『となりのトトロ』はモデルになったと言われている事件がある。 トトロの舞台となった所沢の隣町である狭山で昭和30年代に起きた"少女惨殺事件"である。 行方不明になった少女が数日後にバラバラ死体として発見されたという話だが、この際姉が妹を探し回っていたり、片親の家族だったりと共通点も多い。 何よりも、妹を探していた姉が放心状態で見つかり、警察の事情聴取にも「化け猫を見た」とか「大きな狸にあった」など、脈絡の無い答えが返ってくるばかりだったという。 この事件はどちらかというと、犯人逮捕に焦った警察が、別件の小さな盗みで同じ頃逮捕された男性を、暴力的な取調べで強引に自白させた冤罪事件として有名になった(ちなみに冤罪の申し立ては門前払いされ続け、その男性は現在も名誉回復に至っていない)が、結局のところ真犯人が捕まる事は無く、唯一残った証言は被害者の姉の残した「化け猫」や「大きな狸」というキーワードだけであった。 さてこの事件を念頭において『となりのトトロ』を見てみると、大分印象が変わるというか新しい解釈、新しい発見がある。
まず"トトロは子供にだけ見える"という印象だがサツキの同級生であるカンタには見えないなどの矛盾がある。そこで登場したのは"トトロは妖精のようなものであるから、死に近い人間が見える"という事だ。 死期の近づいた老人が、先に死んでしまった家族を見るなど良くある話である(大概はもうろくしたと片されるがね) つまりサツキとメイは、あの段階で死期が近づいていたのである。 結論から言うとメイは母親に会うために1人で病院に向かう最中に死んでしまったのである。 村の人たちの捜索で沼でサンダルが発見され、サツキは「メイのじゃない」と否定するが、実はあの段階でメイは既に水死していて、現実を認めたくないサツキがひきつった顔で「メイのじゃない」と言って走り去ってしまうという流れである。 そして森の精霊であるトトロにすがり「メイがいなくなっちゃったの! お願い、メイに会わせて! きっとあの子、1人で泣いてるわ!」と言って、サツキは妹に会うため"自らの命を捨てる選択をする" そう猫バスとはこの世とあの世を結ぶ乗り物なのだ。物語中盤で登場した猫バスに、サツキが乗る事を恐れた理由も、ただ単に異様であるというだけでなく、「乗ってしまったらもう戻れない」と本能的に感じ取ったからであろう。 その辺は、「凄い、木が避けてる!」や「みんなには見えないんだ…」のセリフからも、猫バスが実体の無い虚無の存在であると伺える。 そして重要な証拠としてよく挙げられるのは、沼でサンダルが発見されたシーン以降、"作画からメイの影が無くなっている"のである。作画レベル世界一と言われるジブリがミスをするとも思えないし、何よりも「以降全て無い」というのは明らかに不自然である。 そして自分が死んだ事に気づかずにさ迷っていたメイの元に、冥界の乗り物である猫バスとともにサツキが迎えに来て、姉妹は再会する。 そうしてサツキとメイは母親の入院する病院を訪ね、メイが渡したかったトウモロコシを渡すのだが、このシーンでも不自然なポイントが2つ。 何故サツキとメイは、お母さんに直接会って渡さなかったのだろうか? そして何故、病室の窓の外目の前の木に座っていた2人を、両親は見えなかったのか? ………ふと風が通り過ぎ、両親が窓の外を見ると、「おかあさんへ」と書かれた紙と共にトウモロコシが置いてあり、母親がふと窓の外の木を見つめ(絵では目の前に座っている)、「今…サツキとメイが笑ったきがしたわ」 もうここまで来ると反論の余地が無い。 そして更に悲劇としては、母親の入院している七国山病院というのは、八国山病院という実際にあった病院がモデルなのだが、その病院は"不治の病の末期患者や、精神疾患者を半ば強制的に収容していた病院"だったそうだ。明らかにお母さんの方も先は長くない…。
映画はその病室のシーンでエンディングを迎えるが、その後に父親が知る事実と悲しみを考えればあそこで終幕なのがベストだろう。 エンディングと共に流れるハッピーエンド風味の映像… 「サツキとメイが家に帰ってきて、おばあちゃんと再会し抱き合う」、 「お母さんの病状も回復して家に帰ってくる」、 「そして家族4人で幸せに暮らす」 この流れを加味すると、このエンディングは全てが終わってしまった後、1人残されてしまったお父さん(作家)が、こうだったらよかったと想像する「最良の可能性」だったのであろう。 http://mp.i-revo.jp/user.php/ewalrqsy/entry/329.html
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『となりのトトロ』の舞台は狭山丘陵が広がる、埼玉県所沢市松郷地区。当時、所沢周辺は結核患者の療養地であった。
「トトロ」の由来は、宮崎駿監督の知り合いの女の子(姪?)が「所沢」と言う地名を言えず、「トトロザワ」と言ったことに由来する。 2人の子供の名前はサツキ→「皐月」、メイ→「May」でいずれも5月を表している さつき とメイは途中で本当は死んでしまい、それを父親が想像で生きていたらこうなっていて欲しかったと書いたのがとなりのトトロであり、作中でずっと書いていたのはその原稿。
さつきとメイがトトロと一緒にでかい木の上で何か吹いていたシーン、 あそこでお父さんがチラッと木を見やり、少し満足げにして書類に向かう。 確かに違和感あり。父の想像を臭わせます。 まず、トトロというのは死神、冥界への使者であり、トトロに会った人は死が近い、もしくは既に死んでいるという裏設定。 『トトロ』とはサツキがメイに「トロルのこと?」と聞き直した様に、トロルをモデルにしています。 トロルは地方によって異なりますが、死神であったり、気に入った者には幸福をもたらしたり、またある時は子供をさらうと言われています。 そして母親の入院していた七国山病院のモデルとなった八国山病院という実際にあった病院は末期患者や精神疾患患者を収容する場所であった。
当時の所沢周辺は実際に結核患者の療養地でした。 母親の病気は結核であるとウィキペディアにも記されています。 結核は1950年までは日本人の死亡原因のトップ。となりのトトロの時代設定は1950年代・・・
