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予想された通り米国と露国の高官会談は合意に至らず、軍事的な緊張が高まる
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202201120000/
2022.01.12 櫻井ジャーナル
ジュネーブで1月10日にアメリカとロシアの政府高官がウクライナ情勢について話し合った。アメリカはウェンディ・シャーマン国務副長官、ロシアはセルゲイ・リャブコフ外務次官を中心とするチームによるものだが、具体的な進展はなかったようだ。
もっとも、この会談は始まる前から失敗に終わると言われていた。ロシアはアメリカ/NATOが自国の安全を脅かさないことを保証する文書を作成するように求めているのに対し、アメリカ/NATOは自分たちのすることに文句を言うなという姿勢だからだ。ロシア政府は自分たちの安全が脅かされる事態になれば軍事力を行使することもありえるとしている。ロシアの場合、アメリカと違って口先だけではない。日本もこの流れの中に飛び込んだわけだ。
会議が開かれる3日前、アメリカのアントニー・ブリンケン国務長官がNATOのイェンス・ストルテンベルグ事務局長はロシア政府の要求を拒否、ウクライナのNATO加盟に文句を言うなとする姿勢を示したのである。EUの外務安全保障政策上級代表を務めるジョセップ・ボレルも自分たちの行うことにロシアは口をはさむなと発言している。会議を受け、ストルテンベルグはウクライナをめぐり、NATOはロシアとの軍事衝突に備えなけらばならないと発言した。
1991年12月にソ連が消滅した後、NATOは東へ拡大し続けてきた。この軍事同盟はソ連の軍事侵攻に備えるという名目で組織されたが、ソ連が消滅してから支配領域を広がり始めたことになる。
そうした支配領域の拡大はソ連が消滅する前年に始まった。東西ドイツが統一されたのだ。その際、アメリカ政府はソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフに対し、NATOを東へ拡大させないと約束していたとロシア駐在アメリカ大使だったジャック・マトロックが語っているが、アメリカ政府の約束を信じたソ連が悪い。
ドイツの外相だったハンス-ディートリヒ・ゲンシャーは1990年にエドゥアルド・シェワルナゼと会った際、「NATOは東へ拡大しない」と確約し、シェワルナゼはゲンシャーの話を全て信じると応じたという。シェワルナゼが外交の素人だということを明確に示している。(“NATO’s Eastward Expansion,” Spiegel, November 26, 2009)
それだけでなく、アメリカのジェームズ・ベイカー国務長官がソ連側に対し、統一後もドイツはNATOにとどまるものの、NATO軍の支配地域は1インチたりとも東へ拡大させないと1990年に語ったとする記録が公開されている。
イギリスやフランスもNATOを東へ拡大させないと保証したが、言うまでもなく、こうした約束を守らなかった。1インチどころか1000キロメートル近く東へ拡大、ロシアとの国境は目前に迫っている。そして2014年のウクライナにおけるクーデターだ。このクーデターを仕掛けたのがアメリカ政府であり、その手先がネオ・ナチだということは本ブログでも繰り返し書いてきた。
ロシアがウクライナ情勢に神経を使っている理由は過去から学んでいるからである。ナチスに支配されたドイツは1941年6月にソ連へ向かって軍事侵攻を開始した。「バルバロッサ作戦」だ。現在、そのスタートラインと同じ場所にアメリカ/NATOは迫っている。
この作戦でレニングラード、モスクワ、スターリングラードなどへドイツ軍は肉薄。最終的にはソ連が勝利したが、戦争で2000万人以上のソ連国民が殺され、工業地帯の3分の2を含む全国土の3分の1が破壊されている。ドイツはレニングラードを攻撃した際に兵糧攻めを実施、多くの餓死者を出したが、そのひとりがプーチンの兄だ。第2次世界大戦後、ソ連はドイツとの戦争で受けたダメージから立ち直ることは結局、できなかった。
アドルフ・ヒトラーが「ミュンヘン一揆」を試みる前年、中央ヨーロッパの統一を目的とするPEU(汎ヨーロッパ連合)が創設された。その中心グループにはオーストリア・ハンガリー帝国のオットー・フォン・ハプスブルクやリヒャルト・フォン・クーデンホーフ-カレルギー、またイタリアのバレリオ・ボルゲーゼ、イギリスのウィンストン・チャーチルがいた。
このプランは「ポーランド・リトアニア連邦」の復活を夢見るポーランド人一派の思いとも一致していた。ポーランドやウクライナの西部はカトリック圏であり、ポーランドでは1925年に「プロメテウス同盟」という地下組織も編成されている。
ローマ教皇庁の内部には、大戦の前からバルト海からエーゲ海までの中央ヨーロッパをカトリックで統一しようという勢力が存在した。「インターマリウム」だ。その組織はイギリスやフランスの情報機関から支援を受け、国家間の勢力争いと深く結びつくことになる。
ソ連/ロシアの西側に支配地を建設するという計画はイギリスが19世紀から持っている。海軍力を使ってユーラシア大陸の周辺部を支配、内陸部を締め上げるという長期戦略だが、その戦略の中に含まれているのだ。
