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(回答先: あっしらさんの説明ではいまいち納得がいきません。BIS報告、簿外取引に警鐘――銀行のリスク管理を。 1986/04/21銀行間で三千四百億ドル弱と、米銀の三倍近い巨額の資金を取り入れて、運用、調達を均衡させている形である。BIS規制ができたのは銀行間取引と簿外取引規制を行うことが目的だったのでは?? 投稿者 hou 日時 2003 年 3 月 10 日 08:34:59)
レスありがとうございます。
90年前後や80年代後半の重要な記事の転載ありがとうございます。
まず、「BIS規制ができたのは銀行間取引と簿外取引規制を行うことが目的」ではについては、自己資本比率規制ですから、自己資本以外の資金調達による資産拡大を抑制(規制)することになります。
銀行間取引と簿外取引規制を行うことが目的なら、直接そのような規制を行えば済みます。
自己資本比率規制は、自己資本の増大を伴わない(リスク)資産拡大(=資金調達拡大)を抑制することが目的です。その結果、どういうポジショニングにいる銀行が不利になるかを考えるとその隠れた意図が見えるはずです。
>BIS規制は、本当に、邦銀を落としいれようとして、作られたものでしょうか??
「邦銀を落としいれようとして」ではなく邦銀の国際活動を抑制しようとして作れれたものと考えています。
円高・経常収支黒字・高貯蓄性向に支えられた邦銀を野放しにしていていれば、国際金融分野は邦銀の一人勝ちになってしまいます。
「プラザ合意」で円の対外価値は一気に2倍近くまで膨らみました。
これは、日米の銀行それぞれにとって、邦銀は手持ち円資金を米国で使うと2倍になり、米銀は手持ちドル資金を日本で使おうとすると従来の半分の力になるということです。
(リスク)資産を増大させるなら、その分ある率で自己資本を増やせという規制にすれば、円高・経常収支黒字・高貯蓄性向という邦銀のメリットは大きく減少します。
これが、BISの自己資本比率規制の最大目的だと思っています。
>日本の場合1987年で、政治家や銀行家の楽観視しているの一言が気になります。
円高・金融緩和・収益拡大の時期ですから、銀行業を楽観視するのは当然です。
>そして1988年には、一気にジャパンパッシングだととの批判があちらこちらから
>湧き上がります。
>マスコミを操作し大蔵省が銀行をほんとに、監視していたのかどうか?
>そっちのほうが気になります。
日銀高級幹部は、国際金融家の制御を強く受けています。
大蔵省高級官僚のトップは、米国政権の影響を強く受けています。
「プラザ合意」からバブル崩壊そしてその後現在に至るまでの金融・財政政策の妥当性をきちんと見直す必要があります。