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ホンダ、最も困難な選択「エンジン全廃」の裏にEVでの勝利の確信…第二の創業へ
https://biz-journal.jp/2021/10/post_258977.html
2021.10.27 05:40 文=舘内端/自動車評論家 Business Journal
ホンダのサイトより
■脱エンジン 第二創業ホンダの命運を占う
エンジン技術の頂点、F1を何度も制覇し、エンジン技術で世界を席巻してきたホンダがエンジンをやめる。世界一のエンジン・メーカー、ホンダは本当にエンジンと別れられるのか。
今後のホンダを探るには、「勝負には必ず勝つ」という勝負師の姿と、常に「もっとも厳しい競争に挑む」というチャレンジャーの姿と、「世界初にして世界最高をめざす」というプライドの高さを知らなければならない。それらが脱エンジンのその後のホンダの牽引力だからだ。
■勝負には必ず勝つ
ホンダは長らく社運を賭けて強敵と闘い、そして栄光に包まれたF1から撤退する。理由は、「勝てそうもない」からか? そうではない。今期のホンダは、F1のチャンピオン・エンジンのタイトル奪取が濃厚である。勝負には必ず勝ってきたホンダである。メルセデスからチャンピオンの座を奪い取るに違いない。
かつてホンダは、F1の貴公子セナ、そして勝負師のプロストという2人の天才ドライバー擁し、さらに名門チーム、マクラーレンと組んで連戦連勝を重ね、何度も世界チャンピオンに輝いた。今回の挑戦はそうした過去の栄光を追ったのか、最初はマクラーレンチームと組んだ。
それが誤算だった。まったく勝てず、手痛い失敗を重ねた。しかし、チームをレッドブルに替えるや、またたくまに優勝。常勝メルセデスのハミルトンを寄せ付けず、タイトル奪取に向けて走り続けている。ホンダは勝負には必ず勝つ。それが流儀だ。
こうした勝負魂が培われたのは、ホンダの屋台骨になっている二輪の世界であった。失敗を重ねながらも二輪の世界GPを席巻した。世界一厳しいコースといわれるマン島(英国)のTTレースも制した。
その勢いをかって、まだ軽自動車しかつくっていなかったにもかかわらず国内メーカーとして初めてF1 GPにチャレンジした(1964年)。そしてわずか2年目の65年の最終戦、メキシコGPで経験豊富なヨーロッパ勢を尻目に優勝した。バイクのエンジンを横に12基並べた「横置きV型12気筒エンジン」という大胆な技術での優勝だった。二輪GPで鍛えた技術であった。
勝負には必ず勝つというホンダ・スピリットである。
■環境技術でも勝つ
自動車の性能は、走る性能と扱いやすさの性能でほぼ決まる。ここに「環境性能」が加わったのは、自動車の誕生から半世紀ほどたってからであった。
自動車が急激に増えた米国の都市では、戦前から排ガスによる大気汚染が問題になっていた。とくにカリフォルニア州では1943年にはスモッグが発生し、「ロサンゼルス・スモッグ」と呼ばれるようになっていた。ペンシルバニア州では、1948年に発生したスモッグによって20人が死亡したといわれる。
やがてスモッグと自動車排ガスの関係が認識されるようになり、1959年に自動車排ガスに規制が設けられるようになり、1965年にエドモンド・マスキー上院議員(民主党)を中心とした排ガス規制法が提出された。しかし、自動車業界とニクソン政権(共和党)の執拗な攻撃を受け成立が危ぶまれた。
しかも、フォードは「どんな巨額の資金を投じようとも、マスキー法をクリアする自動車は1975年1月1日までに開発できない」と議会に訴えるまでになっていた。マスキー法は1974年春には施行される予定であったにもかかわらずだ。
しかし、数ある世界の自動車メーカーでただ1社、ホンダは違った。「わが社は環境技術(のレース)でも勝つ」と宣言し、その技術である「CVCCエンジン」を発表したのだった(1973年)。ホンダは世界でもっとも厳しいマスキー法と呼ばれた排ガス規制を、名だたる名門自動車メーカーを差しおいてクリアしてみせた。環境技術の開発という勝負でも、やるからには勝つのであった。
CVCCエンジンを積んだシビックを1973年に国内で発売、1974年に米国で審査に通り、75年から米国に輸出を始めた。ちなみにこの時のCVCC認定の担当者が、のちに社長になる福井威夫であった。
■エンジンを捨てて勝つ
広報資料によれば、ホンダの三部敏宏社長は、今を「第二創業期」だという。創業者は本田宗一郎である。彼はエンジン技術者であった。たゆまずエンジンを改良することで、今日のホンダをつくった。エンジン(技術)でホンダをつくり、成長させた。これが創業第一期である。
だが、同じエンジン技術者である三部社長は違う。「10年、20年、30年のスパンで考えると、エンジンではホンダは立ち行かない」という。それは、「エンジン技術者だからわかる」ことだという。とことんかかわった分野であれば、その可能性と限界は、はっきりとわかるものなのだろう。
