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最新の核DNA解析で日本人には縄文人の遺伝子が入っていない事がわかった
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/304.html
投稿者 中川隆 日時 2022 年 2 月 07 日 11:03:54: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 


チャンネル桜の自称専門家の話を信じてしまったのですね。 そもそもチャンネル桜の自称専門家は遺伝学の知識も考古学・民族学の知識も完全にゼロなので信頼度も完全にゼロです。 真実は

最新の核DNA解析で日本人には縄文人の遺伝子が入っていない事がわかった

従来 弥生人と言われていた民族も弥生前期は長江系 chousen 人、後期は 漢民族系 c house n 人で、完全に別民族です。
天皇一族は弥生時代後期に北九州に植民市を作り c house n との交易に従事し、漢文を書き、高価な中国製の鏡を大量に持って居たので、勿論 漢民族系 c house n 人です。
書紀で「天」は chousen 半島を指す。最新の核DNA解析で日本人には縄文人の遺伝子が入っていない事がわかった:
現代日本人の縄文遺伝子 YHg-D1a2a1(旧D1b1)は日本の縄文人には殆ど見つからないので、縄文人(YHg- D1a2a2)とは似ているけど少し違う民族なんですね:

 現代日本の「(本州・四国・九州を中心とする)本土」集団は、漢人系統(84.3%)と「縄文人」系統(15.7%)の混合、もしくは朝鮮人系統(87.6%)と縄文人系統(12.4%)の混合としてモデル化され、両者を統計的に区別できません。この分析が示唆するのは、日本の「本土」系統が直接的に漢人もしくは朝鮮人によりもたらされた、ということではなく、まだ古代DNAデータの得られていない、漢人と朝鮮人の系統に大きな割合を残した集団と関連した祖先的集団からもたらされた、ということです。

7人の「縄文人」は、紀元前1500〜紀元前1000年頃となる北海道の礼文島の船泊遺跡の1人と、紀元前3500〜紀元前2000年頃となる千葉市の六通貝塚の6人です。船泊遺跡の方は、高品質なゲノム配列が得られている女性個体ではなく、男性個体が分析対象となっており、この男性個体はmtHg-N9b1で、YHgは以前D1a2a2b(旧D1b2b)と報告されていましたが(関連記事)、今回はDとのみ報告されています。六通貝塚の6人のmtHgはいずれもN9bで、さらに詳細に分類されている3人のうち2人がN9b1、1人がN9b2aです。六通貝塚の6人のうち3人が男性で、YHgはD1a2a1c1(旧D1b1c1)です。

現代日本人のYHg-Dのうち多数派はYHg-D1a2a1(旧D1b1)ですが、これまで「縄文人」で詳細に確認されていたのは現代日本人では少数派のYHg- D1a2a2(旧D1b2)のみでした。

本論文はまだ査読前ですが、これは「縄文人」としては初めて確認されたYHg-D1a2a1の事例になると思います。これまで、「縄文人」ではYHg-D1a2a1が確認されておらず、YHg- D1a2a2のみだったので、YHg-D1a2a1が弥生時代以降に日本列島に到来した可能性も想定していたのですが(関連記事)、これでYHg-D1a2aが「縄文人」由来である可能性はやはり高い、と言えそうです。
https://sicambre.at.webry.info/202004/article_41.html  

ニブフはオホーツク人の子孫だと言われていますが、オホーツク人の遺伝子は4割しか残っていません。
アイヌ人の場合は 縄文人の遺伝子87.5%, オホーツク人の遺伝子 12.5% なのでほぼ縄文人そのものです:


アイヌ人の父系系譜を示すY染色体ハプログループの構成比については、日本列島固有のハプログループD1a2aが87.5%(うちD1a2a*が13/16=81.25%、D1a2a1aが1/6=6.25%)と大半を占める。ハプログループD1a2aは日本列島以外ではほぼ確認されず、縄文人特有の系統であったと考えられている。これは琉球人で50%弱、本土日本人で30%ほどであるため、アイヌ人は現代日本人の中では縄文人の遺伝子を最も色濃く引き継いでいると言える。他に北方シベリアから樺太を経て南下してきたと考えられるC2が2/16=12.5%と報告されている[57]。

縄文人の言葉は日本語でもニブフ語でもツングース語でもないのがわかっているので、アイヌ語しかありません:

朝鮮半島における無文土器文化の担い手は現代日本語の祖先となる日本語族に属する言語を話していたという説が複数の学者から提唱されている。

これらの説によれば現代の朝鮮語の祖先となる 朝鮮語族に属する言語は古代満州南部から朝鮮半島北部にわたる地域で確立され、その後この朝鮮語族の集団は北方から南方へ拡大し、朝鮮半島中部から南部に存在していた日本語族の集団に置き換わっていったとしている。またこの過程で南方へ追いやられる形となった日本語族話者の集団が弥生人の祖であるとされる。

