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民訴法228条4項は、消費者泣かせの希代の悪法
http://www.asyura.com/2003/hasan23/msg/664.html
投稿者 hou 日時 2003 年 3 月 18 日 09:13:28:

【T】立法(実体法、手続法)の遅れ

 銀行被害は、被害者救済のもっとも遅れている分野である。銀行、生命保険会社を相手にした変額保険訴訟は、全国で1000件を超える。すでに600件以上判決が出されているというのに、銀行被害者側が銀行に勝訴したのはわずか6件にすぎない。銀行被害者の勝訴率が、1%というのは、あまりにも異常に低い数字である。しかも、高等裁判所で勝訴したのは、田崎喜久二郎さん、アイ子さん夫妻だけである。銀行被害は、消費者被害の中で救済がもっとも遅れている分野である。
 なぜ?そうなのか。その理由は、銀行取引の「実体法」と「手続法」のいずれもが、現在の銀行取引の実態には全くそぐわないものだからである。

 (1)銀行取引を規制する実体法は、民法である。銀行取引のうち融資契約については、民法の消費貸借が定めるところによる。しかし、民法の消費貸借では、同法591条が、借主の返還義務を定めるのみである。つまり、民法には、借りたら返せという論理しかないのである。ところで、民法が制定されたのは、明治29年である。それから100年以上を経過し、現代社会は、当時の民法の想定しなかった高度に発達した資本主義社会になっている。いうまでもなく、現代の高度に発達した資本主義社会にあっては、企業が専門性、組織性を有するのに対し、これの受け手は、専門性も組織性も有せず、受け手は、常に消費者の立場におかれ、事業者と立場を交換することはない。
 したがって、当事者の関係について、互いに、交換可能な立場を予定している民法は、企業との関係で不平等な立場にある消費者の利益を十分に保護することができない。事業者の活動は、利潤追求を目的としており、この目的上、商品についての安全性を無視しやすいのに対し、消費者は、商品の危険性を十分に判断しうる能力に乏しいからである。
 消費者契約において、消費者は、実質的には契約内容を決定する自由をもたないという点において、労働契約における労働者の労働の自由と類似する。
 労働契約が古典的な契約関係の理論で律せられないのと同様、消費者契約においても当事者の実質的平等とその生存を実現することを主眼にして捉えなおさなければならないことを意味する。
 我が国においても、不十分ながら、製造物責任法など消費者を保護する立法化はすすめられてきたが、金融取引なかんずく銀行取引については、まったく立法化がすすんでいないのである。
 既に、欧米では、現代における金融取引の実際を踏まえ、金融取引においても、売り手(貸し手)注意を原則とする消費者保護法が制定されている。
 ところが、我が国では、バブル期に銀行が行った提案融資によって多くの悲劇をもたらされたのに、今もってこれを規制する立法化はなされていない。2000年に制定された金融商品販売法は、金融機関の説明義務を抽象的に定めたにすぎない。しかも、この法律では金融取引の中でも融資は除外されているという不十分さである。

 (2)我が国では、銀行取引になんら消費者を保護する法律(実体法)がないことに加え、銀行取引の裁判手続が、明治23年に制定された民事訴訟法によっているのである。
 銀行と個人の借り手では、明かに情報、金融取引知識において大きな格差がある。本来であれば、証拠に近接している側に立証責任を負わせるのが公正であるのに、日本の民事訴訟法は、民法同様、形式的な当事者対等の原則のもとに、なんら証拠をもたない借り手にこれを立証する責任を課しているのである。これは、公正という裁判の理念に反する。公正であるためには、スポーツと同様、「武器」対等が原則であるべきである。スポーツ競技において、同じ武器を持つ者同士で闘わせなかったら、フェアーな闘いとは言えないであろう。銀行と個人の借り手のように武器が対等でない当事者間の裁判では、立証責任の転換などによって、実質的当事者対等が図られなければならない。
 自賠法(自動車損害賠償保障法)では、運転者が過失がなかったことを立証しないかぎり、運転者の過失とされる。いわゆる立証責任の転換である。また製造物責任法では、無過失責任がとられてきている。つまり、企業の側では、無過失でも賠償しなければならないとされるのである。つまり、企業は販売して利益を得る以上、販売によるリスクも売り手が責任を負うべしという報償責任の理論にもとづくものである。
 しかし、銀行取引では、立証責任の転換も立証責任の軽減もなされない。
 のみならず、借り手が裁判所に銀行が保有する稟議書、業務日報などの書類を提出させるよう求めても、裁判所は、銀行にそれらの文書の提出すら命じようとはしないのである。さらに民訴法228条4項が、借り手をきわめて不利な立場に追い込む。すなわち、本人または代理人の署名または捺印があれば、その文書は、真正に成立したものと推定されるという法律である。
 裁判で、借り手が、印鑑を押した時には、白紙でそのような数字は書かれていなかったと主張しても、そのような主張は通らないのだ。それだけではない。本人が、署名もしたことはなく、また印鑑ですら自分で押したのではなくとも、本人の印鑑が押されていただけで、その文書は本人が納得して作成された文書であると推定されてしまうのだ。最高裁が、1964年に出した判決が、判例になっているからだ。銀行マニュアルでは、本人の面前自署確認が鉄則とされても、裁判では、これを守らなくとも、銀行は、印鑑証明書さえもらっておけば、不利にはならないのだ。
 裁判官は、その文書に本人の印鑑が押されていることが確認さえすれば、その契約は有効に成立していると判断できるというのだ。「迅速な裁判」には、好都合だ。しかし、それで契約の成立を判断できるというのだったら、裁判官は不要だ。
 そもそも、日本が、ハンコ社会だといわれるのは、ハンコさえとってしまえば、民訴法228条4項で実質免責されるシステムになっているからだ。結局ハンコさえとってしまえば、こっちのものという悪徳商法をのさばらせているのは、民訴法228条4項とこれを拡大解釈する裁判所なのだ。
民訴法228条4項は、消費者泣かせの希代の悪法であり、即刻廃止することを求めていく必要のあるものである。

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