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『ニューズウイーク日本版12・25』は、「世界経済大予測2003」(デフレと恐慌の不気味な足音 グローバル化の幻)という特集である。
そのなかのロバート・サミュエルソン氏の論考が紹介させていただく。
(サミュエルソン氏は「ニューズウイーク」の経済分野コラムニスト)
P.48「世界を揺るがすマネーギャップ」
『ウォール街は、単なる地名ではない。金融の巨大機構とそれを支える精神、つまり飽くなき貯蓄願望と投資意欲のシンボルでもある。
〈中略〉
米株式市場の活況に代表されるウォール街の繁栄は、資金が所有者から利用者へと、かってなくスムーズに流れた時代の象徴だった。当時の資本は「攻め」一辺倒で、ドットコム企業や第三世界諸国、通信産業に次々と群がった。
私たちは今、攻めの資本の誤りと行きすぎがもたらした「守りの資本」の時代を迎えている。
〈中略〉
攻めの資本は、90年代の好景気を強力に後押しした。そして守りの資本は、低成長と景気低迷を特徴とする時代の到来を告げている。あるいは、もっと深刻な事態が起きるかもしれない。
〈中略〉
攻めの資本が金融界に残したのは廃墟の山だ。
米株式市場では、ピーク時の2000年3月に17兆ドルを突破した全株式の時価総額が、今年は50%近い下落を記録。
〈中略〉
今年9月末の時点で9000億ドル近い債券や銀行融資が返済不能、もしくはそれに近い状態にある。
〈中略〉
FRB(米連邦準備理事会)の低金利政策にもかかわらず、米国と社債の金利差は広がっている。投資が米企業への資金提供に二の足を踏んでいる証拠だ。
〈中略〉
今年、米企業の設備稼働率は76%前後に低迷。67〜2000年の平均82%を大きく下回っている。
〈中略〉
今回の景気循環には新しい側面もある。大きな危険をはらむ世界経済の動向だ。グローバルな規模でみると、貯蓄と投資は互いに関連性を失いつつあるように見える。この10年、日本と欧州の余剰貯蓄はアメリカと新興市場に流れ、それが投資に回っていた。
だが、このシステムはもう限界なのかもしれない。日本と欧州は貯蓄を使いきれず、アメリカと中国やブラジル、韓国といった新興市場国も余った資金を吸収できない。このままでは、世界規模で投資が大きく落ち込むおそれがある。
新興市場への外国資本の流入は、実は以前から失速していた。
〈中略〉
2001年の証券投資は96年の800億ドルから100億ドルまで減った。
資本の流れを支えていたのは外国直接投資、つまり多国籍企業による工場の新設や現地企業の買収だった。IMFによると、96〜2001年の直接投資は1480億ドルから2140億ドルに増加した。
だが今は、それも減少に転じた。9月末の時点で、今年の途上国向け外国直接投資は昨年より23%も減少したと、国連貿易開発会議(UNCTAD)は報告している。
アメリカの投資が減少したのも、外国の影響が大きい。FRBによると、今年前半に外国人が購入したアメリカ株は総額350億ドル。昨年のほぼ半分だ。
〈中略〉
日本も欧州も、なんとか貯蓄を投資に回そうと四苦八苦しているのが現状だ。低金利という従来型の投資刺激策も効果は上がっていない。
〈中略〉
今後、状況はさらに悪化するおそれがある。金融危機は多くの場合、大手銀行や投資会社の破綻を招く。投資家や預金者の間に不安が広がれば、恐慌が起きかねない。
〈中略〉
「アメリカの銀行は損失を事前に分配した」と、ブルッキングズ研究所のマーティン・メイヤーは言う。たとえば保険会社に、だ。損失の規模はまだ判明していない。
さらに重大な問題は、世界がすべての貯蓄を生産的に使えるかどうかだ。
〈中略〉
現状は、イギリスの偉大な経済学者ケインズが分析した大京時代と不気味なほどよく似ている。ケインズの理論によれば、将来への不安が大きいと、貯蓄願望がふくらむ一方で投資意欲は萎み、両者のギャップが大きくなる。
〈中略〉
恐慌が起きかねない場合、政府は景気を維持するために財政赤字を拡大させてもかまわないと、ケインズは説く。
〈中略〉
もっとも今は、ケインズ流の解決策は取りづらいかもしれない。多くの政府がすでに巨額の財政赤字をかかえているからだ。さらに厄介なのは、ケインズの時代と違い、貯蓄と投資のアンバランスが世界全体に広がっていることだ。
〈中略〉
貯蓄と投資のグローバルな流れが、今では危機にさらされているらしい。90年代後半になると、アメリカは外国から押し寄せる巨額の貯蓄を有効に活用しきれないことがわかった。
〈中略〉
だが、それに代わる新しい投資先は見えてこない。大量の余剰貯蓄をかかえる日本と欧州は、自国の余剰分も吸収できないようだ。
〈中略〉
生産的な投資先がない貯蓄が世界中を埋め尽くす。そんな事態を回避したければ、常に新しいビジネスチャンスをねらっているウォール街に期待するしかない。
』