メイが行方不明になって池でサンダルが見つかる騒ぎが途中でありますが、 あの時既にメイは池で水死しており・・・ 「これ・・これだよ」 老婆の差し出したサンダルを見てサツキは凍りついた。それはメイの物であった。 しかし、サツキはぐっと唾を飲み込み、言った。 「メイのじゃない・・・」 (確かに引きつっていました。)
今ここで本当の事を言えば、間違いなく老婆は卒倒するであろう。 老婆の身を思い、サツキは嘘をついたのだった。 妹の死を悟り、その場にしゃがみ込むサツキ。
(メイのサンダルの詳細。 ピンクで、つま先の方が2〜3本のひもで、踵にも一本あるタイプだ。 沼から出てきたのは、つま先が2本、踵ヒモもあるタイプだ。そしてピンク。) メイの物ではないと聞き、安堵してしゃがみ込む老婆。 そしてサツキは気付いた。メイは病院へ行こうとしていた。 ならばメイの魂は未だ病院を目指して迷子になっているに違いない。
「このままではメイの魂は永遠に迷子のままになってしまう・・・」 「いや、もしかしたらどこかで生きているかも知れない・・・」 サツキは決心した。かつてメイがトトロに会ったという場所で語りかけた。 「お願い・・・トトロに会わせて!!」 木のトンネルを進むサツキ。その先には以前は無かった道があった。 サツキの言葉が冥界への扉を開いたのだ。 そしてその道の先には冥界の番人、トトロがいた。 「トトロ、メイが迷子になっちゃったの。探したけど見つからないの。 お願い、メイを探して!今頃・・・きっとどこかで泣いてるわ・・・ どうしたらいいか分からないの!」
「みんなには見えないんだ・・・」 というセリフから分かるように、さつきは自ら冥界への扉を開け、 魂を運ぶ乗り物である、猫バスに乗ってメイの元へ向かったのです。 (ネコバスの行き先表示の札に「墓道」が出てきているのも暗示・・・) さらに病院のシーンでは母親が
「今、あの木のところで、さつきとメイが笑ったような気がした」 と言う。なぜ母親だけに二人の姿が見えた気がして、尚且つ二人は近くまできているのにも関わらず、実際には両親に会わずにメッセージ付きのトウモロコシを置いていったのでしょうか? それは二人が既に死んでいるからです。 そして、父親は全く気が付かなかったのに対し、母親だけが死んだメイとサツキの気配に気づいたのは、母親にも死期が近づいていることを現しています。 (生きている子供のことについて、「あの木のところで・・・」なんて言うでしょうか?
そして、母親に会わなかったのは心配かけまいとして・・・と言うのであれば、なぜメッセージ付きのトウモロコシは置いていったのでしょうか。 メイとサツキは父親にはトトロのことも猫バスのことも揚々と話していました。 「心配をかけまいとトウモロコシだけ置いて帰った」というのは、不自然すぎます。) 母親の発言に対し、父親も「案外そうかもしれないね。」
もし生きているなら「こんなところにいるわけがないだろう。」 が自然な台詞です。否定しないのは、父親は二人が死んでいるのを知っているからです。 ・メイが行方不明になった後から、メイの影がなくなっている。
・最後のシーンでは全員が若返っており、実はあれは後の話ではなく、生前の昔のシーンをくっつけハッピーエンド風に仕立てただけ。 もしくはエンディングの歌が始まって以降は本編とは別の終わり。 (サツキの服装を見ると、スカートではなくつなぎのようなものを着ています。これは現実ではなく、父の想像かも知れません。) ・所沢市に隣接する狭山市で起きた、女子高生が殺害された狭山事件をモデルにしている?
サツキ=皐月 メイ=May=五月 狭山事件発生日が5月1日 狭山事件では誘拐された女子高生の姉が犯人との交渉に参加している。 トトロの舞台は狭山丘陵が広がる、埼玉県所沢市松郷地区(所沢市)。 狭山事件(さやまじけん)とは、1963年5月1日に埼玉県狭山市で起こった、高校1年生の少女を被害者とする誘拐殺人事件。
同年5月23日に被差別部落出身の石川一雄(当時24歳)が容疑者として逮捕されたが、一審の死刑判決後に冤罪を主張。その後、無期懲役刑が確定して容疑者の石川は服役した(現在は仮釈放されている)。 しかし、捜査の過程におけるいくつかの問題点がさまざまな立場から提起されており、石川とその弁護団及び支援者が、冤罪を主張して再審請求をしている。また、容疑者が被差別部落出身であったことから、この事件は部落差別との関係を問われて大きく取り扱われることになった。なお、差別による冤罪を主張する立場からは、この事件に関する裁判は狭山差別裁判と呼ばれる。 ここまでなら「偶然5月だった」という解釈も出来るのですが、宮崎駿監督は左翼としても有名な方です。ググれば一発です。彼が学生運動に参加している時代に狭山事件は起きています。
(どなりのトトロと同時上映された「蛍の墓」もメインテーマは妹の死でした。) つまり、宮崎駿監督がこの事件について精通している可能性は高く、これを皮肉って『となりのトトロ』に盛り込んだのでは、という見方も出来るわけです。
一見平和で高度経済成長によって最先進国となった”完璧な日本”が『となりのトトロ』の表向きな姿であり、しかしその裏には人種差別や理不尽な国家権力という巨悪が潜んでいるのに、なぜ気がつかない?そんなメッセージの可能性はないでしょうか。 「となりのトトロ」の劇場での上映が、戦争によって死んで行く悲しい兄弟の話「火垂るの墓」と同時上映だった点からも、何か通じるものを感じます。 さつき、メイ・・・被害者、子供、無垢な存在
トトロ・・・闇、巨悪、日本、一見して平和的で良い子(国民)の味方 しかしその真の姿は・・・。 お父さん・・・監督 視聴者・・・日本国民、気づかない人達 ・エンディングでメイちゃんとばあちゃんが抱き合って泣いてるシーンを無視。 →最後はおばあちゃんもしんじゃったんだろうな 魂になってやっとメイ達と会えたんだね 自分達の死に気づかずに家に帰るラストシーン ・もし本当にメイとさつきが死んでたとしたら ラストの病院のシーンでお母さんが 『退院したらあの子たちにめいいっぱい甘えさせてあげたい』 なんて言わないんじゃないかな?
