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イラク反戦デモをサンフランシスコで取材した。今18日午後7時になるがつい先ほどまで現場にいた。警察や主流メディアの発表はいつも政治的に小さい数字となるが、現場で概算すると前回より規模が膨らみ、控えめにみて10数万人から20万人近くの参加者とみられる。地元商店街の店主など30年前のベトナム反戦のデモ行進の記憶を持つ人によると、それよりも大きいと証言した。つまり、サンフランシスコでは史上最大規模のデモ行進となったといえる。サンフランシスコ市の人口が80万人を切る。遠方から自動車やバスで乗り付けている。ここから500キロ離れたロサンゼルスからは20台のバスが乗り付けていた。アイダホ州からの団体などもプラカードで見えていた。午前11時から目抜きどおりで行進が始まり、市庁舎前広場で午後2時より大規模集会が始まるのだが、行進自体が午後3時半まで続く規模に膨れ上がった。各界のスピーカーが壇上に上がり、あるいはラップ歌手が歌い、夕刻5時ほどまで続き、その後も反戦市民団体の出店で人々が賑わい、とっぷり日が落ちた6時半の段階でも人々あるいは野外ビデオ上映会、あるいは三々五々踊りの輪を作っていた。
これほど巨大な人の波を私は人生で見たことはない。子ども、10代、上は70代まで老若男女が思い思いのプラカードを掲げ、独特の衣装を纏い、鳴り物を鳴らしながら、パフォーマンスをしながらの行進はすさまじい熱気だ。
驚くのは、20万人の人の流れを見つめていたが、無数のプラカードや各種の旗の波のなかで、星条旗を見かけたのはわずか4本だけだったことだ。これはある意味衝撃だ。あれほど星条旗が好きなアメリカ人がこれである。また、もう一つの驚きは、警備に当たるサンフランシスコ市警の警官の数があまりに少ないことだった。警察車両はほとんどなく、警官ほとんどみあたらない、というぐらい少ないのだ。20万人である。重装備の機動隊も出ず、まったくプレッシャーを感じないのだ。主催者側が壇上から、サンフランシスコ市警に対して謝意を表していたほどだ。逆に言えば参加者が非常に紳士的かつ平和的で、デモと集会があまりに整然と組織されていたことの裏返しといえる。反権威で著名なバークレーを直近に控え、世界最大のゲイコミュニティーを持つサンフランシスコは全米でもっともリベラルな、ある意味で特殊な土地であることが、この両面の事実を支えているといえる。明後日は人種差別を闘った、マルチン=ルーサーーキング牧師の暗殺された日を記念した国民の休日だ。民族差別に抵抗する意識の重なりも濃厚だ。ただし、有色人種の参加は、人口比的に見て非常に少なく白人の数が圧倒的だ。あとかたずけも自主的にきれいになされている。
無数のプラカードにかかれていることを見ると、参加者はほとんど、今回の戦争が石油を目的としたものであることを共通して認識していた。米国大統領自体がテロリストだ、という壇上の発言が耳に残った。日本からは「戦争中毒」を翻訳した菊池由美の夫婦とその赤ちゃんが壇上にあがり、菊池嬢が堂々とスピーチし、湾岸戦争での劣化ウラン弾使用への抗議と60年代アメリカの有名な反戦歌を夫の演奏するギターで歌い、広場を盛り上げた。広場で、その本の著者である大学院生である著者と出会い、言葉を交わすことができた。
主催者側発表によると、次回は2月15日また反戦デモ行進を予定しており、この地を含め世界で1000万人の参加を募っている。目的を達成するため、何度でもデモ行進する、と決意は揺るがない様子で、人々を勇気づけていた。
それにしても、サンフランシスコの人々の熱い気持ちには打たれた。東京で、大規模デモをしようにも都の公安条例そう簡単にはできないだろう。機動隊の物々しい圧力と公安側の写真撮影などで気持ち負けしかねないだろう。こちらの当局が、主要通りを一日交通封鎖することに寛大であることに、リベラリズムの浸透の差を見ることができる、といえようか。
大事なことは、平和行進・集会を何度でも飽きることなく繰り返すことだろうと確信した。日本が今、アメリカに乗っ取られようとする今、日本人も、巨大な波を作って、抵抗することが肝心だ、と痛感した。小泉による売国活動を絶対阻止すべし。