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(帝銀事件)戦後間もない日本で起こった怖過ぎる事件
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投稿者 中川隆 日時 2021 年 10 月 13 日 03:35:13: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

【帝銀事件】戦後間もない日本で起こった怖過ぎる事件【ゆっくり解説】
2021/10/11



 

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1. 中川隆[-16006] koaQ7Jey 2021年10月13日 04:17:34 : HNQh6kvMDI : aE12RU5RYUJ5ZmM=[20] 報告

2007年版『金田一耕助シリーズ・悪魔が来りて笛を吹く』




キャスト
金田一耕助 - 稲垣吾郎
横溝正史 - 小日向文世
椿美禰子 - 国仲涼子
椿英輔 / 飯尾豊三郎 - 榎木孝明
椿秌子 - 秋吉久美子
三島東太郎 - 成宮寛貴
お種 - 浜丘麻矢
目賀重亮 - 伊武雅刀
玉虫利彦 - 螢雪次朗
玉虫一彦 - 渡部豪太
玉虫公丸 - 浜田晃
菊江 - 野波麻帆
三春園女将 - 山田スミ子
河村小夜子 - 高橋真唯
河村駒子 - 銀粉蝶
橘(署長[注 23]) - 塩見三省


2007年版
『金田一耕助シリーズ・悪魔が来りて笛を吹く』は、フジテレビ系列の2時間ドラマ「金曜プレステージ」(毎週金曜日21時 - 22時52分)で2007年1月5日に放送された。視聴率14.4パーセント。

原作から次の変更がある。

玉虫公丸は利彦と秌子の父親になっており、利彦や一彦の名字は「新宮」ではなく「玉虫」である。華子と信乃は登場しない。
玉虫殺害は密室状況ではなく、単純に雷神像で撲殺されている。
美禰子が単身で須磨に向かい、金田一、橘と合流する
金田一、橘、美禰子は淡路島での初日には駒子(妙海)に面会できたが、途中で駒子が興奮して中断し、翌日に続きを聞こうとしたところ殺害されていた。その結果、原作で慈道から得た程度の情報を駒子自身から得ている(慈道は登場しない)。
利彦と秌子との性描写のシーンは描かれていない(事実の説明はある)。秌子は殺されず、金田一に正体と真相を暴かれた治雄から「生き恥を晒して下さい」と言われた。
2. 中川隆[-16005] koaQ7Jey 2021年10月13日 04:24:23 : HNQh6kvMDI : aE12RU5RYUJ5ZmM=[21] 報告
1992年版『名探偵・金田一耕助シリーズ・悪魔が来りて笛を吹く




キャスト
金田一 - 古谷一行
等々力(警部) - ハナ肇
美禰子 - 西村知美
英輔 - 石濱朗
秌子 - 金沢碧
東太郎 - 石黒賢
信乃 - 高山千草
お種 - 宮島依里
目賀 - 立川三貴
利彦 - 清水章吾
華子 - 松坂隆子
玉虫 - 根上淳
菊江 - 志水季里子
松月のおかみ - 鷲尾真知子


1992年版
『名探偵・金田一耕助シリーズ・悪魔が来りて笛を吹く』は、TBS系列で1992年4月9日の木曜日21時 - 22時54分に放送された。

原作から次の変更がある。

東太郎は使用人ではなく家族として「椿」姓を名乗っており、当初から美禰子の兄と認識されている。指の欠損は9歳のときに野犬に襲われた結果で、欠けている指は右手の「小指と薬指」[注 22]に変更されている。

東太郎自身が知らずに近親相姦してしまった設定は無く、関連する人物は登場せず、淡路島も舞台とはならない。東太郎は5歳までを須磨の玉虫家別荘で乳母・お松と2人で過ごしている。お松は神戸の新天地(新開地がモデルと思われる)でバー(出川刑事によると「怪しげな呑み屋」)を経営しており、金田一、出川、美禰子が訪問する直前に飯尾が殺害した。このとき美禰子は飯尾が「英輔に似た別人」であることを確信する。

東太郎は戸籍上の父・英輔を慕っており、犯行動機は英輔のための復讐である。英輔が「悪魔」と呼んだのは主に利彦のことであり、東太郎は「悪魔の子」に過ぎない。英輔を天銀堂事件の犯人として密告したのも利彦である。
飯尾によるフルート演奏は、実際には物陰で東太郎が演奏していた。
美禰子もフルートが吹けるという設定であり、英輔の遺した曲が東太郎にも演奏可能であることに金田一より早く気付くが、そのことを金田一に告白できずにいた。
3. 中川隆[-16004] koaQ7Jey 2021年10月13日 04:32:16 : HNQh6kvMDI : aE12RU5RYUJ5ZmM=[22] 報告
テレビドラマ 1977年版『横溝正史シリーズ・悪魔が来りて笛を吹く』












キャスト
金田一 - 古谷一行
等々力(刑事) - 早川保
椿美禰子 - 檀ふみ
椿英輔 - 江原真二郎
椿秌子 - 草笛光子
三島東太郎 - 沖雅也
信乃 - 原泉
お種 - 白石幸子
目賀重亮 - 観世栄夫
新宮利彦 - 長門裕之
新宮華子 - 岩崎加根子
新宮一彦 - 星正人
玉虫公丸 - 加藤嘉
菊江 - 中山麻里
三春園女将 - 三崎千恵子
慈道 - 吉田義夫
すみ - 児島美ゆき
出川(刑事) - 森次晃嗣
かね - 野村昭子
日和(警部) - 長門勇



テレビドラマ 1977年版
『横溝正史シリーズI・悪魔が来りて笛を吹く』は、TBS系列で1977年6月25日から7月23日まで毎週土曜日22時 - 22時55分に放送された。全5回。

原作から次の変更がある。

秌子は三島の背中の火炎太鼓の痣に気付いて取り乱し自室に寝かされたあと、起き出して三島の告白の冒頭部分をドア越しに聞いて真相を悟り、自殺する。原作とは異なり、秌子は兄に自由にされる我が身を恥じていた。三島は、母・秌子に自身の存在を知って欲しいのと母と呼びたかったという慕情ゆえ、敢えて痣を見せたという設定になっている。
新宮利彦殺害の数日後、早朝の散歩をしていた目賀博士が絞殺されて池に投げ込まれる。これは、飯尾豊三郎を殺害した三島が手袋に付いた血を洗い落としているところを目撃したためであった。

玉虫殺害の経緯説明が、換気窓(欄間)を通して絞殺したということを除いて省略されている。玉虫が自ら密室状況を作った後に絞殺されたことを示す諸状況は原作の通りであるが、そのことは全く説明されない。その一方で、金田一が初期に指摘した、紐を使って外から施錠することによって密室になった可能性が具体的に実演され、その実現性は直後にも終盤にも全く否定されない。
三島の指が欠損していることが序盤の砂占いや温室の場面で提示強調されるが、後半で原作のようにタイプライタ使用可能性や三島の正体解明に絡んで再度強調されることは無く、最後に三島のフルート演奏で運指のトリックが明らかになる場面が唐突な印象を与える結果になっている。

椿子爵の名前の読みは「ひですけ」から「えいすけ」に変更されている。
原作では明らかでない信乃の名字が、利彦殺害時の偽電報の宛先で「飯島」となっている。

小夜子の死因は服毒自殺から海への投身自殺に変更されている。
なお、英輔の遺したフルート曲が「右手の中指と薬指が無くても演奏できる」という設定は維持されているが、実際に演奏されている楽曲はこの設定条件を満たしていない。その結果、演奏している俳優の指の動きは楽曲に合致していない。特に、冒頭で生前の英輔が演奏する場面では、楽曲に合致しないのみならず、右手の中指と薬指を使わないという条件も満たしていない。

オールスターキャストのため、クレジットでは、本来一枚看板でおかしくない早川保、観世栄夫、岩崎加根子、中山麻里、加藤嘉が二人ないし三人並記となっている(岩崎加根子と中山麻里は、最終回のみ一枚看板)。

