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souka は欧米では極悪カルトの犯罪集団として非合法化されているよ
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/355.html
投稿者 中川隆 日時 2021 年 5 月 15 日 10:30:06: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: プチエンジェル事件の黒幕の小沢一郎の奥さんはsouka の幹部で、やはり自殺に見せかけた変死者が沢山出ているよ、旭川と全く同… 投稿者 中川隆 日時 2021 年 5 月 15 日 06:35:35)

間違いを指摘してくれればすぐに訂正するよ。
僕はコピペしているだけだから真偽はわからない。

souka は欧米では極悪カルトの犯罪集団として非合法化されているよ
まともな事をやってる訳ないだろ
オウム真理教も souka と組んで麻薬売買していた。 soukaは日本でも犯罪しかしていないよ。

>山崎正友は詐欺や脅迫で裁判で有罪となり、実刑判決を受けた人物です。

話のすべてが嘘の訳ないだろ
具体的にここが間違いだと指摘してくれたら訂正するよ  

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コメント
1. 中川隆[-4770] koaQ7Jey 2021年5月15日 10:36:21 : aAI8B5VOhA : aVNDSnNoSWkydVE=[12] 報告
souka は欧米では極悪カルトの犯罪者集団として非合法化されているよ
まともな事をやってる訳ないだろ
オウム真理教も souka と組んで麻薬売買していた。 soukaは日本でも犯罪しかしていないよ。
ヤクザ=souka なんだから、souka は犯罪者集団に決まってるんだよ。

>山崎正友は詐欺や脅迫で裁判で有罪となり、実刑判決を受けた人物です。

話のすべてが嘘の訳ないだろ
具体的にここが間違いだと指摘してくれたら訂正するよ

2. 2021年5月15日 11:34:05 : aAI8B5VOhA : aVNDSnNoSWkydVE=[13] 報告
​ @大野正伸
創価学会がセクト(反社会的カルト)で ある8の理由

【証拠1】フランスを始め、海外6ヶ国 でカルト指定されている

1995 年12月、フランス国民議 会で採択された報告書『フランスにおけるセクト』は「通常の宗教か、セクト(カルト)か」を判定する国際的な指 針の一つとされている。この報告書は、調査委員会の委員長の名前を 取って『アラン・ジュスト報告書』ともよばれ ている。
この中で、セクトの本質を「新しい形の全体主義」と定義した上で、以 下のように「セクト構成要件の10項目」を 列挙している。

精神の不安定化
法外な金銭的要求
住み慣れた生活環境からの断絶
肉体的保全の損傷
子供の囲い込み
反社会的な言説
公秩序の攪乱
裁判沙汰の多さ
従来の経済回路からの逸脱
公権力への浸透の試み

以上の項目のいずれかにあてはまる団体をセクトとみなしている。
創価学会はフランスだけではなくドイツ、チリ、ベルギー、オーストリ ア、アメリカといった国々でセクト指定され ている。

フランス政府のセクト対策はキリスト教以外を排斥するためだという陰 謀論じみたレベルの低い議論や、キリスト教 を守れという議論はフランスでは主流とならなかった。 全く違う高度な議論の末に対策の議論が行われた。

出 典
セ クト - Wikipedia

【証 拠2】専門家が創価学会をセクトと 判定

創 価学会に詳しいジャーナリスト古 川利明氏が創価学会をカルトであると判定。

創価学会は、カルトの構成用件にぴたりとあてはまる。
 この「アラン・ジュスト報告書」は、その後のカルト問題を研究する 重要な資料にもなっているが、その中で列挙 しているカルト構成用件の十項目は、次の通りである。

  (1)精神の不安定化、(2)法外な金銭要求、(3)住み慣れた生活環境からの隔絶、(4)肉体的損傷、(5) 子供の囲い込み、(6)大なり小なりの反社 会的な言説、(7)公共の秩序に対する錯乱、(8)裁判沙汰の多さ、(9)通常の経済回路からの逸脱、(10) 公権力に浸透しようとする企て

 この十項目に、わが国の創価学会がいかにぴったりとあてはまってい るかについては、拙著『カルトとしての創価 学会=池田大作』(第三書館、二〇〇〇年)で詳細に論及しているので、興味のある方は参照していただきたい。

