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(回答先: 理性とはなにか 投稿者 書記長 日時 2003 年 3 月 11 日 16:36:15)
仏教的伝統では迷いと苦悩に満ちた人間的存在の原因は「分
別智」であるとされる。分別智とは、直接的経験・情動を言語
的に分節しカテゴリーと個物で構造化された世界を作り、それ
を善悪などの価値判断でさらに人間的に意味づけしていく理性
的機能を言う。
「分別」という熟語には「分ける」・「別れる」という意味
があり、「理」という字はもともと田畑を区画するという意味
があったと思う。「区画整理」という表現には「理」が含まれ
るので、たぶん正しいのだろう。
「理」の古来からの日本語訳である「ことわり」を分析すれ
ば、「こと(事・言)」「わり(割)」であり、やはり上述の
仏教用語としての「分別」と同じような意味であったことがわ
かる。この「わかる」という日本語も「分かる」であり、「区
画・区別・分析可能」という意味があったのだろう。
(創世記)
へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでし
ょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善
悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。女が
その木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くな
るには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共
にいた夫にも与えたので、彼も食べた。すると、ふたりの目が
開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉
をつづり合わせて、腰に巻いた。