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(回答先: ジャズ「Somethin’ Else」を聴く 投稿者 中川隆 日時 2022 年 5 月 16 日 16:48:01)
「音楽&オーディオ」の小部屋
ジャズ「カインド・オブ・ブルー」を聴く
2019年10月17日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/31fb160977615f048c9d1199ce7292bb
県内在住のKさんから頂いた4枚のアルバム(ジャズ)の解説について、その内からとりあえず「サムシン・エルス」を、つい先日搭載したのはご承知のとおりですよね。
このブログの読者はジャズ・ファンが多いとにらんだ通り、とても反響が多くて、メル友さんからも「サムシンエルス」の名解説に感心され、残りの3枚についてもぜひ紹介してほしいと強いご要望があったのでこれから折を見て一枚づつ紹介させていただこう。
今回は2枚目に当たる「カインド・オブ・ブルー」。
Kさん、おかげさまでこのブログに貴重な「彩」を添えていただき感謝しています。
この1959年に録音された歴史的モダンジャズの傑作は、ビル・エヴァンスの参加なくして誕生しなかった。
この頃、コード進行に従って即興演奏を行なうことに限界を感じていたマイルスは、モードによるアプローチを探索し、白羽の矢を立てたのがエヴァンスである。
実際には、半年余り前に正規メンバーとして活動していたものの、他のメンバーや演奏するクラブのオーナーらから黒人でないという理由の逆差別を受けていて退団を余儀なくされていた。
しかし、次回作のアルバム制作には是非ともエヴァンスのアイデア、スケッチが必要で、参加を要請したのだ。
そしてここからがマイルスの凄みと言えるが、録音当日に事前に知らされなかったピアニストが、2人鉢合わせとなる。
新しく正規メンバーとなったウィントン・ケリーには、何でビル・エヴァンスがここにいるのか理解できなかった。
しかも、ウォーミングアップのつもりの「フレディ・フリーローダー」の1曲のみ録音してケリーを帰してしまったのだ。
ケリーの心中を察するに、いかばかりかと思わざるを得ない。この軋轢、緊張感がスタジオ全体に漲り、張り詰めた空気が60年を隔てた今でも薄まることがない。
あたかも惑星直列のような磁場が働き、稀有な演奏者のパフォーマンスが録音されたのである。
さらに余談だが、録音されたコロンビア(CBS)のニューヨーク30丁目スタジオは、元ギリシャ正教会でホールの効果が絶妙なサウンドとして、クラシック、ジャズを問わず数々の名盤が制作された。
録音技師は名手フレッド・プラウト。建築を思わせるような安定した土台基礎部分の低音、ピアノのアコースティックな響きを最上のバランスで捉え、ホーンの咆哮の生々しさ、トップシンバルからは星屑が落ちてくるような質感で迫ってくる名録音である。
しかし、物語はこれでは終わらない。1992年になって、マスターのテープ録音機の不調で1/4ピッチ高めの音でリリースされ続けたことが判り、録音から33年経ってやっとセーフティのもう1台のテープから正確なピッチのCDが発売の運びとなった。
ビル・エヴァンスと言えばトリオ構成が一般的だが、いの一番にこのマイルスのアルバムを挙げたい。
クラシックの素養に裏打ちされた、ラベルやドビュッシーらの印象派の響きがJAZZに注がれた。ピアノの和声の響きを例えるなら、空気を描くことに腐心したモネの、色を混ぜ合わせる効果に近い。
マイルスに影響を与えた白人の音楽家、2人のエヴァンスのもう一人ギル・エヴァンス(アレンジャー)の手になる「ソー・ホワット」のピアノのイントロによく表れている。
エヴァンスに限れば、「ブルー・イン・グリーン」や、ピアノの羽ばたきのようなトレモロが印象的な「オール・ブルース」、スパニッシュモードの「フラメンコ・スケッチズ」が聴きものである。
まさに無人島に1枚だけ持って行くCDの最右翼である。
以上のとおりだが、熱い、実に熱い!
大いに刺激を受けて我が家でも耳を傾けてみました。
ジャズは門外漢だが、当時の超一流のメンバーたちの緊張感に溢れた熱気に完膚(かんぷ)なきまでに打ちのめされたことをご報告しておこう。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/31fb160977615f048c9d1199ce7292bb
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