出 典
創 価学会の「カルト度」を検証する・「巨大カルト」創価学 会の危険度 古川利明 外野

特 に「暴走財務」に象徴される(2)(=法外な金銭要求)は広く知られ ていることであるし、(5)(=子供の囲い 込み)についていえば、学会員二世、三世 に、小さい頃から池田大作著の絵本やアニメを見せて、いかに池田が尊敬すべき素晴らしい人間であるかを刷り込ま すといったことがあてはまる。(8)(=裁 判沙汰の多さ)のように訴訟を乱発して、批判意見を封じ込めようとする動きなどは、一般の人でもピンと来るだろ う。

 また、(10)の 「通常の経済回路からの逸脱」とは、詐欺や脱税、裏金捻出、不法労働の類のことで、例えば、これまでルノワール の絵画購入に関して約十五億円の裏金を捻出 したり、初代第一庶務室長・中西治雄が、一億七千五百万円入りの金庫を竹ヤブに放置したりなど、いくらでも具体 例は出てくる。
 Iの「公権力に浸透する企て」も、官公庁や大企業に学会員を侵入さ せる「総体革命」はもとより、公明党を作っ て、九九年以降、自・公で政権与党入りしている現状を見れば、あまり詳しい説明はいらないだろう。

出 典
創 価学会の「カルト度」を検証する・「巨大カルト」創価学 会の危険度 古川利明 外野

宗 教学者 島田裕巳氏が自著「民族化する創価学会」で、創価学会をユダヤになぞらえ「欧米の社会ではキリスト教社会から排除されたユダヤ人 が集まり、ネットワークを 作り上げ、特定の業界で勢力を拡大した例がある。創価学会もそうした方向へ向かっているのではないか」と創価学 会の潜在的な危険性を指摘した。
テナーサックスのマイケル・ブレッカーがユダヤ教徒であるにも関わら ず、強引にSGIの会員にさせられた可能性 があるとも述べている。

3. 中川隆[-4769] koaQ7Jey 2021年5月15日 13:24:02 : aAI8B5VOhA : aVNDSnNoSWkydVE=[14] 報告
souka 学会は鳥人コンテストが好き?
義姉歯建築士の嫁が空中遊泳した理由


耐震偽装で有名な義姉歯建築士の嫁の自殺も、実はsoukaによる他殺。

K察も知っているが、それ以上かかわらない。

souka にかかわると、自殺を装って、まるで鳥人間コンテストのようにビルから飛び降り自殺に偽装されるのが特徴

この頃、姉歯は耐震偽装の責任を自分一人の責任にされていて、
ズラを装着したままでは表を歩けないほど、非常に窮地に追い詰められていた。

もう耐えられなくなって、関係していた主犯の建設会社や国土交通省・自民党官僚のことを暴露しようとした矢先に、見せしめとして、最愛の妻がマンション屋上から鳥人間コンテストのごとく飛び立った・・・いや 飛び起たされたわけだ、souka の武装893によって。

北側国土交通大臣は層化、姉はの嫁は熱心なsouka の信者であった。主犯格の建設会社はsouka 系列の会社。
耐震偽装で被害を受けたマンションの住民もsouka 信者が多かったため、北側は税金を投入して救済に踏み切る。

この事件はsouka のsouka によるsouka のための事件として今も裏で語り継がれている。

4. 中川隆[-4768] koaQ7Jey 2021年5月15日 15:37:36 : aAI8B5VOhA : aVNDSnNoSWkydVE=[15] 報告
souka 信者は同和部落民とzainichi だけだよ。 日本人の信者はいない。
ヤクザも同和部落民とzainichi の職業だから、ヤクザは全員 souka なんだ。
5. 中川隆[-4767] koaQ7Jey 2021年5月15日 15:45:28 : aAI8B5VOhA : aVNDSnNoSWkydVE=[16] 報告
souka 信者は同和部落民とzainichi だけだよ。 日本人の信者はいない。
ヤクザも同和部落民とzainichi の職業だから、ヤクザは全員 souka なんだ。
日本人がこんなカルトを信じる訳ないだろ:

