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今日の注目すべき言動を敷衍すると
http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/1156.html
投稿者 一読者 日時 2003 年 3 月 16 日 21:03:05:
より、
私にはこんな風に読める。げいた氏の主張を私なりに言い換えてみた。
>03/03/11・12 今日の本来の普通の中年の人格に基づく言動
【言動】あっしら氏は「ハイテク物語とおどろおどろしい表現で予言される『未来の奴隷化』を危惧するのも大事だが、それ以上に重要なのは、現在の隷属性をきちんと認識し、そこから抜け出す術を見つけ出すことである」と述べる一方で、「隷属性を認識しながらも、自分や家族のために働き、片隅で束の間の心地よさを味わい、“その時”がやってくるのを待てばいいのである」とも述べる。しかし、こういった発言はおかしい。なぜなら、両者はほとんど両立する余地がないからだ。前者は「奴隷状態からの脱却策の発見」という積極的な作為を推奨するものだが、後者は「奴隷状態が自然に解消されるまでの待機」という不作為を推奨するものであり、およそ両立しがたい。求められるべき行動は、脱却策の発見なのか、それとも解消までの待機なのか、支離滅裂としか思えない詐欺的な主張である。
>03/03/13 今日の本来の普通の中年の人格に基づく言動
【言動】Silent Tears氏は「こちらにとって有利でも相手にとってより有利な手段は取るべきではありません。逆にこちらには不利でも、相手にとってより不利な手段なら実行するべきです」と述べる。しかし、この発言もおかしい。なぜなら、仮にこの戦略を採用したとすると、日本の安全が格段に向上する政策があったとしても、単に北朝鮮に利益をもたらすというだけで、否定されかねないからであり、また、対象国は異なるが、仮に中国との戦争を考えた場合、「日本が1億3千万人戦死しても、中国に2億6千万人の出血を強いることができるならば実行すべき」という全く無意味な選択をも正当化しかねないからだ。
【言動】ぷち熟女氏に言いたい。「自由の行使」を重視し、「自由の制約」をことさら軽視するような思想はおかしい。なぜなら、「自由の行使」も「自由の制約」もそれぞれ人間が行うものである以上、両者とも広い意味で「自由の行使」の一態様と言えるのであり、「自由の制約」を軽んじることは他者の「自由の行使」(=自由の制約)を「不当に」制約することに他ならないからだ。自分にとって「自由の行使」であっても、他人から見れば「自由の制約」となることはあるし、逆のこともある。