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好戦的なネオコンのヌランドがバイデン政権で国務長官に就任した重い意味
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202105040000/
2021.05.04 櫻井ジャーナル
アメリカのジョー・バイデン政権の好戦性を象徴するような出来事が4月の後半にあった。4月13日にはウェンディー・シャーマンの国務副長官就任が、4月29日にビクトリア・ヌランドの国務次官就任がそれぞれ承認されたのだ。
2009年1月にアメリカ大統領となったバラク・オバマ政権は翌年の8月に中東や北アフリカへの侵略をムスリム同胞団を主力とする武装勢力によって行うことを決め、PSD-11を出した。そして始まったのが「アラブの春」。戦闘集団が集中したと言えるのは2011年春に始まったリビアとシリアでの戦いだろう。
しかし、ムスリム同胞団やサラフィ主義者を主力とする戦闘集団を使う方針はジョージ・W・ブッシュ政権が2007年初めに決めている。同政権は2003年3月にイラクをアメリカ主導軍で先制攻撃、サダム・フセイン体制を倒したが、親イスラエル体制を築くことに失敗、方針を切り替えたのだ。
シーモア・ハーシュが2007年3月にニューヨーカー誌で書いた記事によると、ブッシュ政権はイスラエルやサウジアラビアと手を組み、シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラを叩き潰そうと考えた。
その記事の中で引用されたジョンズホプキンス大学高等国際関係大学院のバリ・ナスルの説明によると、資金力のあるサウジアラビアは「ムスリム同胞団やサラフィ主義者と深い関係」があり、そうしたイスラム過激派を動員することができる。ただ、その勢力は「最悪のイスラム過激派」であり、彼らが入っている箱を開けたなら、2度と箱の中へ戻すことはできないとも警告していた。
アメリカがイラクに対する攻撃を始める2003年までNATO常任委員次席代表を、また2003年から05年にかけてディック・チェイニー副大統領の主席副補佐官を務めるなどイラク侵略に深く関与した。2005年から08年にかけてはNATO常任委員代表としてヨーロッパ諸国をアフガニスタンでの戦争へ引きずり込んだ。
オバマ政権がリビアとシリアへの侵略戦争を本格化させた2011年春にヌランドはヒラリー・クリントン国務長官の下で国務省の広報官を務めた。つまり侵略戦争を正当化するために偽情報を流していた。
そして2013年9月に国務次官補となったヌランドはウクライナにおけるネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を使ったクーデター工作の中心的な存在になる。このクーデター工作をホワイトハウスで指揮していたのは副大統領だったバイデンだと言われている。
ヤヌコビッチ政権の打倒を目指すクーデターが始まるのは2013年11月。首都キエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)でカーニバル的な集会が始められ、12月になると集会への参加者は50万人に達したと言われている。
この混乱をEUは話し合いで解決しようとするが、それを知った国務次官補のビクトリア・ヌランドは怒り、ウクライナ駐在のアメリカ大使だったジェオフリー・パイアットに電話で「EUなんかくそくらえ」と口にしている。その会話の音声は2014年2月4日にインターネットで流された。
その会話でヌランドは次の政権についても言及している。彼女が強く推していた人物がアルセニー・ヤツェニュク。実際、クーデター後、首相に就任した。
ユーロマイダンでは2月中旬から無差別の狙撃が始まり、抗議活動の参加者も警官隊も狙われた。西側ではこの狙撃はヤヌコビッチ政権が実行したと宣伝されたが、2月25日にキエフ入りして事態を調べたエストニアのウルマス・パエト外相はその翌日、逆のことを報告している。EUの外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)だったイギリス人のキャサリン・アシュトンへ電話で次のように報告しているのだ:
「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(クーデター派)が調査したがらないほど本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだときわめて強く理解している。」
この報告を裏づける証言が2017年11月に出てきた。イタリアで放送されたドキュメント番組の中で、3人のジョージア人が狙撃したのは自分たちだと語っているのだ。
この3人は治安部隊のメンバーとしてジョージアから送り込まれたのだが、警官隊と抗議活動参加者、双方を手当たり次第に撃つよう命じられたとしている。(その1やその2)この3人も狙撃の指揮者はクーデター派の幹部だったアンドレイ・パルビーだと語っている。この証言は他の証言と合致する。
ビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒したのだが、言うまでもなく、これは憲法に違反した行為。クーデターの結果を受け入れない権利がウクライナ国民にはある。ヤヌコビッチの支持基盤だった東部と南部の人びとがキエフのウクライナ政権を拒否するのは正当な行為だ。
その東部と南部の制圧をオバマ政権は目指した。黒海に面した港湾都市オデッサではネオ・ナチのグループが住民を虐殺のうえ制圧したが、ドンバス(ドネツクやルガンスク)では今も戦闘が続き、いち早く住民が動いたクリミアは住民投票を経てロシアと一体化した。現在、住民が平穏な生活を送れているのはクリミアくらいだ。
ヌランドをはじめ、オバマ政権の侵略戦争を推進したグループがバイデン政権で復活、しかもオバマ時代より上の地位に就いている。オバマ政権ではロシアと中国を経済的だけでなく軍事的に脅し、それが裏目に出てロシアと中国を「戦略的同盟国」にしてしまった。その失敗をさらなる恫喝でひっくり返そうとしているのがバイデン政権だ。非常に危険な状態になっていると言えるだろう。
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