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日本對策省成る組織が創設されるとの噂が飛び交つてゐる樣だが現時點では眞僞は不明。
🚨 トランプ政権移行チームに、エドワード・スノーデンが加入のためアメリカに帰国 🚨
— 橋広バロン幸之助🇯🇵MJGA💫 (@hasibiro_maga) November 30, 2024
隠し玉 日本対策省のポストに
トランプ政権は、ロシアに亡命していた、日本で元CIA職員の工作員であるスノーデン氏をアメリカに呼び戻した。
重要なポストに就くとみられる。… pic.twitter.com/tLrWyEo5Rq
兩手でガシツ
目も合はさず
『お前等逃げようったってそうはいかねえからな。
解ってんのか、この野郎。』
と、まるで石破は言つてゐる樣だ。
早速警告が來た。
《没後30年》田中角栄が“最後の弟子”石破茂氏に語った「派閥は永遠ではない」の真意「選挙では田中の悪口を言って当選してこい!」|NEWSポストセブン
https://www.news-postseven.com/archives/20231217_1926738.html?DETAIL
2023.12.17 07:00
週刊ポスト
《没後30年》田中角栄が“最後の弟子”石破茂氏に語った「派閥は永遠ではない」の真意「選挙では田中の悪口を言って当選してこい!」
没後30年となった今太閣・田中角栄。毀誉褒貶はあれど、国民の記憶にいまも残り続ける「角さん」の姿は、現代の為政者にこそ求められるものかもしれない。自らを「田中角栄の最後の弟子」と称する、衆議院議員の石破茂氏が、当時の田中角栄について語った。
* * *
私は自分を「田中角栄の最後の弟子」だと思っています。先生には多くのことを教わりましたが、今も肝に銘じているのは、「握った手の数、歩いた家の数しか票は出ない。余計なことは考えずにともかく歩け」という言葉です。初出馬した選挙の時、地域の支援者の方々と一緒に今日は200軒、次の日は300軒とひたすら選挙区を歩き回りました。5万4000軒歩いて、獲得したのは5万6534票。まさに先生の言葉通りの結果でした。
〈石破氏の父・二朗氏は田中角栄の盟友で、鳥取県知事、参院議員、自治大臣を歴任。1981年に亡くなると角栄が葬儀委員長を務めた。三井銀行のサラリーマンだった石破氏は、父の死後、角栄に背中を押されて政治家になることを決めた〉
葬儀を終え御礼の挨拶に行くと、角栄先生は、「鳥取の葬式に来てくれた2500人全員に、名刺持参で会葬御礼に回れ。それが選挙の基本だ」と言うんです。当時私は24歳の銀行員。国会議員になる器でもないし、参院選に出るには被選挙権もありません。そう申し上げると、角栄先生が机をバーンと叩き、「誰が参議院に出ろって言った。君は衆議院に出るんだ。いいか、よく聞け。政治家ほど面白い仕事はないぞ。日本で起こる全てのことはこの目白で決めるんだ!」と仰る。24歳の銀行員と、闇将軍の田中角栄が1対1ですよ。震えましたね(笑)。そこで道が決まりました。
〈石破氏は銀行を退職、田中派の派閥秘書として政治修業を積み、1986年衆院選に出馬した〉
選挙に出るため暇乞いに目白の田中邸を訪ねると角栄先生は非常に厳しいことを言われた。
「お前みたいなあんちゃんがなぜ自民党から立候補できるのか。1億8000万円安いからだ」と。その意を問うと「(地元の有権者は)石破茂は知らなくても親父さんのことは知っている。あの石破二朗の倅ならば、そんなに変なやつじゃないだろうと安心感もある。他の候補ならその安心感を得るまでに約1億8000万円かかるが、お前はそれが要らないから出られるんだ」と言うんですね。
「そう言われて悔しかったら今すぐ鳥取に帰って、毎日毎日、くまなく挨拶回りをしろ」と。だから懸命に選挙区を回った。羽田孜さんや小沢一郎さんといった2代目の候補者は、皆同じことを言われたみたいです。だから、角栄先生の教え子は地元回りを大切にする。それは「常に有権者に接し、国民の声を直接吸い上げることが政治の原点だ」という教えだと思います。
〈石破氏が出馬した当時は中選挙区制で、鳥取全県区にはすでに田中派の議員がいた。そのため、石破氏は亡くなった中曽根派の議員の後継として出馬することになった〉
角栄先生はその時、こう仰いました。「石破な、お前は田中派からは出られない。お前がどうしてもオレと一緒にやりたいって言うんだったら、今回は見送れ。だがな、国会議員になれるチャンスってのは、10年に1回あるかないかだ。一生国会議員になれないかもしれんぞ」。そしてこう付け加えた。「俺もいつまでも力があるわけじゃない。派閥は永遠ではない」。
その言葉通り、後に田中派を割って竹下派が結成されました。どんな強固な派閥でも、権力を前にすれば諍いが起き、分裂する。そのことを角栄先生はご存じだった。
ロッキード裁判の逆風の中で行なわれた1983年の総選挙では、田中派の議員に「お前たち、選挙では田中の悪口を言ってこい。“俺は田中派だが、角栄は許せない”と言って当選してこい!」とハッパをかける場面もありました。政治とは何か、選挙とは何かを一番知っている政治家でもあった。田中軍団で学んだあの時代がなければ、今の私もなかったでしょう。
【プロフィール】
石破茂(いしば・しげる)/1957年鳥取県生まれ。衆議院議員。慶應義塾大学法学部卒業後、三井銀行(現・三井住友銀行)を経て1986年に衆議院議員に全国最年少議員として初当選。以来当選12回。防衛大臣、農水大臣、初代地方創生担当大臣などを歴任。
※週刊ポスト2023年12月22日号
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