池田会長が勤めていた大倉商事という会社は手形割引専門だったのですが、手形を担保にして金を貸すわけですから手形が不渡りになると取立てが凄いです。
池田会長は、病人の布団を本当に文字通りはいで持って帰ってきたんです。江戸時代じゃあるまいし他人の使った布団なんか売れません。しかし、布団をはがれたほうは本当に凄い恐怖を感じるので親戚を廻って金を借りてきて返すわけです。池田会長は頭が良いですね。

大倉商事は創価学会の会社ですから、取立てで抜群の成績を揚げた池田会長は創価学会に引き抜かれて、その後出世をして会長になったわけです。

池田大作は寝ている病人の布団を剥いでゆく手口の金融業で富を築いていた。それを大幹部に分け与え味方に付けたと言われる。当時、池田大作は普通の会社員の100倍近くの給料を貰っていた。

6. 2021年5月15日 16:39:46 : aAI8B5VOhA : aVNDSnNoSWkydVE=[20] 報告
日本人の信者はいない。ではなくて

まともな日本人の信者はいない。

だった。
そもそも釈迦の教えは
神や死後の世界は存在しない
という事だから、souka は釈迦の教えを否定してるんだ。だからカルトなんだよ。

7. 中川隆[-4764] koaQ7Jey 2021年5月15日 16:55:44 : aAI8B5VOhA : aVNDSnNoSWkydVE=[21] 報告
日本人の信者はいない。ではなくて

まともな日本人の信者はいない。

だった。
そもそも釈迦の教えは
神や死後の世界は存在しない
という事だから、souka は釈迦の教えを否定してるんだ。だからカルトなんだよ。
仏教の事を何も知らないバカが釈迦の本当の教えだと騙されて souka を信じているんだな。

8. 中川隆[-4763] koaQ7Jey 2021年5月15日 17:12:10 : aAI8B5VOhA : aVNDSnNoSWkydVE=[22] 報告
​ @大野正伸

法華経は釈迦の死後何百年も経ってから書かれた偽経典だよ。
ブッダは、人間が死後も存在するかどうかというような人間の知識を超えることがらについては、それは独断にすぎず、無益なものであると考えて、沈黙を守りました。
________________________________

(マッジマニカーヤ72、アングッターラニカーヤ34)

ヴァッチャは、さらに、尋ねて聞いた。

「世尊よ、では、執着を離れて解脱した者は、いずこにおもむいて生れるのであろうか。」

「ヴァッチャよ、おもむいて生まれるというのは、適当ではない。」

「では、どこにもおもむいては生まれぬというのであろうか。」

「ヴァッチャよ、おもむいて生まれぬというのも、適当ではない。」

「世尊よ、それでは、わたしはまったくわからなくなってしまった。以前に世尊と対座問答することによって、わたしの得た深い確信すらも、すっかり消えうせてしまった。」

すると世尊は、彼のために、このように説明せられた。

「ヴァッチャよ、なんじがまったく解らなくなったというのは、当然であろう。ヴァッチャよ、この教えは、はなはだ深く、知りがたく、すぐれて微妙であって、智慧あるもののみが知りうるところのものである。他の見解にしたがっている者や、他の行をしている者には、とうてい知られがたいものであろう。

だが、ヴァッチャよ、わたしはさらに、なんじのために説こう。いまわたしが、なんじに問うから、思いのままに答えるがよい。

ヴァッチャよ、もしなんじの前に、火が燃えているとしたならば、なんじは、火が燃えている、と知ることができるか。」

「むろんである。」

「では、ヴァッチャよ、この火は何によって燃えるのであるかと問われたならば、なんじは何と答えるか。」

「それは、この火は、薪があるから燃えるのだと、わたしは答える。」

「では、もしなんじの前で、その火が消えたならば、なんじは、火は消えた、と知ることができるか。」

「むろんである。」

「では、ヴァッチャよ、かの火はどこに行ってしまったかと問われたならば、なんじはいかに答えるか。」

「世尊よ、それは問いが適当ではない。かの火は、薪があったから燃えたのであり、薪が尽きたから消えたのである。」

そこで、世尊は、うなずいて、説いていった。

「ヴァッチャよ、まったくその通りである。そしてそれと同じように、かの色をもって人を示す者には、色が捨てられ、その根は断たれる時、その人はすでになく、また生ぜざるものとなるであろう。

その時、ヴァッチャよ、人は色より解脱したのである。・・・

そして、ヴァッチャよ、受についても、想についても、行についても、識についても、また同じである。」

(同上、増谷文雄訳)