→母はまだ知らされてないのさ 病人だからね 父は知っていたが心配させまいと・・・。 もしくは、末期患者が入る病院にいる為、既に正気ではなく記憶が曖昧になっているのかも。
・婆ちゃんが死んだとしても、 どうしてラストでかんたとさつきが話せているか説明がつかない ってことはかんたも死んだのか? →カン太は生れつきの霊媒体質なんだよ (ウィキぺディアから抜粋) 最期のシーンで「サツキとメイに影がない」ことについて、都市伝説として「トトロは死神でサツキとメイは死んでいる」という噂が流布している。 これについて、スタジオジブリがブログで「サツキとメイの影は省略しただけなので、トトロは死神でもないしサツキとメイは死んでいない」と一蹴した。 この見解はスタジオジブリの総意であって、宮崎駿の見解ではないことに注意したい。製作発表の時、宮崎監督はこの映画は「サツキとメイの魂の開放」といった 今トトロのCDを見てみたら、さつきとメイががったいしたおうなひとがトトロの横に立ってました・・・ その場面って猫バス待ってるときの場面なんですけど、バストップの影しかなく、メイ&さつきの人の影なんかありませんでした(/´△`\) CDの歌詞カードのところの裏見てみたら、また絵がありました。
そこにはトトロの世界へ行くときの穴を見ているメイの後ろ姿なのですが、そのメイにも影がありませんでした(T∇T )( T∇T) 死んじゃったんですね><残念です・・・これがほんとじゃないことを祈りつつ・・・娘には教えないでおきます;;ぁぁぁぁこわい><(@_@;) たぶん香恋さんと同じCDありました〜〜〜!!ほんとにそのとうりです( -ノェ-)まじでこわい・・・・しかも、そのCDの中にある、「まいご」という曲の歌詞がどうしてもおかしいのですが・・・・・・ひまなかたは少し長いですがお付き合いのほうよろしく お願いします( *・ω・)ノ 今からまいごの歌詞を(問題の場所まで)下に出します。
さがしても みつからない まいごの子 はなをつまみに いったの ふりむかないで トンボをおいかけていったのかしら おばけが出てきたら どうしたらいいの かくれんぼだーいすき なきむしのあまえんぼ へんじして おねがいだから きえてしまった小さな子 (中略) どうしよう こまったわ のはらにひとりきり かえってきておねがいだから わたしのだいじないもうと どこかしらどこかしら
と書いてありました。これは死んでしまったメイの魂を探しに行くさつきの、あのシーンの話だと思います。これはまいごということで聞くのよりも死んでしまっているという設定のほうが絶対に自然だと思いました。 こわいですねぇ;; くれは
宮崎さんはヒットするまでさまざまな作品をテレビ局などに出されてたって聞きました
その中には、「魔女の宅急便」や「天空の城ラピュタ」など、いまでは誰もが知っているようなジブリ映画の“もと”となった作品も多くあったそうでもちろんその中に「となりのトトロ」もありました その“もと”の作品ではトトロが子供をさらうおばけのような存在であったんです。 ですからこの作品を“もと”にして子供向けでもあるこの映画を作るにあたって、 その内容ではいけない、子供でも楽しめるように、と宮崎さんが改良されたのが いまの「となりのトトロ」なんです。 セリフとか、事件とか私は分からないけど、根本的に間違っているところは “裏設定”じゃなくて昔のとなりのトトロつまり“原作”だったというところだと思います。 たぶん、宮崎監督は、狭山事件のことをみんなに知らせたかったんじゃないのかなhttp://houtobega-eien.at.webry.info/200705/article_17.html
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[ 作中の違和感 ]
・ラストの病院の木のシーンで、母親にメイとサツキの姿が見えなかったのは何故? ・物語が進むにつれて、メイとサツキから「影」が消えていく(※注1) ・「トトロのテーマはサツキとメイの解放なんです」 と宮崎監督自身がコメント →「解放」の意味するものは!? ・始まって15分ぐらいに荷物の食器を片付けている後ろの箱に狭山茶って書いてある。 →狭山事件(※注2)を連想させる描写? ・家の2階に上がる階段付近に違和感がある →「階段が存在するはずの空間に何もない。 →「雨戸の外には「階段」があるはずの家の壁が見えず、外の景色が見えていなかった? ※作画上のミスかもしれないし、意図的なものかもしれない。 ・メイが描いたトトロの絵が、どう見てもトトロに見えない。 ・池で発見されたサンダル、メイのじゃなければ一体誰の物? ・ネコバスが行き先表示するときの「めい」になる前が「墓道」(※注2) [ 狭山事件との奇妙な共通性 ] (狭山事件) 5月1日の日が沈んだころ、被害者(当時16歳)が通学に使っていた自転車がいつもの場所にもどっていた。本人はすでに死んでいるのに。外は雨。サドルがぬれていない。いったい誰が・・・。そのころ長男が被害者を探しにいく。脅迫文には「西武園の池に沈める」とあるが、実際はちがった。 (作品) メイとさつき、雨の中、バス停で父を待つ。日がくれる。自転車に乗ったレインコートが通りすぎる。トトロとネコバスがやってくる。西武園は、まさにトトロの森のすぐそば。 ______________ (狭山事件) 死体発見現場は川にほどちかい茶畑の農道。まるで棺を埋める穴のように掘られた穴に、儀式を行ったかのごとく埋められていた。 (作品) 耕された畑で儀式のシーン。新しい芽が顔を出す。三人のトトロと中を舞うメイとさつき。 ______________
(狭山事件) 真犯人と巷でうわさされた長兄は、東京タイムスで勤めた経験がある。また、目白の経理学校に通った経歴がある。 (作品) 徳間書店←東京タイムス最後の親会社。宮崎←学習院大政経学部(経済)宮崎は姉と同い年、カンタとさつきは同い年。 ______________ (狭山事件) 被害者の実母は精神病院に入院し、10日後急死している(脳腫瘍とのこと。10日で脳腫瘍が急変することはない)。その時、被害者の年齢は5〜6歳。姉12〜13才。病院は小平市(狭山から15km程度)。兄弟は6人だが、2人は特に仲良かった。母なきあとは、まるで姉が母のようであった。姉は、犯人との接触を買って出るほど、主体的にかかわった。 (作品) 自宅所沢から小金井を歩いて通勤したことがある。逸話となっている。位置関係が平行移動の関係。「3時間」を確かめたのか・・・。母のようにお弁当を作るさつき。トトロに会いに行くさつき。 ______________
(狭山事件) 被害者には、同居する2人の兄と1人の弟がいた。被害者の死後、まもなく、後を追うように姉は命を絶った。妹と2人でいるときが幸せだったと書き残して。目撃情報によれば、3人の男と車があった。長男は、顔面神経痛と脊椎の病気を患っていた。車が足であり、顔であったようだ。次男はしばらくの後、自殺。3男は養子にだされ、家には長男が残った。 (作品) 3人のトトロと2人の姉妹とお父さん、お母さんの物語。トウモロコシを命がけで母に渡そうとするメイ。「おかあさんへ」「いもうところし」。遊んでくれない父を横目に、トトロの寝床に迷い込むメイ。トトロはメイとさつきにしか見えない。決して怖くないトトロたち http://darknarice.jugem.jp/?eid=656 ▲△▽▼ ■【となりのトトロ】作中との共通(?)点
