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カザフスタン反乱失敗の謎
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2022年1月13日 マスコミに載らない海外記事
2022年1月8日
Moon of Alabama
カザフスタン反乱の背後に正確にどんな勢力がいたのか、まだ謎だ。私はCIA作戦だったと推測していたが、イギリスMI6に外注されたのかもしれない。他の可能性もある。
これまで数日にわたって見られた行動は、典型的にアメリカに扇動されたカラー革命の雰囲気があった。警察を攻撃し、建物に放火し、武器庫を襲撃したギャングは訓練されて大変元気に思われた。彼らは集団で動き、明らかに誰かの指令下にいた。一部の銃撃は、かなり長距離で警官に打撃を与えたので、彼らの一部は訓練された狙撃兵だったように思われた。殺された警官の3人が斬首されており、一部のジハード戦士を示唆している。一部は外国人だったと言われ、勢力全体の規模は極めて多く20,000人と推計された。これが、これらの連中は、エルドアン大統領が彼の外交政策目的のため、シリアのジハード戦士を使って、トルコから来たのだという一部の人々の推測を招いた。だが、カザフスタンでそんなことをして、一体誰の利益になるのだろうか?
トルコはもちろんNATO加盟国なので、最後にはNATOに言われたことをするだろう。「NATOはロシア国境から離れろ、さもないと」というロシア最後通牒は、ワシントンDCにとって、ロシアの南国境で問題を作り出す十分な理由かもしれない。アメリカがアフガニスタンから逃げた際、中央アジアで新基地を得ようとしたが、その区域の全政府に拒否された。カザフスタンでの政権交代は、アメリカ前哨基地を認める人物を頂点に置くかもしれない。だが、その人物は一体誰がなり得るのだろう?
カシムジョマルト・トカエフ大統領は、ヌルスルタン・ナザルバエフが世論の圧力の下長期支配者の座を去った後、2019年に就任した。だが、ナザルバエフは、ごく最近まで実際支配を続けていた。彼は「初代大統領」というを肩書きを得て、国家安全保障会議(KNB)議長になった。首都アスタナは、彼の名にちなみ、ヌルサルタンと改名された。
国家安全保障会議の日々の実務を運営していたのはナザルバエフに忠誠心のあつい支持者で、ジョー&ハンター・バイデンの事業上の友人カリム・マシモフだった。最初に暴徒が強暴になった際、保安部隊が本当に戦っていないように思われた。カザフスタン最大の都市アルマトイの空港を警備する部隊は、約50人の反政府派ギャングが空港を占拠する少し前に、去るように言われたとされている。
カシムジョマルト・トカエフ大統領は今国家安全保障委員会の指導者の座を得た。ナザルバエフは退陣した。金曜日、彼と家族はカザフスタンを去ったと報じられたが、彼の私設秘書が、12月末以来、公衆の前で見られなかったナザルバエフは、まだアスタナ/ヌルサルタンにいると宣言した。
カリム・マシモフも退陣させられ、逮捕され、反逆罪で告訴されている。
反逆罪の告訴は国家安全保障委員会議長がトカエフを打倒し、権力を掌握する試みに関係していた可能性を示唆している。
1月7日、有名な解説者で元政府高官が国営テレビに出演し、カザフスタンが結局「クーデター未遂」に至った「武装反乱」の標的にさだめられたという情報を受け取っていたと発言して、その理論は半公式の是認を受けたように思われる。
ナザルバエフの昔の顧問イェルムハメット・イェルトゥィスバーエフは一般に「大統領のナイチンゲール」というあだ名で知られ、広く理解されていた通り、ナザルバエフが、もっともらしい反証を維持しながら公に知って欲しいと望む考えを彼は表現していた。
彼の理論の証拠として、イェルトゥィスバーエフは、抗議行動参加者が1月5日に占拠する、わずか40分前、アルマトイで空港周辺の非常線を撤去するよう命令が与えられたという情報を得ていたとハバール・テレビに述べた。それは、おそらく権力の頂点による認可を得た場合のみ可能だったろう。
トカエフは、国家安全保障委員会のマシモフを、これまで大統領の安全を保証する任務の国家元首保護サービス長官だったイェルメク・サギンバーエフで置き換えた。彼はトカエフの子分だ。
政府メディアは首都名ヌルサルタンを使うのを止め、今は単に「首都」と呼んでいる。
もしこれが内部クーデターだったら、ナザルバエフ一族と支持者を排除するトカエフによるものだったのか、それともナザルバエフがトカエフに対してクーデター試みたのだろうか?
