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Re:狙撃され、イスラエルの戦車に轢かれ切断されたパレスティナ少年の記事(Robert Fisk : independent)
http://www.asyura.com/2003/war25/msg/1147.html
投稿者 通りすがり 日時 2003 年 3 月 17 日 05:50:16:

(回答先: パレスチナ“ゲットー”虐殺政策に抗議していた米国人女性が、イスラエルのブルドーザーに執拗に轢き潰され、虐殺された 投稿者 佐藤雅彦 日時 2003 年 3 月 17 日 03:04:39)

「ブルドーザーに轢き潰された」でロバート・フィスクのこの記事を思い出してしまいました。
関連投稿させていただきます。

Teenagers shot by Israelis, then run over with a tank

After their mutilated bodies are returned, families of three teenagers struggle to understand why they attacked Jewish settlers
By Robert Fisk in Gaza City
26 April 2002

http://news.independent.co.uk/world/middle_east/story.jsp?story=288987

-----------------------日本語訳-----------------------

http://www.geocities.co.jp/Hollywood/1123/annex/fisk/

2002年の04/26に以下の翻訳文があります。


パレスティナ少年3人、
イスラエル兵に狙撃されたうえ
戦車に轢かれる

切断された遺体が戻ったあと、家族は、少年たちがなぜイスラエル入植者を攻撃したのか理解しようと煩悶している。

ロバート・フィスク、ガザ市にて
26 April 2002


2人は14歳、もう1人は15歳の中学生だった。インターネットカフェでネットサーフィンをするのが好きで、1人は熱心に漫画を描いていた。3人ともサッカーが大好きだった。ネツァリムのユダヤ人入植地の近くで、父親たちがイスラエル軍から息子の遺体を受け取ったのは、少年たちが撃ち殺されてから何時間も後だ。彼らは戦車に轢かれており、そのうちの1人、14歳のイスマイル・アブー・ナディの遺体はふたつにちぎれていた。

いつものことだが、イスラエル軍と「ニューヨークタイムズ」紙によれば「ナイフで武装した自爆テロ犯がユダヤ人入植地に近づいて来た」のだという。しかし、パレスティナ人による自爆攻撃を勧める悪質なキャンペーンを始めたハマスまで、ガザ市サラハディン校の9年生だった3人が、単純にも自分たちだけでナイフでユダヤ人入植地を襲うことを決めたと発表し、宗教者も教育者も、子どもたちに2度とそのような無謀な企てをしないよう緊急の呼びかけを行っている。

3人の少年の父親が昨日「インディペンデント」紙に語ったところによると、彼らはジェニン難民キャンプでの、イスラエル軍による流血と侵略行為について、話していたと言う。

「夕べ一晩中、息子がなぜ入植地に向かったのか考えました」。中流と思える自宅の外で、会葬者とともに座っていた私たちに、モハメッド・アブー・ナディは語った。「イスマイルは金が欲しかったのか? 違う。学校に不満があったのか? 違う。学校の成績はトップクラスだった。家族や友だちとうまくいっていなかったのか? それも違う。何度も何度も同じことを自分に問いかけました。なぜなんです? あなたに説明ができますか?」。

取り乱した父親からこう問われるのは辛かった。彼は高等教育を受けた土木技師だ。イスマイルは死にたいと思っていたのだろうか?父親は「あり得ない」と言った。「3〜4か月前までは」。アブダビ生まれで英語に堪能な学生だった息子が父親に、パレスティナ国家のために闘っている人々に、なぜ外からの助けがないのかと尋ねたのはそのころだった。「息子は私に尋ねました。『どうしてパレスティナ人だけが国を持てないの? どうしてアメリカは助けないの? どうして他のアラブ諸国は助けないの?』」

15歳のユーセフの父、バッセム・ザクート(他の父親たちは彼に会ったことはなかったが、息子たちはみな同じ学校に通っていた)もまた、ジェニンの悲劇が息子に影響を与えたと考えている。

「火曜日に私が夕べの礼拝から戻った時、息子は家を出て行きました」と父親。「なぜかはわかりません。息子たちがユダヤ人入植地へ歩いて行き、イスラエル人に何らかの攻撃をしようと思っていたのは確かだと思いますが、息子は武器なんて触れたこともありませんでした。昨日息子の遺体が戻りましたが、それはひどいものでした。夜の間に犬にでもやられたのでしょう。顔も轢かれて、もう誰の顔かもわからなくなっていました」。

アベル・ハムドナの14歳の息子、アンワルも同様だった。父親は冷静に、感情を抑えて様子を語った。「息子の顔は失われていました。両脚は切断されていました。何度も轢かれ、内臓がほとんど体外に出ていました」。

アンワルの遺体もまた、犬に食われていた。ハムドナ氏は語った「息子はまだ子どもでした。私は息子の学校で教師をしています。夕方の5時、息子は母親にインターネットカフェに行くと言って出かけました。9時になっても戻らなかったので、何かあったのではないかと思っていました。そしてネツァリムの方から、銃撃の音が聞こえたのです。

ハムドナ氏が「何かあった」と思ったのには、きっかけがあった。アンワルは家族に、「殉死すること」について話すようになっていた。「息子は自爆行為に影響されていました。彼はいつも自爆行為や殉死者について話していました。彼は殉死者になりたかったのです。何年かして、彼がそうした行為をすることになるかもしれないと思っていました。でも、まさか、それが今だなんて」。

イスマイルは両親にメモを残していた。それが結局は遺書になった。「友だちの1人が、息子が書いたという紙を持って来ました」。父は、息子が、パレスティナ人が世界から背を向けられていることについていかに悩んでいたか、知らされることになった。「紙にはこう書いてありました。『お父さん、お母さん、僕が何とかネツァリムへ入りこみ、イスラエル兵を殺し、僕たちの土地から彼らを追い出すことができるよう、神に祈ってください』」。

「信じられません。まだ子どもなのに、他の誰でもなく自分の息子が。私はイギリスにも、アメリカにも、インドにも、パキスタンにも行きました。少年たちはみな、ただ教育を受け、幸せになり、金を稼ぎ、平和に生きていくことを望んでいました。しかし、ここでは子どもたちは平和を見出すことができません」。

遺体の状態について、父親たちは誰もその理由を考えたいとは思っていない。イスラエル兵は、故意に遺体を切断したのだろうか? 到底、想像もできないが。あるいは、3人の少年を撃った後、息を吹き返すことがないように、あるいは、不発の爆発物を残しておくことのないように轢いたのだろうか? そして、身体が轢きつぶされたその時、少年たちはみな、すでに息絶えていたのだろうか?

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