毎日放送製作。
4. 中川隆[-16003] koaQ7Jey 2021年10月13日 04:34:04 : HNQh6kvMDI : aE12RU5RYUJ5ZmM=[23] 報告
古谷:横溝正史シリーズ1 悪魔が来りて笛を吹く 02


5. 中川隆[-16002] koaQ7Jey 2021年10月13日 04:41:50 : HNQh6kvMDI : aE12RU5RYUJ5ZmM=[24] 報告
『悪魔が来りて笛を吹く』は、横溝正史の長編推理小説。「金田一耕助シリーズ」の一つ。『宝石』に1951年11月から1953年11月まで連載された作品。単行本は1954年5月8日岩谷書店より刊行。

1954年に「第7回探偵作家クラブ賞」候補にノミネートされた[注 1]。

本作を原作とした映画2本・テレビドラマ5本・ラジオドラマ1本・舞台1作品が、2018年7月までに制作された。また、影丸穣也とJETにより漫画化されている。

探偵小説雑誌『宝石』において、1951年(昭和26年)11月から1953年(昭和28年)11月まで連載された。

大戦後の混乱の時期、『黒猫亭事件』と『夜歩く』の事件の間頃に起きた事件とみなされている。戦前まで栄華を誇った貴族の没落、さらに近親相姦というインモラルかつタブー視される性関係を濃厚に描写し、そこに生じた悲劇と愛憎劇を密に描いた作品である。帝銀事件や太宰治の『斜陽』などの要素を取り込み、横溝が得意とした田舎の因習とはまた異なった陰惨さや、本格推理小説の定番「密室殺人」を扱い、他作品とは異なった雰囲気をかもし出し、作者の人気作品のひとつとなっている。

作者は本作を「金田一もの自選ベスト10」の6位に推している[注 2]。

天銀堂事件
この物語が始まるきっかけとなった事件で、1947年(昭和22年)1月15日午前10時ごろ、宝石店「天銀堂」で「保健所から伝染病予防のために来た」と称する男が、店員全員に毒薬を飲ませて殺傷し、宝石を奪ったというもの。実在の事件である帝銀事件の被害者を郊外の銀行から銀座の宝石店に変更して借用している。帝銀事件は日本で初めてモンタージュ写真を捜査のために用いたことでも知られ、この点もこの作品に取り入れられている。

横溝正史による解説
横溝正史が雑誌『宝石』の求めに応じて本作の第1稿を起したのは1951年(昭和26年)9月のことで、完結篇を書きあげたのは2年後の1953年(昭和28年)の同じ9月のことだった。「時日も20日前後のことで、稿を起した日も、書き上げた日も、ともに、秋雨のしとど降る日であったと憶えている」と振り返っている[3]。

この小説が完結するまでまる2年と1か月を要したのは、『宝石』に合併号が出たり横溝が病気休載したりしたことからで、このため連載回数は計21回とかなり長いものとなった。連載終了と同時に城昌幸編集長からは単行本化の慫慂をうけたというが、連載の長さと雑誌の都合で1回の枚数が違ってきたりしたため、テンポに狂いがありそうな気がした横溝はひとまず保留していた[3]。

しかし、一度書きあげたものに手を加えるのは容易でないことと、読みなおしてテンポにそれほど狂いがなかったので、ごく僅少の手を加えるのみで1954年(昭和29年)3月に単行本化することにした。横溝は「こんなことならもっと早く出版してもよかったのにと、いまさらながら苦笑ものである」と述懐している[3]。

横溝によると、本作のテーマの胚種が頭に芽生え始めたのは、1948年(昭和23年)8月に岡山の疎開地から成城に帰って間もないころのことだという[3]。そのころ、横溝邸を訪れた葛山二郎から、葛山が帝銀事件(同年1月26日発生)の犯人のモンタージュ写真に似ている、として容疑者として密告されて困った、という話を聞かされる。同じころ、某子爵が失踪し、その後に自殺体で発見されるという事件[注 3]があり、その子爵もやはりモンタージュ写真と似ていたため取り調べを受けたことがある、と報じられた。このことから横溝は、モンタージュ写真の人物Xと似ている人間A、同じく似ている人間Bがいたとすると、AとBも互いに似ている(A=X B=X ∴A=B)、というアイデアを思いついた[4]。このとき『宝石』誌上で『落陽殺人事件』の題名で予告を行っている。しかし、うまくまとまらず、連載は開始されなかった[3]。探偵小説を考える場合に、『本陣殺人事件』や『獄門島』のように、まずトリックを先に考えて、あとからそれにふさわしいシチュエーションを構成していくやり方と、『犬神家の一族』のように先にシチュエーションができたものがあるが、いずれにしても最初の一行を書く前に両方がまとまっており、それがうまく溶け合っていなければ、しっかりとしたものが書けない。ところが、本作においてはシチュエーションはあらかたできあがっており、トリックも一番大きなものだけはあるが、このトリックとシチュエーションを結び付けるところで脳細胞がサボタージュを起こしてしまい、不本意ながら連載を延期せざるを得なくなってしまった[5]。「担当者武田武彦君には大きな迷惑をかけてしまった」と振り返っている。その後もあたため続けていたこのテーマが結実しはじめたのは、昭和26年夏のことだった[3]。

夏のことで、硝子戸を開けっぱなしにして横溝が物思いにふけっていると、夜毎フルートの音が聞こえてくる。家人に聞くと、「隣家の植村さん[注 4]の御令息泰一君が練習していらっしゃるのだ」ということだった。横溝はこのときの様子を、「隣家といってもテニス・コートひとつへだてているのだから、相当はなれているのだが、そして、それだけ離れて聞いているのでいっそう身にしみてよかったのだが」とし、「私はこのフルートの音に魅了されたのである」と語っている[3]。

このフルートの音と『落陽殺人事件』のテーマを結び付けることを思い立ち、本作の第1弾とした横溝は、息子に命じて上述の植村泰一が練習しているフランツ・ドップラーの『ハンガリー田園幻想曲』のレコードを買ってこさせ、何度か聞いた上に泰一にも聞いてもらった。また息子の友人でフルート作曲に興味を持っている笹森健英にも来てもらって、両者からいろいろとフルートの知識を受けた[3][注 5]。

このとき横溝は笹森に『悪魔が来りて笛を吹く』の曲を作曲してもらって、適当なところへ譜面を挿入するつもりだった。ところが横溝いわく「付け焼刃の悲しさには、フルートについてとんでもない錯誤を演じてしまい、しかも雑誌連載中そこを訂正すると、いっぺんにトリックが暴露する恐れがあるので、結局、譜面を挿入することは見合わせなければならなくなった」という。その後その部分は単行本化にあたって訂正されたが、結局譜面挿入は諦めている[3]。

横溝が「フルートについてとんでもない錯誤を演じてしまい」と語っているのは、右手と左手を間違って書いてしまったことである。横溝は最後に楽譜を付けようと作曲を頼んだところ、笹森に「右手[注 6]の指2本ないんじゃ作曲しようがない」と言われたといい、「途中でそう言われたんでガッカリしちゃってね、途中から左でしたって書くわけにもいかないもんね」とこの失敗を笑っている。

本作は華族階級の「斜陽」を描いているが、横溝には「トリックと同時にこういう斜陽の世界を書きたい」との思いがあったという。ちょうど太宰治の名前が出たころで、『落陽殺人事件』との当初の題名で「落陽」としたのも、「斜陽じゃ太宰の翻案みたいだから」という理由によった。執筆については「ぼくは歌舞伎のファンですから、歌舞伎でよく、世界って言いますね。今度は斜陽書いてみようかとか、今度農村書いてみようとか。」と本作取り組みのきっかけについて語っている[6]。

ストーリー
1947年(昭和22年)9月28日、金田一耕助の元を訪れたのは、この春、世間をにぎわした「天銀堂事件」の容疑を受け失踪し、4月14日に信州・霧ヶ峰でその遺体が発見された椿英輔・元子爵の娘、美禰子(みねこ)だった。

