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(回答先: 日本銀行 〜 現代の「関東軍」!? (国際派日本人養成講座) 投稿者 TORA 日時 2003 年 2 月 03 日 14:03:05)
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_/ _/ _/ _/ Japan On the Globe (78)
_/ _/ _/ _/ _/_/ 国際派日本人養成講座
_/ _/ _/ _/ _/ _/ 平成11年3月13日 7,109部発行
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_/_/ The Globe Now: 戦略なきマネー敗戦
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_/_/ ■ 目 次 ■
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_/_/ 1.日本の反省
_/_/ 2.第二の敗戦
_/_/ 3.アメリカに貢ぐ
_/_/ 4.飲兵衛と酒屋の不適切な関係
_/_/ 5.飲兵衛と縁を切った仕出し屋・ドイツ
_/_/ 6.本当に反省すべきは
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■1.日本の反省■
とくにレーガノミックス以降のアメリカは、「供給力」を上
回る国内需要を放置し、そのギャップを貿易赤字で埋めるとい
う、まったく「規律」もしくは「節度」を欠くマクロ経済運営
に終始していた。そしてアメリカは、みずからの経済運営を反
省する代わりに、不当にも(ほんとうに、心からそう思う!)、
批判の矛先を日本へ向けた。そのひとつが、日本への「内需拡
大」要求であり、もうひとつが「市場開放」(のちに「規制緩
和」)要求にほかならない。[1,p112]
アメリカの対日批判に呼応して、内需拡大、市場開放の大合唱が
国内にも沸き上がり、その中で86年4月に有名な「前川レポート」
が出された。自分勝手な貿易黒字を反省し「内需拡大」「市場開
放」に努力して、黒字減らしを行おうという趣旨である。
しかしそのレポートには、どれだけ内需拡大すれば、黒字が解消
するのか、具体的な数字がなかった。これを計算した飯田経夫氏は
次のような驚くべき結果を得た。
同年(1985年)の貿易黒字は約500億ドルだったが、それ
をゼロにするために必要な内需拡大幅は、何と金額で83兆円、
成長率で32%という結果がでた。実質成長率はいまではたか
だか3%(当時でも5%程度)どまりだから、それと32%との差
は、言うまでもなく物価上昇率にほかならない。[1,p116]
この無理な内需拡大をやりすぎて、バブルを招いてしまった、と
いうのが、飯田経夫氏の結論である。
■2.第二の敗戦■
バブル経済とその崩壊こそは、戦後日本の最大のつまづきであっ
た。
あるシンク・タンクの推定によれば、89年から92年にか
けて、株式の時価総額420兆円、土地等の評価額380兆円
が減少したという。この金融資産のロス、計800兆円は、国
富の11.3%に相当し、第二次大戦での物的被害の対国富率、
約14%にせまる数字である。[2,p6]
読者の周囲にも、バブル期に高額のローンを組んで住宅を買った
が、その後、住宅価格が暴落して、巨大な借金ばかりが残った、と
いう人がいるであろう。その被害は空襲で自分の家を焼かれるのと、
経済的損失という面では、同じなのである。さらにバブルは、国民
の心理を荒廃させた。
ところが、かつては標準的住宅の「目安」とされていた年収
の六倍をはるかに超える地価の暴騰で、購入価格そのものが現
実的範囲を越え、逆にその保有の有無が大きな資産格差に直結
してしまった。持てる者はさらに借り入れ金によるアパート経
営、マンション投資などに走り、社会の断絶はいっそう広がっ
た。「取り残された」と感じた人々の不満は、バブル紳士の度
外れた行動を目の当たりにして、深く沈潜し、広範に広がった
[2,p112]
バブルとその崩壊が、「第二の敗戦」と呼ばれるゆえんである。
■3.アメリカに貢ぐ■
この第二の敗戦が、冒頭の飯田経夫氏の分析のように、アメリカ
の言い掛かりを丸飲みした結果であるとすれば、それはまさに「戦
略なき敗戦」ということになる。この点をより実証的に論じたのが、
前節に引用した吉川元忠氏である。
吉川氏は、85年9月のプラザ合意(日米独の協調介入で、1ドル
240円台から140円台に下降させた、後述)後、日本の公定歩
合が常にアメリカより3%低い所に設定されてきた現象を「写真金
利」と呼んでいる。[3]
この金利差によって、日本の生命保険会社などの機関投資家がア
メリカの国債を買い、アメリカの貿易赤字と財政赤字が埋められ、
ドルも買い支えられる、という構図である。
この構図にしたがって、87年10月から、89年5月まで、2
年3ヶ月にわたって、日本は2.5%という超低金利政策をとった。
当時、GDP成長率は5%に達していた。国内経済を考えれば、金
利を上げて、景気の過熱を防ぐべき所だ。しかし超低金利は放置さ
れ、過剰な資金が株や土地に向かって、空前のバブルを引き起こし
たのである。[2,p82, 3]
前川レポートやアメリカの主張する「内需拡大のよる貿易黒字削
減」という実行不可能な方針は、表だって反論できない「空気」と
して、超低金利政策を後押しした、と言えるだろう。
この「空気」に乗せられ、国内経済の安定よりも、アメリカの貿
易赤字と財政赤字を埋め、ドルを支える事を優先した結果がバブル
なのである。
■4.飲兵衛と酒屋の不適切な関係■
しかし、なぜ大蔵省は、バブル発生を放置してまで、ドル防衛に
協力したのか。簡単に言えば、日本のメーカーがアメリカに輸出し
て貿易黒字を作り、その黒字で邦銀や生保が米国債を買うという構
造がある。たとえて言えば、呑んだくれの飲兵衛(アメリカ)が収
入以上に酒を買い、金が足りない分は酒屋(日本)に「つけ」にし
てもらっている、といった所だ。
ところが、その売り買いも、つけも、飲兵衛の家の通貨(ドル)
建てである。通貨を安くされては、酒の値段があがって、酒屋は酒
が売れなくなり、今までのつけは価値が減ってしまう。
81年から85年の5年間に日本の対米黒字の累計は1200億ドル、
その半分が米国債に流れたと推定されている。85年のプラザ合意は、
飲兵衛の家計が破産寸前なので、町内で相談して、ドルを240円
から140円に下げさせた。これによる酒屋の為替差損は、約3.