伝統のエンジンでは立ち行かないのであれば、ホンダは変わらざるを得ない。とすれば、「今が改革の絶好のチャンスだ」。そして「エンジンを捨てることで、ホンダの未来を拓こう」と決意したという。第二創業期の始まりである。
何かを手に入れて勝つ勝負もあれば、もっとも大切なものを捨てて勝つ勝負もある。後者は捨てることで退路を断ち、決意を新たに、しかも強固なものにする戦法である。追い込まれると「窮鼠、猫を嚙む」のだ。
■とことん議論して、考え抜いて
今、自動車メーカーを襲っている嵐は、1886年に自動車が誕生して初めて遭遇する、とてつもないハリケーンである。2050年の脱炭素は、対立国、友好国の区別もなければ、どんな人種も、どんな年齢の人も、地球人はすべて従わなければならない約束である。
世界で排出される二酸化炭素(CO2)の20%を占める自動車は、変わらなければならない。そして、それが可能なのは2050年までのスパンではEV(電気自動車)である。HEV(ハイブリッド車)含めて、三部社長も言うようにエンジンでは無理である。ホンダにとってEVは、第一創業期を成長に導いたかつてのCVCCなのだ。
つまり、世界の自動車メーカーは、生き残りたければエンジンを捨てるしかない。しかし、エンジンを捨てれば半分近い技術者と労働者と協力企業、部品メーカーを失うことになる。行くも地獄、とどまるのも地獄である。この危機的状況を全社員が共有しなければ、難局は乗り越えられない。では、どうする? 三部社長の答えは「エンジンを捨てる」ことであった。当然、社内は賛否両論が渦巻いたという。社員が危機的状況を共有し始めた。
ホンダには、「わいがや」という議論のやり方があると聞く。関係部署のメンバーが集まり、無礼講で言いたいことを、言いたい放題、言い合うのである。「とことん議論して、考え抜いて、よりよいものを生み出そうというホンダの企業風土」であり、ホンダの原点だと三部社長は言う。
ホンダイズムに基づけば、おそらく議論の結果は、「世界初、世界一をめざし」「必ず勝負に勝って、達成感を味わう」というものではないだろうか。ホンダは、たとえばHEVといった既得権にしがみついたり、これまでの延長上でものを考えたりしない。楽な道を選んでいては、達成感は得られないからだ。達成感は、「もっとも厳しい闘いに勝つ」ことでしか得られない。それはHEVも含めてエンジンをやめることなのだ。
■三部社長のめざすホンダ
まず考えるのは「ホンダが企業として持続できるようにするには、どうすればよいか」だという。少なくとも80年代は、その終わりにバブル経済が訪れたこともあり、企業の存続が難しかったことはない。それよりも、どうすればより成長できるだろうかが問われた。決して企業にとって困難な時代ではなかった。
しかし、資本主義が行き詰まったともいわれる現代は、地理的な市場の拡大は望めず、多くの先進国では「ロスト欲望社会」(橋本努北大教授)ともいわれるように、市民の多くから欲望が消えかかっている。自動車に関していえば、先進国ではこれ以上、自動車に欲望することはないだろう。それでも自動車への欲望を駆り立てるべく、「自動運転」やら「つながるクルマ」やらの新技術が用意されているが、果たしてマーケットは動くだろうか。
そうした行き詰まりの時代でホンダを持続させるには、「目先ではなく将来への種まきが必要だ」と三部社長はいう。だが、ホンダにはすでに用意がある。それらが、大きくなるビジネス用ジェット機であり、ロケットビジネスへの参加であり、すでに参入しているボートビジネスの拡大であり、アシモに代表されるロボットビジネスなのではないだろうか。そして、つい先日、発表された中国におけるホンダ・ブランドの新型EV、e:Nシリーズの展開である。
このような新しいビジネスの展開が整ったから、ホンダは脱エンジンを宣言したに違いない。ホンダは「勝負に勝つ」ためにEVにシフトするのであり、その準備は整ったということだ。
(文=舘内端/自動車評論家)
●舘内端/自動車評論家
1947年、群馬県に生まれる。
日本大学理工学部卒業。
東大宇宙航空研究所勤務の後、レーシングカーの設計に携わる。
現在は、テクノロジーと文化の両面から車を論じることができる自動車評論家として活躍。「ビジネスジャーナル(web)」等、連載多数。
94年に市民団体の日本EVクラブを設立。エコカーの普及を図る。その活動に対して、98年に環境大臣から表彰を受ける。
2009年にミラEV(日本EVクラブ製作)で東京〜大阪555.6kmを途中無充電で走行。電気自動車1充電航続距離世界最長記録を達成した(ギネス世界記録認定)。
10年5月、ミラEVにて1充電航続距離1003.184kmを走行(テストコース)、世界記録を更新した(ギネス世界記録認定)。
EVに25年関わった経験を持つ唯一人の自動車評論家。著書「トヨタの危機」宝島社 「すべての自動車人へ」双葉社 「800馬力のエコロジー」ソニー・マガジンズ
23年度から山形の「電動モビリティシステム専門職大学」(新設予定)の准教授として就任予定。
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