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「エンジン技術屋集団」ホンダがエンジン車全廃宣言…設備も人もすべて切り替え、必ずやりきる
https://biz-journal.jp/2021/06/post_233556.html
2021.06.24 18:00 文=舘内端/自動車評論家 Business Journal
本田技術研究所本社(「Wikipedia」より/ウェルワィ)
■挑戦の再開
ホンダは、チャレンジを繰り返して成長したメーカーである。かつてもそうだったが、現在のホンダもまだその精神を忘れてはいない。いや、正確に言えば十数年もかかって、ようやくチャレンジ精神を取り戻したというべきかもしれない。
チャレンジとは成功することを約束されていない行動をいうのだが、ホンダの場合はまったく成功するとは考えられないチャレンジを平気でやる。しかも、(伊東社長時代の世界拡大戦略など、失敗も多々あったが)成功させてしまうのである。
ホンダの凄さは、無理やり挑戦して、強引に成功させてしまうところだ。これほどハラハラドキドキさせて、しかも「ほらできた!」と驚かせ、喜ばせてくれる自動車メーカーは、ホンダをおいてない。だから一度ファンになると、離れられない。
そのホンダが久しぶりにチャレンジを表明した。「2040年までに新車の販売をEV(電気自動車)とFCEV(燃料電池車)にし、走行時に二酸化炭素を出すガソリンエンジンで動く車の販売をやめる」(三部敏宏ホンダ社長)と宣言したのである。脱エンジン車宣言である。
しかも、日本では自動車の二酸化炭素削減の切り札であるHEV(ハイブリッド車)の生産、販売もやめるというのだ。これは相当覚悟のいる挑戦である。
■F1、撤退
やるからにはエンジンへの執着を社長自ら切って見せなければならないと、まずは八郷隆弘前社長がホンダの大看板であるF1挑戦を「21年限りでやめる」と宣言した。F1撤退は「脱エンジン車宣言」の前振りだった。そこまでは八郷前社長が泥をかぶり、「オレは辞任するからF1の撤退を受け入れてくれ」と、F1のスタッフや歴代社長に頼み、「あとは三部さん、任せるぞ」ということではなかったか。おそらく、自分の首を差し出してのF1撤退の説得だったのだろう。
F1あってこそのホンダであり、ホンダあってこそのF1とはいわないとしても、1964年からのF1挑戦は、日本ばかりかヨーロッパの人たちにとっても記憶に残る偉業である。F1から撤退するというのは、ホンダが社の歴史を、本田宗一郎が築きあげたホンダの歴史を書き換えるような、何か重大なことを決意していることを伺わせるうえで、十分な宣言であった。
そして、間髪を入れず三部新社長による「脱エンジン車」宣言である。覚悟のほどが伺える、なんとも清々しい宣言だ。
エンジンに後ろ髪を引かれて、吸気、排気バルブの開閉タイミングを変えたり、石油に代わる燃料を使ったり、手を変え品を変えて新技術を繰り出し、エンジンを延命しているようでは、この難局は越えられない。今、自動車産業が迎えているのは、単なる変更でも、変革でもない。地球温暖化と気候変動を乗り越えて生きるか、越えられず死ぬか。ロシア革命やフランス革命と同じ「革命」なのだから。
■ゼロ・カーボンを受け入れる
(1)歴代の社長の説得
この宣言に至るまでには、想像を絶するいくつもの難局を越えなければならなかったはずである。たとえば歴代社長の説得だ。ホンダの社長は、ここ15年ほどを除いて、みんなエンジン部門出身である。エンジンを愛し、F1に代表される世界一のエンジン開発に誇りを持ち、いずれも強烈な個性の持ち主であった。
たとえばアイルトン・セナ、アラン・プロストという2人のF1チャンピオンを擁して、F1で連戦連勝を重ねた時代の川本信彦第四代社長は、自らF1エンジンの設計図を引いたほどのエンジン専門家であった。ゼロ・カーボン宣言、つまりエンジンをやめるというのは、歴戦の勇者、歴代の社長たちの業績をゼロに、あるいはマイナスにする運営方針の大転換である。説得は至難であったと想像するにかたくない。
(2)F1エンジニアの説得