5兆円に達したと見られる。4人家族として平均すると、酒屋のつ
けが一瞬で、約12万円目減りした計算となる。[2,p71]
しかし、酒屋はこれに懲りて、飲兵衛との関係を精算することは
できなかった。飲兵衛への売上げを失い、つけをパーにする事が怖
かったからだ。その後も、米国債の入札時期になると、大蔵省は生
保に暗に購入への圧力をかけたという。米国債を買わなければ、ド
ルが暴落する、そうなれば、今までの貸付が消えてしまう。そう言
いつつ、新たに貸付を増やして来たのである。
吉川氏によれば、92年から95年までに発生した為替差損(つけの
目減り)は、累計約29.3兆円(4人家族平均では約98万円)。
バブル後の景気浮揚のために政府が使った予算の真水(実効)額が
30兆円程度と見なされるので、ほぼ帳消しにされたという。酒屋
の中でどんどん金を使って景気をよくしようとしても、外部のつけ
が目減りしてしまうので、一向に商売は繁盛しない。
飲兵衛が今や年収(GDP)の2割も「つけ」として貸しながら、
それがどんどん目減りして、商売はあがったり、というのが、バブ
ル崩壊後、現在まで続く不況の姿である。同時に飲兵衛の方は、同
じく年収の2割のつけを抱えながら、飲めや歌えの景気の良さを続
けている。この「不適切な関係」は永久には続かない。
■5.飲兵衛と縁を切った仕出し屋・ドイツ■
酒屋とは違って、仕出し屋(ドイツ)の方は飲兵衛との関係を早
々と見限った。87年10月19日、わずか一日で米国の株価が2割
も落ち込むブラック・マンデーとなったが、この引き金を引いたの
がドイツであった。アメリカの要請を断って、独自に金利を引き上
げたためである。
この仕出し屋の縁切りのあと、酒屋の日本は一軒で飲兵衛の家計
を支えるはめとなり、87年10月から無理な超低金利政策をとって、
バブルを招いてしまったわけである。
ドイツの戦略は、浪費家の飲兵衛の発行するドル圏から脱却する
ことであった。EU諸国が共通通貨ユーロを創設したのは、この戦
略の一環である。
吉川氏は、ユーロはドルのように構造的な経常赤字という病を持
たない健全な通貨であるとする。円をユーロとリンクさせて、「ユ
ーロ=円」という安定的な通貨を作り出し、それを基盤として、ア
ジアには「円経済圏」を作っていくという戦略を勧めている。その
是非は別としても、このような主体性のある戦略で、国益を守り、
世界経済の安定的発展にも寄与するという姿勢が我が国にはない。
■6.本当に反省すべきは■
冒頭に引用した飯田経夫氏は、あとがきで次のように述べる。
それにしても、近年の日本の論壇では、日本人はもっと「個
性的」でなければならず、「創造的」でなければならず、「独
創的」でなければならないということが、耳にたこができるほ
どくどく指摘される。それにしては、たとえば「規制緩和」論
にしても、世で行われる議論の、何と画一的なことであろうか。
「個性」「創造性」「独創性」の必要性が、かくも画一的に唱
えられるというのは、まさに最大のパラドックスでなくて何で
あろうか。[1,p203]
アメリカの対日批判をそのまま受け止めた「内需拡大」、「規制
緩和」を求める「反省」の大合唱の結果が、バブルとその崩壊であ
った。そして昨今は、「グローバル・スタンダード」論に基づく反
省である。このパターンは、敗戦後のアメリカからの東京裁判史観
の押しつけで、「軍国主義批判」「民主主義を」という進歩的知識
人の「反省」の大合唱から続いている。
いったい日本は、いまの時点で、何をほんとうに反省しなけ
ればならないのであろうか。[1,p203]
それは、ドイツが実行したような、「冷静な事実の分析に基づい
て、自らの戦略を描き、実行していくという主体性」を我々が失っ
ている、という事ではないだろうか。
[参考]
1. 「日本の反省」、飯田経夫、PHP新書、H8.12
2. 「マネー敗戦」、吉川元忠、文春新書、H10.10
3. 「『戦略なき国家』の悲劇」、吉川元忠、月刊日本、H11.1
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(国際派日本人養成講座)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog078.html