(1)トトロの舞台が、狭山丘陵(埼玉県所沢市松郷地区) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 事件の場所と酷似。 実際に、時代設定の1950年代の所沢周辺は結核患者の療養地。 (2)迷子をイメージした歌詞…少女が行方不明になる ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 参照⇒となりのトトロ歌詞 ●「誰かがこっそり小路の木の実埋めて」 ⇒事件では、少女が農道に埋められていた。 ●「雨降りバス停、ずぶ濡れオバケがいたら」 ⇒事件当日は大雨だった (3)入院中のお母さん ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ●七国山病院のモデルとなった、八国山病院は実在した。 └末期患者や精神疾患患者を収容する場所であったらしい。 ●お母さんの病気は結核 ⇒事件の被害者の母が入院10日後に亡くなっている (4)サツキとメイの関係 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ●5月 ⇒事件があったのも5月 ●姉が妹を探す ⇒事件では、被害者の姉が犯人との交渉に参加した ●お父さんとサツキは似ているがメイは似ていない ⇒被害者とその姉は異父姉妹だった (5)メイの靴が池に浮いていた ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 事件の脅迫文に「子供は○○池の中に死んでいるとある」 とあった。 はい。 ここまでが予備知識。 あ、ちなみに、「トトロ」の名前の由来は、宮崎駿監督の知り合いの女の子が「所沢」と言う地名を、「トトロザワ」と言ったこと。らしいです。 http://d.hatena.ne.jp/hachi-88/20080521 ▲△▽▼
6 :名無シネマさん :2006/11/15(水) 00:15:19 ID:UMZDBDtt たまにめいちゃんの陰がなくなるとか お父さんがうつろな目をするのがヒントだとか あそこに引っ越したのは子供が死んじゃったからとかいろいろあるらしい。
友達の友達が昔ジブリに問い合わせたらよくわかりましたねって言われたってww 9 :名無シネマさん :2006/11/15(水) 01:34:33 ID:F+vfE66h あの田舎の村が、あの世なんだよね
死んだ姉妹がお父さんお母さんに、会いに行く物語なんだ お父さんは想像で作り出した人物だけど、ラストのお父さんは本物 他にも色々ある 10 :名無シネマさん :2006/11/15(水) 01:40:44 ID:F+vfE66h >お父さんは想像で作り出した人物だけど ここは、ちょっとニュアンスが違ったかも、実在のお父さんが死んだ娘を想う気持ちが作り出した生霊 お父さん本人は気づいていないけど、それが死んだ娘と交流している姿 14 :名無シネマさん :2006/11/15(水) 02:18:36 ID:F+vfE66h あの村が、あの世だ バスだけで外界とつながっている だから、村の住人は死者 18 :名無シネマさん :2006/11/15(水) 02:41:31 ID:MQUC3Vw/ あの土地を舞台にしたのは狭山事件と無関係ではないんだよね。。。 狭山事件は60年代起きた少女誘拐殺人事件で有名な冤罪とされる事件。 宮崎監督は事件のことをかなり調査していて自分なりの解釈をトトロに盛り込んだ。 映画の景色は事件当時の狭山そのものだし。 犯人は被差別部落の青年とされ結審したけど、 冤罪を訴える人々はは犯人は実は被害者の… これ以上はやばすぎるからやめとく。。。 カンタとおばあさんは部落の人だよね ちなみに狭山丘陵には七国山病院のモデルになった病院もある。 http://www.geocities.co.jp/playtown/1541/totoro-tour.html 見に行くとサツキとメイが登ってた木が実際にあるんだけど 32 :名無シネマさん :2006/11/19(日) 00:57:51 ID:AE8TDUWT 村の人みんな死んでて、糸井お父さんだけは生きてるってこと? 独りごと言いながら暮らしてるってこと?
33 :名無シネマさん :2006/11/19(日) 02:07:14 ID:TBnuipdP そうらしいね かなり寂しすぎる 36 :名無シネマさん :2006/11/23(木) 01:35:37 ID:OGFX4Xko ラストでは、娘のサイン入りのトウモロコシが病室の窓に置かれていたけど、 どうみても怪奇現象だろ。
それに驚くことなく受け入れる両親とそれを外から眺めてる半透明の娘達。 37 :名無シネマさん :2006/11/24(金) 18:19:12 ID:BiqYOeu/ メイが迷子になった後から メイの影が無くなるらしい (見てないけど つまり迷子になったときに死んだ 49 :おせち(1d):2006/12/27(水) 01:31:42.32 ID:VGZZ7TWnO 七国山病院 実際には八国山病院という病院が実在して、そこは末期患者を収容する所とか メイはあの池で水死したんだろ? http://blog.livedoor.jp/news2chplus/archives/50630935.html ▲△▽▼
「となりのトトロ」と狭山事件について
どうやら、「『となりのトトロ』は狭山事件を下敷きにした、亡くなった被害者姉妹に対するオマージュを込めたお話である」という都市伝説があるようです。「狭山事件 となりのトトロ」でググって当サイトを訪問されている方が結構いるので調べてみたら、そういう都市伝説があるらしいということを知りました。 まず最初に言っておくと当然ですが狭山事件とトトロの間には一切共通点はなく、都市伝説として流れているものはすべて曲解か明らかな誤りです。一応念のため下記に事実関係をまとめておきます。 「事件後に姉が行方不明になった妹を必死に探している姿が目撃されております。との証言」は存在していません。 「妹の酷い殺され方をした遺体が見つかった時、姉は錯乱状態に陥り『猫のお化けを見た』『大きな狸に会った』などの謎の言葉を発したと伝えられています。との証言」も存在していません。 ネット上でこれらの証言を書き込んでいる人たちはみな都市伝説の一環として書いているだけで、出典を示していません。狭山事件は昭和38年に起きた事件で、次姉は昭和39年に自殺していますから、このような証言が本当にあって、それが現代まで残されたのであれば、書籍や新聞に残っているはずです。 次姉は刑札に対する証言やその後の裁判での証言でもきちんとした受け答えをしています。もちろん、猫や狸に関する発言は(伝えられている限り)していません。ただし、石川さんの死刑判決以降ノイローゼになり、自殺してしまったことは事実です。
投稿者: ゲストユーザ on 2010年02月11日(Thu) 03:11 JST
