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85歳母親「老人ホームに入らなかった」せいで老後生活が崩壊…お金をケチった子供たちが招いた悲劇
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87508
2021.09.22 長野 郁子 ファイナンシャルプランナー 現代ビジネス
いつ施設に入るかという問題
私は今年65歳、持病があっても元気だし、ボチボチ仕事もしている。でも、20年ほどの自立期(自分で身の回りのことを処理できる期間)の老後を経て、最後は長い短いはあるが必ず誰かの手を借りる=介護が必要となるだろう。
介護には大きく分けて「在宅介護」と「施設介護」がある。ファイナンシャルプランナー(以下FP)としてよく問われるのは介護費用のことだ。最近よく使われるデータとして「生命保険文化センター(2018年度)」の調査がある。私の実感もそれに近いので紹介させてもらうと、「在宅介護」が月額4.6万円、「施設介護」が月額で11.8万円。平均介護期間は4年7ヶ月。
さらに、それぞれ介護が始まる段階で「在宅介護」の場合はリフォーム・設備代がかかり、「施設介護」では入居金が必要な場合もあるので、それらの一時金と月々の費用を足すと概算で介護の平均総額は300万〜1500万円となる。これが高いか安いかは人の懐具合による。
平均介護期間は4年7ヶ月だが、介護が始まってすぐ亡くなる方もいれば、十数年寝たきりの人もいる。介護に関しては人それぞれなので平均値は本当に目安にすぎない。
「在宅介護」は支援の種類や金額がある程度決まっているのでわかりやすいが、問題なのが「施設介護」だ。
一口に介護施設といっても介護度や必要となる支援や費用の多寡により、特養、有料老人ホーム、サービス付き高齢者住宅など10種類ほどに細分される。選択肢も多くなってきた分だけ迷うし、入りたくても費用や空きがないと入れない。
肝心なのは、施設入居の場合、誰が入居を決め、いつどこの施設に入るかという点だ。私のまわりを見ても、本当に適切な時期に適切な施設に入るのはかなり至難の業なのだ。
基本的には自分の受ける介護は自分で決めるべきだと思っている。ただ、積極的に自分から進んで施設に入る高齢者は少なく、往々にしてぎりぎりまで我慢するため、まわりが見るに見かねて段取りする施設介護になりがちである。こうした「遅すぎる介護」は本人にとって不本意なものとなる。一方まれに「早すぎる介護」で老後がつらくなるという場合もある。そこで私が知る事例で施設入居時期の問題を考えてみたい。
遅すぎた介護
まず遅すぎた介護だ。この事例はFP相談でなく友人のY子からの愚痴の混じった相談だった。ただとても記憶に残り、かつ残念な結末であったので紹介する。
Y子と同じ市に住むA代さんという方が居た。Y子の伯母である。A代さんは子供2人を一人前に育てあげ、70歳の時に夫を亡くし、その後94歳で亡くなるまでほぼ四半世紀をひとりで暮らした。
A代さんの住まいは一戸建ての持ち家、勤め人だった夫の遺族年金、それに節約家の夫が貯めた金融資産(推定5000万円)があり、つましい生活が習い性で生活費の支出も少なく、おまけに体が丈夫でこれといった持病もなかった。健康でお金をもっている年寄りは強気で、Y子がよく聞いた70〜80歳の頃の口癖は「誰の世話にもならない」だった。
A代さんは子供や孫の来訪を喜ぶ人ではなく、年に数回アリバイ的に帰る子供たちのことも快く思っていなかったようだった。「お金がかかるし、ひとりの気楽な生活を乱されたくない」と言っていた。
子供たちのほうも「元気だからほうって置いてもひとりで大丈夫」と思っていたようだ。こういう状態が何年も続き、連絡も時々の電話のみとなり、行き来はなくなった。大げんかしたわけでも、何か事件があったわけでもないが、お互いに疎遠になっていった。
元気なうちはよかったが、85歳を過ぎたあたりからだんだんとひとり暮らしが厳しそうな様子になったので、Y子やご近所が民生委員に相談し、デイサービスや宅配弁当やヘルパーさんなどの生活介助を勧めたが「他人が家に上がるのは嫌! だいたい掃除や炊事にお金なんて払えない。もったいない」とニベもなかった。本人が強く拒否すれば他人は手出しできない。
介護保険の認定も年々厳しくなっているが、こうした介護保険未満の自立したひとり暮らしのちょっとした生活支援は自費になる。もし、施設介護をのぞんでも比較的費用の安い特養老人ホームは要介護3以上でないと入れないし、空きも少ないので、自立型有料老人ホームかサービス付き高齢者向け住宅(食事付き)という選択肢になる。その場合の費用は、ランクにもよるが、入居金を別にして毎月15万〜30万円だ。
