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カザフスタンやウクライナでの情勢が影響したのか、トルコがロシアへ再接近か
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202202180000/
2022.02.18 櫻井ジャーナル
トルコのイェニ・シャファクはレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領に近い新聞で、イブラヒム・カラグル元編集長の論説は政権の雰囲気を反映していると言われている。
そのカラグルはイェニ・シャファクで2月8日、ウクライナ情勢について興味深い話を書いている。トルコの南、紅海からアフガニスタンに至るまで30年にわたって戦乱が続き、多くの人が殺されているが、それはアメリカとヨーロッパが利権を手に入れようとしたからだというのだ。
ウクライナ情勢もそうした構図で引き起こされ、危機は深刻化、西側は黒海へ入り込み、そこを支配しようとしているとしている。黒海が欧米に支配されたならトルコとロシアは戦争することになり、その結果、両国は疲弊するが、それこそが欧米の目的だとカラグルは主張している。複数のターゲットを争わせ、共倒れにしてから漁夫の利を得るという手法はイギリスをはじめとして欧米が得意とするところだ。
2011年3月にシリアへの侵略戦争を始めたのはアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟、イギリスとフランスのサイクス・ピコ協定コンビ、パイプライン建設を目指していたカタール、そしてトルコだった。エルドアンはオスマン帝国の復活を夢想していたとも言われている。当初、戦闘員の軍事訓練はトルコにあるアメリカ空軍のインシルリク基地で行われ、そこからシリアへ侵入している。
戦闘員の中心はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団。1970年代の初めにイギリス外務省のジェームズ・クレイグがムスリム同胞団を使った工作を働きかけていたいという。1993年から96年にかけてパキスタンの首相を務めたベナジル・ブットの特別補佐官だったナシルラー・ババールによると、アメリカは1973年からアフガニスタンの反体制派へ資金援助を開始。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)
その仕組みを利用してアフガニスタンでの秘密工作を本格化させた人物がズビグネフ・ブレジンスキー。1977年1月から81年1月にかけてジミー・カーター大統領の国家安全保障補佐官を務めていた。反体制派の選定はパキスタンの情報機関ISIのアドバイスに従った。そのほかイスラエルや王制時代のイランが協力している。その際、戦闘員のリクルートを行なっていたのがオサマ・ビン・ラディンだった。ブレジンスキーはジハード傭兵を使った工作でアフガニスタンを不安定化させ、ソ連軍を引き込み、「ベトナム戦争」を味合わせようと考えていた。
この工作でパキスタンは重要な役割を果たしているが、それを可能にしたのは1977年7月にベナジル・ブットの父親であるズルフィカル・アリ・ブットを中心とする政権を倒したクーデター。実権を握ったのは陸軍参謀長だったムハンマド・ジア・ウル・ハク。アメリカのノースカロライナ州にあるフォート・ブラグで訓練を受けた軍人で、ムスリム同胞団系の団体に所属していた。ズルフィカル・アリ・ブットは1979年4月に処刑された。(Thierry Meyssan, “Before Our Very Eyes,” Pregressivepress, 2019)
アメリカはリビアやシリアでも同じ手法を採用した。バラク・オバマがブレジンスキーの弟子だったということも影響したかもしれない。
しかし、シリアでの戦闘は長引く。そこでダーイッシュを売り出し、残虐さを演出、リビアの時のようにアメリカ/NATO軍が直接、軍事介入する道を作ろうとした。ウクライナでクーデターを成功させた翌年、つまり2015年に入ると、政府を好戦的な布陣に替える。2月に国防長官がチャック・ヘーゲルからアシュトン・カーターへ交代、9月には統合参謀本部議長がマーチン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへ交代したのだ。