16分割とかバカな言い様は間違いなく月姫とかいうクズアニメの受け売りなのは分かっていたので、間に受けてはいませんが、このトトロという話において、 子供の見る映画として、入れるひつようのない描写(池に浮いたサンダル、病気の母親)があるのはどうしてなのでしょう……? 私には何かしら死をイメージさせているとしか思えません。 故に、この都市伝説はあながち間違っていないようにかんじるんですよね…… http://flowmanagement.jp/sayama/article.php/20090505183024460 ▲△▽▼
となりのトトロ
1958年(昭和33年)の(設定上は昭和30年代前半)日本を舞台にしたファンタジー。田舎へ引っ越してきた草壁一家のサツキ、メイ姉妹と、“もののけ”とよばれる不思議な生き物「トトロ」との交流を描く。 狭山事件(さやまじけん)とは、1963年5月1日に埼玉県狭山市で発生した、高校1年生の少女を被害者とする誘拐殺人事件である この事件では中田家を中心に不幸な出来事が続いた。 まず、事件後に中田家の農業手伝いのAさん(当時31歳)が自分の結婚式の前日に農薬を飲んで自殺。 続いて、不審な人物を見たと警察に証言したBさん(当時31歳)がナイフを突き刺して自殺。 さらに捜査線上に浮かんでいた付近の養豚場勤務のCさんが自殺した。 更に驚愕したのは、佐野屋で犯人と唯一会話した善枝さんの姉が石川の死刑判決直後に自殺。 善枝さんの次兄も自殺した 不可思議な事は、石川被告の家宅捜査は3回行われたが、第一回の家宅捜査(5月23日)で徹底的に捜査して何も事件につながるものが出てこなかったのに3回目の家宅捜査で善枝さんのピンクの万年筆が勝手口の鴨居から発見された。 捜査員自らこれを取らず被告の兄に取らせて写真を撮影するなど実に不思議なことが起こっている(尚、この第三回目の家宅捜査の時間はたったの24分間で、第一回と第二回の家宅捜査では2時間以上を費やしている)。公判ではこのピンクの万年筆が物的証拠として有罪の決め手になっている。 取り調べ中も「自供したら10年で出してやる」と自白を強要したり、留置場から浦和拘置所に移された後、この留置場の床に「中田よしエさん ゆるしてください」と書かれていたとして川越警察署が証拠として提出したりしている。 が、前述の通り、石川は字が書けないのである(自分の名前、住所のみ漢字で書ける程度)。 その他の状況も含めて鑑みると「真犯人は別に居る」と見た方が素直である。だから尚更、警察は「何が何でも石川」という演出に走っていったと思われる状況が多々ある。だが、一審の判決は「死刑」、二審で「無期懲役」の判決によって平成6年12月の仮釈放になるまでの実に31年7ヶ月間を獄中で過ごす事を余儀なくされた。 http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage51.htm ▲△▽▼
警察にも関与者が居るような気さえしてくる。強引に冤罪者を作ったり、 後に何人も出てくる自殺者の状況も怪しきものばかり。
●次姉は空井戸に落ちているのに警察は溺死と判断。 ●養豚場の経営者が踏切に飛び込んで自殺。狭山市・入曽の両駅の日誌から、なぜか当日のページが紛失(破り取られる)。 ●事件当日に死体発見現場のそばで怪しい3人連れを見たと届け出た証人が包丁で胸を突いたとして死ぬ。(警察で犯人扱いされ厳しい取り調べでノイローゼ状態) (もしかすると重要な証言者だったのかも…) また、気持ち悪いのが次兄の首吊り自殺。 オカマでも無いのに自殺の遺書は女言葉で綴られている。 事件そのものじゃなくて、後々に沢山出てくる自殺(死)者だけでも謎深いよ。 この家庭は良い家柄だけど、変わった家庭らしくて被害者の母が嫁入りした時も 家の庭に墓石やそとばが大量に投げ込まれていたらしい…
ちなみに被害者の少女は1963年当時16歳だけど、事件で犯される以前にも何度かの性体験があったということが検死(処女膜より)によって明らかになってる。 当時としては早いと思うけれど、もしかして、もしかして兄とやってた?? http://jbbs.livedoor.jp/study/56/storage/1149838795.html
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狭山事件の何が「面白い」のか。大雑把にまとめると下記のようになります。
1.謎 事件から45年を経過した現時点でなお、真犯人が誰なのかわかっていません。石川一雄さんが逮捕されて有罪とされましたが、その判決文を読むと物理的にも論理的にもありえないことが大量に書かれていて、「推理」とも呼べないようなものです。 本当にこの事件を起こしたのは誰なのか。事件直後から様々な「推理」が提示されましたが、未だに万人を納得させるものは登場していません。 2.猟奇
この事件の関係者(被害者の家族(兄と姉)、容疑者、重要な目撃者など)が次々と謎の死を遂げています。 「謎の死」という月並みな言葉を使いましたが、この事件に関しては本当に謎な死に方なのです。 公式にはことごとく自殺あるいは事故死として処理されていますが、それをそのまま信じるなんてとても無理だろ常考。という死に方です。 3.トリック
事件に際して、奇妙な、当て字を多用した脅迫状が被害者宅に届けられています。例えば「警察」を「刑札」と書いています。 刑札ではこれを「知能が低い者の犯行」と見ましたが、その「刑札」でもわかるように微妙に意味が通る当て字で、なおかつ当の刑札自身がこの脅迫状に「車出いく」と書いてあったのを真に受けて身代金受渡し場所で犯人を取り逃がしていたりして、少なくとも刑札よりは知能が高い者の犯行であることは確実です(笑)。 さらに、身代金受渡場所に犯人自身が現れて、身代金を持ってきた被害者の姉と会話しています。その様子は張り込んでいた刑事たち(複数)も聞いています。
その上で犯人は悠々と包囲を突破して逃げおおせています。それを「単なる偶然」と片付けることは可能でしょうが、堂々と脅迫状を出した上に、警官38人の包囲をサクっと突破して逃げる犯人というだけでも推理小説のネタになるでしょう。 4.陰謀
上の「謎」で名前が出た石川一雄さんは、なぜ「犯人」に仕立て上げられなければならなかったのか。あるいは、被害者はなぜ殺されなければならなかったのか。そのあたりにプチ陰謀論の種も大量に転がっています。 特に、石川さんを犯人に仕立て上げるにあたっては、数多くの「証拠」がでっち上げられています。このでっち上げは誰が何の目的で行ったのか。そこにも陰謀のニオイをかぎつけることは可能でしょう。 くりか江す(これも脅迫状にあった誤字です)と、これは実際に起きた事件です。 しかし、「事実は小説より奇なり」とはよく言ったもので、下手な推理小説よりずっと面白い、と私(管理人)は考えています。 http://flowmanagement.jp/wordpress/archives/192 ▲△▽▼ 狭山事件: 被害者の家族