「父はこれ以上の屈辱、不名誉に耐えていくことは出来ないのだ。由緒ある椿の家名も、これが暴露されると、泥沼のなかへ落ちてしまう。ああ、悪魔が来りて笛を吹く。」

父が残した遺書を持参した美禰子は、母・秌子(あきこ[注 7])が父らしい人物を目撃したと怯えていることから、父が本当に生きているのかどうか砂占いで確かめることになったと説明し、金田一にその砂占いへの同席を依頼する。

麻布六本木の椿家に出向いた金田一は計画停電を利用した砂占いに同席した。その停電が終了すると同時に、家の中に椿子爵作曲になる異様な音階を持つ曲「悪魔が来りて笛を吹く」のフルート演奏が響く。これはレコードプレーヤーによる仕掛けだったが、その間に砂占いに出た火焔太鼓のような模様に、家族の一部の者は深刻な表情を見せる。美禰子はその絵が死んだ子爵の手帳に「悪魔の紋章」の名で描かれていたことを金田一に告げる。その日の深夜3時ごろ、椿邸に居候している玉虫公丸・元伯爵が殺されているのが発見される。ほぼ同時に椿子爵と思われる男が子爵のフルートを持って屋敷に出現し、フルートの音も短く聞こえた。玉虫殺害現場には、前夜と同じ悪魔の紋章が血で描かれていた。警察は庭から子爵のフルートケースを発見、その中には天銀堂事件で奪われた宝石が入っていた。金田一は等々力警部から子爵を告発したのがタイプ打ちの匿名の手紙で椿家の内部事情に詳しいものであったことを知らされる。そこには、子爵が事件前後に姿を消しており、帰ってくると宝石の換金について書生の三島東太郎と相談したという経緯が記されていた。子爵は長くその行き先を警察に言わなかったが、追い詰められて神戸市の須磨であると白状し、確認が取れたことで解放されたのであった。金田一と警部が家人の聞き取りを進めているところへ、焼け出されて同居している秌子の兄・新宮利彦が酒を飲んで乱入、背中にある「悪魔の紋章」そっくりの痣を見せる。

翌日、美禰子は、子爵の遺書が書かれたのが「天銀堂事件」容疑の逮捕前であり、子爵の自殺はその事件以外に理由があることに気付いた。それを聞いた金田一は事件前後の子爵の行動には隠された意味があると判断し、若い出川刑事と共に西に向かった。まず、子爵が宿泊した須磨の旅館「三春園」の女将から、かつて近くに玉虫伯爵の別荘があり秌子もよく見かけたことや、近在の植木屋・辰五郎の娘・駒子が手伝いに上がっている間にそこの誰かの種で妊娠し、辰五郎の弟子の一人と結婚させられて小夜子という娘を産んだことを聞き取る。

金田一は子爵の行動をさらに追跡し、玉虫伯爵の別荘跡で子爵の手になる「悪魔ここに誕生す」という落書きを発見する。一方、出川は辰五郎から跡目を譲られた「植松」を訪ね、辰五郎が空襲で死んだことを知る。彼はなぜか常に強請れる「金づる」を持ち、植木屋をやめて仕事を転々とした挙げ句の死であった。彼の最後の妾はおたまといい、駒子と他の妾に産ませた子・治雄だけが彼の生きた身寄りであった。出川はおたまの居場所を探るが、最近の仕事場を出奔したばかり。そのおたまを、駒子と思われる淡路島の尼・妙海が、玉虫殺害が新聞報道された直後に訪ねてきていた。金田一と出川は淡路島に向かうが、妙海は一足先に殺されていた。彼らは妙海を現場の寺に世話した隣村の住持・慈道から、小夜子の父が新宮であること、小夜子が自殺したこと、妙海が新宮の死を予想したことを聞く。淡路島から帰った2人は新宮が殺されたことを聞かされる。

金田一は単身東京に戻った。彼はそこで新宮が絞め殺されたのが家人がほとんど外出していた間だったことを聞き、その状況が新宮の企みで作られたことを見抜く。新宮は妹から金をせびるために皆を追い出したのだ。

金田一は、モンタージュ写真で引っかかったくらい「天銀堂事件」の犯人と子爵は似ていたはず、今回の犯人は「天銀堂事件」の犯人を手下にしていたという推理を等々力警部に語り、当時の容疑者たちの最近の行動を確認するよう進言する。数日後、「天銀堂事件」の犯人・飯尾豊三郎が芝の増上寺にて惨殺死体で発見された。同日、金田一が岡山県警の磯川警部に調査依頼した返事があり、書生の三島は正体不明の別人であることが判明する。金田一は三島が話す言葉のアクセントからその正体に疑問を抱き、磯川警部に確認を依頼していたのである。同時に、おたまの証言が得られたという出川刑事からの調査報告もあり、小夜子が自殺した時に宿していた胎児の父親が治雄であるらしいこと、治雄の戦傷による右指2本の喪失という身体的特徴が三島と一致することが判明した。

等々力警部と金田一は大雨の中、椿邸に向かった。そこでは秌子の気まぐれで鎌倉に引っ越す準備中。しかも、その最中に秌子が「悪魔」を見て逃げ出すように家を出たという。全員で後を追うが、鎌倉に着いた時、秌子は主治医の目賀が調合した持病の薬に仕込まれた青酸加里により死んでいた。翌日、金田一は残った全員の前でトリックを解明する。その上で犯人を指摘しようとしたところ、三島は自ら犯人であると名乗り出る。彼は新宮が実妹・秌子を犯して産ませた子・河村治雄であり、その左肩には父と同じ「悪魔の紋章」そっくりの痣があった。彼は同じく新宮の子である小夜子をそうとは知らずに愛したが、出征した治雄を待つ間に彼が異母兄妹であることを知った小夜子は治雄の子を宿したまま自殺した。治雄は彼や小夜子の運命を作った者たちに復讐すべく、子爵を脅して椿家に入り込んだのである。

彼は最後に「悪魔が来りて笛を吹く」を演奏して見せた。その曲は、戦争で右中指と薬指を欠いた彼でも演奏できるように作曲されていたのだ。彼はそれを演奏し終わると同時に、笛に仕込んだ青酸加里で死んだ。


登場人物

主要人物
金田一耕助(きんだいち こうすけ)
私立探偵。
等々力大志(とどろき だいし)
東京警視庁の刑事。階級は警部。異名は「警視庁の古狸」。東京および近郊で起きた事件における金田一の相棒。数え切れない「天銀堂事件」の犯人だという密告状の送り主も調べずに容疑者を拘束して[注 8]、結局は犯人を逮捕できないままでいた。
椿美禰子(つばき みねこ)
椿家当主の娘、19歳。父・英輔の生死再確認を金田一に依頼した。母と異なりいかつい顔の不美人。ショートヘア。普通より額が露出しており、眼が大きすぎる上に頬から顎へかけてこけているため、顔全体のバランスが取れていない。タイプライターを打つ技術を修得しており、スイス製のものを所持している。事件解決後、屋敷を売り払い伯母や従兄と共に新しい人生を歩み始める。
三島東太郎(みしま とうたろう)
椿家の書生。23 - 4歳。笑顔のいい愛嬌ある青年。椿家に入る以前は闇市でブローカーをしていた。
椿家に関わるようになってから財産売却や食糧調達が巧くいくようになり、「重宝なひと」として不可欠な存在になっていた。英輔の旧友の息子を名乗っているが、実は英輔が選んで与えた偽名であり、本物の東太郎は既に戦病死している。書生・東太郎の正体は復讐劇を繰り広げた犯人「河村治雄」で、英輔が「悪魔」と呼んだ人物である(「河村治雄」の項目を参照)。戦争で中指の半分ほどと薬指の3分の2ほどを失っている。

警察
出川(でがわ)
警視庁の刑事。等々力警部の部下。金田一と共に須磨や淡路へ出向いた後、阪神地域に残って調査を続け、真相解明の手がかりとなる数多くの事実を明らかにした。
沢村(さわむら)
警視庁の刑事。等々力警部の部下。椿邸の防空壕で英輔のフルートのケースを発見した。
磯川常次郎(いそかわ つねじろう)
岡山県警の警部。シリーズの常連だが、本作では金田一との手紙のやりとりでのみ登場。岡山出身と称する三島東太郎の素性に疑問を抱いた金田一の依頼で調査を行い、東太郎は実在したが既に死亡していることを明らかにする。