もう一つの謎が、アルマトイ反乱の指導者だったように思われる若いマフィア・ボスのよう人物ワイルド・アルマン(アルマン・ジュマゲリジエフ)の逮捕だ。ワイルド・アルマンはソーシャルメディアで人気が高く、慈善団体を運営し、金融ネズミ講を経営している。非常に多彩な男だ。
このゲームには、似たような多彩な外部の人物がいる。
ムフタール・アブリャゾフは原子物理学を学んだが、ソビエト社会主義共和国連邦が崩壊した後、ワイルド・イーストの資本家になった。当時のナザルバエフ大統領に民有化された際、彼はBTA銀行の株を取得した。彼は銀行を自分のために約50億ドル稼ぐために使い、2009年に、ナザルバエフとの多少問題を起こした後、国から逃げた。BTA銀行は最終的に、約100億ドルの債務不履行倒産したが、最大債権者の一人がイギリスの納税者によって救済されたロイヤルバンク・オブ・スコットランドだった。
旧ソ連の多くのいかがわしい億万長者同様、アブリャゾフはロンドンに定住し、政治亡命が認められた。ナザルバエフに対する資料を入手し、自身を監獄行きから守るため、彼はCIA、MI6とイスラエル秘密諜報機関を背景に持つ、いくつかの企業を雇った。彼の逮捕命令は、ウクライナとロシアとカザフスタンで出されていた。彼に対する、いくつかの裁判がロンドンで開始された。あるイギリス法廷で、宣誓した上で彼が住んでいた2000万ドルの家の所有権について恥知らずにウソをついた後、裁判官が22カ月間の禁固刑判決を下した。だがアブリャゾフは決してイギリス刑務所には入らず、消え失せた。
彼は後にローマに、そして次にフランスに現れ、常に彼に対する裁判と逮捕通知が続いた。彼は自身を守るため常にいくつかのPR会社と弁護士を雇っていた。イギリスの裁判官が、最終的に彼のロシア引き渡しを止め、「西欧」とロシアの関係が破壊し、彼は最終的にフランス滞在を許された。
(全部の遙かに長い物語は、2017年の無料で読める「ファイナンシャル・タイムズ」週末記事で語られている。)
アブリャゾフはチャタム・ハウスが最近イギリスの盗賊政治問題と呼んだものの典型例だ。
金融、専門サービスの中心としてのロンドンの成長は、1990年代、ソビエト社会主義共和国連邦の崩壊とソ連後の泥棒政治の勃興と同時に起きた。これらの国々と、そのエリートは以来イギリスに本拠があるサービス会社とイギリス資産投資家の主要顧客になった。
・・・。
資金不正浄化と、ソ連後の承継国のエリートの評判の大規模研究に基づいて、この論文は、重要な国内機関の品位に悪影響を及ぼし、法による統治を弱めた多国籍盗賊政治汚職の危険を査定するのにイギリスがどれほど準備が足りないか詳述している。イギリス政府が世界中の泥棒政治家連中に対し敵対的な環境を作ることに焦点を合わせ、この問題への新しい手法を採用するよう要求して結んでいる。
過去数年、アブリャゾフはカザフスタンにおける、いくつかの政権転覆の試みのかどで非難された。彼はカザフスタンで政党を設立し、資金を供給したが即座に禁止された。
二日前、ロイターは、カザフスタンの「野党リーダー」として突然彼を見出しにして、この男の粉飾を始めた。
欧米は、カザフスタンをモスクワの勢力圏から引き離さなければならない、さもないと、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が、この中央アジアの国を「ソ連のような構造」に引き込むだろう、と今カザフ野党指導者である元大臣がロイターに述べた。
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「カザフスタンの民主的選択」と呼ばれる反政府運動指導者である元銀行家で元エネルギー大臣のムフタール・アブリャゾフは欧米は争いに加わる必要があると述べた。
「そうしなければ、カザフスタンはベラルーシに変わり(ロシア大統領ウラジーミル)プーチンが整然と彼の計画−ソ連のような構造の再構築−を押しつけるだろう」アブリャゾフはパリからロイターにロシア語で語った。「欧米はロシアからカザフスタンを引き離すべきだ。」
「ロシアは既に入り、部隊を送り込んだ。CSTOはロシアだ。これはロシアによる占領だ」と彼は言った。
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抗議行動がエスカレートしたら暫定政府を率いるためカザフスタンに行く用意があったと彼は述べた。
「私は単に帰国するだけではない。人々は私がいつ戻るか問い続けており、抗議行動を率いるために戻らないことで私を非難している。しかし私にとって、ロシアでは15年の刑、カザフスタンでは終身刑判決なので戻ることがどれほど困難か人々は理解していない」と彼は述べた。
欧米が抗議資金を供給したという示唆を、抗議の根源が国内である事実から注意をそらす試みだとアブリャゾフは切り捨てた。