父親。明治38年(1905年)生まれ。平成2年(1990年)没。 母親。明治41年(1908年)生まれ(?)。昭和28年(1953年)没。享年45。死因は脳腫瘍。入院して10日前後で急死したこともあり、この死に疑問を感じる人もいる。1933年に嫁入りしてきた翌朝、庭に墓石が投げ込まれていたという話がある。 長女。昭和9年(1934年)生まれ(?)。事件の8〜9年ほど前に家を出て東京で働いていた。実家とはほとんど縁を切っており、その後結婚して子供が出来た時も実家に入れてもらえなかった。 長男。昭和12年(1937年)生まれ(?)。ご存命。 次女。昭和15年(1940年)生まれ(?)。昭和39年(1964年)没。享年24。自殺だった。中学卒業後、高校に行かず家業を手伝っていた。さのヤに身代金(に見せかけた包み)を持っていった。 次男。昭和19年(1944年)生まれ(?)。昭和52年(1977年)没。享年33。自殺だった。女言葉で書かれた奇妙な遺書を残している。 四女。昭和22年(1947年)5月1日生まれ。昭和38年(1963年)5月1日(?)没。享年16。狭山事件の被害者。 三男。昭和27年(1952年)生まれ(?)。後に他家に養子に出た。 被害者はもともと7人きょうだい(三男四女)でしたが、長兄以外のきょうだいは全員死去するか通常でない形で家を出るかしています。
_______________________________ 648 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/07/07 22:51 ・父母の結婚式、中田家の庭に大量の墓石投入事件 ・前日まで元気だった母を、精神病院に強制入院、数日後に死亡事件 ・長姉の中田家縁切り家出事件 ・末っ子の被害者だけタネちがい これらの事は、じつは母親が事件の真相に係わっていることを意味している。 狭山事件は、すでに母の死から始まっていた。 652 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/07/08 01:36 時間的関係がわかるよう648をもう少し詳しく紹介すると 昭和8年5月12日被害者の母故ミツは隣村である川越市中福から中田家に嫁いだが婚礼の翌朝、村落の墓地の墓石や卒塔婆が大量に庭に投げ込まれていた。
ミツは平素から素行になにかと噂があり、この時も結婚を妬んだかっての男たちが嫌がらせに行ったのだと囁かれている。 また結婚当時「中田家に生まれた女子は育たない」という予言めいた噂も流れたが、長女は事件前に家族と対立して勘当同然に家出、次女登美恵が事件後「自殺」三女善枝が事件で殺害され、結果的にその通りになった。 ミツは昭和28年12月30日午前10時30分に東京都北多摩郡小川町(当時)の国立療養所精神科で、死亡診断書によれば「脳腫瘍」で死亡した。病名とは関係のない精神科で死亡していること、自宅から近い川越や所沢の病院でなく、遠い縁のない病院に入院していること、入院から約10日で死亡しているが、近隣住民の目撃によるとミツは入院前日まで畑仕事をしていた、脳腫瘍がそれほど短期間に発病して死に至るとは通常考えられない、などの疑惑が囁かれている。 ミツは結婚後も男との噂が絶えず、当時地元ではミツに振られた男が腹いせに毒を飲ませた、近所の病院では噂が広まり世間体が悪いので、家族が医者に金を含ませて遠隔地の病院に入院させ死亡診断書も工作させたとの噂が流れた。この事件の犯人と善枝の出生、後年の善枝殺害との間に関連をみる人もいる。 725 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/10 15:19
被害者の母親は農村のタブーに触れた女性だったようだ。 被害者もまた勝気で現代的な女性で、ボーイフレンドも多かったそうだが、 彼女もまたなんらかのタブーを犯したとは考えられないか。 特にその異性関係において。 インドやパキスタンの田舎では、異性間の交渉でタブーに触れた女性は 親戚縁者がよってたかって私刑をくわえたり、場合によっては殺してしまうことさえいまだにあるらしい。これを「名誉殺人」というのだそうだ。 警察もこの名誉殺人については見てみぬふりをすることが多く、犯人が逮捕され起訴されても一般の犯罪に比べて刑が軽いと聞いている。 別に狭山事件が「名誉殺人」だと主張するつもりはないが、犯人側と被害者家族側との利害が一致する時点がどこかであったような気がしてならない。 むろん警察の利害も同様である。 三者とも、事件の真相が明るみになることだけは絶対に避けたいとの思いが強いことは間違いなさそうだ。 733 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/10 23:09
中田家の闇の部分は母の件と、 善枝が近親相姦によって生まれた子だということ。 735 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/11 14:17 >>733 その話は、私も耳にしたが事実なのでしょうか? 736 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/11 19:28 善枝ちゃんの父親はいったい誰???
729 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/10 20:22 長兄のあの手記は、非常に意味深だ。 石川氏逮捕の日、まだ彼が本当に犯人かどうか分からない時点で、 記者に「石川が犯人だと思う」と語った上であの文章を書いたのは、なにか真犯人へのメッセージのような気もする。
「農村という古くからの何者かが潜んでいたのではないのか」 とは、 「妹は農村という古くからの因習の犠牲になった」 という風に長兄が思っていることを吐露したものではなかろうか。 その古き因習の中に自分自身も身をおいているので、真犯人の名を明かせずに いることへの自責の念も読みとれる。 最後の二行を離して書いていることも奇妙だ。 つまりこれは、あの脅迫状を書いた犯人に宛てた「返書」なのではないだろうか。 _______________________________ 686 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/02 17:59
簡単に説明。 黒幕とは、中田家と土地の利権(それ以外にも?)で対立していた元区長のO1氏と、その親分格の市会議員U氏。 中田家の秘密を子飼いの同家元作男OGから聞き出したO1は、中田家を秘密の 暴露をネタに同家をゆするがうまくいかず。Uに相談し中田家を揺さぶることにした。 Uは配下の元暴力団幹部O2に指示して事件を計画。 実行犯はO2の手下の未成年A・B・Cの3名。3人のアリバイはO2が作っていた。 最初の計画では善枝さんを殺害する予定ではなかったが不測の事態が起き、 彼女を殺してしまったので営利誘拐事件に見せかけることになった。 脅迫状を書いたのは元作男のOG。 彼はのちに嵌められたことを気付き、犯人扱いされることを悲観して自殺? 佐野屋には、善枝さんとは幼なじみで3人の中では最も度胸があるAが事前に 警官の配置を調べた上で近づき、身代金を取りに来たふりをしてうまく逃走した。 その後、捜査撹乱のために一味の意を受けたTNが、事件当日やげん坂で怪しい男たちを見たと警察に届けるが、警察はこれを不審に思い、彼を二日間厳しく取り調べる。 ノイローゼ状態になったTNに対し、犯人一味は寝込んでいた彼を襲い、ナイフで 心臓を一突き。口封じをした上、自殺に見せかけてすばやく逃げ去った。 