現在地 HOME > 掲示板 > 戦争25 > 186.html ★阿修羅♪ |
|
小泉純一郎首相特使としてイラク入りした茂木敏充副外相とアジズ副首相の会談が不調に終わった4日、川口順子外相は「日本として言うべきことは伝えた」と述べ、これが日本としての「最後通告」であることを強調した。イラク特使派遣にはイラク攻撃容認に向けた節目とする狙いがにじみ、同時に派遣した周辺国特使は「戦後」をにらんだ布石、という日本の戦術が浮き上がる。
米国がイラク攻撃の姿勢を強めた2月初旬、首相官邸では安倍晋三官房副長官をイラクに特使として派遣する案が模索された。安倍氏は83年、イラン・イラク戦争で仲介外交を演じた父晋太郎外相秘書官としてイラクを訪問、フセイン大統領とも面識がある。しかし外務省は「イラクに利用される」と拒み、「安倍特使」は幻と消えた。
1カ月後。今度は外務省が動き、茂木副外相を小泉純一郎首相特使としてイラクに送った。3日のアジズ副首相との会談は2時間に及ぶ「武装解除」談判だったが、「米国の狙いは石油支配だ」と突っぱねられた。
特使派遣は2月24日、川口外相と外務省幹部の協議で決まった。同時にイラク周辺国への派遣も決め、米国の了解も取った。ある外務官僚は方針転換を「我々の予想を越えたさまざまな動きが起きたから」と話す。
2月5日のパウエル米国務長官の国連演説前、外務省は「パウエル証言で米英支持の流れが決まる」と読んでいた。しかし、パウエル長官の新証拠提示は効果を上げず、「米英対仏独露」の対決構図は深刻になった。外務省の誤算だった。
さらに、中東諸国にある日本の大使館や領事館から「イラク攻撃反対の世論が高い」との電報が次々に入った。中東勤務が長い外務省幹部は「日米同盟も大事だが、エネルギー安保の生命線の中東外交は死活問題」と危機感を露わにした。
日本は第1次石油ショック(73年)で、原油安定確保のため第3次中東戦争占領地からイスラエルの撤退を求める政府談話を発表した。以来、オマーン、サウジアラビアやシリアなどの最大の政府開発援助(ODA)供与国となり、独自の中東外交の礎を築いた。
今回のイラク対応で日本が「国際協調=新決議採択」を求めてきたのは表向き、日米同盟に基づき攻撃支持の「大義」を得て国民への説得材料とする狙いがあるが、裏には中東諸国に「顔向けできる状態」(同省筋)を作る思惑もあった。「イラク派遣はダメもとだ。むしろ重要な舞台装置は周辺国派遣だ」。外務省幹部はこう明かす。
イラクへの特使派遣が「米支持」への口実作りなら、周辺国派遣は戦後復興支援で中東安定化に参画する布石――。ちぐはぐに見える土壇場の特使外交は、対米、対中東という「二正面外交」を両立させる苦肉の策ということができよう。
【白戸圭一】
[毎日新聞3月5日] ( 2003-03-05-02:35 )