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(回答先: 米国のイラク攻撃批判に思う 岡崎久彦 投稿者 Ddog 日時 2003 年 2 月 05 日 00:48:04)
岡崎氏は、「事の善悪を捨象してでも米英(アングロサクソン)に付き従うのが日本の国益だ」と言い切る人である。
もっともらしい理屈を付けて米国の外交政策を正当化する“正統親米派”よりは、筋が通っているし議論を絞り込みやすいと言えるだろう。
国益を「近代的経済利益の極大化」と理解すれば、それを実現するためには米国に追随すべき(確固たる同盟を維持すべき)という主張である。
「近代的経済利益の極大化」が国民多数派の利益かどうかはとりあえず脇において、岡崎氏の主張が目的に合致するかを検討する。
岡崎氏はアングロサクソンの覇権はあと50年は続くから日米同盟が重要と説く。
未来の話はわからないことだから、それはそうだという仮定でいいだろう。
問題は、米英は、岡崎氏以上に「近代的経済利益の極大化」を追求するために外交を実行する国家である。
であるならば、米国の「近代的経済利益の極大化」と日本の「近代的経済利益の極大化」が合致する限り“自然と”日米同盟が固くなるが、それが乖離するようになれば、日米同盟は阻害とは言わないまでもプライオリティが低いものになるということである。
戦後、日本の「近代的経済利益の極大化」であった経済再建が米国の「近代的経済利益の極大化」に資するものでもあったことは間違いない。
米国の経常収支が赤字になり財政赤字も増大した85年以降も、貿易で稼ぐ日本からのドル還流が米国経済を支え、日本も、それによって対米輸出を維持することができた。
さらに、90年代の“米国の繁栄”も、バブル崩壊で経済的苦境に陥った日本の余剰資金が対米投資に回ることで支えられた。これも、余剰資金の運用や輸出の維持というかたちで日本の国益に貢献した。
この意味で、戦後から2000年のバブル崩壊までの日米の「近代的経済利益の極大化」は合致したと言えるかもしれない。
しかし、冷静に考えれば、日本は、米国に貸し出しをしたり証券投資をすることで、対米輸出を維持してきたのだから、もしも米国が借金を踏み倒したり米国株価の暴落が起きたら、自分のお金で自分の財を買っていたということになる。
竹下内閣以降、米国の世界戦略のアジア拠点である日本の基地は、「思いやり予算」で支えられるようになった。
80年以降の日米関係は表面的な持たれ合いとは違って、基層的部分では利害が対立するようになっているのである。
中国をめぐる問題でも、米国にしてみれば、日本からだと100ドルの財が、まったく同じ物で中国から80ドルで輸入できるのは膨大な貿易収支の赤字という状況ではありがたいことだ。(日本企業が中国で生産しているのだから機能・品質は同等だ)
社会保障や軍事支出の増大が現実化している米国政権は、コストが安いだけではなく人民元が安値でドルにペッグしている中国に日本からの輸入品をシフトしていきたいと考えるはずだ。それが「近代的経済利益の極大化」に基づく判断である。
また、そのような貿易構造の変化は、日本の貿易収支を悪化させ、日本からのドル還流が当てにならなくなることでもある。そして、その代わりに中国からの還流を期待することになる。
米国企業にしても、日本は金融のみがおいしい標的となっている。そして、金融を抑えてしまえば、日本は収奪だけの対象になり、痩せ細っていく存在になる。
一方、中国は、沿海部だけを考えれば、おいしく太っていく存在である。
それでも、米国政権は、日本を立てるような外交を採るだろうか?
さらに言えば、今焦点になっている中東に関しても、日本は中東産原油に75%を依存しているのに対し、米国は10%ほどの依存である。(それも、ロシア産にシフトしようとしている)
このような現状で、日本は米国の中東戦略に乗っかることが賢明な選択だと言えるのか?
岡崎氏や岡崎氏の論にシンパシーを感じる人に言いたいのは、アングロサクソンの覇権が続くとしても、そして、日本がアングロサクソンに思い入れをもって擦り寄っていったとしても、米英が日本を重要なパートナーと判断するかは別の話だということである。
擦り寄るために資金の供与や外交に対する支持を与えれば、米英は無碍にはしないだろうが、それが日本の「近代的経済利益の極大化」を実現する政策に結びつくとは限らない。
醜女の深情け(失礼!)ですがっていき、いいようにしゃぶられたあとで捨てられる可能性もあるということを念頭において外交が考えるべきである。
米英の支配層はしたたかなので、一方的に思い入れている日本は、捨てられても、しばらくしないと捨てられたことさえわからないだろう。