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日本が戦争への道を歩き始めたのは1995年のことである
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投稿者 中川隆 日時 2023 年 1 月 05 日 10:14:14: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 中国は移民を入れて国を乗っ取るというのが昔からの戦略です。 投稿者 中川隆 日時 2022 年 12 月 17 日 13:08:47)

日本が戦争への道を歩き始めたのは1995年のことである。それから28年が経った今、中国やロシアは日本を軍事的な脅威とみなしている。経済面への波及は避けられないだろう。今岐路にたっているわけではない。そうした中、岸田文雄首相は1月13日にホワイトハウスでジョー・バイデン米首相と会談するという。
 岸田政権は12月16日、「国家安全保障戦略(NSS)」、「国家防衛戦略」、「防衛力整備計画」の軍事関連3文書を閣議決定、2023年度から5年間の軍事費を現行計画の1.5倍以上にあたる43兆円に増額、「敵基地攻撃能力」を保有することを明らかにしている。13日の会談では軍事力についても話し合われるだろう。

 アメリカやイギリスは日本が中国やロシアと友好的な関係を築くことを嫌ってきた。そのために仕掛けられたのが「領土問題」。ロシアとは「北方領土」、中国とは「尖閣諸島」だ。

 日本の領土問題を考える場合、1945年2月の「ヤルタ協定」から考えなければならない。アメリカのフランクリン・ルーズベルト、イギリスのウィンストン・チャーチル、ソ連のヨシフ・スターリンがクリミア半島のヤルタで会談した際に決められもので、ドイツが降伏し、ヨーロッパでの戦争が終結してから2カ月から3カ月後にソ連が日本に宣戦布告する条件を取り決めている。

 ルーズベルト大統領は1945年4月12日に急死、副大統領のハリー・トルーマンが昇格した。ニューメキシコ州のトリニティ実験場でプルトニウム原爆の爆発実験が7月16日に実施され、その翌日からポツダム会談が始まった。新大統領が原子爆弾の投下を許可したのは7月24日のことである。アメリカは8月6日に広島へ、また8月9日に長崎へ原子爆弾を投下、ソ連は8月8日に日本へ宣戦した。

 日本は8月9日の「御前会議」でポツダム宣言の受諾を決定、その旨を翌日に連合国側へ打電、事実上、降伏が決まった。その宣言は7月17日から8月2日にかけてポツダムで開かれた米英ソの3カ国首脳による討議の中で決められ、7月26日に発表されている。

 ポツダム宣言はカイロ宣言の履行を求め、日本の主権は本州、北海道、九州、四国のほか、連合国側が定める小さな島々に限られるとしている。その小島は1946年1月に出された「連合軍最高司令部訓令」で示されているが、竹島、千島列島、歯舞群島、色丹島は日本の領土から除かれている。

 また、カイロ宣言には日本が清国(中国)人から奪った全ての地域を中華民国(中国)へ返還すると明記されている。18世紀に作られた中国や日本の地図では尖閣諸島を中国の支配下にあるとしていることなどを根拠に、この宣言でこの島々は中国領だというのが中国の主張だ。

 第2次世界大戦後、鳩山一郎政権はロシアとの関係修復に乗り出し、1956年10月に日ソ共同宣言に署名、歯舞島と色丹島を日本領にするというソ連案を受け入れるが、アメリカのドワイト・アイゼンハワー政権はこの案を潰す。日本とソ連が友好関係を結ぶことをアメリカは許さなかった。

 日本と中国の間には尖閣諸島が横たわり、両国が友好関係を結ぶ障害になる。それを解決したのが田中角栄と周恩来。1972年9月に両者は日中共同声明に調印、その際に尖閣諸島の問題を「棚上げ」することで合意したのだ。この合意で日中両国は日本の実効支配を認め、中国は実力で実効支配の変更を求めないことを決めている。

 この合意によって日本と中国な関係は緊密になり、経済的な結びつきも強まったが、その関係を菅直人政権は壊した。同政権は2010年6月、尖閣諸島には「解決すべき領有権の問題は存在しない」とする答弁書を閣議決定し、「棚上げ」の合意を潰したのだ。日本と中国の友好関係を壊しにかかったと言える。

 この決定に基づいて海上保安庁は尖閣諸島周辺の海域における警備基準を日中漁業協定基準から国内法基準に変更、海上保安庁の巡視艦が中国漁船を取り締まり、衝突事件に発展。海上保安庁は国土交通省の外局だが、その当時の国土交通大臣は前原誠司だ。

 閣議決定の4カ月前、アメリカの国務次官補だったカート・キャンベルが来日、前原と会談したと言われている。アメリカ政府の意向(あるいは命令)に従い、中国との関係を破壊したわけで、アメリカ政府の命令でロシアとの関係を壊したEUと似たものがある。日本が1995年にアメリカの戦争マシーンへ組み込まれる際にもキャンベルは重要な役割を演じた。

 1991年12月にソ連が消滅、ネオコンなどアメリカの好戦派は自国が「唯一の超大国」になり、他国に気兼ねすることなく単独で行動できる時代になったと考えたのだ。そして世界制覇プランを作成する。

 そのプランはネオコンが支配していた国防総省で「DPG草案」として作成された。その当時の大統領はジョージ・H・W・ブッシュ、国防長官はディック・チェイニー、国防次官はポール・ウォルフォウィッツだ。ウォルフォウィッツを中心に作成されたことから草案は「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。

 ところが細川護熙政権は国連中心主義を掲げ続け、1994年4月に潰される。この時、マイケル・グリーンとパトリック・クローニンはキャンベルを説得し、国防次官補だったジョセイフ・ナイに接触。1995年2月にナイは「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表したのだ。

 レポートが発表された翌月、帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布され(地下鉄サリン事件)、國松孝次警察庁長官が狙撃されている。8月には日本航空123便の墜落に自衛隊が関与していることを示唆する大きな記事がアメリカ軍の準機関紙であるスターズ・アンド・ストライプ紙に掲載された。  

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