子供にも熱意がなかった
ほとんどの場合、高齢者がこういう状況になると、離れて暮らす子供や、身寄りがなければ親戚、友人、それもいなければ公的機関に連絡が行く。子供や親戚や福祉の担当者が介護の必要性を説いて、高齢者もまわりに見放されたくないから渋々受け入れるものなのだが、A代さんの場合はそうならなかった。なぜかというと本人が嫌がり、子供たちに説得する熱意がなく、かつ親の財産が減るのを嫌がったからだ。
介護の世界では子供は絶対的権限を持つようになる。どんなに親切なケアマネでも、どんなに素晴らしい施設でも、子供の意見を無視しては介護できない。認知症などの場合はもっと顕著で、本来なら最も尊重されるべき本人の意志より子供の意見が通る。しかも、残された財産が相続対象になるので、お金に関しては実は子供は究極の利害関係者なのだ。
では、A代さんはどうなってしまったのか。詳しくは、【後編】「70歳で老人ホームに入った女性が入居を大後悔…「2年で退所」したワケ」でお伝えする。
70歳で老人ホームに入った女性が入居を大後悔…500万円を失い「2年で退所」したワケ
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87509
2021.09.22 長野 郁子 ファイナンシャルプランナー 現代ビジネス
A代さんは80代まで一人暮らしを続け、生活が不便になってからも高齢者施設に入ることを拒否、まわりに人を寄せ付けなかった。しかし……。
家はゴミ屋敷状態に
A代さんが頑固に「まだ、大丈夫」「家にいたい」というのを、子供たちは自分に都合よく解釈した。まわりの心配を無視し、現実を直視することなく「本人が言うから大丈夫だろう」と放置した。ひとり暮らしを続けてくれれば大してお金はかからない。
とくに90代になってからの生活は悲惨だった。手押し車を押して自力で買い物はできたが、一歩家に入れば、ゴミの分別ができないので缶や瓶が散乱し、掃除はしないので汚れ放題、垢じみた服は脱ぎ捨てたまま、お風呂はほとんど入らず、冷蔵庫は賞味期限切れのもので一杯の状態。晩年まで確かに自由で自立していたが、とても人間らしい暮らしではなかった。そして、やっと子供たちが介護認定を受けさせ施設に入ったのは死ぬ一年前だった。
この例のような「遅過ぎた介護」は、本人が介護を受け入れる覚悟がなかったのが一番の原因だ。自分で家事や介護を無償で担ってきた人は、一般的に家事や介護に対する評価が低い。家族が無償で家事や介護をやるのはアリだが、他人にお金を払ってやることではないと思うようだ。
その上、節約家は往々にして有効にお金を使うという発想がない。また、なまじお金を持っていると猜疑心が強くなり、他人との交わりを避ける。そして子供が非協力であったらいくらお金があっても介護にはたどり着けない。これは特別な事例でなく、この程度の頑固な年寄りはよくいるし、親に無関心なくせに遺産はできるだけ欲しいという子供もいる。
早すぎた施設入所
次は早すぎた介護の話。あまり例はないが、ご紹介する(FP相談の事例を元にしているが、守秘義務があるのでかなり内容を変えてある)。S子さんという公務員だった方のお話だ。
S子さんは高校卒業後、実家を離れ都会の大学へ行き、その地で就職した。両親はすでに他界、田舎の兄弟とも疎遠。独身で子供はいない。60歳で退職後、数年は非常勤講師をやって、65歳からは本格的年金暮らしに入った。
そのころから自分の老後が心配になり、本を読んだりセミナーに出たり情報を集め出した。そこで出した結論が「頼れる身寄りがいないから、自分がしっかりしているうちに、終の棲家を探そう」ということだった。
健康なので、選択肢は自立型の有料老人ホームか食事付きサービス付き高齢者住宅。早速、資料を取り寄せ、実際に自分で行って見学した。老人ホームといっても自立型なのでまわりは元気な高齢者ばかり、狭いけど全室個室でありプライバシーはあるし、建物は清潔、見守りや食事の提供はあるし、サークルもあり、外出も届ければ自由で、介護が必要になったら、系列の介護付きホームに移れる。
もともと掃除やご飯作りが苦手なので「家事から解放されたマンションみたい」とすっかりその気になった。そこは一時金980万円、月々16万円と有料老人ホームでは比較的安い所だった。もちろん、年金や貯蓄を考えるともう少し出せたが、元気なうちは旅行もしたいし、安いに越したことはないと考えた。荷物を整理し、ローンの終わった1LDKのマンションは賃貸に出し、身軽になってホームに入所した。
何かが違う…
そこでの生活は、最初から思ったのとは微妙に違っていた。食事も確かに作らないので楽だけど、薄味で、主菜は骨のない魚が多くワンパターン。ご飯は軟らかく、カレーは甘口のみ。
