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From : ビル・トッテン
Subject : 持続可能な経済を求めて
Number : OW562
Date : 2003年2月24日
1760年以前のイギリスでは、ほとんどの人は農村に住み、生まれてから死ぬまで自分の村より遠くへ出かけることなく、彼らが生産するものは自給のためのものであり、経済活動はおもに規制と慣習によって行われていた。これを一変したのがエネルギー革命による技術の発達だった。イギリスで始まり世界に波及したエネルギー革命で、大量生産による商品流通が可能となり市場競争が経済活動を支配するようになった。この資本主義はきわめてアングロサクソン的、つまり狩猟民族的な考え方であり、その前提には永遠に狩猟対象が必要だ。しかし資源には限りがある。先進国でそれに気づいて行動に移せる国があるとしたら、それは日本ではないかと私は思う。そしてそのためには、戦後アメリカから洗脳を受ける前の日本人に戻ることが必要だろう。
(ビル・トッテン)
持続可能な経済を求めて
18世紀後半、それまで使われていた風車や水車が蒸気機関に取って代わられるようになった出来事は「産業革命」と呼ばれている。しかしその本質は「エネルギー革命」であった。なぜなら、人々の生活に大きな変化を及ぼしたさまざまな技術は、それまで自然の力や動物や人間に依存していたエネルギーが、化石燃料というエネルギーに変わったことによってもたらされたからである。
これによって大きく変わったのは地球の人口である。1800年ごろには約10億人だった世界人口はエネルギー革命以後急増し、今では63億人を超えて2050年には90億人以上になると予想されている。
経済成長で環境汚染
エネルギーと経済成長は密接な関係にあり、経済活動は環境にも大きな影響を及ぼした。経済を成長あるいは維持させるためには、エネルギーを大量に消費する必要があり、それが環境を汚染する。この問題について人類はまだ解答をもたない。分かっているのは、人口増加によってエネルギーがさらに大量に消費され、水や食糧の不足が起きるであろうということだが、しかし人間はさらなる快適さを求めて経済成長を止めようとはしない。
ここで重要なのは化石燃料も有限だということだ。経済が成長し続ける限り、世界がもっと住みよい場所になるという予測には実は何の根拠もない。環境汚染と枯渇する天然資源を考えれば、われわれの生活はすでに頂点にあり、あとは下ることを考えなければならない時期にきているということに気付くべきである。
ビジネス界でこのような発言をすると変わり者だといわれ、資本主義を標ぼうしている人や現代において財力や権力を持っている人々は、決してそれを認めようとはしない。解決策を提供しない私の問題提起は、無責任だと非難されることもある。
しかし現実を直視しよう。世界の石油消費は5年から10年で供給を上回る可能性が高く、また増え続ける人口を養うための農業を例にとっても、いまや欠かせない化学肥料であるリン酸は約80年で枯渇すると予測されている。かんがいも農業になくてはならないが、過剰使用のために枯渇が見込まれる水源も少なくない。
自然神道の復活必要
結局、人間は自然の中で生かされている。自然を支配することはできず、限りある自然にあわせて人間は生きていかなければならないということだ。そして、この考え方こそ日本の自然神道であり、西洋の唯一絶対の創造神との違いだと思う。
日本には山、海、木や川といった自然の中に神がいた。人々はその自然の恩恵に畏敬を、怒りに畏怖を感じ、自然を支配するのでなく自然にあわせて生きてきた。自然神道は日本固有の自然信仰であると思う。厳しい自然の変化にあわせて農耕を営み、共同体のなかで人々は協力しあって暮らしてきた。
神道というと戦争と結びつけて排除しなければいけないものという人がいる。2月11日の建国記念日、私の家の近所で日の丸を掲げていたのは唯一わが家だけだった。日本人は先の戦争によって日の丸も、そして千年以上もの間、日本人の心を結束してきた自然神道も捨て去ってしまった。
しかし政治基盤として明治政府がつくり変えた国家神道は、その本質からしてまったく異なるものである。そして日本の将来にとって、この自然神道の復活が私はなによりも必要であると考える。
一方の西洋の歴史を振り返れば、日本とはまったく異なる背景をもつ。神が自然を含む天地万物を創造した西洋では、人々は長い歴史を通して常に他者の資源を使ってきた。金やゴム、木材、香辛料、綿花、さらにはアフリカ人の労働者まであらゆるものを略奪し、従って常にそれは拡大が可能だった。一つの場所でとるものがなくなれば、ただ単に別の場所へ移ればよかったのである。しかし技術の発展によってその活動範囲がすでに地球全体に及んでしまった今、もはやそれも限界にきている。
将来の資源に価値を
この経済システムを、またはわれわれの生き方を変えることは不可能なのだろうか。私は不可能ではないと信じたい。先日、ある人からベルナド・リエター氏の著書を紹介された。リエター氏はベルギー人で世界金融と環境の永続的な安定を目指した教育NPO、テラグローバル財団の創設者であり、著書『マネー崩壊』は日本語版も出版されている。
リエター氏はお金にマイナスの利子がつくようなシステムをつくり、現在よりも将来の資源に経済の価値を置き、また税金を労働にかけるのではなく、環境破壊にかけることによって持続可能な世界に導くことを提唱している。
確かに、現在世界で政治や経済を握っている人々は、自分がその地位に居続けるためには未来から略奪することに依存していることを理解しているはずだ。枯渇寸前の天然資源を使い続けることも、国債を発行することも、問題を先送りにして自分だけはやりすごそうとしているにすぎない。
政治家だけでなく、われわれの一般国民も同じことだ。消費は楽しい、ぜいたくは素晴らしいという言葉に染められている洗脳を解かなければいけない。おそらくそれはとても難しいことだろうが、日本の歴史を振り返れば私は不可能ではないと思うのである。