●どうなんだろね。以下、参考までに___>お賽銭マン:https://gab.com/OSAISENMAN 【本当の歴史】 1859年7月11日、日英通商修好条約の密約により日本国が英国領に。 1868年、英ライオネル・ド・ロスチャイルド男爵が長州側に武器を供給し、 仏ジェームス・ド・ロスチャイルド男爵が徳川幕府側に武器を供給して仕掛けた内戦が明治維新 →1881年、渋沢栄一や松方正義らが裏天皇・堀川辰吉郎の父エドモン・バンジャマン・ド・ロチルドの兄アルフォンス・ド・ロチルドから教示を得て民営会社日本銀行設立し、天皇家とロスチャイルド家が大株主。 英ロンドンシティ(ロスチャイルド)が円の紙幣発行権を獲得。昭和天皇、英国陸軍元帥に。 英国軍が苦戦する日清戦争で日本人を傭兵化。 1932年関東大震災→ JPモルガンのジョセフ・グルー駐日米大使とウォール街が日本領土を買収。 1945年、ロスチャイルドの代理人で政府紙幣を発行したJFKの暗殺司令を出したCIAを作ったダレス、ウィロビー、グルーが日本人を家畜化。歴史見ずにしてMMT語るべからず。_________ ●これも参考までに___
>実は今も続く天皇財閥の支配(日銀,日赤,神社だけでなく日本財団,創価学会も) http://rakusen.exblog.jp/22922833/ >みんなが知らない「日本の支配構造」 http://rakusen.exblog.jp/iv/detail/?s=22922833&i=201509%2F19%2F00%2Fe0069900_02503226.jpg ●>アメリカ:闇の支配構造と略奪戦争
306729 八咫烏の真と贋、裏天皇の真と贋 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=306729 柘植行人 ( 某国 ) 15/08/11 PM01 【印刷用へ】 天皇家こそが最大の金主であり、世界中の金貸しの頂点に立ち、そして世界を操る黒幕ではないかという仮説のもと、天皇家について調べている。 八咫烏と裏天皇には真贋(というか表裏か)があるらしく、裏天皇と言われている堀川辰吉郎は贋の裏天皇で、真の裏天皇は別にいるらしい。裏天皇や八咫烏になぜ真贋があるのか、その目的が何なのか。単なる目くらましだけでは無いのだろう。 リンクより引用します。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−− (前略) 八咫烏は表雑賀で、頭は川端の姓。天皇を守護していた結社で、明治以降は裏天皇の堀川辰吉郎を守護。八咫烏には真、贋があり、本物は修験者。偽物は大江山霊媒衆と言い、大本教を中心とする宗教団体の霊媒達の集団だと推察されます。記事によると裏天皇に従う勢力がいくつか記述されていますが、さらに神社本庁、日本会議、統一教会が含まれると思います。 統一教会教祖・文鮮明は、裏天皇に従っていました。また池田大作は、文鮮明の弟子だったのです。創価学会が統一教会の下部組織であるというのは、こういう意味です。こうした事を考慮すると、現在の安倍内閣は、統一教会内閣というよりは、裏天皇内閣と言うべきなのです。 記事では、八咫烏に関する真贋が述べられていました。以前紹介した京都皇統 八咫烏協会のフェイスブックを見ると、大江山霊媒衆という文字があります。すなわちこのフェイスブックは贋の八咫烏が登録しているという事がわかります。 実は八咫烏だけではなく、裏天皇自体に真、贋があるのです。下の記事では、堀川辰吉郎は“孝明帝の血統”となっていますが、睦仁親王は孝明天皇の養子だった人物で、実子ではないので、孝明帝の血筋ではないのです。したがって、初代裏天皇・睦仁親王、2代目・堀川辰吉郎、3代目・前田ゴロウはすべて贋の裏天皇なのです。 孝明天皇は暗殺されたと言われていますが、下の記事の落合莞爾氏は、孝明天皇はその後も生き延びていたと言っています。私もそう考えており、実際に孝明天皇の血筋の者が現在も生きています。私はヴィジョンでその人物を見ましたが、痩せ型の繊細で神経質そうな男性でした。こちらが真の裏天皇です。彼に仕えている別の八咫烏が居ます。ベンジャミン・フルフォード氏が接触した八咫烏は、こちら側の真の裏天皇に仕える八咫烏です。 フルフォード氏の昨日の動画の中で、財宝の略奪に馬賊が関与しているとありましたが、下の記事でも堀川辰吉郎を支えた者たちの中に大本教があり、また関係者の中に満州に渡って馬賊になった者がいると書かれています。 裏天皇、大本教・出口王仁三郎、日月神事は、一連の流れの中にあるものです。日本を中心とするNWO(新世界秩序)が彼らの野望でした(引用者註:彼らはロスチャイルドと組んでいる)。これはデイヴィッド・ロックフェラーの米国を中心とするNWOと対立します。彼らは互いの野望の実現に向けて、激しく対立し争っていたわけです。 (中略) この辺で堀川辰吉郎の正体を明かさねば、本稿はもはや諸賢に認めて貰えまい。辰吉郎は明治十三年、孝明帝の血統を享けて京都の堀川御所に生まれた。 京都皇統の中核的人物として生まれた辰吉郎は、井上馨の実兄・重倉の籍に入ったが、生地に因み堀川姓を称した。明治三十二年、清国の革命家・孫文が日本に亡命した時、その支援を図る玄洋社は、実質社主・杉山茂丸の計らいにより、弱冠辰吉郎を孫文に付して、その片腕とした。 辰吉郎を盟主と仰ぐ京都皇統の芯核は孝明帝の祖父・光格帝由来の宮中勢力で、光格帝と実賛同血統の鷹司家を始めとする旧堂上の一部である。之に加えて、孝明帝の皇妹・和宮が将軍・家茂(紀州慶福)に降嫁した公武合体に発する紀州藩・会津藩の勢力もあった。辰吉郎傘下の実行部隊は玄洋社だけではなく、京都に根拠を張った寺社勢力がそれで、東西本願寺が当時の棟梁格であった。 外郭の中で、最も強大な勢力は前述の薩摩ワンワールドで、在英海洋勢力の支部として杉山茂丸の指示に従いながら、辰吉郎の経綸を実行していた。また丹波大江山衆は、光格帝の実母・大江磐代(大鉄屋岩室氏)に由来する禁裏の外郭で、亀岡穴太村の上田吉松を頭として江戸時代から禁裏の諜報に携わっていたが、多くは玄洋社に誘われて満洲に渡って馬賊となり、或いは清国本部に潜入して国事に備えていた。彼らが創めた大本教が、玄洋社と並んで辰吉郎支援の実行部隊となり大正時代には民国内に実質支部の紅卍会を建て、辰吉郎はその日本総裁となる。 上田吉松と結んで大本教を開いた綾部の出口ナヲの次男・清吉は、高島鞆之助の計らいで近衛に入隊し、日清戦争後の台湾土民平定に参加したが、凱旋中の輸送船上で蒸発し、北清事変で軍事探偵・王文泰として手柄を挙げた後、満洲に渡って馬賊に投じた。この王文泰が馬賊仲間で三歳年下の張作霖を指導し、親日に誘導して日本陸軍の支援を取り付け、満洲の覇王に養成するのである。堀川辰吉郎は辛亥革命後、しばしば満洲に赴いて張作霖と慇懃を通じ、長子・学良と義兄弟の盟約を交わしたと謂う。 _______________________________________________
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