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「断ずべくして断ぜずば却ってその乱を受く」(『史記』)
[「決断すべき時に決断できずにぐずぐずしているとかえって禍いが及ぶ」との意]
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物価が下がるのは消費者にとっては歓迎すべきことだ。長期的に下がり続けるのはもっと有難いことである。しかし、企業にとっては大変である。賃金を上げることはできない。「賃下げせよ」などという声があるが、簡単にできることではない。製品価格は下げなければならないが、これも大変なことだ。それ以上に、長期的に物価が下降する時代には、企業間の競争は過激になる。力の強い企業は競争に勝ち残るが、弱い企業は容赦なく倒産・破産・廃業に追い込まれる。結果として失業者は増える。
長期的なデフレは、消費者にとっては快適なことのように思えるのは一時的なことだ。やがて大失業という大混乱に社会全体が巻き込まれる。大失業社会は大犯罪社会である。国民大衆は大失業の苦難から逃れるため戦争すら望むようになる。このことは人類はすでに70年前に経験した。過去からの教訓に学ばなければ、失敗は繰り返される。
デフレ期には通貨の価値は上がる。借金がなく現金、預貯金を持つ人々にとっては楽しいことである。だが、多額の借金をしている人にとっては長期デフレは地獄である。
いま小泉改革はアメリカ的弱肉強食主義にたって乱暴なやり方で不良債権処理を強行している。不況下で景気対策をとらずに、その上財政を引き締めるという逆方向の、不況促進の政策ばかりをやっている。このもとで不良債権処理を加速化させれば、不況はさらに深刻化する。不良債権は増えるばかりだ。不動産の担保価値は下がる一方。正常債権は不良債権化する。
多額の借金がある企業家と家庭にとっては、小泉首相や竹中金融相は地獄からの使者である。1980年代後半期、政府の政策によって銀行は、企業や家庭にむりやりに多額の融資を押しつけた。銀行の口車に乗って多額の融資を受けた人々は、今はアメリカの圧力と小泉内閣の無謀な破壊的改革政策、そのもとで生きながらえようとしてのたうちまわる日々を送っている。自殺に追い込まれた人も少なくない。
恵まれた企業と借金を背負った企業、借金なき人々と借金を背負った人々――いずれも日本人である。小泉政権はこの二つを対立させ、不幸な人々を地獄に落とす政策を進めている。その陰で喜んでいるのは日本支配を狙う米国のハゲタカファンドとごく少数の勝ち組だけである。それも、最大の受益者は、日本の植民地化を狙うアメリカの巨大金融資本である。小泉内閣は日本国民を不幸にし、アメリカの巨大金融資本を助ける政策をとっているのだ。こんな政策を許したら、日本は破滅してしまう。
2003年は選挙の年だ。政治に国民が参加する年である。4月には統一地方選挙がある。2003年中に衆議院総選挙が行われる可能性が高い。9月には自民党総裁選がある。これは自民党員だけの選挙だといっても国民世論を無視はできぬ。政治の方向を決めるのは国民である。
問われているのは、日本国民の資質である。日本国民が自分のことだけでなく、違う立場の人々のことを考える公的精神をもつ国民か否かである。人間としての社会的連帯感の有無である。勝ち組だけが利益を受け、その陰で負け組が地獄に落されるのを推進する冷酷非情な政治=小泉政治を支持するのか、それとも小泉政治にストップをかけ、負け組も貧しいながらもこの世に生きられるような暖かい政治に転換させることができるか、日本に国民的な連帯意識が残っているのか否かが試される年になる。
2003年は日本の分かれ道である。今年、小泉改革を否定し景気回復を政策の中心にすえる方向への政策転換ができなければ、不幸は社会全体に広がるおそれがある。
「ポスト小泉」に人材なしなどという愚かな見方は捨てるべきである。政治家を「好きかきらいか」で判断するのは危険である。顔がいいとか悪いとかで政治家を判断するのは愚かである。このような愚かなことをマスコミの一部が煽っているのは残念である。小泉首相より首相に適している政治家は何人もいる。すでに自民党内では堀内総務会長、亀井前政調会長、麻生太郎政調会長、谷垣国家公安委員長らの名が挙がっている。他にもいる。小泉政治を続けさせるか否か――問われているのは国民の決断力である。