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(回答先: 現代の中国とkankokuは完全な儒教国家。儒教は徳治主義 投稿者 保守や右翼には馬鹿し 日時 2023 年 4 月 01 日 22:03:59)
マルクスの本を一冊も読んだ事が無い毛沢東が目指した中国式共産主義とは古来の伝統的な儒教思想だよ
科挙制度が最大に機能したのは宋(960年〜1279年)時代だった。隋や唐の時代はまだ世襲貴族の力が強かったが、宋代になると、世襲者の無能によって権力内で貴族階級が衰弱し力を失ったことで、宋時代には、科挙試験合格が高級官僚への唯一の道になった。
中国における高級官僚の地位は、今では想像もできないほど強大なものだった。中国では伝統的に公金と私財の区別がなく、権力者は、公権力を利用して、私利私欲をほしいままにした。
賄賂も当然で、官僚は、税や付届の金や供物の中から一定額(一説には、集めたお金のたかだか1%以下)さえ皇帝に上納すれば、あとは私財とすることが可能だった。
この中国的強欲の官僚私物化習慣が、現代中国にまで連綿と続いている。中国国家の腐敗の根源は、この官僚私物化習慣にある。
科挙は、宋代までは、優秀な実務者を選ぶ機能を果たしたが、明代(1368年〜1644年)になると朱子学の影響が強くなり、出題範囲は四書五行(論語、孟子、大学、中庸、易経、詩経、書経、礼記、春秋)に限定されることにより、ひたすら暗記したものだけが合格できるようになった。
この当時、科挙試験は、「八股文」という定型で回答しなければならなかった。
これは「対句」と呼ばれる、出題に対して、同じ文体文節をもって解答を与える形式で、科挙試験の形式主義の愚を象徴するものだった。
「科挙八股」という言葉は、清朝崩壊後まで、民衆感覚から遠く離れた、雲の上に住む中国の官僚主義の代名詞となっている。
朱子学というのは、宋代に作られ、明代に発展し、日本にも持ち込まれた儒教の応用解釈で、中国だけでなく、ベトナム、朝鮮、日本など東アジアの広い範囲で、儒教思想を定着させる効果があった。
朱子学は、国家権力を維持するのに、実に都合の良い思想だったのだ。
天下の物、すなわち必ずおのおの然る所以の故と、其の当に然るべきの則と有り、これいわゆる理なり。 — 朱子、『大学或問』
「すべての事物現象に必然性がある」と弁証法的な解釈を見せているものの、儒教創始者である孔子の教えに忠実であり、儒教のエッセンスともいうべき「長幼序列、権威への服従」が「おのおの然る所以」と、あたかも、人間の価値、権力が生まれながらに天から与えられたものであり、すべての人々が権力や地位に服従することが国家安定の前提であるかのように言う。
「そこにある権力は天から与えられたものであり、それに服従することが平和と安定の原理」であるかのように決めつけているわけで、これを見れば権力者は大喜び、徳川家康などは、藤原惺窩や林羅山と相談して、この思想を国家安泰の礎とすべき国論と定めた。
儒教というのは、序列を最大の価値とするわけだから、自分の序列を守ることが、すなわちメンツを守ることであり、守るべき順位でいえば、
@国家 A階級 B地位 C性別
というあたりだろうか? 個人の権利など含まれていない。
儒教思想は、徹底した「長幼序列主義」であり、女性を「子を産むための道具」としかない男性優位封建社会である。
その根拠になっている「人には持って生まれた序列がある」という儒教価値観であり、制度として担保するのが選抜受験制度である。
夫婦であれば男親、兄弟であれば長男、社会であれば地位・階級・家柄、親族であれば年長者が、実力もないのに威張り腐ることを容認する社会常識がコンクリートのように社会を支えている。
だから、みんな必死になって見栄を張っている。カネがなくとも高級車に乗っていれば、誰からも馬鹿にされずにすむ。
見知らぬ人と出会うとき、最初に「こいつは自分より上か下か?」と探るのが人間関係の流儀である。
儒教的序列価値観の前には、真実さえも力を持たない。年長者や権力者であれば、どんなに汚いウソをついても無理矢理許容させられる社会だ。
夫であれば妻を足蹴にして、奴隷のように扱うことが常識として通用する社会だ。
見栄やメンツのためなら、どんなウソでも犯罪でも通用し、ばれたら「謝罪すればいい」という社会秩序が成立している。
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