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近代経済システムにおける市場
http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/213.html
投稿者 あっしら 日時 2003 年 2 月 13 日 14:39:04:

(回答先: Re:やはり市場が先ということになりませんか? 投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 2 月 12 日 23:10:57)


すみちゃん、こんにちわ。

>市場つまり流通を先に説明し、市場における利潤獲得手段としての生産を次に説明す
>る方が論理的なのでは?

これもまた【世界経済を認識する基礎】シリーズで書いたことですが、資本制生産システムは利潤獲得手段として生まれたものですから、歴史過程的説明としてはおっしゃられる通りです。

(余剰生産物の話もそこで説明しています。市場(交換)は余剰の生産物を手にできるようになった条件で異種共同体と遭遇することで生じたと考えています。市場がなければ、共同体は、無駄なものを生産するために活動力を注ぎ込むより楽しいことに活動力を注いだでしょうし、消費もしなければ販売もしない余剰のものを自然から奪ったりもしなかったでしょう)

国際商人(金融家)の利潤獲得手段として生まれたものが、内なる国民経済まで覆い尽くすことで「近代経済システム」が確立したと言うことができます。

しかし、歴史過程がそのようなものだからといって、論理的説明がそれと同じ順序叙述体系であるほうが的確かといえばそうとは言えません。

すちゃんが書かれていたように、市場がなくても生存のためだけでも生産活動を行うというのが社会(人の関係的存立構造)の超歴史的現実です。
これが、生産先行性の最大の根拠です。

生産が先か市場が先かという問題に拘泥するわけではありませんが、「近代経済システム」の進展がもたらした貨幣経済の普遍化が、人々に「何でも買えるお金こそが力」という“幻想”をもたらしている意識状況を考えると、生産活動の先行性を説くのも意味があると思っています。

冷静に考えれば、貨幣自体が金属貨幣→金本位制→管理通貨制と変遷することで自ら価値実体性がないことを明らかにしているのに、人々は、貨幣があらゆる物と交換できることから超越的な力をお金に感じています。
生産活動すなわち自然に対する人的活動こそが力であり“富の源泉”なのに、ペーパーマネーにまで堕した貨幣こそが富であり力なりと錯誤しているのです。

近代経済システムの特徴は、資本(貨幣)の生産(増殖)を通じて生身の人間が生存を維持していく宿命を背負っていることだと思っています。
「資本の増殖」が全般的に巧くいかない経済状況になれば、自然的人的生産条件があっても、生存を脅かされるようになってしまうという倒錯した経済社会が近代です。

生存活動が人々の外なる資本の生産・再生産過程として現象する経済社会だからこそ、自然現象を考察するのと同じように、経済事象を科学的(論証的)に説明する経済学が成り立つと考えています。(経済学は、近代のみに有効な歴史限定的学です)

> ○ いわゆる剰余価値の根拠への疑問について

>等価交換モデルが疑問というわけではありません。私が理解できなかったのは、「資
>本家が常に儲かるかのような論述」の方なのです。

個別資本家には盛衰がつきものですが、国民経済(資本の総和)についても、常に儲かるというのは錯誤です。
外部から利潤を得られない限り、貨幣的評価としては、最高の条件でも単純再生産です。

(当然、個々の資本のでこぼこは生じますが...貨幣的評価ではなく財的評価であれば、拡大再生産(量的質的拡大)は達成されます)


>商品Aが売れる前からその中に8単位の価値が「内在」しているという論理は無理が
>あります。現実から遊離しています。
>現実には、商品Aの購入者は労働者であり、その交換手段は一般貨幣です。そして、
>商品の「価値」つまり価格は、労働者が商品を購入した時点で「事後的」に決まるの
>であり、商品売買契約前には商品価値は決まっていません。労働者が貨幣をもって商
>品を購入する商品市場によって、商品価値(価格)が規定されるはずです。商品価格
>は、商品Aの本質(内在物)ではなく、市場で一般貨幣によって余所から規定される
>ものです。それを規定するのは、労働者の欲望と収入との均衡点です。

この問題は、商品Aが8単位の貨幣で売れるのならそうである理由が「内在]しているはずだという考察の結果出てきた論証(説明)と考えたほうがいいと思います。

商品Aがなぜ貨幣と交換できるのか、それも7単位でも9単位でもなく8単位でという疑問が出発点でしょう。
そして、7単位以下で交換されるときも9単位以上で交換されるときもあるが、8単位が中心値であるわけは・・・・と詰めていけば、目には見えないが何か実体的なものが「内在」されているはずだ。8単位で交換されることで、「内在]していた実体が顕在化すると・・・。


>そうであるとすると、8単位の内在価値を有する商品を生産する労働者の労働には
>「8単位」の内在価値があるのにもかかわらず、そのうち4単位を資本家が搾取して
>いるという論理は成立しないと思います。もし4単位も資本家が搾取してしまえば、
>商品は8単位で売れはしません。前記均衡点が移動するからです。資本家が儲かるか
>どうかは、商品販売後に事後的にしか決定されませんので、損をすることもありま
>す。

前回も書きましたが、元々の資本制産業は、国内労働者の購買力を当て込んで成立したものではなく、国際市場(外部共同体)の購買力を当て込んで成立したものです。
(この意味で、近代経済システムは“過剰な生産”を基礎としたものです)

資本の総和(国民経済)レベルで考えれば、自由貿易を前提に、他では10単位でしか売れないものを8単位で売れる条件で生産できる力を持っているから利潤が得られるということになります。

現実が「商品販売後に事後的にしか決定されません」であることは承知した上での説明です。

>○ 宇野理論について
> 彼は本当に剰余価値理論の救出に成功したんでしょうか? 私は大学時代に少しか
>じった程度なんですが、はっきり言って私には良く分からないんです。

宇野氏は「労働力商品」を明瞭に打ち出したことで剰余価値論を“わかりやすく”説明したとも言えますが、剰余価値論そのものが誤りです。

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