警察の一部の捜査員はA・B・Cを怪しいとにらみ、取り調べたが、結局アリバイが崩せず、そのあと石川氏が逮捕されたこともあり、その線の捜査は打ち切られた。 以上、前スレで898さんが彼の伯父さんである警察の元捜査官に聴いた話です。 176 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/08/02 11:17 「元区長」って、O富G治さんが中田家のあとに作男をしたO富E助さんかな? だとしたら信じられないな〜? ほんとかな〜? 黒幕Uってのは、U田さんだろう? これまた信じられん話だよ。 それより田中さんが捜査かく乱で目撃情報を持って警察に行ったとき、警察は その企みを見破り、田中さんを二日間ひとりで歩けなくなるほど責めたてたんなら、背後関係も掴んだはずだが、UにもOにもその手下?にも事情聴取をした形跡はない。 第一、このときの調書の証拠開示すらしていない。 http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/1.html http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/2.html#R680 21. 2010年3月28日 21:03:31 396 名前:384:02/11/15 16:25 狭山市川越に住む反骨精神旺盛な部落の人・荻原祐介氏は、事件発生直後から 独自を調査を重ねた結果、真犯人が石川青年ではありえないことを確信した。 そして石川氏が一審で死刑判決を受けたことを権力の謀略といち早く見抜き、 石川氏に面会して、あの有名な二審冒頭での爆弾発言、 「裁判長殿、私は善枝ちゃんを殺していません!」 という「名文句」を授けた人でもある。 正に石川氏とその家族が「命の恩人」として慕う人でもあった。 荻原氏は同時に石川氏を死刑台に送ろうとした首謀者たちを法廷に引きずり出して、その卑劣な仮面を引き剥がそうと目論み、様々な告発を行なった。 その中の一部に、浦和簡易裁判所宛に提出した、当時の埼玉県警本部長警視監・ 上田明氏を被告とする緊急証人喚問請求がある。 以下にその一部を紹介する。 尋問事項 一、被告は中田善枝さんの母、故ミツ(明治42・11・18生、昭和28・12・30死亡) の存命中の素行を熟知しているか。 二、母故ミツが中田栄作と昭和8・5・12、婚姻したが婚礼中の翌朝中田家の庭に 何が持って来て置いてあったか。
三、○○○○は男好きの奔放な女性で死亡まで肉体関係をしていたという色男が 十人位いたということを知っているか
四、母ミツは昭和28・12・30午前十時三十分に東京都北多摩郡小平町小川六六二〇 国立療養所精神科病院に於て「脳腫瘍」という一万人に一人位しかいないと いう珍しい病気にて昭和28・12・19に入院して昭和28・12・30午前十時三十分 に死亡しているが、この母故ミツの死因について村人たちは○人いたという○○ の中の誰かがやきもちをやいて毒を呑ました、中田家で死んだのでは世間体が まずいので、遠い所の病院へ運んで死なせたのだ、といっているのである。
原告が専門医の意見を徴たる処、国立武蔵野療養所は患者は全部精神病者にして、 外科医の治療を受けねばならぬ脳腫瘍患者が専門外の精神病院に収容されたこと 及び脳腫瘍という病気は発病してから三年位患ってから死亡するのが此の病気に なった患者の発病から死亡するまでの過程であるという。 中田家周辺の住民は母故ミツは病院に連れていかれるまで毎日丈夫で働いていたという ことからして、発病して三年経過しなければ死に至らぬという病気が僅か入院して 十日位で死亡していることは何か臭い、死亡診断書が臭いとの意見である。 五、被害者中田善枝は、昭和22・5・1生まれで、十六歳であったが、体格は一人前 の女に成長し、性格は死ぬまで○○○○をしていた○○が十人もいたという 多情多感、○○な母に似て中学一年位の頃から既に男性に積極的で○○○○を 持ち、母故ミツに劣らぬ○○が相当いたはずと村人はいっているのである。
中田善枝さんが強姦されて死んでいるのではなく、和姦の後、格闘乱闘、抵抗の跡 もなく、おとなしく殺されていたという殺害の状況よりして、村人たちは十人以上 居た善枝さんの○○の中の誰かが、合意に依る和姦の後、殺害したのに間違いない。 真犯人は善枝さんと事件以前から肉体関係を持っていた○○以上の色男の中 の誰かであるといっているのである。 故に善枝さんを見たことも聞いたこともない通りがかりの男が慾情にかられ て殺したのではないと異口同音に村人たちは話している。 六、被告は被害者善枝に○○関係をしていたという○人以上の○○の所在を突き止め、 以てそのアリバイを確認する捜査をしたか。
七、狭山市、入間川の菅原部落及び柏原の下宿部落には、環境の相違よりして中田善枝を 知っている男性は一人もいないのである。 この犯人のいない所謂部落に集中捜査攻撃が加えられたことは差別的偏見による 偏見捜査であったと断定せざるを得ない。
原告に多分の暇があれば詳細なるききこみを続行して十人以上いたという○○の所在を 突きとめ、真犯人を発見するのだが、毎日多忙の体でそれができず遺憾である。 http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/3.html 418 名前:417:02/11/17 16:43 中田家 父栄作 善枝の父、富豪、地域の有力者 母ミツ 神経性疾患で10年前に死別、近親憎悪の対象? 健治 長男、事実上の家長?、あいまいな証言 K 長女、近県の他家へ嫁ぐ、 登美恵 二女、自殺、真相を知る?、善枝の理解者 三女、夭折? 喜代治 二男、14年後自殺 善枝 四女、被害者、異父姉妹 武志 三男、堀兼小学校6年生 Y 登美恵の婚約者、健治と同級生 重要人物
石川一雄 事件犯人?、被差別部落民 奥富玄二 B型の血液、1週間後に自殺、中田家の元作男、土建会社と中田家の仲介人 石田養豚場 石田登利造 長男、アリバイ不明、3年後自殺、ひこつくしが得意 一義 弟、養豚場経営者、スコップを盗まれたと証言 事件証言者、協力者 増田秀雄 元PTA会長、村の有力人物、現金受け渡し時に協力 内田幸吉 怪しい人物が訪ねる、あいまいな証言 田中登 矢けん坂で不審な3人を目撃、10日後自殺 2ちゃんソース(ソースごとにスペースで区切ってあります) Q 40代、軍隊経験者、実行犯? X 30代 主犯?警察の動きを把握する、医学・薬学関係者 H 訓読みではA、事件直後取調べを受ける、その後行方不明 C 17歳、町の不良少年、取調べを受けるがシロ B A,Cの仲間、唯一車の免許を持つ、事件後行方不明 A 18歳、Cの親分格、怪しい背後関係、矢けん坂に自宅 O 中田栄作と対立する元区長、土建会社を経営 U 大物市会議員、Oと懇意にしている O2 Uの経営する店の従業員、暴力団関係者、アリバイ工作に協力 K 元浦和の部隊所属の軍人、石田Tと事件の協力する、S30〜S35増田の元で働く 内山(仮) 狭山市議員、水利工事を牛耳る 田中 内山(仮)の経営するバーに出入りする、善枝さん誘拐・監禁実行犯? 土建会社K 狭山市の水利工事を担当、内山(仮)議員が工事の都合をつける 奥富に対立する中田家との交渉を依頼 森(仮名) 戦後復員し、紡績業を営むが村の「講」を破り追放 善枝さんの実の父親?川越の周辺を渡り歩く。母親の秘密? 森の次男 中田家を恨む。石田登利造の仕事を手伝う。真犯人? 420 名前:417:02/11/17 17:01
