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医師・宮沢あゆみさんはなぜジャーナリストの肩書を持つのか TBS記者から母の死を経て… 「人生の伴走者となる」(東京新聞)
http://www.asyura2.com/21/idletalk42/msg/234.html
投稿者 蒲田の富士山 日時 2023 年 5 月 05 日 13:03:00: OoIP2Z8mrhxx6 ipeTY4LMlXiObY5S
 

2023年5月5日 12時00分

https://www.tokyo-np.co.jp/article/247948

連載<だから私は二刀流>E

◆「病気」ではなく、「人間」を診たい
 「女性外来」のクリニックを開業して、今年で20年。患者は基本的に女性だが、宮沢あゆみは「私は総合診療医です」と話す。
 総合診療医は、臓器ごとに担当が分かれる専門医とは異なり、患者から症状を聞いて、どのような病気が背後にあるかを探り、最初に診断の見立てをつける。自分で診られる病気は治療し、専門医に任せた方がいい時には紹介もする。「たとえば腹痛の原因は、食中毒、腸閉塞へいそく、卵巣の捻転など幾つも考えられる。医師から『私はこの臓器しか診られない』と言われたら患者さんは困ってしまう」
 原点は30年近く前、医学部生時代に留学したニューヨーク医科大で出合った「ウィメンズ・ヘルスケアセンター」。そこでは、内科、婦人科、乳腺外科の医師が集まり、女性の健康診断や治療のアドバイスが1カ所で受けられるようになっていた。今でこそ「総合診療」や「女性外来」を掲げる病院やクリニックは珍しくなくなったが、当時は臓器別の診療科ばかりだったという。
 開業前は都内の総合病院に勤務し、救急医療にも携わった。「気付いたら大きな病院の歯車になっていた。1日100人近い患者さんを診ると、1人に割けるのは3分程度。機械的になり、疲れ果てていた」。小笠原諸島の父島で離島医療を経験し、「もっと患者と話をする時間を取りたい。『病気』ではなく『人間』を診たい」という思いが強まった。最終的に女性のトータルケアをしたいという思いから開業を決めた。

◆更年期対応に力 夫を呼び、妻に寄り添うよう説得も
 宮沢が力を入れるのは、女性の閉経前後にやってくる更年期への対応だ。クリニックにも50代前後の女性がよく訪れる。「疲れて気持ちは鬱々うつうつとし、生きていても仕方ない」と訴える患者から、家族や仕事の状況を丹念に聞く。
 ある患者は義母の介護に追われ、退職を余儀なくされた。夫は定年間際で悩んでいて、子どもは自立。孤立感がある上に、女性ホルモンの急激な減少による体調不良があった。そういう時は、ホルモン剤を処方して済ませるのではなく、夫まで呼び、妻の気持ちに寄り添うよう説得する。「その女性は見違えるほど明るくなった。ホルモン治療もするが、環境改善をしないと根本的な解決にはならない」
 勤務医時代に男性医師の先輩から「更年期の女性の話を聞けばきりがない」と言われたが、宮沢はあえて耳を傾ける。「お話しするだけで『元気が出ました』と言われる。薬を処方するよりずっと良い」
 思春期の女性がやってくることもある。月経不順だという話を聞くと、ダイエットで体重が39キロまで減ったという。「女性の体は極端にやせると月経が止まるようにできている。まずは栄養をとらないと。ホルモン分泌は心の悩みとも直結していて、失恋で月経が止まるケースもある」と説明する。
 高校時代から就職、結婚と10年近く診ている患者もいる。「女性は人生の節目節目で悩みを抱える。話をゆっくり聞いて、人生の伴走者となる医師でありたい」