ヴァッチャは、古代インド人の常識として当然のごとく、バラモン教・ヒンズー教・俗信の伝統にしたがって、執着を離れて解脱したものはどこか善いところ赴いて生まれると思い込んでいたのです。

そのために、ブッダにつまずいてしまったわけです。

ブッダの思想には、どこかに赴いて生まれる(赴いて生まれない)とか、よい世界に生まれ変わる(生まれ変わらない)とかいうような問いは、「いままで燃えていた火はどこに行ったのか」と問うことがまったく見当違いの問いであるように、まったく見当違いの問いだったからです。

ブッダは、比喩を用いて、火が消えるのはただ薪が燃え尽きたから消えたにすぎないのであって、火がどこか別の世界に赴いて行ったのではない、というのです。ヴァッチャは、これを聞いてブッダの意味するところを理解することができ、ブッダに帰依します。

ブッダは「人は悟って天国に帰る」などとは説きませんでした。

9. 中川隆[-4762] koaQ7Jey 2021年5月15日 18:27:59 : aAI8B5VOhA : aVNDSnNoSWkydVE=[23] 報告
​ @大野正伸
『仏教の思想1』業について(梅原猛)
日本の仏教学者が、仏教の束縛を離れて、ヨーロッパから、直接に釈迦仏教を研究する方法を学びとったとき、彼らは、彼らが従来釈迦の教説と思っている仏教が、実は釈迦の仏教でもなんでもなく、はるか後代において、釈迦の名にかこつけて作られた経典編集者の思想にすぎないことを知ってビックリしたものでありました。

因果が、道徳の問題と結合するとき、善因善果、悪因悪果、三世の因果という考え方が生まれます。

われわれが長い間、因果の概念で知っていたのは、このような因果概念でありました。私は子どものころ、縁日に見世物を見に行きましたが、そこにはロクロ首の女や熊女などがいました。このロクロ女や熊女は親の因果が子に報いて、このような片輪者になったといわれました。明治以前までわれわれ日本人はよいことがあると、先祖のおかげでといって喜び、悪いことがあると、親の因果と思ってあきらめたものでした。

 因果の概念には宿命論的ひびきがあります。そこには、おのれの運命への諦めがあります。そして同時に、このような現世の運不運を、人間の理解できない前世の因縁と結びつけることによって、仏教は、はなはだしく、理性の正しい行使を傷つけます。因果の概念は、まさに、日本人を諦観にしばりつけるとともに、日本人の理性をマヒさせた最大の元凶のようでした。

 長い間、仏教は因果の概念をつかって、民衆に道徳を教えましたが、その概念の拡張解釈は、人問に諦観を与えるとともに、人間理性の正しい行使を妨げることに役立ったようです。近代の精神は、このような因果因縁の概念を否定することから生じるのであります。近代的理性にとって、このような因果因縁の概念こそ、まさに仏教のインチキ性を証明するものと映ったにちがいありません。

 このような因果因縁の概念は、まさに仏教の恥部であったわけです。明治以後、日本の仏教学者が、仏教の束縛を離れて、ヨーロッパから、直接に釈迦仏教を研究する方法を学びとったとき、彼らは、彼らが従来釈迦の教説と思っている仏教が、実は釈迦の仏教でもなんでもなく、はるか後代において、釈迦の名にかこつけて作られた経典編集者の思想にすぎないことを知ってビックリしたものでありました。

そればかりか、釈迦以来、二千何百年という年月は、同じことばの意味をも、まったく変えてしまったようでありました。釈迦の十二因縁の思想は、どうやら、因縁・因果の名でもって、われわれの現実に知られていた思想とまったく別な思想のようでありました。因縁の思想を釈迦それ自身において考える必要があります。明治以来の根本仏教と解する原始仏教の研究は、結局この因縁の概念、因果の概念を明らかにすることにあったといってよいかもしれません。因縁をあの伝統的な汚名から解放すること、それほあたかも、文明開化の時代の文化人に不評となった仏教を、その迷信の汚名から解放するかのような意味をもっていました。