椿家
椿英輔(つばき ひですけ)
椿家当主、元子爵。フルート奏者。約半年前に43歳で自殺。色は浅黒く額が広く、髪をきれいに左で分けている。鼻が高く、眉がけわしい。女性的印象を受ける人物。妻・秌子とその兄・利彦、2人の伯父である玉虫公丸の横暴に何も言わずにいたが、「悪魔」河村治雄の存在により椿の家名が泥沼に呑み込まれる屈辱に耐えられぬと自殺した。
沈黙を守って命を絶ったが、ゲーテの小説『ウィルヘルム・マイステルの修業時代』[注 9]と「屋敷の中の誰とも結婚してはならない」という言葉とフルート曲「悪魔が来りて笛を吹く」、玉虫家の別荘跡に残された石燈籠に青鉛筆の文字で「悪魔ここに誕生す」と記す等々で治雄の存在を示した。
椿秌子(つばき あきこ)
英輔の妻、40歳。大きな娘を持っているとは思えないほど若く見える、市松(いちま)人形のような美しい女性。実家新宮家の両親から可愛がられ、兄・利彦より多くの遺産を相続しており、たとえば椿家の邸宅は秌子が結婚に際して母方の祖父から譲られたものである[注 10]。白痴的でひどく無邪気、かつ暗示に掛かりやすい。宝石マニヤで家計が傾いても宝石を手放そうとしないほど執着している。タイプライターは打てず、その代わり手習いが上手い。
同居している伯父・公丸や兄・利彦が夫・英輔を見下していやがらせをするのに影響されて、一緒になって無視した。自殺した夫・英輔の死亡確認を嫌がり遺体を自ら確認しなかったうえ、英輔に顔が似た飯尾に東太郎が命じて姿を垣間見させるなどしたため、「夫が実は生きていて自分に復讐に来る」という妄想に取り付かれる。16 - 7歳の頃に実兄・利彦の子(後の治雄)を妊娠し、甥と姪の醜聞を恐れた伯父・玉虫公丸の計らいにより、須磨にある玉虫家の別荘で男児を極秘分娩し、男児は里子に出された。絶えず性交渉をせねば満足できない体質で、それを抑える知性にも欠けている。新宮殺害のあと麻布六本木の邸宅から逃げ出して鎌倉の別荘へ移る準備をしていたところ、酒を飲んだ東太郎の肩の痣を鏡越しに見て怯え、台風が接近する中を鎌倉へ急行し、その直後に常備薬に仕込まれていた青酸加里で毒殺された。
お種(おたね)
椿家の女中。23 - 4歳位。美禰子よりは器量良し。亡き主人の英輔を慕い、新宮利彦を心底から毛嫌い、菊江のことも嫌っている。
信乃(しの)
秌子の乳母、実家の新宮家から秌子が椿家に嫁いだ時に一緒に付いて来た。62 - 3歳。芸術的な醜さの老婆。今も秌子を「お嬢様」と呼び、かいがいしく世話をする。
目賀重亮(めが じゅうすけ)
秌子の主治医。52 - 3歳。平家蟹のような顔で脂ぎった精力的人物。ひどいがに股。蟇仙人(がませんにん)と呼ばれていることを自覚している。財産に対する欲が薄いことと強壮な肉体とを見込まれて、秌子とは英輔の自殺より1週間後に玉虫公丸の媒酌により内祝言を挙げていた。
新宮利彦が殺害された日、利彦の工作により偽の連絡を受けて横浜まで出掛ける。連絡が偽りと知ると憤慨し帰宅、秌子を疑い悶着を起こす。

新宮家
新宮利彦(しんぐう としひこ)
秌子の兄、元子爵。43歳。背のひょろ高い、神経質で人見知りする陰弁慶。浪費家だが、収入と生活のために労働することは考えない。妹・秌子が両親から自分より多額の遺産を相続したことに不満があり、隙あらば妹に金をせびるため、伯父・公丸から警戒されている。左肩に火焔太鼓のような痣があり、飲酒や入浴、発汗等の後に浮き出る。
家中の者が多く出かける予定があった日、邪魔な信乃や目賀を偽電報・偽電話で出掛けるように仕向け、華子に実家に金策に行かせ、お種を除き秌子と2人になるよう工作し、皆留守の間に妹に金をせびった。後の治雄の告白文によると、その際、秌子の部屋に人知れず入る姿とその後部屋の照明が消えた様子を目撃されており、過去に懲りずに秌子と性交渉していたと推察されている。
自分が秌子に産ませた禁忌の子・治雄に殺害され、これまでの所業の報いを受ける。
新宮華子(しんぐう はなこ)
利彦の妻。40歳前後。落ち着いた中年婦人だが、人生にうみ疲れた雰囲気を持つ。
新宮一彦(しんぐう かずひこ)
利彦の息子、美禰子の従兄。21歳。やや暗い影があるものの、父親に似ず上品な青年。就職活動中。英輔のフルートの弟子だった。父と叔母・秌子の呪われた関係、そのために悪魔と化した異母兄・治雄の悲劇に心を痛めた。

玉虫家
玉虫[注 11]公丸(たまむし きみまる)
秌子・利彦の伯父(母の兄)[注 12]。70歳前後。元伯爵で元貴族院議員。邸宅が焼失したため椿家に転居したとされる[注 13]。転居先を椿家とした表向きの理由は、偏屈で子供たちとは合わず、むしろ姪・秌子には敬意を払われているということだが、実は甥・利彦を監督するのが主目的であった。
1923年(大正12年)の夏、自分の別荘に遊びに来ていた利彦が奉公人の駒子を妊娠させた時は、その父・河村辰五郎に多額の手切れ金を支払って処置した。しかし、同時期に秌子が利彦の子を妊娠した際は醜聞を恐れ、極秘で自分の別荘で出産させた男児を表向きは死産とし、駒子の口から新宮兄妹の近親相姦を知っていた辰五郎に渡して里子としたのが後の河村治雄である。その後も辰五郎から要求されるごとに口止め料を支払っていた。
砂占いに始まる騒ぎのあと現場に1人で残っていたところ、風神雷神像を入れ替えようとした東太郎と鉢合わせとなり、東太郎の口からその出自を明かされる。東太郎としては殺害予定はなかったが、自分への殺意を含んだ敵意に気付き、気が変わった東太郎により絞殺され第一の犠牲者となった。
菊江(きくえ)
公丸の小間使いで、妾。23 - 4歳位[注 14]でスタイルのいい美しい女性。芸者見習いをしていた時に公丸に見初められた。普段の言動に似つかわしくない古風な価値観を有しており、内祝言を挙げた秌子と目賀を軽蔑している。タイプライターを美禰子に教わり、打つのが上手い。公丸の他に戦時中徴兵されて戦死した恋人がおり、出征前夜に会いに来た彼に「心中立て」したため、左手の小指が欠けている。
停電を利用したトリックに即座に気付くなど聡明な一面もある。公丸殺害により椿家にとって「縁なき衆生」になったが、殺人事件の重圧に押し潰されそうな中で彼女が撒き散らすコケットリーな空気の救いが必要とされ、事件解決まで椿家に同居し続けた。