この長期戦略をまとめたのが地政学の父とも言われるハルフォード・マッキンダー。ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もその戦略に基づいている。大陸を締め上げる「三日月帯」の西端がイギリス、東端が日本であり、中東でイギリスは帯の上にサウジアラビアとイスラエルを作り上げた。
大戦の終盤からアメリカの情報機関OSSの幹部で、ウォール街の大物弁護士でもあるアレン・ダレスをはじめとするグループはナチスの高官や協力者を保護、南アメリカへの逃亡を助け、後に雇っている。このプロジェクトにローマ教皇庁も強力していた。
日本が降伏する前からイギリスのチャーチル首相はソ連を奇襲攻撃する計画を立てていたが、アメリカにもソ連に対する核攻撃プランが作成されている。1954年にSAC(戦略空軍総司令部)は600発から700発の核爆弾をソ連に投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという作戦を作成、さらに300発の核爆弾をソ連の100都市で使うという「ドロップショット作戦」も計画している。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)
テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、統合参謀本部のライマン・レムニッツァー議長やSACの司令官だったカーティス・ルメイなど好戦派は1963年の後半にソ連を奇襲攻撃る予定だったという。その頃になればアメリカはICBMを配備でき、しかもソ連は配備が間に合わないと見ていた。この攻撃を成功させるためにもアメリカ軍はキューバを制圧する必要があったのだ。キューバからなら中距離ミサイルでアメリカに反撃できる。これが「キューバ危機」の背景だ。
この先制核攻撃計画を阻止したジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺された。その責任をキューバやソ連になすりつけて戦争を始めようとする動きもCIA内に存在したが、これはFBIからリンドン・ジョンソン新大統領へ伝えられた情報で実行されなかった。
ロナルド・レーガン政権はソ連に対する軍事的な圧力をかけたが、それに歩調を合わせて中曽根康弘首相は1983年1月にアメリカで日本列島を「巨大空母」とワシントン・ポスト紙のインタビューで表現した。続けて、「日本列島をソ連の爆撃機の侵入を防ぐ巨大な防衛のとりでを備えた不沈空母とすべき」であり、「日本列島にある4つの海峡を全面的かつ完全に支配する」とし、「これによってソ連の潜水艦および海軍艦艇に海峡を通過させない」と語る。
それから間もない1983年4月から5月にかけてアメリカ海軍は千島列島エトロフ島の沖で大艦隊演習「フリーテックス83」を実施、3空母を集結させた。エンタープライズ、ミッドウェー、コーラルシーを中心とする機動部隊群が集まって挑発手金が軍事演習を実行したのだ。この重大な出来事を日本のマスコミはほとんど報じなかった。
そして1983年8月31日から9月1日にかけて大韓航空007便がソ連の領空を侵犯するという事件が引き起こされる。この旅客機はアンカレッジを離陸して間もなく航路を逸脱、NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)が設定したアラスカの「緩衝空域」と「飛行禁止空域」を横切ってソ連軍の重要基地の上を飛行、ソ連側の警告を無視して飛び続けた末にサハリン沖で撃墜されたとされている。航路を逸脱してソ連へ向かう旅客機にNORADは何も警告していない。その後、レーガン政権は戦術弾道ミサイルのパーシングIIを西ドイツへ配備する。
007便の事件を利用してアメリカ政府は大々的な反ソ連キャンペーンを展開、その年の11月にはNATO軍が軍事演習「エイブル・アーチャー83」を計画、核攻撃のシミュレーションも行われることになっていた。1981年の段階で西側からの全面攻撃を想定していたソ連のKGBはこれを「偽装演習」だと疑い、全面核戦争を仕掛けてくるのではないかと警戒、その準備を始めている。
この時は勿論、キューバ危機の時より現在の状況は危険だとも言われている。そした中、アメリカ政府は「脅して屈服させる」というやり口を維持しているが、ロシア政府は行動で答える姿勢。バルバロッサの二の舞は御免だということだろう。
しかし、イギリスもアメリカもマッキンダーの戦略を維持している。中国、そしてロシアを制圧し、アングロ・サクソンのエリートが世界の覇者になるという夢を捨てていない。その基盤を作り上げたのがNMロスチャイルド&サンを資金的な後ろ盾にしていたセシル・ローズ。南部アフリカを侵略し、金やダイヤモンドで巨万の富を手に入れた人物だ。
ローズは1877年に「信仰告白」を書いたが、その中でアングロ・サクソンを世界で最も高貴な人種だと表現、その人種が支配地域を広げることは義務だとしていた。優生学と深く結びついた考え方で、トーマス・マルサスの人口論とも親和性は強く、社会ダーウィン主義を提唱したハーバート・スペンサーにつながる。
このスペンサーのほか、チャールズ・ダーウィンの親友だったジョセフ・フッカー、ダーウィンのいとこであるジョン・ラボックを含む「Xクラブ」をトーマス・ハクスリーは1864年に創設した。『すばらしい新世界』を書いたオルダス・ハクスリーはトーマスの孫だ。その小説にはオルダスの祖父たちが描いていた世界観が反映されていると言えるだろう。
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