釈迦は、やはり生病老死の原因を求めるのです。どうして人間の世界に苦があるか、世界の苦の原因は何か。そしてその原因をわれわれの心の中にある渇愛と無明に求めます。渇愛は欲望を欲望の側から、無明はむしろ知の側からそれがわれわれの知をくらませるものとしてとらえるわけです。つまりこの老死の苦の原因が、渇愛または無明、すなわち盲目の意志というわけです。このような解釈はショウペンハウエル的ですが、同時に、明治時代の日本の原始仏教研究家の多くの意見です。私はこの見方は一応正しいのではないかと思います。

 人間には苦がある。苦の原因は何か。渇愛あるいは無明。この渇愛、無明を滅ぼせ。このような苦の原因の追求と、同時に苦の滅びに関する追求、それはけっして論理的追求ではなく実存的追求といわれるべきものと思います。釈迦の思想は実存的なものであります。したがって、このような実存的な釈迦は論理的な解釈よりはるかに正しさをもちます。

 人間における渇愛と無明の深さ、のちの仏教はそれを煩悩といいます。そして仏教はじっとおのれの心の姿を見ているところがあります。暗い闇の心の凝視、それが仏教に、キリスト教以上の深みを与える思想的特質なのです。ヨーロッパの哲学では、人間を理性的自我としてとらえます。しかし、人間は理性的自我に尽きません。人間の中には深い煩悩の相がありノます。無明は無知と違います。無知は知らない心ですが、無明は知っていても止められない心であります。このような心、深い煩悩の心の考察は、ヨーロッパにおいて、ショウペンハウエル以後においてはじめて自覚に上されました。近代的な無意識の発見者フロイドは、ショウペンハウエルとニーチェから思想的示唆を得たというわけです。このように煩悩の世界、無明の世界は西洋において、ショウペンハウエル以来の哲学の一潮流にすぎないのですが、仏教ではこの間題が思想の中心問題となります。闇の煩悩の凝視、そこに仏教思想の深さがあります。

10. 中川隆[-4761] koaQ7Jey 2021年5月15日 20:37:31 : aAI8B5VOhA : aVNDSnNoSWkydVE=[25] 報告
​ @大野正伸
神仏習合の神道を信じているのが日本人です。 ユダヤ教を信じていないユダヤ人とかイスラム教を信じていないアラブ人というのは有り得ないです。日本人も同じですね。
カルトを信じるのは日本人ではありません:
神仏習合というのはそれ以前にすでに1300年の伝統のあるほとんど土着した日本の宗教的伝統である。

伊勢には御師(おし・おんし)と呼ばれる「宗教者兼観光案内人」のような人がいた。自分の家を宿坊として参拝者を宿泊させ、聖地を案内し、伊勢暦や神札を売り、加持祈祷も行った。御師の職業的な特徴はそれぞれが自分の「檀那」を有していたことである。江戸時代には伊勢に御師2000人がいて、宿坊600軒があった。当時の伊勢詣では年間300万人、檀那総数は400万軒。


羽黒山伏
羽黒山もかつては山伏が営む宿坊が300軒あり、それぞれの宿坊には「檀那」となる人々がいた。農閑期になるとその町村の人たちが「講」をつくって、連れ立って羽黒を訪れ、山伏の先達で三山で修験場を訪れ行をおこない、遊びながら故郷に帰った。羽黒に雪が降り山に登れなくなると、山伏たちは里に下りてその「檀家」を巡歴して、加持祈祷を行い、お札を売った。伊勢御師と同じである。

 あるときは定住する信者のもとを移動する宗教者が訪れ、あるときは定住する宗教者のもとを移動する信者が(聖地巡礼と観光旅行を兼ねて)訪れる。このような宗教と観光、行と娯楽の癒合したかたちは、前近代の日本に広く見られたようで、出雲大社、富士山、熊野などにも御師がいて、各地の檀那たちと密接な「師檀関係」を結んでいた。

「出羽三山は山岳信仰の聖地だ。崇峻天皇の皇子・蜂子皇子が593年に開山したといわれ、1400年の歴史と伝統を持つ。」

 出羽三山のそれぞれの山は、羽黒山が現世、月山が前世、湯殿山が来世という三世の浄土をあらわすとされる。現在の出羽三山をめぐる旅は、初日に羽黒山を登って出羽三山神社・三神合祭殿を参拝し、その後は宿坊や旅館などに宿をとる。翌日月山に登って月山神社本宮を参拝、湯殿山まで縦走し、湯殿山神社本宮を参拝する。

 「羽黒山の入り口の2446段ある石段を登ると、樹齢1000年をこえるスギや国宝五重塔があらわれる。そこで山の霊気を体感してもらいたい。山は母胎であって、母胎にこもって新しい命をいただいて出てくる、つまり生まれかわりの旅だ」(星野博氏)。

では、山伏とはどんな人か? 白装束を身にまとい、金剛杖にホラ貝を持っている写真は見たことがあるが、いったいどんな修行をしているのか?