前スレ898さんの伯父さんの話や448さんの話に登場した人達と、 重複している箇所があります。ズバリ、同一人物だと思われますか? K=Q=森?森の次男? 軍隊経験者 U=内山議員 O2=田中=田中登?? 内田の経営するバーに出入り 土建会社K=元区長Oの経営する会社 http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/3.html ___________________________________________________ 415 名前:入曽歴3年:02/11/17 15:40 自転車は何故納屋に収められていたのか、これは中田長兄がO,Gさんの指示でおそ らく菅原の祠あたりに置いておいた自転車を回収したと考えているそうです。 では長兄は犯人グループか? ということになります。ここからは少し長くなります。 当時農地への水利事業が狭山市主導で進められていました、各地の区長も計画に 参加し後は予算と計画の練り直しと考えられていました。それが農水省主導により 県が計画推進することに計画が大きく変更されました。
県は浦和市にある大手建設会社に工事を依頼します、そして大手は狭山市内の工事については入間川にあったKという土建会社に工事を依頼しました。 つまり丸投げをしたと考えられます。 その工事と予算をKに持ってきたのが内山(仮名)という市会議員であり工事の規模は当時の価格で六千万円ほどであったといわれています。 もともと地元の小さな土建会社が各地域で3分割ほど工事を分け合い施工 されるはずが特定の1社のみが工事を請け負う形となったわけです。 地元の、とりわけ責任のある区長らは反発しました。しかし時期が経つにつれ工事 は少しずつ計画に乗っていったと言われています、 しかし最後まで工事に反対していたのが中田栄作区長でありました。 それは計画の大きな変更もありますが自分の土地を通る水路の計画も最も気にいら ない点であったと考えられます。 416 名前:入曽歴3年:02/11/17 16:14 入間川のK社はしだいにあせり出したのかもしれません、あまりに反対が続くと県が地域民に考慮して計画を変更するかも知れないからです。 そうして内山議員に泣きついたのではないでしょうか。当然内山議員にしても自分のマージンが削られる事になるかもしれないので何かしら打つ手を考える必要があった事でしょう。 そして自分の息の掛かった会社の社員であったO,Gさんを交渉役として抜擢したのではと思われます。交渉役にされてからはO,Gさんは仕事よりもそちらを優先するように仕出したようです。 O,Gさんは当初栄作さんに直接考えを改めるよう交渉しだしたと思われますが時期が経つに連れ無理と判断し長兄にその矛先を替えたのではと考えられます。 長兄はある時期から父親には悟られぬように工事計画を飲んではどうだ、と家の中 で発言しだしたのではと予想されます、しかし父親の意見は最後まで変わらなかっ た。それどころか父親が自分とO,Gさんが密かに意見を交換している事に感ずいたらどうなるかと考え出したのではと思われます。 そして内山議員は中田家四女を内山議員の経営するバーに出入りする田中という 二枚目に接触させ拉致監禁しその間長兄に父親の考えを変更させようという計画を O,Gさんを通し伝えさせたのでは無いかと。 しかし田中なる人物は諸事情により当初から監禁にとどめる気はまったく無くむしろこれを機に中田家を落とし入れる考えがあったのではと。 737 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/11 20:37 長男は真犯人ではないが、真犯人(黒幕)が誰か判っていた上で、彼らとの「取引き」に応じたのなら、事後従犯とでもいうべきか。 その心情があの新聞手記にはよく表れているような気がする。 こう考えると二審で長男が突然健忘症になったのもうなずける。 次姉の婚約者も、彼女が自殺したとき中田家の秘密と事件の真相の一部を知らされたのだろう。 愛する婚約者の通夜にも葬式にも行っていないのだから、よほどのショックを 受けたのではないだろうか?(婚約者も二審では健忘症状態) 戸籍上は夫だったわけだから、当然彼が喪主だったはず(次姉の墓の姓は彼の苗字になっている)。 喪主が葬式にも出ないとは、普通考えられない。特に昔の農村ではなおさら。 「夫はあまりのショックで式には出られない」とでも説明したのだろうか? 837 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/30 21:13
電話脅迫を受けて、ガード下に自転車を貨物用自家用車で取りに行ったのは長兄。 したがって石川氏が7時半頃、その自転車に乗って脅迫状を差し入れに来たという 確定判決が、あり得ない話であることは誰よりも長兄がよく分かっている。 自転車を運んできて納屋の前に置いたのと、脅迫状を持ってきたのは、 他ならぬ自分自身なのだから。 http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/2.html 110 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/23 14:18 善枝さんは乱暴されたのではなく合意の上だったというのは多分間違いないと思う。それは善枝さんが激しく抵抗したあとがないことと、強姦時には必ず残る太もも内側の内出血がなかったことによる。 それに父親が証言しているように、善枝さんは男勝りのスポーツ・ウーマンで、 見知らぬ男のいいなりになって付いていくような性格ではないのと、トマトと白米(おにぎり?)の接待を受けて、それを食べていることをみても強姦などではないことが分かる。 ではB型の血液型は元作男というと、地元の人に聞いてみても二人が付き合っていたという事実がどうしても確認できない。 それどころか元作男は性的な悩みを抱えていて、結婚前にそれを苦にして自殺したのではないかと言う人もいるくらいだ。性格的にも気が弱くお人よしで、とても女子高校生と浮気するなど考えられない。ただ、お人よしの性格が災いして事件の共犯に仕立てられた可能性はあると思う(脅迫状を書いたことと新居の提供)が、真犯人ではないと思う。 事件の日、誕生日のお祝いを口実に善枝さんをデートに誘い、トマトなどを振舞って性交したのは、やはり彼女のボーイフレンドのひとりだったのではないかと思う。 http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/3.html ▲△▽▼
狭山事件の詳細は 日本の農村は怖い _ 狭山事件の背景 http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/340.html
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