河村家
河村辰五郎(かわむら たつごろう)
堀井駒子の父。植木屋の親方を務める植木職人で通称「植辰」。玉虫伯爵の別荘に出入りし、近隣の旅館・三春園でも働いていた。玉虫家の別荘で駒子が妊娠した際、胎児の父が新宮利彦であるのを知ると東京の玉虫家まで出向いて多額の手切れ金を請求した。駒子の口から新宮兄妹の人倫に背いた関係を聞いており、公丸から託された里子・治雄の出自を察して伯爵から口止め料を強請る「金づる」にする目的で引き取り、強請りとった金で遊び暮らした。
植木屋の株を「植松」に譲って板宿(いたやど[注 15])に移っていたが、空襲のさ中、酔っ払って褌1つで家の外に飛び出して直撃弾により死亡した。
おたま
河村辰五郎の最後の妾。出川が探し当てたときには、大阪天王寺区の下等な売春宿で売春および売春の斡旋を行い、悪い病気をもらって寝たきりになっていた。復員後、訪ねてきた治雄に小夜子の自殺を告げた。
堀井駒子(ほりい こまこ)
辰五郎の娘で通称「おこま」、旧姓は「河村」。42 - 3歳。小奇麗な顔立ちだが気苦労から老け込み、55歳程度に見える。河村治雄とは血縁はないが、戸籍上の異母姉弟に当たる。
若い時分は色の白い美人で一通りの礼儀作法の心得があり、玉虫家の別荘で夏にだけ臨時の小間使いをしていた。大正12年の夏、妹・秌子との関係を知られた新宮利彦に犯され、小夜子を妊娠・出産する羽目に陥り、父の弟子・堀井源助の元に嫁がされた。
度々自宅に出入りする治雄を温かくもてなしていたが、はじめて飲酒した治雄の左肩に新宮利彦が持つものと同様の痣を目撃して治雄の出自に疑いを持ち、辰五郎を詰問して事実を聞き出す。その結果、治雄のことを避けるようになるが、当の治雄に事実を告げることをしなかったため、自らの強制疎開と小夜子の徴用とで目が届かなくなっている間に治雄と小夜子が仲を深めていくことを止められなかった。小夜子を自殺で喪った後、淡路に渡り出家して尼・妙海になった。
終戦後、真相を知るべく自分を捜し訪ねて来た治雄や椿英輔に忌まわしい過去と真相を打ち明け、それが英輔の自殺の引き金となったことを酷く気にした。公丸が殺害されたこと知り、犯人が治雄で次は利彦が狙われることに気付いて、父の最後の妾・おたまを訪ねるが、会うことは叶わなかった。真相を証言されることで利彦殺害の機会が失われる可能性を懸念した東太郎の命を受けた飯尾により殺害された。
河村治雄(かわむら はるお)
1924年(大正13年)6月に誕生。戸籍上は辰五郎とその妻・はるの実子となっているが、実は椿秌子とその兄・新宮利彦との近親相姦によって生まれた子である。高等小学校卒業後、実の親ではないうえ妾をどんどん替える辰五郎の元には居づらく、家を出て神戸の商家に奉公しながら夜学に通い、19歳の頃ドイツ系の商社に就職してタイプライターを習得した。堀井母娘を度々訪問し親交を深めており、実の父を知らないという境遇が似ていたことから、当時は血縁がないと認識していた戸籍上の姪・小夜子と惹かれ合い、夫婦の契りを結ぶ。1944年(昭和19年)6月に出征し、1946年(昭和21年)5月に復員した後、八方手をつくして小夜子の消息を探した結果、同年夏ごろにおたまを探し当てて小夜子の自殺を聞かされ、淡路にある妙海尼(おこま)の庵の住所を聞き出して訪ねる。そして、小夜子の自殺理由を激しく問い質し、自身の呪われた出自と小夜子が異母妹であった事実を知り、小夜子と自分とのための復讐を誓う。利彦と同様の左肩の痣を証拠に椿英輔に名乗り出て、「三島東太郎」と命名され椿家の書生になった。
堀井小夜子(ほりい さよこ)[注 16]
駒子が新宮利彦に犯されて産んだ娘。一彦の異母姉に当たる。1924年(大正13年)6月頃に誕生。幼少の頃から母親に似て美しく、どこか常に憂いを帯び、寂しげで影のある美人。実の父が誰か知らずに育つ。戸籍上の叔父(戸籍上だけの話で血縁はないと本人達は認識していた)治雄と恋仲になり、出征前に夫婦の契りを結び、将来を誓い合う。治雄が出征している間に妊娠が判明。胎児の父・治雄が自分の異母兄であるという呪われた事実を母親に教えられ、耐えられなくなり、1944年(昭和19年)8月末、妊娠4か月の治雄の子供を宿したまま青酸加里を呷り自殺した。位牌に記されている戒名は「慈雲妙性大姉」。
堀井源助(ほりい げんすけ)
駒子の亡夫で小夜子の血の繋がらない戸籍上の父親。河村辰五郎の弟子の植木職人で、通称「源やん」。旅館・三春園の女将から「みっともない顔」と評される顔立ち。辰五郎から玉虫家の別荘で妊娠させられた駒子を押し付けられる形で結婚した。駒子より7歳年上。押し付けられた駒子に打つ、蹴る、髪を引きずり回す等の暴力を振るっていた。植木職人は辞めて須磨を去った後は神戸で土方のようなことをしており、身持ちを崩した。治雄が19歳で就職するより、かなり前に死去している。

三島家
三島省吾(みしま しょうご)
本物の三島東太郎の父親。椿英輔の旧友。1942年(昭和17年)頃、岡山県立第×中学の教頭を務めたことがあった。1943年(昭和18年)、脳出血により死亡。
三島勝子(みしま かつこ)
三島省吾の妻。本物の東太郎の母親。1944年(昭和19年)、岡山市大空襲の際に死亡。
三春園(さんしゅんえん)
おかみ(氏名不明)
須磨寺にあった玉虫家の別荘近隣の旅館・三春園の女将。40歳。須磨を訪れ、単身旅行者を泊めてくれる宿がなく困っていた英輔を気の毒に思い、特別に泊める。三春園の家付き娘で、自分の娘時代、夏に玉虫伯爵が別荘に遊びに来る親戚を連れてよく食事に来たのを憶えており、特に同じ年頃で、旅館に親族で食事に来た際、声を掛けてくれた秌子が印象に残っている。ほか、玉虫家に雇われていた植木職人の辰五郎とその娘駒子・幼少期の小夜子について知る。
番頭(氏名不明)
三春園の番頭。英輔を淡路島へ送った明石の漁師を見つけ出した。
おすみ
三春園の女中。色は白いが不美人。利口[注 17]な娘で優れた観察眼を持つ。椿英輔の須磨滞在中、元玉虫家の別荘跡地にて暗い面持ちで立ち尽くす英輔を目撃した。また、外出から帰った英輔の外套やズボンから潮の匂いがして魚の鱗が付着していたことや、英輔が旅行を秘密にしようとしていたという話から、漁船で淡路に行ったことを推理する。

その他
飯尾豊三郎(いいお とよさぶろう)
「天銀堂事件」の犯人。英輔とよく似た顔立ちの好男子。早い段階から最有力容疑者と目されていたが、英輔に容疑が向けられる過程で容疑者リストから外れ、そのままになっていた。治雄とは戦地で知り合う。真犯人である証拠を治雄に握られて椿家の事件の共犯となったが、用済みになり治雄により惨殺されて芝の増上寺の境内で猿股のみの遺体が発見された。
芳村作造
英輔を淡路島へ送った明石の漁師。目的地が釜口村であったことを覚えていた。
慈道(じどう)
妙海尼(おこま)を山の中腹にある尼寺に住まわせるよう世話をした、隣村の法乗寺の住職。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%8C%E6%9D%A5%E3%82%8A%E3%81%A6%E7%AC%9B%E3%82%92%E5%90%B9%E3%81%8F

6. 中川隆[-16001] koaQ7Jey 2021年10月13日 04:47:28 : HNQh6kvMDI : aE12RU5RYUJ5ZmM=[25] 報告
帝銀事件では伝染病を口実にして行員は青酸化合物を一斉に飲まされた
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103130002/

 日本が連合国に降伏して間もなく、まだ占領されていた1948年1月26日の午後3時過ぎ、東京都豊島区にあった帝国銀行椎名町支店にひとりの男が現れた。男は「集団赤痢が発生した」として液状の「消毒薬」を16名の銀行員に飲ませ、そのうち12名を殺害している。その男の左腕には東京都のマークが入った消毒班の腕章を撒いていた。

