算委員会 ・
○楢崎泰昌君 さて、本題に戻らせていただきますが、先ほど申し上げましたように、税につき・・ましては課税の公平、課税の適正な執行というのが重要でございますが、その一端として実は三・・年ほど前に世間を騒がせましたルノワール絵画疑惑事件というのがございます。
御存じだというぐあいに思っておりますが、この事件は、平成元年ごろ三菱商事が画商の立花・・というところからルノワールの絵画二点を三十六億円で買い付けた。しかし、その三十六億円の・・行方について疑惑が持たれ、脱税が生じたということで検察庁がお調べになり、かつ起訴をさ・・れ、最近判決が出ているように伺っておりますが、その概要についてお話をいただきたい。
○国務大臣(前田勲男君) 刑事局長よりお答え申し上げます。
○政府委員(則定衛君) お答えいたします。 いわゆるルノワール絵画取引等をめぐります事案につきまして、検察当局が国税当局からの告・・発を受け た上、平成五年六月十六日に、美術品の販売等を目的とする株式会社立花ほか一社の二・・法人及び両法人の役員それぞれ一名を法人税法違反により、また絵画取引の仲介に関与しました会社役員ら三名を所得税法違反により、いずれも東京地方裁判所に公判請求しております。
法人税法違反で起訴されました二法人及び二名につきまして一審で有罪判決が確定しておりますけれども、所得税法違反の被告人らにつきましては、裁判中死亡しました一名を除きまして、一審で有罪判決が出されたものの、被告人側の控訴により現在控訴審係属中でこざいます。
○楢崎泰昌君 三菱商事が三十六億円で立花から絵画を購入したということで、今おっしゃった・・のは訴訟の概要でございますが、資金の流れについて詳細な御説明をお願いしたい。
○政府委員(則定衛君) 検察当局が捜査をいたしまして公訴を提起し、かつ裁判所が有罪認定・・をしたという事実につきまして私どもとしては御報告申し上げられるかと思います。
既に、先ほど申しました公判請求事件の中で株式会社立花に係ります法人税法違反事件が確定しておりまして、その公判におきまして検察当局は、株式会社立花がルノワールの絵画二点を約二十五億円で仕入れて商事会社に三十六億円で売却したこと、それから株式会社立花はこの売買で生じた差益約十一億円のうち八億円を立花及び関係した仲介人の間で分配したことを主張、立証しておるものと承知しております。
○楢崎泰昌君 要するに、三菱商事から立花に三十六億円の金が渡った、そのうちいろんな使途・・が判決 等を通じて明らかになっているわけですけれども、三億円の不明金があるという事実がご・・ざいます。この三億円の不明金について世間を騒がせたわけですが、これについての法務省の御・・認識はいかがでしょうか。
○政府委員(則定衛君) 御指摘のように、これらの脱税事件ではルノワールの絵画の取引をめ・・ぐります所得の隠匿工作が公判におきます審理の対象になっておるわけでございますが、御指摘のように、絵画取引で生じました全体の差益の一部につきましては、検察官が、起訴された被告人らの収入とは主張していない部分があるわけでございます。
ただ、これらのお尋ねの点につきまして法務当局から、御指摘のような報道の真偽はどうか、それらにつきましてコメントするのは起訴していない事実について言及するということになりますので、詳しいことについてはお答えいたしかねるわけでございます。
○楢崎泰昌君 いずれにしても、検察当局の調査では三億円は未解明であった、少なくとも起訴事実の中にない ということを確認したいと思いますが、いかがですか。
○政府委員(則定衛君) 問題となっております脱税事件の対象にはなっていない、こういう点は御指摘のとおりでございます。
○楢崎泰昌君 御答弁によれば、三億円は未解明であると、我が国検察当局というのは最強の調・・査能力を持った役所でございますが、三億円についてはわからないよというぐあいにおっしゃった。 ところで、私の手元に今、三菱商事株式会社の平成三年度株主総会で株主に配布した資料がご・・ざいます。これは、本日の株主総会において絵画取引について御説明をしますというフレーズのもとに「事実関係」は次の通りでございます。平成元年三月、当社は、創価学会の八尋副会長から、「フランス人所有のルノワール絵画一点を、三十六億円で代理購入して欲しい」という依頼を受けました。取引当日は、決済条件として指定された額面一億円の無記名、無線預手三十六枚を、同副会長にお渡しし 、」同副会長というのは創価学会の八尋副会長を指しているとも思われ・・ますが、「引換えに、絵画二点と、フランス人名の領収書を受け取りました。」要するに、創価・・学会の八尋さんと相対して三十六億円の預手をお渡しし、そして絵画を受け取りました。これ、だれから受け取ったか書いてないんですけれども、状況的にはどうも想像ができます。「絵画はその場で、東京富士美術館にお預けし、高倉副館長から寄託品預り証書を受け取りました。」。その場ですぐ東京富士美術館にお渡ししたわけですね。「絵画は当初の約束通り、一年半後の平・・成二年九月、金利と手数料を含めた四十一億円で、」、すなわち五億円の手数料ということで、・・「東京富士美術館に売却致しました。以上が絵画取引の事実関係であります。」とこういうのを株主総会で御配付になった。
