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日本人初の宇宙飛行士は秋山豊寛さん〜が語る! 「私が選ばれた」真相/WNウェザーニュース
http://www.asyura2.com/21/idletalk42/msg/136.html
投稿者 仁王像 日時 2021 年 12 月 09 日 17:06:12: jdZgmZ21Prm8E kG2JpJGc
 

日本人初の宇宙飛行士、秋山さんが語る! 「私が選ばれた」真相/WNウェザーニュース
https://weathernews.jp/s/topics/201711/290145/

今から27年前の1990年12月2日、当時TBS社員だった秋山豊寛(75歳)さんが日本人初の宇宙飛行士として宇宙に飛び立った。「日本人初の宇宙飛行士」に予定されていたNASDA(現JAXA)の毛利衛さんをさしおいて、秋山さんが「日本人初」となった真相とは?

−−TBSが、日本人のミール(宇宙ステーション)訪問に関する協定をソ連の宇宙総局と調印し、宇宙飛行士を社内公募したのは1989年3月。秋山さんが応募した動機を教えてください。

「宇宙から生中継するチャンスはめったにない。報道畑にいた私としては、視聴者と時間を共有する生中継がテレビの基本だと思っていましたから手を挙げました」

−−社内選考は厳しかったのですか?

「社内から500人が応募しました。審査基準はもっぱら健康チェックで、まず100人が残り、さらに21人になりました。そこまでは私も入っていたのですが、次に7人に絞られたときは私の名前はありませんでした。ところが最後に残った7人全員が不適格だったので、選考をやり直したのです」

−−結果的に敗者復活ですね。何が決め手だったのですか?

「決め手という意味では、私は当時、むし歯が1本もなかったこと、そして視力が裸眼で2.0とパイロット並みだったこと。もう一つ、TBSがソ連側と交渉する通訳グループの中心にいたのが、後に作家となる米原万里さんで、彼女が私を推してくれたそうです。私が外信部デスクだったとき、米原さんと一緒に仕事をしたこともあって気心が知れていた。米原さんも個性的な人ですが、オエラ方のことなど忖度せず、ストレートな物言いをする私のような者の方が宇宙特派員にふさわしい、と強く推薦してくれたようです。当時、私は47歳の中年男でした」

−−健康診査の方はクリアしたのですか?

「私が一度落ちたのは、胃潰瘍の痕跡があるという理由でした。私に言わせれば、まともに仕事をしていれば40代までに胃潰瘍の跡が1つや2つあるのは当たり前。胃潰瘍にならない人間は、ろくな仕事をしていません」

−−宇宙飛行士の訓練はいかがでしたか?

「社内の選考を通ったのは私と女性カメラマンの菊地涼子さん。89年10月からモスクワ近郊のガガーリン記念宇宙飛行士センターで訓練が始まりました。最初の3ヵ月はロシア語の特訓と基礎体力の充実。年が明けたら授業と試験、トレーナーについてトレーニング。75kgほどあった体重は60kgになっていました」

−−トレーニングは厳しかったですか?

「授業もトレーニングも言われたことをやるだけですから楽でした。私は防衛庁担当記者の頃、航空自衛隊の戦闘機F104に乗せてもらおうと立川の航空医学実験隊で耐Gテストなどを受けたことがありました。残念ながら戦闘機に乗る機会はありませんでしたが、ワシントンに駐在していたとき、米国の宇宙飛行士についても取材していたので、私自身が宇宙飛行士の訓練を受けることに不安はありませんでした」

米国の意図で「日本人初」になった?

−−1985年に毛利衛さんたち3人がNASDA(現JAXA)の宇宙飛行士に選考され、「日本人初」となることが期待されていました。その栄光を秋山さんがさらった形ですが……。

「毛利さんは88年に米国のスペースシャトルに搭乗して日本人初の宇宙飛行士になる予定でした。それが86年のチャレンジャー号事故のあおりで延期されたと言われています。しかし、86年1月のチャレンジャー事故の後、私が90年12月に宇宙に飛び立つまで、スペースシャトルは12回も飛んでいます。どうしてもNASDAのチームを“日本人初”にしたければ、毛利さんを乗せたシャトルを飛ばすチャンスはあったはず。米国の意図を感じます」

−−米国の意図とは具体的にどういうことですか?

「当時は東西の冷戦に米国が事実上勝利し、ソ連は末期を迎えていました。米国が一番危惧したことの一つは、ソ連の急激な崩壊とそれに伴うロケット開発技術が発展途上国に流出することです。かといって、当時の米国が直接ソ連を援助するわけにはいかない。そこで日本や当時の西ドイツ、オーストラリア、英国等がソ連の宇宙産業を支援する仕組みを考えたのではないか、また米国はその時期、日ソ交流を演出したのではないかということです」

−−秋山さんのジャーナリストとしての嗅覚ですね。確証がほしいところです。

「証拠はもうすぐみられるはずです。米国の外交文書は原則30年で公開されます。となると、2020年には1990年までの機密文書が出てくるはず。米国公文書館に行って確かめたいですね。結果として私も米国外交の手のひらの上で踊っていたことがわかったりするのかも……」  

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