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(2007年9月9日ミクシイ日記を2021年9月1日(水)加筆編集)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=556499383&owner_id=6445842&org_id=556481458
大韓航空機撃墜事件(1983年)には、幾つもの謎が有ります。
謎が多過ぎると言って良いのですが、それら多くの謎の中で、私がこだわり続けて居る二つの謎を指摘しておきます。
その一つは、事件当初に報道された「大韓航空機がソ連に よってサハリンに強制着陸させられた」と言ふ報道です。
私は、この最初の報道をNHKのニュースで聴いた事を 鮮烈に覚えて居ます。すぐに、「撃墜」に変はったのです が、第一報は、「強制着陸」だったのです。CIA筋の 情報、とテレビが言って居た様にも記憶して居ます。 この第一報は、一体、何だったのだろう?と今も思ひ続け て居ます。
もう一つの「謎」は、殆ど誰も「謎」と思って居ない事 ですが、航空評論家の青木日出男氏(故人)が、その 著書『空から見た地政学』の中で指摘しておられた或る 事実です。
それは、事件当時、あれだけ激しくやり合ったアメリカと ソ連が、大韓航空機の航路についてだけは、見事に一致 した発表をして居たと言ふ事実です。
この二番目の問題に注目して居る人を、私は、青木氏以外 に知らないのですが、もしかすると、大韓航空機は、米ソ 両国が発表した航路とは違ふ航路を飛んで居たのではない か?と、今も考え続けて居ます。
「強制着陸」の報道と共に、青木氏のこの指摘が、気に 成ってなりません。
2007年9月7日
2021年9月1日(水)加筆編集
西岡昌紀(内科医)
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(出典)
シュルツの談話と、タス通信の声明と、内容はまったく対立するものだが、そのなかで一項だけまるで同文といえる個所がある。それは、問題の大韓航空機の飛行コースについてだ。「カムチャッカ半島、オホーツク海上空、サハリン上空」という経路が、まったく同文(タス通信も英語が公式文だ)といえるほどのものだった。
そしてシュルツ談話にはソ連のレーダーが、いつから大韓航空機を追跡しはじめたかの、時間までが入っている。それはアメリカ側が、早くから同機のコース逸脱を知っていたとの、根拠を与えるものだった。
カムチャッカ半島を横切ったのなら、KE007便は正規のコースを飛んでいて、途中からソ連領に迷い込んだのではなく、ずっと早い時期からコース逸脱をしていたか。意識的にソ連領空に入り込んだかということになる。このコースの問題は9月9日のオガルコフ総参謀長の会見でも説明され、これで確定してしまった。
(青木日出雄(著)「空から見た地政学/大韓航空機撃墜事件の盲点』(太陽企画出版・1987年)88〜89ページ)
https://www.amazon.co.jp/%E7%A9%BA%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%BF%E3%81%9F%E5%9C%B0%E6%94%BF%E5%AD%A6%E2%80%95%E5%A4%A7%E9%9F%93%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%E6%92%83%E5%A2%9C%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AE%E7%9B%B2%E7%82%B9-EYE-OPENER-%E9%9D%92%E6%9C%A8-%E6%97%A5%E5%87%BA%E9%9B%84/dp/4884661117/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=%E9%9D%92%E6%9C%A8%E6%97%A5%E5%87%BA%E9%9B%84&qid=1598478886&sr=8-1
青木日出雄(あおきひでお) 昭和2年生まれ。北海道出身。陸軍航空士官学校代9期生。戦後、札幌文化専門学院、札幌短期大学卒。6級職国家公務員。電気通信省、日本電信電話公社を経て昭和31年、航空自衛隊入隊。昭和41年に『航空情報』編集部へ。昭和49年から『航空ジャーナル』主筆。著書多数。(本書カバーの著者略歴全文)
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