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(回答先: 「敗戦責任」と天皇 − インターミッション − [その2] 投稿者 あっしら 日時 2002 年 11 月 20 日 22:59:31)
あっしらさん、引用していただき有難うございます。たこです。
ご投稿を拝読しましたが、ほとんど引っかかりなく通読できました。ほぼ同感です。
戦争指導者らが大きく国益を損なった点に関する責任追及についても同意するものです。これは当然の話です。たとえどのような純粋な思いから出発したものであっても、指導者は厳しく結果責任を問われるべきものだと思います。その覚悟ができていない者はそれだけで指導者足りうる資格はないと言えます。しかしその一方で、日本の国情と経緯に鑑み、形式的最高責任者である天皇には塁をおよぼすべきではなく、及ぼさないと決断した日本国民の判断の確かさを誇りに思うものです。
すると次には、戦争指導層の責任追及はきちんと履行されたのか、ということになります。あっしらさんもご指摘になっている通り、これは東京裁判で片が付いたということでしょう(岸信介ら若干の例外はありますが)。しかし、国民各層で本当にあの戦争と戦争責任について総括し得たのかについては、明確にそうであると言い切る自信はありません。それなりに得心した上で整理のついている人も、天皇に最終責任を取らせるべきであったと考える人も、深く考えず時の流れに身を任せている人も存在するでしょう。
>「敗戦責任」は、国民一人ひとりの心の問題ではない。
>「敗戦責任」は、国益の維持・拡大を委ねられた統治者がそれを大きく損なう失政を行ったことを国家が問うものである。
>「敗戦責任」を水に流せるのは、国家がきちんと責任を明確化した後の話である。
この議論の答えは、日本国憲法と一連の戦後民主改革ということになるでしょう。これも日本国民や政府が自ら考案したものではありませんが、これらによってこれからの日本のあり方を内外に示した事が、敗戦責任への国家としての回答でした。それ以上にどんな責任の明確化と追及があり得たでしょうか。天皇を処刑して日本の歴史の象徴的存在を抹殺してしまうことも、官僚機構そのものを解体してアナーキーな世界に入り込む事も決して事態を好転させたとは思えません。
冷戦下の極東情勢を受けその後日本は米国からの軍事化要請の圧力を受ける事になりますが、なんとかやり過ごしてくることができました。日本人の好むやり方ですが、一度決めた大きな枠組は動かす事を嫌います。明治憲法にしても昭和憲法にしても不磨の大典として奉り、運用解釈の柔軟さでもって現実に対処してきました。しかし、昭和憲法もそろそろ耐用年数が尽きたと判断することが妥当でしょう。前文も含め、大掛かりな見直しをする時期にさしかかっていると思います。
天皇の存在は、日本の歴史を紐解く上でひとつの大きなキーワードと言えると思います。天皇制を含む日本の過去を振り返る事で、我々がどういう民族であるのかを再発見し、これを基点としてこれから歩む方向にふさわしい憲法と様々な制度を持って行くことを模索すべきでしょう。
特に戦後、当然視されつつ導入された米国流の諸制度や諸思想につき、批判的再検討が必要になると思います。天皇に責任を被せ、責任を取らせる事で事足れり、とする発想はむしろ問題の隠蔽に繋がると思っています。