 男は「GHQのホーネット中尉」の命令で来たと告げ、中尉が来る前に「予防薬」を飲むように促した。男は机の上にニッケルメッキの小型ケース(軍医の野戦携帯用ケース)と薬瓶を置く。瓶の中にある液は下層3分の2ほどが白濁していたという。さらに「SECOND」と書かれた紙が張られた大きな瓶を机の脚の脇に置く。そのうえで、ケースの中から駒込型ピペットを取り出し、それを使って薬瓶から液を吸い上げ、茶卓の上に並べられた茶碗やコップに注ぎ分けた。

 男は歯の琺瑯質を損傷するからとして、一気に飲む込むように指示、まず自分が飲んで見せた。男は上澄みの部分を飲んだと思われる。第2液は第1液を飲んでから1分後に飲むようにと言っている。

 その説明の後、16名の行員は第1液を一斉に飲むが、全員が苦しみを訴える。1分後に第2液が配られ、それを飲むが、直らない。水道の水を飲む人もいた。行員は次々と倒れ、意識を失っていく。それを見届けた男は現金16万4000円余りと小切手1万7000円余りを奪い、逃げ去った。解剖の結果、青酸化合物を飲まされたことが判明している。

 この事件では興味深い点がいくつかある。例えば男が口にした「ホーネット中尉」は実在、毒物の量は致死量ぎりぎりで、手際の良さから毒物による殺害に慣れていることが推測される。捜査に当たった警視庁捜査2課が「第731部隊」に目をつけるのは当然だった。

 本ブログでも繰り返し書いてきたが、第731部隊は生物兵器の研究開発の一端をになっていた。生体事件を担当していたのだ。設立されたのは盧溝橋事件(1937年7月7日)の少し前で、当初は加茂部隊や東郷部隊とも呼ばれた。第731部隊と呼ばれるようになったのは1941年から。この部隊の隊長を1936年から42年、そして45年3月から敗戦まで務めたのは石井四郎中将、1942年から45年2月までは北野政次少将だ。

 日本軍の降伏が間近に迫っていた1945年8月に第731部隊は関連施設を破壊して貴重な資料や菌株は運び出す一方、監獄に残っていた捕虜は皆殺しにした。

 日本へ逃げ延びた石井たちは1946年に入るとアメリカ軍の対諜報部隊CICの尋問を受けているが、厳しいものではなく、資料はアメリカ側へ引き渡された。尋問の過程でGHQ/SCAPの情報部門G2の部長を務めていたチャールズ・ウィロビー少将と石井は親しくなり、隊の幹部たちはアメリカの保護を受けるようになる。日本が提供した資料や研究員はドイツから提供された知識と同じように、アメリカにおける生物化学兵器開発の基盤になった。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103130002/

7. 中川隆[-16000] koaQ7Jey 2021年10月13日 04:50:54 : HNQh6kvMDI : aE12RU5RYUJ5ZmM=[26] 報告
帝銀事件はアメリカが隠したい元731部隊の某歯科医が真犯人だった。

それで身代わり逮捕した平沢貞通は冤罪にも出来ず、執行も出来なかった。


帝銀事件発生後、犯人から受け取った名刺を支店長代理が紛失していたことが判明(当時、支店長は不在)。彼の記憶と2件の類似事件の遺留品である名刺、生存者たち全員の証言から作成された犯人の似顔絵、事件翌日に現金に替えられた小切手を手がかりに捜査は進められた。

遺体から青酸化合物が検出されたことから、その扱いを熟知した、旧陸軍731部隊(関東軍防疫給水部)関係者を中心に捜査されていた。陸軍第9研究所(通称9研)に所属していた伴繁雄から有力情報を入手して、事件発生から半年後の6月25日、刑事部長から捜査方針の一部を軍関係者に移すという指示が出て、陸軍関係の特殊任務関与者に的を絞るも、

突如、GHQから旧陸軍関係への捜査中止が命じられてしまう。


▲△▽▼


細菌戦部隊を支えた主な人物 戦後の就職先

安東洪次(大連衛生研究所→武田薬品顧問)

石川太刀雄丸(731郡隊→金沢大医学部)

江島真平(731部隊→国立予防研究所〔予研〕)

緒方富雄(防疫研究所〔防研〕→東大医学部)

岡本耕造(731部隊→兵庫医大・東北大等)

小川透(1644部隊→名古屋大医学部)

笠原四郎(731部隊→北里研究所)

春日仲善(731部隊→北里研究所)

北野政次(731部隊→ミドリ十字取蹄役)

木村廉(防研→京大細菌学教室)

草味正夫(731部隊→昭和薬科大)

小島三郎(1644部隊→予研第2代所長)

児玉鴻(731部隊→予研初代所長)

正路倫之助(防研→京大)

園口忠男(731部隊→陸上自衛隊衛生病学校、熊本大)

田中英雄(731部隊→大阪市立大医学部長)

田部井和(731部隊→京大医学部)

所安夫(731部隊→東大病理学、帝京大医学部)

内藤良一(防研→ミドリ十字会長)

中黒秀外之(731部隊→陸上自衛隊衛生学校校長)

細谷省吾(防研→東大伝染病研究所長)

増田美保(731部隊→防衛大学)

湊正男(731部隊→京大)

村田良介(防研→予研第7代所長)

八木沢行正(731部隊→抗生物質協会)

山口一季(731部隊→国立衛生試験所)

吉村寿人(731部隊→京大航空医学教室、京都府立医大)

柳沢謙(防研→予研第5代所長)
http://www1.ocn.ne.jp/~sinryaku/731butaiseturitu.htm


七三一部隊と「ミドリ十字」

 帰国した次の日、二十日の「しんぶん赤旗」で、私は「ミドリ十字」の見出しの
小さな記事を目ざとく見つけた。「七三一部隊はこうしてまだ息の根を止めていない」と、怒りがわいた。

 某病院の照会に、C型肝炎汚染の血液製剤の納入はしなかったとうそをついていたミドリ十字が、実は納入していたことを認めていたニュースだった。このため、医師は汚染血液製剤を患者に使ってしまっていた。

 薬害エイズの問題を初めとし、人工血液で捏造問題を次々起こしている「ミドリ十字」の前身「日本ブラックバンド」は、
七三一部隊二代目の元部隊長、北野政治が創設した会社であることは、誰もが知っている事実である。

命を何とも思わない考えは脈々と流れているではないか。
これは偶然ではなく、中国で行った人体実験の実績が利用された疑いも、最近濃厚になっているという話もあるくらいだ。

 七三一部隊の責任者だった石井四郎は、許しがたいことにアメリカ軍との取引で、
細菌戦の膨大な資料の提供と引き換えに戦犯を免れているのである。
当然一級戦犯になるべき人物が!

 アメリカの侵略戦争は、マルタとなった命を踏みつけて、
さらに罪なき人の屍を無数に積み上げる人でなしの行為である。
http://www.akazukin-sanae.com/column/china2004/c05_03.html

8. 中川隆[-15997] koaQ7Jey 2021年10月13日 04:58:46 : HNQh6kvMDI : aE12RU5RYUJ5ZmM=[29] 報告
帝銀事件とは?平沢貞通は冤罪で真犯人は歯科医?731部隊の関与など真相
https://cherish-media.jp/posts/11329#:~:text=%E5%AE%9F%E3%81%AF%E3%80%81%E3%81%93%E3%81%AE%E5%B8%9D%E9%8A%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AB%E3%81%AF731%E9%83%A8%E9%9A%8A%E3%81%8C%E9%96%A2%E4%BF%82%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%8B%E3%81%A8%E8%A8%80%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82,731%E9%83%A8%E9%9A%8A%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%80%81%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6%E3%81%AE%E9%A0%83%E3%81%AB%E5%AE%9F%E9%9A%9B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%82%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%A8%E8%A8%80%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E9%83%A8%E9%9A%8A%E3%80%82%20%E3%81%97%E3%81%8B%E3%81%97%E3%80%81%E3%81%93%E3%81%AE731%E9%83%A8%E9%9A%8A%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%AE%E3%81%AF%E7%A7%98%E5%8C%BF%E6%80%A7%E3%81%AE%E9%AB%98%E3%81%84%E9%83%A8%E9%9A%8A%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

帝銀事件の犯人として逮捕された平沢貞通。しかし、平沢貞通を帝銀事件の犯人とするには、いくつかの疑問もありました。現在でも名誉回復の裁判を求めている平沢貞通の遺族。なぜ平沢貞通は帝銀事件の犯人として逮捕されたのか。そして本当に平沢貞通は冤罪なのか?!


