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(回答先: 暴力団の出自の内訳は部落(同和)60%、在日kankoku・chousen人30%、 投稿者 中川隆 日時 2021 年 9 月 20 日 08:36:32)
浄土真宗徒の9割が穢多と言うのは言い過ぎだと思いますが、信徒のかなりの割合を穢多が占めるのは間違いなさそうです。
【部落学序説】と言う、部落研究家のブログに【浄土真宗と穢多の関係】が、上手く説明されていました。
このブロガーはキリスト教徒で部落民に布教している日本人なので、基本同情的である点も信頼性が有ります。以下に主要部分を掲 載します。
以下転載・・・・・・・・・・・・・・・・・・
幕府から指示される前に、浄土真宗は、「穢多」の前身を抱え込んでいたと思われます。それは、浄土真宗内部の自治警察機能の存在です。浄土真宗を捨て多宗教へ流れるものに対しては、厳しい措置をとったものと思われます。特に、切支
丹に対しては、徳川幕府のそれと、勝るとも劣らぬ形で、「邪宗門」として対峙してきたと思われます。
「邪宗門」に対する抑圧・排除のシステムこそ、浄土真宗が徳川幕府から信任され、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」の役を任せられた理由ではないかと思います。
つまり、浄土真宗にとって、「穢多」は、自らの存続のために必要不可欠な重要な機関であったことです。その機関の故に、浄土真宗は、江戸時代300年間に渡ってその存続を許されたのです。
人のいのちをいと惜しむ「穢多」たちが、近世幕藩体制下の司法・警察の「役務」・「職務」を遂行するにあたって、ときとして、刑吏の仕事に携わることを要求されます。穢多にとって、直接、憎しみを持っていない犯罪者を、代官所の命
令に従って処刑しなければなりません。
中間や足軽は、死刑執行人の仕事を要求されたあとは、逃亡して行方不明になるものが相当数いたといわれます。
しかし、近世幕藩体制下の司法・警察であった「穢多・非人」の中には、そのような人はいなかったと思われます。徳山藩の処刑の記録を見ても分かるのですが、ひとりの犯罪者の処刑に複数の穢多が関与しています。死刑執行人のうち、実
際に処刑したのは誰であったのか、それを隠蔽するためです。
たとえ犯罪者であるといっても、人ひとりを殺すことになるわけですから、死刑執行人に任命された人自身も心に深い傷を負うことになります。東日本では、白山信仰があって、その傷を癒してもらうことができました。
西日本では、白山信仰はほとんど存在しません。その代わりを担ったのが、浄土真宗の教説ではなかったかと思われます。
浄土真宗は、すべての殺生を禁止したわけではありませんでした。穢多の「役務」・「家職」にともなう殺生は、忌避の外にありました。有元は、越中国に、「稼職に非ざる殺生を致し申す間敷事」という「念仏行者心得か条」があったこと
を紹介しています。浄土真宗は、死刑執行に携わるものの救済を用意していたのです。「本願寺法王は、「如来の御代官」として救済の授与(浄土往生の保証)権を行使する」ことができたのです。
浄土真宗は、死刑執行人に対して浄土往生を保証しただけでなく、「穢多」の、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての生き方全般についても、多くの精神的な支えを提供していたのです。
浄土真宗の一般門徒だけでなく、近世幕藩体制下の司法・警察であった「穢多」たちも、「其(真宗)教義の生来脳裏に深染するもの多き」が故に、江戸時代300年間、「非常民」としての役務を全うできたのではないかと思われます。
東日本の「穢多」にとって、白山信仰が、その役務の傷を癒す宗教的装置であったのと同じく、西日本の「穢多」にとっては、浄土真宗の世俗化倫理とその教説が同じ機能を持っていたものと思われます。
しかし、「穢多」と「宗教」について論じるとき、「宗教」を浄土真宗に限定することはできません。もうひとつ、「穢多」にとってかかすことができない宗教がありました。その宗教の故に、幕府は、全国津々浦々に「穢多」を配置しまし
た。「穢多」の大きな職務のひとつに、「宗教警察」がありました。幕府が禁教した「邪宗門」、特に切支丹の取締りでした。この切支丹という宗教の取締りという役務が、のちに、明治4年の「穢多」身分廃止の太政官布告につながってい
くのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・転載ここまで・・・・・・・・・・・・・・
何が言いたいかと言うと
浄土真宗は、自ら進んで穢多を信徒として取り込んでいった。という事です。
その目的は所謂「自警団」で、創価学会じゃないけど(笑)
浄土真宗を「退会」しようとするものを取り締まったり、キリスト教を「邪宗門」として、幕府以上に厳しく取り締まる仕事です。
後は犯罪者の【処刑人】です。平民にやらせると嫌がって逃げ出すので、彼らにやらせました。本願寺法王は、ちゃんと殺生をする彼らにも【救済を保証】しています。
以前、「正田家の出自」を調べたときに、関東一円は【白山信仰】が、穢多を救済していたという事実とともに、正田家の本家の【正田醤油敷地内の白山神社】を見つけ掲載しました。それと同様に、幕府は西日本には【浄土真宗による宗教的救済】を与えたのです。従って、西日本では部落地区の中には必ず浄土真宗のお寺が有るそうです。
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