 「はるか昔、日本列島に暮らしていた人々にとって、山は神の宿る聖域であり、子孫を見守る祖霊が鎮まるところと考えられていました。修験道はそのようなおだやかな山岳信仰に根を下ろしながら、仏教とりわけ密教や道教などの影響を受けて形づくられました。修験道は中世以降、聖なる山に分け入って谷を渡り、山々を駈け、山に籠もり、山の神霊を我が身に宿す修行を重ねた山伏たちを通じて、人々に受け入れられてきました。日本の多くの霊山が信仰を集める中で、この東北の地に起こったのが羽黒修験道です」(羽黒町観光協会ホームページ)

 現在おこなわれている山伏の修行は、「秋の峰」と「冬の峰」の二つだ。出羽三山神社の「秋の峰」は8月26日〜9月1日(6泊7日)、荒澤寺は8月24日〜9月1日(7泊8日)。女性のみを対象とする「神子修行」(出羽三山神社、3泊4日)があり、そのほか羽黒町観光協会が主催する「山伏修行体験塾」(2泊3日)や、宿坊主催の修行体験の場もある。

 山伏の修行も死と再生=生まれかわりの行であり、抖(と)そう(山をひたすら登る)、南蛮いぶし(唐辛子の粉末を火鉢でいぶして部屋中に蔓延させる)、滝行、三食一汁一菜の食事など厳しいものだという。この「秋の峰」を経験すれば山伏になれる。

出羽三山の精進料理

 また「冬の峰」は、地元手向集落の山伏から2人が選ばれ、9月24日から大晦日まで100日間に及ぶ籠もり行としておこなわれている。

11. 中川隆[-4760] koaQ7Jey 2021年5月15日 20:52:40 : aAI8B5VOhA : aVNDSnNoSWkydVE=[26] 報告
​ @大野正伸
神仏習合の神道を信じているのが日本人です。 ユダヤ教を信じていないユダヤ人とかイスラム教を信じていないアラブ人というのは有り得ないです。日本人も同じですね。
カルトを信じるのは日本人ではありません:
神仏習合というのはそれ以前にすでに1300年の伝統のあるほとんど土着した日本の宗教的伝統である。

伊勢には御師(おし・おんし)と呼ばれる「宗教者兼観光案内人」のような人がいた。自分の家を宿坊として参拝者を宿泊させ、聖地を案内し、伊勢暦や神札を売り、加持祈祷も行った。御師の職業的な特徴はそれぞれが自分の「檀那」を有していたことである。江戸時代には伊勢に御師2000人がいて、宿坊600軒があった。当時の伊勢詣では年間300万人、檀那総数は400万軒。

羽黒山伏
羽黒山もかつては山伏が営む宿坊が300軒あり、それぞれの宿坊には「檀那」となる人々がいた。農閑期になるとその町村の人たちが「講」をつくって、連れ立って羽黒を訪れ、山伏の先達で三山で修験場を訪れ行をおこない、遊びながら故郷に帰った。羽黒に雪が降り山に登れなくなると、山伏たちは里に下りてその「檀家」を巡歴して、加持祈祷を行い、お札を売った。伊勢御師と同じである。

 あるときは定住する信者のもとを移動する宗教者が訪れ、あるときは定住する宗教者のもとを移動する信者が(聖地巡礼と観光旅行を兼ねて)訪れる。このような宗教と観光、行と娯楽の癒合したかたちは、前近代の日本に広く見られたようで、出雲大社、富士山、熊野などにも御師がいて、各地の檀那たちと密接な「師檀関係」を結んでいた。