帝銀事件発生!そもそも帝銀ってなんだっけ?


帝国銀行とは昔日本に存在していた都市銀行です。
国内でトップとも言われる大手銀行でした。
しかし、内部分裂などがあり規模は縮小。
帝国銀行という名前もそのときに消えてしまいました。
帝国銀行本店の跡地は現在では、丸の内オアゾという複合商業施設が建っているようです。

三井グループの中でも一番大きな銀行です。
今は三井住友銀行となっています。
当時の三井銀行本店があった跡地には、三井住友銀行の支店が建っています。

三井銀行と合併して帝国銀行となりました。
しかし、その後、帝国銀行から分裂しています。
第一銀行の分裂により、帝国銀行は消滅しました。
現在では、みずほ銀行と名前を変えています。
跡地には、みずほ銀行の支店が建っています。

犯人は平沢貞通?帝銀事件の発生

昭和23年に帝銀事件は発生しました。
この事件は、厚生省の人間を名乗る人物が帝国銀行の椎名町支店を訪れました。
その人物が言うには「近くで赤痢が発生した」というものでした。
昔は、短時間で死亡することもある病気でもあり、現場は混乱します。
人々の感染症を恐れる気持ちを利用して、この事件は起こったのです。
確かに、誰でも近くに強烈な感染症が発生したと言われたら恐ろしくなりますよね。


犯人は画家だった男

犯人は、現場でパニックに陥る人たちに救いの手を差し伸べます。
予防薬を差し出したのです。
しかも、その薬をまず自分が飲んで見せたのです。
そこまでされたら、信じない人がいるでしょうか。
危ない薬であれば自ら率先して飲む人なんていません。
誰だって信じてしまいますよね。
しかし、すぐに現場に異変は訪れます。
トータルで死亡者は12名になってしまいました。
そのうち11名は、現場であっという間に死亡してしまったのです。

事件発生直後の現場写真が残っていますが、凄惨な現場写真となっています。

最近になっても帝銀事件の詳細をまとめた動画などが多く公開されています。
ドラマなどの動画にもなっていますから、それらの動画が気になる方は探してみてはどうでしょうか。
凄惨な帝銀事件ですので、動画で見ると、その様子がリアルに感じられてしまうかもしれません。
さらに、動画で見ると余計恐ろしさを感じるかもしれません。
しかし、文章で読んだあとに動画を見ると帝銀事件のことをもっとしっかり知ることができると思いますよ。

帝銀事件で平沢貞通が飲ませたとされる薬物

犯人が現場で飲ませた薬

犯人は現場で2種類の薬を飲ませています。
現場で犯人が飲んだのは最初の薬だけといいますから、もしかしたら、2種類飲むことで死に至る薬なのかもしれません。
いったいどんな薬を飲ませたのでしょうか。


出典: http://www.kaburitsuki.com

検出された青酸化合物

まだ昭和前半に起こった事件。
今ほど科学技術は発展していません。
現在であれば、現場に残るわずかな手がかりから犯人につながるものも、決定的な証拠も見つけることができるでしょう。
一枚の写真から大きな発見もできるかもしれません。
しかし、まだまだ日本はGHQ占領下にあった頃の話。
そこまでの技術はなく「おそらく青酸化合物であろう」という結論しか出なかったのです。


出典: http://01.gatag.net

落ち着きすぎた犯人の行動

犯人はとても落ち着いていました。
その落ち着き払った態度こそが、現場にいた16人を信じ込ませる要因にもなったのでしょう。
目の前で多くの人が苦しんでいるのに、まるで現実ではなく映画などの動画を見ているかのような落ち着きっぷり。行員が口を漱ぎたいと申し出ても、拒否することなく、すんなりと了承しているのです。

冤罪では?帝銀事件の犯人とされる平沢貞通

出典: https://www.pakutaso.com

犯人平沢貞通は冤罪か

難航した捜査ですが、やがて犯人として名前が挙がる人物が現れます。
それが画家の平沢貞通でした。
平沢貞通は、実力派の画家だったようです。
しかし、画家としてこれからというときに、帝銀事件を引き起こします。
けれど、本当に平沢貞通が犯人なのか。
平沢貞通が逮捕されてからずっと、冤罪ではないかという疑惑が付きまとったというのです。

画家 平沢貞通

出典: http://urban-legend.tsuvasa.com

写真が多く残る平沢貞通

もう昭和に入っていますから、写真も多く残っています。
今ほど報道規制などもない時代ですから、写真は今より多く、そして現場写真なども驚くほど残されているようです。
写真から真相を見出すことはできなかったのでしょうか。
今の技術であれば、当時の写真からわかることは何かあるでしょうか。

帝銀事件犯人として平沢貞通が逮捕されたワケ

出典: http://hensai2016.com

冤罪?なぜ平沢貞通は逮捕されたのか

冤罪ではないかと言われる平沢貞通ですが、なぜ逮捕されたのでしょうか。
まず、犯行で使われた名刺の入った財布を紛失していたから。
次に、当日のアリバイがない。
そして、一番大きかったのが奪われたお金とほぼ同じ額のお金を平沢貞通が所持していたからです。
しかも、平沢貞通はこのお金の出どころについて、ちゃんとした説明を警察官にすることができなかったというのです。
そのことにより、警察は平沢貞通逮捕に踏み切ります。

平沢貞通の自白

出典: http://www.uwakichousa.link

自白した?自白された?

平沢貞通への取り調べは過酷だったと言われています。
拷問かというような苛烈な取り調べを受けていたと言われているのです。
現在であれば、このような自白を強要するような取り調べをしないように、動画撮影などをしているようですが、このころはそのように動画を撮影することはありませんでした。
実際に、どのような取り調べがなされていたのか、真相はわからないのです。

けれど、裁判になると平沢貞通は一度自白した内容を撤回。
無実を主張するようになりました。

帝銀事件にかかわった?731部隊とは

出典: http://saigaijyouhou.com

帝銀事件には731部隊がかかわっていた?

実は、この帝銀事件には731部隊が関係していたのではないかと言われているのです。
731部隊というのは、第二次世界大戦の頃に実際日本にあったと言われている部隊。
しかし、この731部隊というのは秘匿性の高い部隊として知られています。
731部隊では、さまざまな人体実験を行われていたと言われています。
真相はどうなのでしょうか。
真相はわかりませんし、中国のねつ造とも言われている731部隊。
けれど、その跡地はいまだに中国に残されているのです。


出典: http://chikyu-kankyou.com

なぜ731部隊の関与が疑われたのか

真相が謎のままの731部隊。
なぜこの731部隊が真相に関係していると疑われたのか。
それは、731部隊が青酸化合物の扱いに慣れているからと考えられていたからです。
確かに画家に過ぎない平沢貞通よりも詳しそうです。
真相は731部隊が握っているのでしょうか。

帝銀事件で平沢貞通が冤罪と言われるワケ

出典: http://xn--p8j0ct25v78e37dma77f.net

なぜ帝銀事件は冤罪と言われるのか

平沢貞通は冤罪。
それは、逮捕直後から言われていたことです。
しかし、なぜ平沢貞通は帝銀事件と無関係と言われてきたのでしょうか。
実はそれには理由があったのです。
平沢貞通は、記憶障害や虚言癖の症状のでるコルサコフ症候群であったと言われているのです。
だからこそ、平沢貞通はコロコロと証言も変わるし、やってもいない帝銀事件をやったと自白してしまったと言われているのです。
帝銀事件での平沢貞通冤罪を信じる人の中には、あの有名な松本清張がいたといいますから驚きです。
何か推理してくれなかったのでしょうか。


出典: http://icon.touch-slide.jp

帝銀冤罪疑惑:物証不足

帝銀事件で平沢貞通を犯人とするには、物的証拠が決定的に足りませんでした。
出どころ不明のお金も、春画を書いて稼いだお金ではないかと言われているのです。
けれど、実力派として名前が知られるようになっていた平沢貞通。
春画を書いていたなんて不名誉で、とても口にはできなかったと言われています。

真相は?帝銀事件の犯人は平沢貞通ではない?