この御配付になったのは、極めて三菱商事としては重要に考えられて、副社長を委員長とする・・常務以上の委員会において事実解明をした結果を御報告申し上げます、こういう文書が株主総会で配付されました。 この事実は法務当局は御存じですか。
○政府委員(則定衛君) 御指摘のような報道がなされておりますことは承知しておるわけでございますけれども、先ほど申しましたように、関連する事件がいまだ公判係属中のものもございますし、またどのような事実について検察当局が捜査過程で掌握しておるかということにつきましては、捜査の秘密でもございますので、今のお尋ねの点について直接にお答えするのは差し控えるべきであろうと思っております。
○楢崎泰昌君 捜査の秘密で個別の問題はなかなか難しいというお話でございますが、これについて関心をお持ちでしょうか。
○政府委員(則定衛君) 検察当局といたしましては、事件捜査に関連いたしますもろもろの事・・象について関心を持って通常捜査を進めてきたということでありますし、またなお公判も係属しておるということでありますので、それな りの関心を持っているものと承知しております。
○楢崎泰昌君 実はここは重要な問題を含んでいるというぐあいに思います。 すなわち、三菱商事の御説明によれば、これは繰り返して申し上げますけれども、常務以上の委員会をこしらえて事実関係をきちっと御説明なさったんだと思います。信用ある会社ですから、恐らく信用ある事実関係の解明を行ったんだというぐあいに存じますけれども、もしそうであるとすれば、実はこのルノワール絵画疑惑事件というのは、この説明によれば三菱商事と創価学会の八尋副会長との取引になってくる。
しかも、記しておりますように、三十六枚の預手ですね、これは一億円の預手を創価学会側の御指定によって用意したというぐあいに述べられておりますけれども、その三十六枚の預手を創・・価学会の八尋さんにお渡しになった。そして、ここから先は想像でございますけれども、普通常識的に考えますれば、八尋さんが三十六枚の預手をどういう形か知りませんけれども御処分なさったというぐあいに思われるんです。そうなってくる と、三億円の使途不明金というのは実は預手が三枚分について解明できなかったんですね。ということは、どうもそこら辺に本当は問題があるんだなと。 判決はそうじゃなくて、三菱商事が立花に三十六億円渡したというような前提のもとに書いて・・いますけれども、この前提は少し違うんじゃないでしょうか。法務省、いかがでしょうか。
○政府委員(則定衛君) 検察当局は、法人税法違反あるいは所得税法違反ということで、それ・・ぞれの金の動きにつきまして、その金額、日時、それから性格等について捜査を尽くしたわけで・・ございまして、検察の認定といたしましては、それぞれが売却代金ということでそれぞれの売り主に帰属したという認定のもとに起訴したものと承知しておるわけでございまして、そこは御指摘のようなお考え方を検察当局としてはとっていなかったというふうに御理解いただければと思います。
○楢崎泰昌君 法務大臣、ルノワールの疑惑をめぐっては、そ もそも相当多額の脱税事件がもとになって判決が下ったわけですけれども、さらになお三億円の疑惑が残っている。その疑惑につ・・いてはどうなっているのか。最強の調査機関である検察庁が調査なさってもなかなかわからなかったということでありますが、私は何らかの意味の壁があったのかなという印象も持っております。
本件についてなおこういう疑惑が持たれている以上、法務御当局としてはなおいろいろ考えるべきところがあるんじゃないかというぐあいに思いますが、大臣の御所見いかがでしょうか。
○国務大臣(前田勲男君) 先生お尋ねの件でございますが、別個事件の捜査処理につきましては法務大臣として所見を述べることは差し控えなければなりませんが、一般論として申し上げれば、脱税事件というものは国家の租税収入を害し、税負担の公平、また健全な納税意識を大変損なうものでございますから、検察当局はこれまで国税当局と密接に連携をとりつつ厳正に対処してまいったところでございまして、今後とも厳正に対処するものと思っ ております。
○楢崎泰昌君 ぜひ、税制改革の法律案が出てくるというときでございますので、税の執行については適正かつ国民の納得のいくような措置がとられなければならないと思います。
なお私は、宗教団体が、宗教目的のためあるいは信徒の情操育成のために、美術館をつくったりあるいは絵画を購入したりすることを何ら問題視しているわけではございません。しかし、宗教活動の一環として行われているとしても、疑惑が残っていることについては極めて残念に思っておるわけでございます。 また、若干蛇足ではございますけれども、この二枚の絵画が富士美術館により購入されておりますけれども、まだ展示がないということも残念に思っていることをつけ加えさせていただきたいと思っております。
https://torideorg.web.fc2.com/takeov/4_6_1.htm
次号
https://torideorg.web.fc2.com/takeov/4_6_2.htm
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