「欧米スパイというソ連の常とう句を私は知っているが、それなら我々はアメリカやヨーロッパの人々のように暮らせるだろうから、私はアメリカやヨーロッパのスパイであることを嬉しく思う−皆笑うだろう」と彼は述べた。「悲しいことに欧米は私を支援しない。欧米は私の邪魔をする。」
やれやれ「公式に否認されるまでは、政治の何も決して信じるな。」
12月16日、アブリャゾフの党が計画したデモの詳細を発表したのは、在カザフスタンアメリカ大使館だった。
アブリャゾフはカザフスタンに対する「欧米」制裁を要求して現在キエフにいるとされている。
アブリャゾフは、彼が盗んだ全ての金で、カザフスタンの最近のカラー革命資金供給をした可能性が高い。「元」工作員の一部がアブリャゾフのために働いたイギリス秘密情報機関MI6が関与していた可能性がある。ウラジーミル・オディンツォフは、ロンドンからトルコ経由で、アルマトイまでの繋がりを指摘している。
2020年6月、前トルコ大使リチャード・ムーアをイギリス秘密情報部MI6長官に任命したのは、中央アジアという舞台におけるイギリスの立場を強化する動きだった。彼は信念が固いロシア嫌いなだけでなく、大ツラの熱烈な擁護者でもある。つまり、中央アジア、コーカサスや、ボルガ地域、ウラル山脈と北コーカサスのロシア連邦共和国さえ含め、チュルク語を話す人々を結び付ける国を作る汎テュルク主義という野心の実現だ。リチャード・ムーアは長い間、このプロジェクトを推進している。この地域におけるロンドンの計画の鍵は、エルドアン、トルコ共和国のエルドアン大統領の支持を獲得することで、MI6現長官は、2014年-2018年、トルコ大使だった間、この目的を実現しようと努力した。この目的で、ムーアはトルコ大統領が政治、軍事代表と会うイギリスへの再三の訪問を企画した。公式声明で常にトルコのためのエルドアン路線を支持した。彼の政党を支持した。
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ムーアがかじをとり、イギリス諜報機関は、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタンとウズベキスタンでの活動を目立って強化した。汎テュルク主義組織はイスラム至上主義者集団を手懐け、この地域でモスクワと北京の影響を無力化するため強化した。このグレート・ゲームでトルコの役割はイギリス権益の為、一種の攻城槌役を務めることだ。
カザフスタンの「穏やかな抗議行動参加者」の一人は最近までトルコで暮らした人物と特定された。彼は写真でトルコ・ファシスト「ハイイロオオカミ」の合図をしている。
MI6がアブリャゾフに協力し、ロイターが彼を「野党リーダー」として描くのは、つじつまが合っている。トルコの関与は、暴徒とジハード分子訓練の可能性が高い。アスタナの国家保安委員会前議長のカリム・マシモフは彼らに手を貸すため賄賂をもらったか、バイデンとのコネで譲歩させられたのかもしれない。どこからのものかにかかわらず、犯罪者ワイルド・アルマンは金のために働いたのだろう。
それでも、依然いくつか未解決の問題が残る。
一体どうして何が起きるだろうとロシアは知っていたのか?トカエフが防衛協定の支援を求めて、わずか13時間後、ロシアCSTO軍は既に飛行中だった。良く訓練された緊急対応部隊でさえ荷物をまとめ、空港に到着し、出発するのに、もっと時間がかかるだろう。ベラルーシ、アルメニアとタジキスタンのCSTO軍隊も非常に速かった。誰かが彼らに警告したに違いない。
ちなみに、CSTO部隊は街頭では活動しておらず、基地、空港と庁舎を警備している。彼らは暴徒と戦えるようカザフ軍を解放しているのだ。今朝アルマトイで銃撃は依然聞こえた。作戦は続いている。
この問題全体の予想される結果は何だったのだろう?いくつかの庁舎を全焼させるたり、警官を殺害したりするのは、クーデターに十分ではない。国家首脳を攻撃する必要があるが、そういう試みは知られていない。
今のところ、トカエフの勝利が確実に見える。カザフスタンで資源を採掘することで、何社か「欧米」大企業が大いに儲けているので「欧米」制裁はないだろう。制裁する報復として彼らが撤退すれば、ロシアと中国にとって大勝利になってしまうはずだ。
この全て実に予測可能な結果だった。だが、それなら一体なぜこの作戦を始動したのだろう?
私にとって意味をなす唯一の答えは、「西方」の脅威からロシアの注意を逸らす試みだったということだ。そして、それは失敗した。
記事原文のurl:https://www.moonofalabama.org/2022/01/mysteries-of-the-failed-rebellion-in-kazakhstan.html#more
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