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(回答先: 本多勝一『週刊金曜日』2000年7月7日号 石原慎太郎 投稿者 中川隆 日時 2022 年 2 月 01 日 16:46:40)
石原慎太郎の人生 本多勝一『週刊金曜日』2000年7月7日号 続き
3.南京大逆殺をめぐる虚言
三つ目の例は、私自身が直接かかわることです。
石原慎太郎はテレビ発言その他さまざまな場で 「南京大虐殺はウソだ、なかった」 と述べてきましたが、これは 『月刊プレイボーイ』 誌 (日本版) 1990年11月号の場合です。
石原は南京大虐殺について自分では一度たりとも取材したことがない (取材する能力もない) ままに、日本を世界の孤児にする売国的"右翼"の虚言を受け売りしているだけですが、自民党代議士 (当時) という公人としての発言は、小林よしのり型の主体性なきマンガ家等の放言とは違いますし、これは私のジャーナリストとしての仕事を否定するものでもありますから、石原に対して次のような質問状を送付しました。
自民党代議士としての石原氏に対し、その選挙区の者ではありませんが、国政への有権者かつ納税者の一人として次の二点をただします。一ヵ月以内にお返事を下さるようお願いします。
一、 『月刊プレイボーイ』 誌の1990年11月号で 「プレイボーイ = インタビュー」 に答えてあなたは次のように発言されました -----
「日本軍が南京で虐殺をおこなったと言われていますが、これは事実ではない。中国側の作り話です。これによって日本のイメージはひどく汚されましたが、これは嘘です」
右は何を根拠としての発言ですか。
二、 同じところで 「どこで日本人は虐殺をしました?」 と発言されていますが、これは 「虐殺はどこにもなかった」 という意味ですか。あるいは 「どこどこの虐殺は認める」 という場所があればそれを挙げてください。
1990年11月23日 本多勝一
これがどうなったかは、石原側からの回答を含めて、拙著 『愛国者と売国者』 (朝日新聞社)の第四部 「南京大虐殺と 『愛国心』 」 に収録されています。こうしたやりとりの結論は、 『朝日新聞』 19991年11月9日付夕刊コラム 「深海流」 に、次のような私の署名記事として書いたとおりです。
石原慎太郎氏の 「うそ」
国会議員の石原慎太郎氏が南京大虐殺を 「中国側の作り話」 「うそ」 と発言 (米誌 『プレイボーイ』 誌昨年10月号 = 日本版は11月号) して問題化したとき、私は 『朝日ジャーナル』 (昨年12月7日号) で、これが何を根拠にしての発言なのか公開で質問した。
回答によると、 『プレイボーイ』 のインタビューは 「通訳を通して」 行われたので 「食い違いがあった」 とのことである。そのほか 「個々の質問」 については 『文藝春秋』 今年2月号の石原氏の 「論文」 (日本を陥れた情報空間の怪) をもって回答にかえるという。
そこで当の 「論文」 を読んだところ、これは違法行為としてのひどい改ざんや捏造、スリかえをもとにして個人攻撃をしたうえ、南京大逆殺についての朝日新聞の報道を 「売春と同じように一度始めたら容易には止められない」 といった差別表現をしてまで中傷する異様な"論文"であった。
このような"論文"に対して同じ 『文藝春秋』 誌上で反論する前に、まず事実関係をはっきりさせておくべく、次の二点について再度質問状を送った。
(1)通訳を通しての 「食い違い」 はどの部分か。
(2)インタビューが活字化されるにさいして原稿かゲラで自分の発言をチェックしたか。
だが、二月に出したこの再質問には回答がない。以後十月までに三回にわたって催促したが、まだない。
もはや回答は出たとみるべきであろう。 「作り話」 「うそ」 を語ったのは、中国側ではなくて、まさに石原慎太郎議員自身たったことになる。石原氏は何の根拠もなく、 『プレイボーイ』 誌で南京虐殺を否定したのであった。
「国際化」 とは、外国語会話をやることなどではなく、まず侵略の非は非と認めて再出発することこそその第一歩なのだ。せめてドイツが戦後やってきたような程度まで。
南京大虐殺を中国側の 「作り話」 「うそ」 と全否定した石原は、これはマズイと思ったらしく、この"論文"の中では卑劣にも黙ってひそかに部分否定に変更しています。つまり 「うそつき」 は石原の側だったわけです。
以上のような基本的性格が彼の仕事全体に反映するのは当然ですが、なぜか 『週刊朝日』 (去年3月26日号) は、石原慎太郎の 「滑り込み都知事選出馬」 を 「単独インタビュー」 して言いたい放題にさせました。選挙なら誰だって 「単独」 で応じるに決まっています。これは他候補たちが票を食いあっていることを見越した上での 「漁夫の利立候補」 にすぎません。こんな 策戦に利用されて 「単独インタビュー」 で応援する雑誌やテレビの見識の無さ。
今から二四年前になる1975年の都知事選に石原が出たとき、私は月刊誌 『潮』 (1975年4月号) で次のように書きました。
「石原慎太郎東京都知事。 −−劇画や漫画なら 「ドヒャーッ」 とか 「ケケケケ」 とか、そんなオノマトペで笑えばすむことだが、現実にそうなるかもしれないとなると、考えこまざるをえない。 (中略)
こんな男の 「支配」 する東京都にいることなど、恥ずかしくてとても耐えられない。もともと私などは住所不定で日本にいないことが多く、日本にいても東京にいないことが多いが、住民税の納め場所は東京になっている。少なくともこれだけは拒否すべく、彼の任期中は現住所を故郷の実家へ移してしまおう。いったいどうして、彼の支配体制のために財源を助けることができようか」
ここで冒頭の一文にもどります。
「ウソつき」 と 「卑劣な小心者」 とをこねて団子にしたような男。
東京都知事に漁夫の利当選した石原慎太郎の基本的性格は、やはりこう要約するのが適切でしょう。 「三国人」 発言その他は、すでに書いたように (本誌5月26日号 「風速計」 ) 、ブタがブーブー鳴いているだけのこと、問題はそんなものを支持する国辱的日本人が少なくないことです。
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