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世界を戦乱で破壊してきたオルブライトが死亡
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2022.03.25 櫻井ジャーナル
ウクライナの戦乱は1990年代にアメリカ支配層が始めた破壊劇の一幕にすぎない。その破壊劇の幕を上げたマデリーン・オルブライトが3月23日に癌で死亡したという。
オルブライトはチェコスロバキアの生まれで、1948年に家族と一緒にアメリカへ移住、1957年にアメリカの市民権を得ている。彼女の父親、ジョセフ・コーベルはチェコスロバキアの元外交官。亡命が認められ、デンバー大学で教え始めた。その時の教え子の中にコンドリーサ・ライスがいる。
オルブライトはウェルズリー大学を卒業した後、1975年にコロンビア大学で博士号をとった。コロンビア大学で彼女に教えていたズビグネフ・ブレジンスキーは1977年にジミー・カーター大統領の国家安全保障補佐官に就任。オルブライトはブレジンスキーの下、国家安全保障会議で働き始める。
カーターが1980年の大統領選挙で敗れ、オルブライトはスミソニアン学術協会のウッドロー・ウィルソン国際センターへ移動、ジャーナリストとしてポーランドの「連帯」について書き始めた。ポーランドへも旅行し、レフ・ワレサにもインタビューしている。1982年にはジョージタウン大学で東ヨーロッパの研究を始めた。
カーターを破って大統領に就任したロナルド・レーガンは1982年6月にローマ教皇庁の都市間でヨハネ・パウロ2世とふたりで会談する。その主なテーマはポーランドや東ヨーロッパで、ソ連の解体を早める秘密キャンペーンを実行することで合意した。(Carl Bernstein, “The Holy Alliance,” TIME, Feb. 24, 1992)
ビル・クリントンが大統領になるとオルブライトは国連大使に就任、1997年には国務長官になった。その前年、経済制裁で死に至らしめられたイラクの子ども約50万人について意見を求められ、アメリカが目指す目的のためには仕方がないとオルブライトは言い放った。
1998年4月にアメリカ上院はNATO拡大を承認、その年の秋にオルブライトはユーゴスラビア空爆を支持すると表明、1999年3月にNATOはユーゴスラビアを先制攻撃した。その際、アメリカ/NATO軍はスロボダン・ミロシェヴィッチ大統領の自宅を破壊しただけでなく、中国大使館も爆撃している。
バラク・オバマ政権は2010年に「アラブの春」で目障りな体制を潰し始め、11年春にはリビアとシリアに手を付ける。その翌年の5月にシカゴでNATOのサミット会議が開かれた。
それと並行する形で人権擁護を掲げるアムネスティ・インターナショナルは「アフガン女性の権利に関する陰のサミット」を開催。その際、街頭に張られたアムネスティのポスターには、「NATO:前進し続けろ」と書かれていた。女性の権利という名目で住民の殺戮を容認している。
「陰のサミット」にはオルブライトがパネル・ディスカッションに呼ばれていた。オルブライトの師、ブレジンスキーはアフガニスタンで戦争を仕掛けた人物だ。アフガニスタンに対する攻撃で多くの人びとが殺されたが、言うまでもなく、その中には女性も含まれている。
ちなみに、オルブライトが親しくしていたロイス・フィットはブルッキングス研究所の研究員だった人物で、スーザン・ライスの母親。そうしたこともあり、1997年にオルブライトはライスを国務次官補に据えている。
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