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(回答先: もっと、普通な例を挙げましょう 投稿者 中央線 日時 2003 年 3 月 15 日 02:25:29)
中央線さん、こんばんわ。
まず、「抽象的な理学」ではなく“抽象的な「理学」”と書いたのは、「理学」が抽象的だというのではなく、抽象的である「理学」という「理学」の限定化を意図したものです。
今回のレスをいただいて、“抽象的な”という言葉遣いがいけなかったと思っています。
抽象的を観想的もしくは認識自己目的的に修正させてもらいます。
以前も書きましたが、概念操作は重要な思考方法だと思っていますし、抽象化も分析も数学的記述も役に立つものです。
自分が書いている内容も、概念操作的思考の産物だと思っています。
機会があれば書くことがあるかもしれませんが、「職業学者」や「学としての学」を廃絶したいとは思っています。
宗教家云々については、宗教をめしのタネにはしていないという答えで十分でしょう。
聖書ネタと宗教家が直結するわけではないはずですし、宗教に大きな関心を持っているからと言って宗教家であるわけでもないでしょう。
(宗教に関する雑駁な考えは『宗教に限らず価値観や世界観は人を“支配する”ためのもの − 個人の“わがまま”を規制するもの −』( http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/398.htm )など、この「論議・雑談8」ボードにも書いていますのでご参照ください)
>我々は、これほどの罪を
>犯しながら
>なぜ、我々は生き、
>生かされているのか?
どういうことが罪でどれほどの罪を犯していると考えられているのかわかりませんが、罪を犯そうと犯すまいと、個は、生きている間だけ生かされるものです。
我々(人類)が仲間内でとてつもない罪を犯しているのなら、自滅の道を歩んでいるのでしょう。
そして、同時に外的自然にもとてもない罪を犯しているのなら、自滅と破滅の道という加速度的な滅亡への歩みをしていることになります。
>あっしらさんに溢れるのは、
>人々への慈愛
>なのでしょう。
>いや、私がそう感じたまでですが。
私は自他共に認めるわがままな男です。