そして、ほとんどがエンジンの研究開発にかかわる技術研究所の社員たち、誰よりもエンジンを愛するF1スタッフの説得は難関中の難関だったのではないだろうか。彼らを説得した八郷前社長と、後を託された三部社長はもちろん辛かっただろうが、しかし、現場の社員たちの辛さは思いやるにあまりある。昼も夜も、寝る間も惜しんで開発してきたエンジンを取り上げられるのだ。どんなに辛くても、受け入れるしか会社に残る道はない。それどころか、人類が生き残れず、自動車のマーケットなど消し飛んでしまうのである。
前社長と新社長は、「遅かれ早かれ、いつかはゼロ・カーボンにしなければならない。勇気をもってゼロ・カーボンに出発しようじゃないか」と、社員にも自分にも言い聞かせたことと思う。2050年には世界中でカーボン・ニュートラルになる。「それには40年にはエンジン車をすべてなくさないと」。三部社長に限らず、これは世界の自動車メーカーにとって想定内の話でなければならない。
日本の他の自動車メーカーのトップには、果たしてこんな辛いことをやり切る覚悟と、勇気と、見識はあるだろうか。しかし、ゼロ・カーボンは絶対なのである。
(3)520万台をEVに切り替える
国産自動車メーカーで、エンジン車全廃宣言はホンダが初めてである。チャレンジを気風とするメーカーらしい宣言だ。しかし、2040年といえば、今から19年後である。たった19年でエンジン系、変速機系、排ガス浄化系、燃料系のエンジニアと現場の従業員を再教育して配置を変えるか、雇用を切るか、他社への転職を要請するなどということが、本当に可能なのだろうか。
それだけではない。加えてホンダの520万台近いエンジン車の生産と開発を続けながら、19年後には同じ台数のEVを研究し、開発し、生産し、販売を立ち上げなければならない。人も、設備も、教育も、すべてEVに切り替えなければならない。
(4)EVネガティブキャンペーンを取り下げる
また、研究、生産設備のほとんどはエンジン、変速機、給・排気、燃料系のものである。これらは廃棄するか、EV用に置き換える必要がある。管理部門の人たちの再教育も必要だ。EVとはどんな自動車で、何によって構成され、どのように走るのか。エネルギー補給は、充電の方法は、車検は、寿命は、下取り価格は、販売方法は、ユーザーの意識は――。これらはどう考えればよいのか。
そして、日本のすべての自動車メーカーにいえることだが、マーケットには(これまでのネガティブキャンペーンで生まれた)大勢のEV嫌いの人たちが待っている。これまでのネガティブキャンペーンとは真逆のキャンペーンを張って(?)、そうした人たちをどう説得し、どうすれば買ってもらえるか。考えなければならないことは山のようにある。そう考えると、覚悟だけではゼロ・カーボン自動車メーカーにはなれない。
(5)「必ず目標を達成できる」ホンダを世界一にしたCVCCエンジンがあるではないか
しかし、三部社長は「必ず目標を達成する」という。これが、まさに「ホンダ・イズム」である。そして、やり遂げるに違いない。なぜか。それがホンダだからである。世界中の自動車メーカーが根を上げ、ギブアップした最強の米国の排ガス規制、マスキー法を、たった1社、革新的な新技術、CVCCエンジン(1973年シビックに搭載)でクリアして見せたホンダの真骨頂の見せ所だ。頑張ってほしい。
(文=舘内端/自動車評論家)
●舘内端/自動車評論家
1947年、群馬県に生まれる。
日本大学理工学部卒業。
東大宇宙航空研究所勤務の後、レーシングカーの設計に携わる。
現在は、テクノロジーと文化の両面から車を論じることができる自動車評論家として活躍。「ビジネスジャーナル(web)」等、連載多数。
94年に市民団体の日本EVクラブを設立。エコカーの普及を図る。その活動に対して、98年に環境大臣から表彰を受ける。
2009年にミラEV(日本EVクラブ製作)で東京〜大阪555.6kmを途中無充電で走行。電気自動車1充電航続距離世界最長記録を達成した(ギネス世界記録認定)。
10年5月、ミラEVにて1充電航続距離1003.184kmを走行(テストコース)、世界記録を更新した(ギネス世界記録認定)。
EVに25年関わった経験を持つ唯一人の自動車評論家。
22年度から山形の「電動モビリティシステム専門職大学」(新設予定)の准教授として就任予定。
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