この朝鮮語族話者の拡大及び日本語族話者の置き換えが起きた時期については諸説ある。ジョン・ホイットマンや宮本一夫らは満州から朝鮮半島南部に移住した日本語族話者が無文土器時代の末まで存続し、琵琶形銅剣の使用に代表される朝鮮半島青銅器時代に朝鮮語話者に置き換わったとしている。 一方でAlexander Vovinは朝鮮半島の三国時代において高句麗から朝鮮語族話者が南下し、百済・新羅・加耶などの国家を設立するまで朝鮮半島南部では日本語族話者が存在していたとする。


朝鮮の無文土器時代
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%96%87%E5%9C%9F%E5%99%A8%E6%99%82%E4%BB%A3

朝鮮の無文土器時代の開始は朝鮮における水稲作の開始時期とほぼ一致する。このことから、朝鮮に長江文明由来の水稲作をもたらした人々が、無文土器文化の担い手であった可能性が考えられる。

崎谷満はY染色体ハプログループO1b(O1b1/O1b2)系統が長江文明の担い手だとしており、長江文明の衰退に伴い、O1b1および一部のO1b2は南下し、百越と呼ばれ、残りのO1b2は西方及び北方へと渡り、山東半島、朝鮮半島、日本列島へ渡ったとしている[1] 。

このことから、朝鮮に無文土器文化をもたらした人々はO1b2系統に属していたことが考えられる[1]。O1b2系統は現在の朝鮮民族に20〜40%ほど観察されている。

言語系統

朝鮮半島における無文土器文化の担い手は現代日本語の祖先となる日本語族に属する言語を話していたという説が複数の学者から提唱されている。
これらの説によれば現代の朝鮮語の祖先となる 朝鮮語族に属する言語は古代満州南部から朝鮮半島北部にわたる地域で確立され、その後この朝鮮語族の集団は北方から南方へ拡大し、朝鮮半島中部から南部に存在していた日本語族の集団に置き換わっていったとしている。またこの過程で南方へ追いやられる形となった日本語族話者の集団が弥生人の祖であるとされる。

この朝鮮語族話者の拡大及び日本語族話者の置き換えが起きた時期については諸説ある。ジョン・ホイットマンや宮本一夫らは満州から朝鮮半島南部に移住した日本語族話者が無文土器時代の末まで存続し、琵琶形銅剣の使用に代表される朝鮮半島青銅器時代に朝鮮語話者に置き換わったとしている。 一方でAlexander Vovinは朝鮮半島の三国時代において高句麗から朝鮮語族話者が南下し、百済・新羅・加耶などの国家を設立するまで朝鮮半島南部では日本語族話者が存在していたとする。  

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コメント
1. 中川隆[-13820] koaQ7Jey 2022年2月07日 11:36:00 : oCqatUkqPM : VzByNlhuRTcyRkE=[35] 報告
​ @稲村正治
チャンネル桜の自称専門家の話を信じてしまったのですね。 そもそもチャンネル桜の自称専門家は遺伝学・自然人類学の知識も考古学・言語学・民族学の知識も完全にゼロなので信頼度も完全にゼロです。 真実は

最新の核DNA解析で日本人には縄文人の遺伝子が入っていない事がわかった

従来 弥生人と言われていた民族も弥生前期は長江系 chousen 人、後期は 漢民族系 c house n 人で、完全に別民族です。
天皇一族は弥生時代後期に北九州に植民市を作り c house n との交易に従事し、漢文を書き、高価な中国製の鏡を大量に持って居たので、勿論 漢民族系 c house n 人です。
書紀で「天」は chousen 半島を指す。最新の核DNA解析で日本人には縄文人の遺伝子が入っていない事がわかった:
現代日本人の縄文遺伝子 YHg-D1a2a1(旧D1b1)は日本の縄文人には殆ど見つからないので、縄文人(YHg- D1a2a2)とは似ているけど少し違う民族なんですね:

 現代日本の「(本州・四国・九州を中心とする)本土」集団は、漢人系統(84.3%)と「縄文人」系統(15.7%)の混合、もしくは朝鮮人系統(87.6%)と縄文人系統(12.4%)の混合としてモデル化され、両者を統計的に区別できません。この分析が示唆するのは、日本の「本土」系統が直接的に漢人もしくは朝鮮人によりもたらされた、ということではなく、まだ古代DNAデータの得られていない、漢人と朝鮮人の系統に大きな割合を残した集団と関連した祖先的集団からもたらされた、ということです。

7人の「縄文人」は、紀元前1500〜紀元前1000年頃となる北海道の礼文島の船泊遺跡の1人と、紀元前3500〜紀元前2000年頃となる千葉市の六通貝塚の6人です。船泊遺跡の方は、高品質なゲノム配列が得られている女性個体ではなく、男性個体が分析対象となっており、この男性個体はmtHg-N9b1で、YHgは以前D1a2a2b(旧D1b2b)と報告されていましたが(関連記事)、今回はDとのみ報告されています。六通貝塚の6人のmtHgはいずれもN9bで、さらに詳細に分類されている3人のうち2人がN9b1、1人がN9b2aです。六通貝塚の6人のうち3人が男性で、YHgはD1a2a1c1(旧D1b1c1)です。

