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(回答先: 『大いなる営為』に至る多くの問い 投稿者 ぷち熟女 日時 2003 年 3 月 13 日 21:17:11)
ぷち熟女さん、こんばんは。
ぷち塾女さんは、
『では人間が真に自由人たる社会とは具体的にどういう制度によるのか』
『では具体的にどうやってその制度を実現させうるのか』
という問いに対しての答えがあたくしには出せないからでございます。
とおっしゃいますが、以上の問いを考えるためには、
自分で考えていくしかないと思います。わからないから、即
聞くというのは私は意味が無い、自分のためにならないと
思います。隷属性とは、自分で考えないことだと思うのです。
私たちはもうかなり麻痺しちゃって、怒りを諦めの気持ちに
変えてしましました。憂さ晴らしに街に出るのですが、
不満は消えません、私は田中知事のまっとうな感覚で、政治を
している姿をみると日本もまだまだ捨てたものじゃないと思います。彼は青くさいと揶揄されるかもしれませんが、えらいのは
自分のまっとうな感じ方から、逃げていないことです。
もう一つ彼のいいと思うことは、日常性の細部へのこだわりです。この感覚は、パブリックサーバントとしての自覚から来るのですが、彼が政治家になる以前も、彼の週刊誌の連載を読むと
彼の批評精神は、現在のものと全然変節していないことに
驚きを覚えます。
私は彼は、隷属していない人だと思います。
生き生きしているのです。それは彼が、自分なりの判断基準と、
いろいろな問題に対する自分の思索をしたうえでの考えを持っているからです。結論だけ追い求めるのではなく、そのプロセスが
とっても大切だなって思います。ショーペンハウエルは、
読書をしすぎると考えなくなるから、注意しなさいって、言っているのですが、この言葉は現在の私たちにとって超重要です。
情報化社会において、彼の言葉はいっそうの重みを持つのです。
岩波新書の歴史の進歩(絶版おそらく)とは何か、という本があるのですがここには江戸時代の百姓の政治に対する生き生きとする姿が描かれている個所があります。この本はお勧めです。
選挙権がある私たちと、無い当時の彼ら、なのにどうして
私たちは無関心、無抵抗、無行動で、彼らは結集して
自分より上の存在に強く迫って行ったのか。
あの時代から本当に歴史は進歩したのか、
という感じの本です。