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ネグリ=ハート著『<帝国>』を読み解くだけではなく、現在及び今後の世界情勢を認識をする上で、「世界帝国」と帝国主義国家の違いを抑えておくのが重要と思われる。
19世紀から20世紀中期までの近代大国が対外権益を拡大しようと軍事行動を含めてしのぎを削った世界史を帝国主義時代と表現されることが多い。
その後の世界史=戦後は、米国という覇権近代国家が「世界帝国」に向けて世界を再編してきた時代である。
帝国主義という言葉には、侵略・植民地・戦争という事象と結びつき“悪”のイメージが貼りついている。
しかし、帝国ないし帝国主義は、侵略や戦争を手段とするにしても、侵略や戦争を目的とするものではない。それどころか、“完成体”である帝国は、平和・法的平等・秩序を何よりも重視するものである。
帝国主義は、ある(国民)国家が、自国の価値観・法秩序を自国の外に拡大しようとする運動であり、帝国は、それがある領域(世界全体を含む)で成功し安定化した状態である。
帝国主義の主要なイメージになってしまっている侵略・植民地・戦争は手段でしかないからそれをそぎ落とせば、90年代から耳にタコになっている言葉であるグローバリズムが、まさに帝国主義であることがわかるはずだ。
歴史上、自分の帝国を世界と考える帝国はあっても、地理的世界を帝国の領域とした帝国は存在しない。
英国はそれにもっとも近い領域を支配したが、日本・ロシア・ドイツ・フランスなどの対抗によって阻まれ、支配領域に対する消費市場化・植民地化政策が帝国の自壊を招いた。
英国の帝国主義史に対する反省が、戦後の世界構造を決め、植民地主義の放棄につながったと言えるだろう。
旧植民地(帝国領域)の独立闘争が大きな力であったことを認めても、英国が植民地に大きな経済権益を認識していれば、現実歴史過程のような独立経緯にはならなかったはずである。
フランスは、ベトナムやアルジェリアに代表されるように、自国植民者の権益を維持するため国家が総力をあげて反独立戦争を展開した。(ここにも、現在の米英とフランスのあいだに対立が生じる要因がある)
英国は、独立後の影響力維持に注力した融和的な対応を行った。旧植民地が独立後も英国的価値観や経済システムを維持するよう、それらに染まった人物を新国家の支配者に据える画策をしたり、インド−パキスタンのように独立後に強大化しないよう紛争のタネを撒いて立ち去った。
(香港を手離す直前になって“民主的な”制度を確立したのも、そのような意図の現れである)
9・11以降ブッシュ政権が進めている「対イスラム戦争」は、“大航海時代”を端緒とする「近代史」がめざしてきた「世界帝国」の最終的確立を企図したものであり、グローバリズムの現実完成体=「世界帝国」にとって最後の壁であるイスラム世界を完膚なきまでに換骨奪胎せんとするものである。
米国国家権力を現実動因力としている活用している世界支配層が「対イスラム戦争」に勝利することは、イコールとして「世界帝国」の確立を意味する。
戦後世界での米国の動きを顧みればわかるように、企業の進出は強要しても、植民地化することはしなかった。あくまでも個々の国家の形式的独立性は尊重した。
(旧ソ連圏との世界支配をめぐる戦い=冷戦構造というのは、お得意の善悪二元論世界を意識させるための神話でしかない。両陣営は、同じ近代主義に基づく。そうである限り、その力量は経済力を根底とする国力に依存する。軍備拡張を経済成長の糧にすることができた米国と軍備拡張に押し潰されたソ連を比較すれば、「ソ連脅威論」が神話でしかないことがわかる。ソ連は、北朝鮮プラスαの軍事力で十分自国への攻撃抑止力を築けたはずなのに、愚かな政策=戦時体制をとったのである)
「世界帝国」は、米国の世界支配によって確立するものではない。
「世界帝国」は、米英的価値観・経済システム・法秩序がこの世界全体で普遍化したときに確立するものである。
そのときの米国は、世界一の大国ではあるかもしれないが、「世界帝国」の一構成国家という位置を占めるだけである。
「世界帝国」の価値観・経済システム・法秩序の内容とその現実化(秩序維持)は、個別国民国家が決定しその現実化に力を行使するのではなく、超国民国家として位置し、人々からは国家として認識されにくい“世界機関”が担うようになる。
なぜなら、個別国民国家が支配している認識される「世界帝国」は、恒常的に軋轢を生じ、軍事を含む対立の出現を招くのみならず、その個別国家の浮沈が「世界帝国」の運命を決してしまうからである。
9・11以降の米国民は、「対テロ戦争」という大義名分のもと、「世界帝国」の確立に向けた戦争=「大決戦」を担わされている。
その第一弾であった「アフガニスタン虐殺戦争」では、9・11の衝撃の大きさが日本を含む多くの国をその戦いに引きずり込んだ。
しかし、第2弾である「イラク虐殺戦争」では、日本を除く“大国”がそれへの加担にノンを唱えるだけではなく、それへの反対を強く表明している。(反対者が、そのような理解をしているというわけではない)
世界史は今、静かなる安定収奪構造となる「世界帝国」への道なのか、国民国家の非近代的再編成に基づく「共同体連合世界」への道なのかという決定的な岐路に立っているのである。