現代日本人のYHg-Dのうち多数派はYHg-D1a2a1(旧D1b1)ですが、これまで「縄文人」で詳細に確認されていたのは現代日本人では少数派のYHg- D1a2a2(旧D1b2)のみでした。

本論文はまだ査読前ですが、これは「縄文人」としては初めて確認されたYHg-D1a2a1の事例になると思います。これまで、「縄文人」ではYHg-D1a2a1が確認されておらず、YHg- D1a2a2のみだったので、YHg-D1a2a1が弥生時代以降に日本列島に到来した可能性も想定していたのですが(関連記事)、これでYHg-D1a2aが「縄文人」由来である可能性はやはり高い、と言えそうです。
https://sicambre.at.webry.info/202004/article_41.html  

ニブフはオホーツク人の子孫だと言われていますが、オホーツク人の遺伝子は4割しか残っていません。
アイヌ人の場合は 縄文人の遺伝子87.5%, オホーツク人の遺伝子 12.5% なのでほぼ縄文人そのものです:


アイヌ人の父系系譜を示すY染色体ハプログループの構成比については、日本列島固有のハプログループD1a2aが87.5%(うちD1a2a*が13/16=81.25%、D1a2a1aが1/6=6.25%)と大半を占める。ハプログループD1a2aは日本列島以外ではほぼ確認されず、縄文人特有の系統であったと考えられている。これは琉球人で50%弱、本土日本人で30%ほどであるため、アイヌ人は現代日本人の中では縄文人の遺伝子を最も色濃く引き継いでいると言える。他に北方シベリアから樺太を経て南下してきたと考えられるC2が2/16=12.5%と報告されている[。

縄文人の言葉は日本語でもニブフ語でもツングース語でもないのがわかっているので、アイヌ語しかありません:

朝鮮半島における無文土器文化の担い手は現代日本語の祖先となる日本語族に属する言語を話していたという説が複数の学者から提唱されている。

これらの説によれば現代の朝鮮語の祖先となる 朝鮮語族に属する言語は古代満州南部から朝鮮半島北部にわたる地域で確立され、その後この朝鮮語族の集団は北方から南方へ拡大し、朝鮮半島中部から南部に存在していた日本語族の集団に置き換わっていったとしている。またこの過程で南方へ追いやられる形となった日本語族話者の集団が弥生人の祖であるとされる。

この朝鮮語族話者の拡大及び日本語族話者の置き換えが起きた時期については諸説ある。ジョン・ホイットマンや宮本一夫らは満州から朝鮮半島南部に移住した日本語族話者が無文土器時代の末まで存続し、琵琶形銅剣の使用に代表される朝鮮半島青銅器時代に朝鮮語話者に置き換わったとしている。 一方でAlexander Vovinは朝鮮半島の三国時代において高句麗から朝鮮語族話者が南下し、百済・新羅・加耶などの国家を設立するまで朝鮮半島南部では日本語族話者が存在していたとする。

朝鮮の無文土器時代
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%96%87%E5%9C%9F%E5%99%A8%E6%99%82%E4%BB%A3

朝鮮の無文土器時代の開始は朝鮮における水稲作の開始時期とほぼ一致する。このことから、朝鮮に長江文明由来の水稲作をもたらした人々が、無文土器文化の担い手であった可能性が考えられる。

崎谷満はY染色体ハプログループO1b(O1b1/O1b2)系統が長江文明の担い手だとしており、長江文明の衰退に伴い、O1b1および一部のO1b2は南下し、百越と呼ばれ、残りのO1b2は西方及び北方へと渡り、山東半島、朝鮮半島、日本列島へ渡ったとしている 。

このことから、朝鮮に無文土器文化をもたらした人々はO1b2系統に属していたことが考えられる[1]。O1b2系統は現在の朝鮮民族に20〜40%ほど観察されている。

言語系統

朝鮮半島における無文土器文化の担い手は現代日本語の祖先となる日本語族に属する言語を話していたという説が複数の学者から提唱されている。
これらの説によれば現代の朝鮮語の祖先となる 朝鮮語族に属する言語は古代満州南部から朝鮮半島北部にわたる地域で確立され、その後この朝鮮語族の集団は北方から南方へ拡大し、朝鮮半島中部から南部に存在していた日本語族の集団に置き換わっていったとしている。またこの過程で南方へ追いやられる形となった日本語族話者の集団が弥生人の祖であるとされる。

この朝鮮語族話者の拡大及び日本語族話者の置き換えが起きた時期については諸説ある。ジョン・ホイットマンや宮本一夫らは満州から朝鮮半島南部に移住した日本語族話者が無文土器時代の末まで存続し、琵琶形銅剣の使用に代表される朝鮮半島青銅器時代に朝鮮語話者に置き換わったとしている。 一方でAlexander Vovinは朝鮮半島の三国時代において高句麗から朝鮮語族話者が南下し、百済・新羅・加耶などの国家を設立するまで朝鮮半島南部では日本語族話者が存在していたとする。

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