出典: http://dic.nicovideo.jp

死刑囚となった平沢貞通

平沢貞通は死刑囚となってしまいます。
お金の出どころをハッキリ伝えていたら。
帝銀事件は自分ではない、と最初から言えていたら。
平沢貞通は死刑囚にならなくて済んだかもしれません。
しかし、平沢貞通は死刑囚となってしまいます。
死刑囚は、刑の執行イコール自分の死となります。
何度も再審請求をしますが、平沢貞通は死刑囚のまま。
そして法務大臣が死刑執行の書類にサインをするとき「平沢貞通は冤罪だろう」と言って死刑囚平沢貞通の書類にだけサインをしなかったと言われているのです。
そこまで死刑囚平沢貞通の冤罪疑惑は根強かったのに、平沢貞通の再審は行われませんでした。
そして平沢貞通は、肺炎のため、死刑囚のまま亡くなってしまいます。

浮上した真相!怪しいのは歯科医?

出典: http://masuda-shika.com

帝銀事件は歯科医が犯人?

実は、帝銀事件の犯人は歯科医ではないかと言われているのです。
なぜならば、歯科医でしか口にできない言葉を発しているから、と言われています。
歯科医にも派閥があるようで、その言葉でその歯科医がどの大学出身なのかまでわかるのだそう。
同じ歯科医でも、他大学の言葉は絶対に口にしないというのです。
では、帝銀事件の犯人はなんと言ったのでしょうか。
それは、帝銀事件発生のときの言葉でした。
犯人は行員たちに「舌を出しながら飲むように」と指示しています。
このとき、「琺瑯質を痛めるから」と言ったのだとか。
この単語は、歯科医の中でも決まった大学出身歯科医しか口にしない言葉なのだそうです。
だからこそ、犯人は歯科医ではないかと言われているのです。

帝銀事件のその後。跡地は?

出典: https://illust-imt.jp

跡地のマンションは。

帝銀事件のあった場所跡地のマンションは、なかなか家賃の高いマンションなのだそうです。
跡地のマンションは人気なのでしょうか。
しかし、地元の人たちは跡地のマンションに入居することを嫌がると言われています。
やはり、帝銀事件の跡地のマンションには、住みたくないのかもしれませんね。


出典: http://seven-eleven-mania-blog.jp

跡地のマンションで不可解なことが?

跡地のマンションには不可解なことが起こると噂があります。
とにかく跡地のマンションからは、すぐ出たほうがいい!
地元の人はそう勧めてくるのだとか。
跡地のマンションには、いったい何があるのでしょうか。

【まとめ】帝銀事件の犯人は本当に平沢貞通なのか?
いかがでしたか?
今回は帝銀事件の犯人平沢貞通の冤罪疑惑についてご紹介してきました。
本当に平沢貞通は冤罪なのか。
冤罪なら犯人はどこに・・・?
事件の真相は藪の中。

https://cherish-media.jp/posts/11329#:~:text=%E5%AE%9F%E3%81%AF%E3%80%81%E3%81%93%E3%81%AE%E5%B8%9D%E9%8A%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AB%E3%81%AF731%E9%83%A8%E9%9A%8A%E3%81%8C%E9%96%A2%E4%BF%82%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%8B%E3%81%A8%E8%A8%80%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82,731%E9%83%A8%E9%9A%8A%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%80%81%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6%E3%81%AE%E9%A0%83%E3%81%AB%E5%AE%9F%E9%9A%9B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%82%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%A8%E8%A8%80%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E9%83%A8%E9%9A%8A%E3%80%82%20%E3%81%97%E3%81%8B%E3%81%97%E3%80%81%E3%81%93%E3%81%AE731%E9%83%A8%E9%9A%8A%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%AE%E3%81%AF%E7%A7%98%E5%8C%BF%E6%80%A7%E3%81%AE%E9%AB%98%E3%81%84%E9%83%A8%E9%9A%8A%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
9. 中川隆[-15996] koaQ7Jey 2021年10月13日 04:59:42 : HNQh6kvMDI : aE12RU5RYUJ5ZmM=[30] 報告
「毒の伝説・帝銀事件46年目の真実」 - YouTube動画
放送日:1994年11月25日
https://www.youtube.com/watch?v=F5YhrRSz6L0





帝銀事件の犯人はGHQ傘下の731部隊か登戸研究所所員。
2019/05/31
https://daiwaryu1121.com/post-21266/


1948年1月26日帝国銀行椎名町支店で12名の大量毒殺事件が発生します。


これが世に言う帝銀事件です。



日本画家の平沢貞通が逮捕されて死刑判決を受けて獄中で病死します。



しかし冤罪説が非常に強く言われています。



平沢は終始冤罪であることを主張していました。



強要された自白調書でも実際の事件とは食い違うところが多々ありました。



平沢は毒物に何の知識も持っていなかったために犯行は無理でした。



帝銀事件で生き残った4人の行員の面通しでも平沢ではないという証言がありました。



松本清張は日本の黒い霧の中で平沢は冤罪であり、真犯人はGHQと731部隊か登戸研究所所員であることを書いていました。



松本清張は帝銀事件が水を飲んでから数分後に死んでいることから即効性の青酸カリではなく遅効性の青酸ニトリールであると書いていました。



青酸ニトリールの存在を当時知っていて使用できたのは元陸軍の731部隊か陸軍秘密研究所の登戸研究所第2課の所員のみでした。



検死の結果は先に出した慶応大学は液体不明としていましたが、後に出した東京大学は青酸カリとしていました。



これも後に出した東京大学側にGHQや政府からの圧力がかかり青酸カリにしたのだと思います。



登戸研究所から青酸ニトリール2瓶がなくなっていたというのも怪しいですね。



警察は当初は731部隊の線で捜査を進めていきますが3月にGHQから731部隊の捜査を中止するように命令が下ります。



その後捜査を180℃転換させて画家の平沢貞通の逮捕に至ります。



731部隊も登戸研究所も戦後はGHQに接収されてCIAの傘下機関となります。



そのためそれらアメリカの機関は捜査が不可能だったのです。



平沢はGHQ側に犯人に仕立てられた人物だと思いますね。



GHQがなぜ731部隊か登戸研究所に帝銀事件をやらせたかは、実際の青酸ニトリールの効果を見たかったからだと思います。



上の映像に出て来る登戸研究所所員の人の笑顔が怖すぎます。。

https://daiwaryu1121.com/post-21266/
10. 中川隆[-15998] koaQ7Jey 2021年10月13日 05:03:34 : HNQh6kvMDI : aE12RU5RYUJ5ZmM=[28] 報告
731部隊と医療被曝 _ 無事に内地に帰還した731部隊員は何をやったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/471.html

愛国者篠塚良夫は14歳で731部隊入隊
http://www.asyura2.com/13/senkyo150/msg/442.html

東海アマブログ  731部隊の人体実験 猿の頭痛
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1043.html

11. 2021年10月26日 12:58:10 : Axx9xfYkCA : aUhHZUxLMDhkcGM=[16] 報告
ゆっくり解説 帝銀事件 戦後の混乱期に発生した謎事件 背後にうごめく米軍と関東軍731部隊
2021/10/25




帝銀事件は終戦直後に発生した凶悪事件で真相解明にGHQがたちはだかり
一人の画家が犯人として仕立てされ18回も再審請求を拒否されたあげく
死刑執行も名誉回復もされず1987年に獄中で死亡しました
其の証拠に物証はなく精神的に不安定な画家平沢貞通の証言と
いくつかの状況証拠でかれを有罪としたのです。

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