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(回答先: 待たせてしまって申し訳ない 投稿者 アルファンド 日時 2003 年 2 月 20 日 01:07:02)
アルファンドさん、こんばんわ。
>>● 「神(神々)」と「悪魔」
>「類的存在」とか「規定性」に関して今ひとつ意味を把握しかねるが、哲学関係の用語
>とかなのかい?
不精な性格なので説明をはしょって書いてしまい申し訳ありません。
「類的存在」:
人類と言ってもいいんでしょうが、それだと生物学的イメージが強くなるので、認識及び活動における人類の総合力を含意させたいときに使っています。
また、人は現象的(感覚的)には個として存在しますが、生物学的人が人としての認識力及び活動力を内包するようになるためには、それを内包している他者としての人との関係的活動を必要とするという意味も「類的存在」は含んでいます。
「規定性」:
人が認識したり活動するときに、理解しなければ巧くいかない外的存在(事象)を指しています。(人自身も外的存在の一つです)
人(他者)の意識を騙すことはできますが、「規定性」(神々)を騙すことはできないという意味で受け止めてもらえば幸いです。
「類的存在]としての人は、「規定性」を解釈(理解)し、「規定性」を利用した活動を行うことで目的(欲求)を実現すると考えています。
無から宇宙(存在的事象)を創造することはできない人には、「規定性」を突破した気になることはできても、「規定性」を覆すことはできません。
「規定性」を突破した気になることをある種の悪魔崇拝だと思っています。
>>個としても類としても、人の力はたがが知れています。
>って部分は俺としては納得したくないな
>傲慢を避けようとするあまり弱気になっちまってる気がする(まあ好き嫌いの話だが)
「人の力はたがが知れている」という了解が、人の認識+活動力をさらに高める源泉だと思っています。
傲慢に陥った時点で、認識+活動力は行き詰まるようになります。
>その後の、
>>それを忘却し、知性の力で神(規定性)を打破できると考えがちな近代人は、神(規定性)の力で
>ってとこはどうも尻切れトンボな気がするが、何か続くんだろうか
失礼しました。
「個としても類としても、人の力はたがが知れています。
それを忘却し、知性の力で神(規定性)を打破できると考えがちな近代人は、神(規定性)の力で押しつぶされることになります。
知性の力で打破できるのは、「悪魔」に身を委ねた人に対する他者の妨害だけです。」
“押しつぶされる”という部分に表現に迷いがあったので、尻切れとんぼになったようです。
>にしても、「神(神々)」とか「悪魔」ってのは具体的な存在を意味したり抽象的な
>概念になったりでホントややこしいぜ
ですね。
「神(神々)」や「悪魔」をそのような存在として考えているという参考にしてもらえれば幸いです。
>>● 「アセンション(霊的次元上昇)」
>ところで、あっしらさんの「霊的上昇」はなんか単純な「人間的成長」という意味に
>聞こえるんだが、
>俺の場合はもっとこう肉体の制限が取っ払われるようなスゲエのを想像してる
>(空を飛んだり食わなくても生きれる身体になったりとか)
ざっくばらんに言うと、「上昇」とか「成長」という言葉(概念)にまったく興味がありません。(信を置いていないというほうが正確かな)
「霊的変化」や「人間的変化」という“価値判断”を含まない表現のほうが好みです。
「肉体の制限が取っ払われる」かもしれないと思っています。
しかし、それで神になるわけではないでしょうから、その「規定性]を踏まえて生きていくことになるだけです。(空を飛べるようになったとしても)
>今ならまだ当たり前の人生にもう一度没頭することも出来るから、
>どうせなら何も変わらないでいてくれた方がいいのかも知れない
>全て忘れて気楽に生きるのも悪くないだろう
>(といっても、もう「新世界秩序」の奴らの実在なんかは疑えないんだよなあ)
大きく変わって、全て忘れて気楽に生きていけるようになりたいと思っています。