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ウクライナでの工作に失敗した米国はシリアで新たな作戦を計画との噂
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202202170000/
2022.02.17 櫻井ジャーナル
ウクライナ政府を無視してアメリカやイギリスの政府や有力メディアは軍事的な緊張を高めていたが、アメリカ政府の思惑通りには進まず、事態は沈静化しつつあるようだ。
軍事的な緊張の高まりに合わせてロシアはウクライナとの国境近くに部隊を移動させ、クリミアを守るように約30隻の艦船を地中海から黒海へ入れたが、地上の一部部隊が基地へ戻り始めたという。
その一方、地中海へはバルチック艦隊や北方艦隊から艦船が入ったと伝えられている。地中海の東側にあるシリアではイスラエル軍機によるダマスカスへの攻撃が続いていたが、ロシア軍はそのシリアで軍事演習を実施するようだ。艦船が集結しているほか、2月15日にはTu-22M3戦略爆撃機とミグ31K戦闘機がシリアのフメイミム空軍基地に到着した。
シリアは2011年3月からアメリカを中心とする勢力の侵略を受けてきた。その手先はムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を中心とする戦闘員で、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(ISIS、ISIL、IS、イスラム国などとも表記)という形をとっている。
バラク・オバマ大統領が2010年8月にPSD-11を承認、「アラブの春」を始めたと言われているが、シリアに対する侵略戦争もその一環。ムスリム同胞団やサラフィ主義者を傭兵として使うという戦術はオバマの師にあたるズビグネフ・ブレジンスキーが1970年代に始めたものだ。シリアもリビアも「内戦」ではなかった。
「アル・カイダ」の象徴的な存在だったオサマ・ビン・ラディンをアメリカ海軍の特殊部隊「NSWDG(通称DEVGRU、またはSEALチーム6)」に殺されたとされているのは2011年5月。リビアでの作戦が開始されてから3カ月後のことだ。死体は空母カールビンソンから海に葬られたとされているので、誰も死体を確認できない。これによって「アル・カイダ」の象徴は消えた。
2014年に自分がオサマ・ビン・ラディンを射殺したと主張する人物が現れた。ロブ・オニールと名乗るその人物はチーム6の元メンバーだというが、ビン・ラディン殺害の3カ月後、チーム6のメンバー20名がアフガニスタンで死亡したとAPが伝えている。
オサマ・ビン・ラディンを有名にしたのは2001年9月11日の出来事。ニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃されたのだが、詳しい調査をする前にジョージ・W・ブッシュ大統領は「アル・カイダ」の犯行だと断定、その象徴としてオサマ・ビン・ラディンが「テロの象徴」として使われるようになった。
そのオサマ・ビン・ラディンは2001年当時、肉体的に戦闘を指揮できる状態ではなかった。フランスのル・フィガロ紙によると、2001年7月4日から14日にかけて彼はドバイのアメリカン病院に入院している。彼は腎臓病を患い、人工透析を必要としていたというのだ。
ドバイの病院でビン・ラディンを治療していたのはアメリカ人医師のテリー・キャラウェイで、入院中にサウジアラビアのトゥルキ・アル・ファイサル総合情報庁長官やCIAエージェントのラリー・ミッチェルが見舞っている。
CBSニュースは2002年1月28日、パキスタンの情報機関(ISI)の情報として、ビン・ラディンは2001年9月10日にパキスタンのラワルピンディにある軍の病院へ入院、透析を受けたとする情報があると伝えている。
そして、ジャーナリストのティエリー・メッソンによると、オサマ・ビン・ラディンは2001年12月15日に死亡、アフガニスタンで行われた葬儀にはイギリスの情報機関MI6の代表が参列したという。
何が事実なのかは不明だが、それはともかく、リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制は2011年10月に倒される。その際に地上部隊の主力がアル・カイダ系だということが判明した。空からNATOが攻撃、アル・カイダ系武装集団を支援したといことだ。情報機関はカダフィの動きを追跡、地上部隊へ知らせていたという。
カダフィ体制が崩壊した後、アル・カイダ系武装集団の戦闘員と武器/兵器をアメリカ政府はシリアへ移動させるが、その拠点はベンガジのアメリカ領事館。その領事館が2012年9月11日に襲撃され、クリストファー・スティーブンス大使が殺されている。
シリアへ運ばれた戦闘員や武器/兵器は反政府軍へ流れる。その事実を否定できないオバマ大統領は「穏健派」への支援だと強弁するが、それが事実に反することを明らかにする報告書をアメリカ軍の情報機関DIAが2018年8月にホワイトハウスへ提出している。
その報告書の中で、オバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになると警告しているが、その警告は2014年にダーイッシュという形で現実になった。シリアで政府軍と戦っているアル・ヌスラはアル・カイダ系武装集団のAQI(イラクのアル・カイダ)と同じだともしている。
その構図が2015年9月末に崩れる。ロシア政府がシリア政府の要請で軍事介入、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュの支配地域は急速に縮小していく。介入の背景にはオバマ大統領の動きがあった。2月に国防長官がチャック・ヘーゲルからアシュトン・カーターへ、9月には統合参謀本部議長がマーチン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへ交代しているのだ。戦争に慎重な人物から好戦的な人物へ入れ替えたのである。
デンプシーは2015年9月25日に議長から退くが、その5日後にロシア軍がシリア政府の要請で軍事介入した。その後、ロシア軍は兵器と戦闘能力の優秀さを世界へ見せつけることになる。
ジハード傭兵の敗走を受け、アメリカはクルドを新たな手先にするのだが、それが一因になってクルドを敵視しているトルコが離反する。戦争の長期化で経済が悪化したことも大きな理由だ。
その後、ジハード傭兵の幹部はアメリカの軍や情報機関が救出、アフガニスタンなどへ運んだとされている。そのアフガニスタンからアメリカ軍が撤退することになると、戦闘員は中央アジアへ移動したとも言われていた。一部は新疆ウイグル自治区へ入った可能性がある。
中央アジアはロシアと中国に接し、新疆ウイグル自治区と同じように中国が進める「一帯一路」が通過する。戦略上、重要な場所にあると言えるだろう。
国防総省系のシンクタンク「RAND研究所」が2019年に出した報告書には、ウクライナの武装強化、シリアのジハード傭兵への支援強化、ベラルーシの体制転覆、アルメニアとアゼルバイジャン(南カフカス)の緊張を煽るといったことなどが書かれている。
実際、アメリカはウクライナのネオ・ナチなどの武装勢力に武器/兵器を提供、軍事訓練を行なってきた。ジハード傭兵がシリアから撤退する際、「スリーパー」を残したようで、今後、破壊活動を始める可能性が高い。ベラルーシの体制転覆工作や南カフカスでの緊張はあった。
カザフスタンでのクーデターが成功したり、ウクライナでアメリカに逆らい始めたボロディミル・ゼレンスキー大統領を排除できたならウクライナ情勢は変わったかもしれないが、そうした展開にはならなかった。今後、ジョー・バイデン政権はシリアに対する攻撃を強める可能性がある。それを見越してロシアは動いているようだ。
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