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(回答先: Re: 意外にいいかも 投稿者 南青山 日時 2003 年 3 月 10 日 23:12:28)
なんか誤解を与えたようだ。
上のレスは単純に煽っただけで、その真意を問いただすための誘導尋問的な手法だったと云うことに過ぎない。(ネタばらししてもしょうがないが)
ああ云うレスの返し方をしたのは理由が2つある。
あのレスに対して情緒的或いは人間性のみについての否定だけするのか否か。
また、桜井よしこ個人についての詳細だ。
私は桜井よしこについてよくは知らない。
故にスレ主の意見が客観視した個人像なのか、それとも偶像視された個人像なのか、はかりうるには少々情報が少なすぎたわけだ。
しかし、どちらかといえばあの文章では、単なるアンチ石原というように観える。
石原叩きの内容は情緒的且つ人間性の問題に寄っているからだ。
故に、スレ主の激昂を誘うであろう「煽り文」を書いたわけである。
激昂すれば口は軽くなりやすいものだ。
真意を問いただすには一番楽だと思うのだがどうか?
さて、私の個人的見解からすると、
石原慎太郎と云う人間に対しては好感を持っているのは確かだが、
評価しているのはその人間性ではなく、政治的手腕に過ぎない。
故に政治的手腕に関しては上を行くと感じた人物を認めることに吝かではない。
すなわち、桜井よしこというジャーナリストについて、
偶像視を含まぬ、実務的な能力の有無についての情報が欲しいのである。
普通に考えればロビー活動的な内容を含んだ、ジャーナリスト活動それだけをもって、政治的手腕と官僚的機構を乗り切れるとは少々過剰な期待であると云わざるをえない。
例え今まで無かったような告発をすっぱ抜くような、社会正義を実現するジャーナリストでも、畑が違うのだ。
希望を持つのは悪いことではないが、それに伴う実質的な事象が、どんな影響を与えるかを考えないのは、思考停止であり宗教的偶像視となんら変わりはないと思う。
>スレ主
煽ったのは謝ろう。すまなかった。
だが、あなたの発言そのものが、低レベルな感情論に支配されているように思えるのは、私の気のせいだろうか?
個人的感情で石原慎太郎を嫌うのは、個人の自由だが、ただそれだけで他の人間を推すというのは合点がいかない。
少なくとも石原慎太郎という人物が東京都知事になって以来、
青島都知事以前のような停滞に支配されることなく、都の懐具合は良好になっているし、
前向きに環境問題や犯罪に対してあたっていると思う。
普通に考えれば、政治的手腕については問題は無いと思われる。
そのあたりを踏まえての発言だろうか?
私にはどうしてもそうは思えない。
その辺りについて詳しい説明が欲しい次第である。