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「人格的責任」と「論理的責任」
投稿者 あっしら 日時 2002 年 11 月 25 日 18:23:21:

(回答先: 敗戦責任の取り方 投稿者 一言主 日時 2002 年 11 月 25 日 02:12:10)


一言主さん、こんにちわ。

「敗戦責任」をめぐる議論に新たな方向性を提起していただきありがとうございます。

「引き受けさせられた人」という見方は、けっこう自分の好みに合うものです。
W.ブッシュ大統領のことをけちょんけちょんに書いたりしていますが、彼も、「引き受けさせられた人」だと考えています。
(その裏で糸を引く人や世界経済支配の頂点にある人も含めてそう考えています。罪は罪ですから、そうであっても、行ったことの免罪を主張するものではありません)

価値観的な議論を避け、めざすことを実現する論理としての整合性にこだわっているのも、そのような思いが背後にあるからです。

「敗戦責任」も、誰が悪いということを特定するのが目的ではなく、そのような結果につながっていた国家目標・国策決定システム・国際情勢判断などがどうして生まれたのかを明確にするというのが第一義です。

「敗戦→占領」という結果を迎えたのに、“民族派”は戦争の正当性に比重を置いた論を主張し、“進歩派”は平和主義や「東京裁判」的歴史観に依拠してかつての戦争や対外支配政策を非難するというかたちで対立しています。

“民族派”的考えは、在野の主張にとどまらず政治支配層にも浸透しています。その一方で、国家としての公式の立場は、「東京裁判」的歴史観を追認したものです。
先の戦争が国家犯罪であるならば、“進歩派”が、その時の主権者であった天皇の責任を問うというのは自然な論理です。

国家支配層は、内なる思いとして“民族派”的歴史観を抱きながら、公式な歴史観としては「東京裁判」を肯定するという捻れた対応をしています。
このため、“進歩派”叩きは、愛国心や天皇尊重をメルクマールとした在野の言動に委ねるというかたちを採っています。(内なる思いを吐露した閣僚は辞任するというように、公式の立場は堅持し続けています)

「東京裁判」的責任論が公式のものでありながら、それに沿った主張をする勢力は「反日」や非国民といった見方がそれなりに支持されるという精神情況は錯綜したものだと言わざるを得ません。

国際関係との絡みで「東京裁判」的責任論を捨て去ることができないのなら、それに沿った政策を実施しなければ、国内の統合もできなければ、国際的信頼を得ることもできません。

私自身は、「東京裁判」を茶番劇だと考え、そこで示された日本責任論は到底受け入れられないものだと考えていますが、建前はそれを受け入れ、本音はそれを否定するという支配層の対応振りを承服することはできません。

極端なことを言えば、大災厄をもたらして敗戦に至った責任者は誰なのかという問題は水に流したほうがいいと思っています。
しかし、国民が気持ちよく水に流すためには、水に流してもいいと思えるだけの納得できる説明が必要です。
(徹底的な論議を尽くした上で、対外責任は国家として採りながら、国内の誰それという責任追及はしないという決着を付けることで、日本的だという批判も浴びるでしょうが、新しい「責任の取り方」を示唆する役割も果たせると思います)


やるべきことは、対米戦を日本側仕掛けるかたちで始め敗戦に至った責任を突破口として、近代日本の国家価値観や政策決定構造をきちんと見直す国家主導の論議です。


そして、「敗戦責任」という昔の話を持ち出すのは、「敗戦責任」をうやむやにしてきたことが、「バブル形成→バブル崩壊」の責任問題が俎上に乗ることもなく、その後の不況対策の迷走に対しても責任が問われることが済まされる精神情況の源流としてあると考えているからです。

あれだけの大災厄を引き起こした「敗戦責任」さえ曖昧にできたのだから、「バブル」や「デフレ不況」といった程度の失政が責任問題になることはないという奇妙な論理が無意識的ながらあるのではないかと考えています。

なお、天皇の責任については、戦前も象徴天皇制であったという見方から、棚上げを主張しています。

しかし、明治憲法の規定から、天皇の責任を主張する国民もある割合で存在することも現実です。
これについて、「国民の大多数は、天皇に「西欧型」の個的な責任の引き受け方ではなく、戦後も国民統合の象徴でありつづけることを望んだ」という決着の付け方ではなく、形式的な憲法規定とは異なり、実体的には天皇に“罪”がない政策決定構造であったことを明らかにしなければ、不毛な対立が今後も継続します。
そして、天皇に責任があったのかなかったのかという問題は、くすぶり続けることになります。それで、「国民統合の象徴」になり得るでしょうか。


開戦時に総理大臣であった東条英機氏の責任は大きいと考えていますが、東条氏に“悪意”があったとは考えていません。
“悪意”をもって対米開戦を唱えた人たちが今なお一部の国民から国家的英雄と見られ、“悪意”がなかった人たちが国家や諸外国を破滅に導いたと考えられている情況も解消されなければならないと考えています。

東条英機氏らの名誉回復は、靖国神社に合祀することではなく、きちんとした「敗戦責任」論議を通じて行われるものと考えています。

(東条英機氏の思いを勝手に忖度すると、自分が合祀されていることで数百万英霊への祈りを捧げられないのなら、自分を合祀してくれるなというものでしょう。中国政府は、A級戦犯が合祀されていることを靖国問題の根拠して持ち出しており、神社であれ靖国参拝自体を非難しているわけではありません)

「敗戦責任」の明確化は、国内の価値観的対立や国際関係のぎくしゃく、そして、対米従属体制などを解消する決定的な契機になると考えています。


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