刺身など生ものはまず出ないし、野菜も熱を通したものが多く、漬け物やサラダや果物はちょっとだけ。香辛料や刺激物、ニンニクすら使わない料理ばかりでインパクトがない。おまけに大好きな麺類も作り置きがきかないのでほとんど出ないし、たまに出ても、箸で持ち上げられるほど固まったそばやスパゲッティだった。
ビックリしたのは、新聞を取っている人がほとんどいないこと。パソコンどころか携帯電話すらもっている人は少数派だ。S子さんはパソコンなしの生活は考えられないし、ネット通販も大好きだった。
それでも、安心を手に入れたのだからとホームでの生活は我慢し、外に楽しみを求めた。毎日のように外出して、図書館や本屋さんに行き、帰りは喫茶店や公園でゆっくり大好きな本を読む生活。行きたかった海外旅行に行き、友人が誘ってくれれば、映画や小旅行にも出掛けた。外に出れば、打ち立てのそばも熱々ラーメンもエスニック料理も味わえる。
入居者からの嫉妬
冷静に考えれば、ホームにいる入居者はほとんど80歳以上、文化も価値観も違う他人同士の集団生活、生活時間も決められている。有料老人ホームに入れる人は一般的に経済的に恵まれているが、低価格帯のホームは経済的に余裕のない人も多い。
特養の空きを待つ人、一時金で預金を使い切り、月々の費用は厚生年金ギリギリ、もしかしたら、一時金は自宅を売って工面し、月々の費用は年金では足りなくて子供たちから仕送りしてもらっている人もいただろう。
金銭的余裕がない人から見たら、お金に余裕があり若くて元気に外の世界にどんどん出て行くS子さんは羨望や嫉妬の対象だ。暇をもてあました人たちの悪口大会になってしまったようだ。ようは浮いてしまったのだ。
ひとり暮らしの孤独には耐えられても、集団の中の孤立は耐えられない。毎日食堂で顔を合わせるのも苦痛になり、友達に相談し、その友人のご紹介で私の所にご相談に来たのだ。結局、S子さんは2年たたずにそのホームを出た。
一時金は半額しか戻ってこなかった。大事な老後資金を約500万円も減らし、本人は「もう施設はこりごり」「高い勉強代だった」と言っていた。でも、たしかに今回は入居が早すぎたが、いずれ介護は必要になる。そのギリギリの時期まで、いろんな手助けを利用して一人暮らしをすることにした。
具体的には、とりあえず家計費を見直して5万円の別枠の予算を組んで、このお金を「安心」のために使うことにした。非常ボタンで駆けつけてくれるホームセキュリティ。毎日届けてくれるおいしい宅配弁当(安否確認もしてくれる)。週1回のお掃除サービスなどである。そして今も呑気な一人暮らしを続けている。
いつ施設に入るのがいいのか
いろいろな方の施設入居を見ていると、安心と自由は両天秤だなと思う。仕事をやめた自立期の高齢者は、手元のお金の多寡はあっても、好きに使える時間だけはタップリある。何時に起きても何時に寝ても誰にも文句はいわれない。こんな勝手気ままで自由な暮らしを10年、20年過ごしているとそれを手放すのは本当につらい。
若い人は自立期の高齢者の生活をよく知らないし、高齢者の自由な生活を過小評価している。呑気に暮らしていた人が、いきなり生活の時間が決められた他人との集団生活に入れと言われても納得できないのもわかる。
では、どうするか? あくまで私の考える自分自身の介護だが、まず介護認定を待たず生活に不安や不便を感じたら、自立支援を出来るだけ早く受ける。介護される状況に慣れていれば情報も入るし、次のステップに進みやすい。介護度が進むにつれ、訪問介護や訪問看護を受ける。近くに「看護小規模多機能施設」など「在宅支援事業」があったら支援を受ける。
その時、家族が近くにいるかどうかはわからないが、もしいてもあまり無償の家族の手を当てにしないつもりだ。家族だって生活があるし、まして介護離職は子供の未来を奪うことになる。
そして、ギリギリまで在宅介護をのばし、最期は施設に入居しようと思ってる。目安としては要介護2〜要介護3。要介護2は家事や身の回りのこと全般に見守りや介助が必要な状態。要介護3は立ち上がりや歩行などを自力で行えず、日常生活で常時誰かの支援や見守りが必要な状態だ。ここまで来ると自由より安心というあきらめがつくだろう。あきらめという納得がないと施設入居になかなか踏み切れないだろうと思う。
もうひとつ大事なのが誰を自分の介護のキーパーソンにするかを決めておくことだ。もちろん自分の意志が一番だが、「その時」を自分で判断できるとは限らない。「もう無理だよ」と後ろから背中を押してくれる人が絶対必要だと思っている。
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