◆「君がここにいるのは、女性が男性風呂に入っているようなもの」
 患者とのコミュニケーションを重視する宮沢の姿勢は、前職と関係がある。早稲田大第一文学部を卒業後、就職したのは民放テレビ局のTBSだ。1985年当時、採用された女性は4人。宮沢自身は「柔道の有段者だったので、体力採用だと思う」と推測する。配属先は女性初の政治経済部だった。
 駆け出し時代は、中曽根康弘首相の番記者。86年の衆参ダブル選に踏み切るまでを、夜討ち朝駆けで取材したという。思い出深いのは、選挙期間中に、中曽根首相から「選挙に勝っても大型間接税の導入をしない」との言質を引き出したことだ。中曽根政権は翌年、売上税関連法案を提出するが、「うそつき」と野党に批判され、廃案に追い込まれた。
 政治の取材現場に女性記者はまだ少なく、自民党の参院議員から「君がここにいるのは、女性が男性風呂に入っているようなもの」と嫌みを言われたこともあったという。
 その後は憲政史上初の女性党首となった土井たか子率いる社会党、牛肉・オレンジの自由化(輸入枠撤廃)で揺れる農林水産省も担当。花形記者として夢中で働いた宮沢だが、転機が訪れる。89年2月、母和子が乳がんのため他界した。57歳だった。

◆異動通告の電話、受話器を置いて「一瞬で辞めようと」
 母の乳がん発症は、宮沢が9歳だった時。入退院を繰り返し、化学療法を続けていた。亡くなる直前、医師から「延命のために気管内挿管をしますか」と聞かれ、宮沢は判断できなかった。医学知識のない自分が悔しかった。
 その翌年、国会内の記者クラブに部長から電話がかかってきた。報道情報番組への異動通告だった。「自分の人生のかじは自分で取りたい。受話器を置き、一瞬でこの会社を辞めようと思った」という。母の死を受けて、医学への思いが芽生えていた。
 すぐに東京・神保町の三省堂書店に行き、中学の数学の教科書を買い集めた。それからは報道情報番組のディレクターや、外信部の記者を続けながら、会社には言わずに昼休みや帰宅後に勉強した。独学の末、93年、東海大医学部に学士編入学。8年間務めたTBSを退社した。
 だが、入学してからが大変だった。毎月のように試験があるが、学費は私大だけあって高額。家庭教師を5件ほど掛け持ちした。宮沢の家庭は、母親の医療費がかさんだこともあって、決して裕福ではなかった。「人間は出発点から不平等」と子どもの時に実感したことは、医大の駐車場に並ぶ外車を見て、再確認することになった。

◆診察室にはメモ用紙とペン
 医師になった後も、肩書に「ジャーナリスト」とつけている。「ジャーナリストの仕事は社会の不正や不平等を追及し、解決策を提示すること。私は悩みを抱えている患者とともに、病気と闘い、適切な処方箋を出したい」と語る。「ジャーナリストの視点を失わず、常に疑問を持ち続けることが重要。私とジャーナリストは切り離せない」
 日々の診療業務だけでなく、雑誌などで医学解説をし、クリニックのウェブサイトでも更年期や生活習慣病などの解説記事を掲載している。患者側が病気の知識を持ち、主体的に治療に参加することが大事だと考えるからだ。診察室の机の上には、薬の飲み方などを書けるようにと、メモ用紙とペンも置いている。
 記者時代に取材対象の話を聞き、背景を探ったことが、患者との向き合い方にも影響しているという。良くなってほしいという一心から患者を厳しく指導してしまい、嫌われたこともある。「説教は無意味だった」と反省する一方で、多くの患者が「卒業」する姿を見た時は「すがすがしい」と思っている。(大杉はるか、文中敬称略)

◆デスクメモ
 医師国家試験をクリアするぐらい賢く、すらすらとそれらしい記事だって書ける最新の人工知能(AI)。だが、AIが能動的にテーマを見つけて誰かを取材することはないし、AI医師に心のうちを語ったところで患者の気は晴れないだろう。人対人という大切な部分は譲れない。(歩)

   ◇

連載<だから私は二刀流>
 今春のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でも投打にわたる大活躍を見せた大谷翔平選手。改めて「二刀流」が脚光を浴びたが、世間には独特の二刀流を体現する人たちがいる。その足跡、こだわりとは—。  

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