「出羽三山は山岳信仰の聖地だ。崇峻天皇の皇子・蜂子皇子が593年に開山したといわれ、1400年の歴史と伝統を持つ。」

 出羽三山のそれぞれの山は、羽黒山が現世、月山が前世、湯殿山が来世という三世の浄土をあらわすとされる。現在の出羽三山をめぐる旅は、初日に羽黒山を登って出羽三山神社・三神合祭殿を参拝し、その後は宿坊や旅館などに宿をとる。翌日月山に登って月山神社本宮を参拝、湯殿山まで縦走し、湯殿山神社本宮を参拝する。

 「羽黒山の入り口の2446段ある石段を登ると、樹齢1000年をこえるスギや国宝五重塔があらわれる。そこで山の霊気を体感してもらいたい。山は母胎であって、母胎にこもって新しい命をいただいて出てくる、つまり生まれかわりの旅だ」(星野博氏)。

では、山伏とはどんな人か? 白装束を身にまとい、金剛杖にホラ貝を持っている写真は見たことがあるが、いったいどんな修行をしているのか?

 「はるか昔、日本列島に暮らしていた人々にとって、山は神の宿る聖域であり、子孫を見守る祖霊が鎮まるところと考えられていました。修験道はそのようなおだやかな山岳信仰に根を下ろしながら、仏教とりわけ密教や道教などの影響を受けて形づくられました。修験道は中世以降、聖なる山に分け入って谷を渡り、山々を駈け、山に籠もり、山の神霊を我が身に宿す修行を重ねた山伏たちを通じて、人々に受け入れられてきました。日本の多くの霊山が信仰を集める中で、この東北の地に起こったのが羽黒修験道です」(羽黒町観光協会ホームページ)

 現在おこなわれている山伏の修行は、「秋の峰」と「冬の峰」の二つだ。出羽三山神社の「秋の峰」は8月26日〜9月1日(6泊7日)、荒澤寺は8月24日〜9月1日(7泊8日)。女性のみを対象とする「神子修行」(出羽三山神社、3泊4日)があり、そのほか羽黒町観光協会が主催する「山伏修行体験塾」(2泊3日)や、宿坊主催の修行体験の場もある。

 山伏の修行も死と再生=生まれかわりの行であり、抖(と)そう(山をひたすら登る)、南蛮いぶし(唐辛子の粉末を火鉢でいぶして部屋中に蔓延させる)、滝行、三食一汁一菜の食事など厳しいものだという。この「秋の峰」を経験すれば山伏になれる。

出羽三山の精進料理

 また「冬の峰」は、地元手向集落の山伏から2人が選ばれ、9月24日から大晦日まで100日間に及ぶ籠もり行としておこなわれている。

_____________

因みに、仏教では葬式はやらない。 京都や奈良の寺院で葬式なんかやらないだろ。
日本のお寺でやっている葬式、お盆、彼岸、正月はすべて神道の儀式だ。
日本仏教というのは神道で古老がやっていた儀式をお坊さんが生業として引き継いだだけで、仏教の儀式ではない。

12. 中川隆[-4759] koaQ7Jey 2021年5月15日 21:38:48 : aAI8B5VOhA : aVNDSnNoSWkydVE=[27] 報告
昔は部落民と chousen 人に宗教の自由は無かった。
江戸時代エタ寺ってのがあって部落の人は指定されたエタ寺にしかいけなかった。信仰していいのは浄土真宗だけだったんだよ。
それで浄土真宗は軽くみられている。

真言宗は部落民は入れない。
これで婚姻など差別されていた為、souka など訳のわからないカルトを信じる集団となった

13. 中川隆[-4758] koaQ7Jey 2021年5月15日 21:57:10 : aAI8B5VOhA : aVNDSnNoSWkydVE=[28] 報告
神道は農民の宗教
部落民とchousen人はヤクザ、風俗、肉屋、毛皮屋、靴屋、死体処理みたいな仕事だから宗教が違うんだ
14. 2021年5月15日 22:22:19 : aAI8B5VOhA : aVNDSnNoSWkydVE=[29] 報告
日本は昔からカースト制の国なんだよ。
縄文人系は同和部落民・小作人
弥生人系は百姓
漢民族系は支配階級
みんな宗教と仕事が違うんだ
神道と言っても、縄文系、道教系、chousen系、漢民族系と沢山種類が有るからね

souka は在日と部落民の宗教
一般の日本人は無信仰で葬式だけお坊さんに頼む

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