デンプシーが退任した数日後、シリア政府の要請を受けたロシア政府が軍事介入、侵略勢力の手先になっていたジハード傭兵を敗走させはじめた。トルコ軍のF-16がロシア軍のSu-24を待ち伏せ攻撃で撃墜したのはその年の11月24日。脱出した乗組員のひとりを地上にいた部隊が殺害している。
こうした撃墜はアメリカの承認、あるいは命令なしに実行できなかったはず。撃墜の当日から翌日にかけてポール・セルバ米統合参謀本部副議長がトルコのアンカラを訪問していた。この攻撃でロシアを怖じけさせるつもりだったのかもしれないが、逆効果だった。ウラジミル・プーチン大統領の姿勢は強硬になる。
ロシアはトルコにとって重要な貿易の相手国だった。そのロシアとの関係を悪化させることになり戦争の長期化で疲弊していた経済はさらにダメージを受けることになった。戦争の早期決着も難しい情勢だ。
そうした中、2016年6月にトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は撃墜をロシア政府に謝罪、7月13日には同国の首相がシリアとの関係正常化を望んでいることを示唆する。軍事蜂起(クーデター未遂)があったのはその2日後だ。その後、トルコとアメリカとの関係は一気に悪化した。
エルドアン政権はフェトフッラー・ギュレンの一派がクーデターを試みたと主張、アメリカでCIAに保護されている同派の指導者、ギュレンを引き渡すようにアメリカ政府へ求めているが、拒否されてしまう。ギュレンはCIAの中央アジア工作で重要な役割を果たしていると言われている。
それだけでなく、トルコ政府はクーデター計画の背後にアメリカ中央軍のジョセフ・ボーテル司令官やジョン・キャンベルISAF司令官がいたとも主張している。アメリカ政府がギュレンのグループを使ってエルドアン政権を倒そうとしたというわけだ。
シリアではロシア軍の介入でジハード傭兵が敗走すると、アメリカはクルドと手を組んだが、クルドとトルコの関係は悪い。これもエルドアン政権がアメリカ離れを起こす一因だっただろう。
2016年11月頃、トルコはロシアに防空システムS-400の購入を打診、17年9月に購入契約が結ばれたと発表された。その後、アメリカから取り引きを止めるように脅されているが、トルコは無視してきた。
しかし、最近、トルコとアメリカとの関係が修復されているような動きも見られた。たとえば2021年4月10日にウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領はトルコを訪れてエルドアン大統領と会談、その直後にトルコの情報機関は「ジハード傭兵」を集め始めたという。
成功していればロシアや中国を揺さぶることになったであろうカザフスタンのクーデター未遂にトルコが関与した疑いもある。カザフスタンのアメリカ大使館は2021年12月16日、カザフスタンで反対政党がデモを呼びかけているという警告を出していた。
その後、ゼレンスキーとアメリカ政府との間に隙間風が吹き始め、カザフスタンでのクーデター計画は失敗した。カザフスタンではCSTO(集団安全保障条約)加盟国が迅速に動き、派遣された平和維持部隊が力を見せつけることになる。
シャファクの論説を読むと、エルドアンは再びロシアへの接近を図っているのかもしれない。
一方、ウクライナでアメリカは2014年のクーデター以来、ネオ・ナチを手先として使ってきた。その時に軍や治安機関から反クーデター派へ合流する人がいたこともあり、軍を信頼できないクーデター派は「親衛隊」を編成した。その中心になったのもネオ・ナチだ。
中でも有名な集団が「アゾフ大隊」。クーデターから3カ月後に組織されたが、創設資金を出したのは富豪のイゴール・コロモイスキー。ウクライナ、キプロス、イスラエルの三重国籍を持つシオニストだ。その後、アゾフはアメリカからも資金を受け取っている。歴史的に見て、シオリストとナチスの親和性が良くないとは言えない。
ウクライナでクーデターを実行したグループの主力がネオ・ナチだということは当初、西側の有力メディアも伝えていたが、それを認めてしまうと西側の支配層にとって都合が悪い。最近、有力メディアはこの話を口にしないようだが、FBIの特別捜査官は宣誓供述書の中でこの点を明確に指摘している。アゾフ大隊はネオ・ナチ思想と結びつき、ナチのシンボル主義を使っていると書いているのだが、これは事実だ。
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