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(回答先: あっしらさんへ:騎馬民族征服説と天皇制の起源 投稿者 南青山 日時 2002 年 11 月 18 日 04:34:25)
>大嘗祭が吉本氏の記述の通りとすれば、江波教授の少なくとも大嘗祭の議論(天皇家
>あるいは天皇制は遊牧騎馬民族国家の伝統を基盤にしている)は前提から崩れること
>になります。
朝鮮半島での支配時代を経ていますから、遊牧騎馬民族国家の伝統を基盤にしていても、祭祀のある部分は変わっていたり、日本で採り入れた可能性もありますから、大嘗祭の性格をもって、遊牧騎馬民族国家説が崩れるわけではないと考えています。
>そして、天皇家(制)の儀式が農耕文化を基盤としているとすれば、古墳時代でなく、
>弥生、縄文までさかのぼる文化的・歴史的基盤を持つと考えていいでしょう。
>(天皇家(制)成立の謎は、吉本氏の述べるように、宮廷内部の儀式の徹底的な公開、
>天皇陵の徹底的な発掘調査、琉球、沖縄の歴史学的、民族学的、考古学的研究のさら
>なる推進が必要でしょう。)
天皇陵と言われている陵墓の調査や東北・琉球・朝鮮半島・中国との比較調査は重要だと考えています。(東南アジアからの渡来者も縄文人には含まれていると考えています)
縄文からの価値観や生活様式は、とりわけ被支配層(一般人)のあいだでは脈々と受け継がれていると考えています。
被支配層の支配的な価値観は、スムーズに統治を行うために、支配層もある程度採り入れるはずです。
>では、あっしらさんの述べるように、4世紀前後に、大きな支配勢力同士の戦乱が
>あった後、天皇家(制)は支配の道具として、新たな支配勢力に利用されたのでしょ
>うか。
4世紀時点でも騎馬民族出自の勢力が渡来したと見ていますが、いわゆる大和朝廷の統一(西日本)は7世紀末から8世紀初めだと考えています。
>吉本氏は前掲書の中で、上記のような考え方は魅力的だが、必然化するだけの根拠を
>もっていないと言い切っています。
>その理由について吉本氏は、一つは、「古事記」などに描かれた<神話>時代(歴史
>的な天皇家(制)が成立する千数百年以前の数千年にわたる時代)の世襲的な宗教的
>権威(権力)と、歴史時代の天皇家(制)の権力の諸形態にそれほど違いがないこ
>と、もう一つは、宗教的な権力と政治的な権力を分担する挿話が「古事記」にすでに
>存在すること、などを挙げています。
「古事記」“偽書”(非オーソリティという意味)説を採っていますが、基本的な構成は「日本書紀」と変わらないものなので、吉本氏の解釈は認めることができます。
しかし、そのような解釈が、天皇家の千数百年以前からの“万世一系”につながるかと言えば、即断はできないという考えをしています。
日本のすごさは、無用な争い事をしない、「たこです」さんなども書いていますが、
過去は水に流すことにあると思っています。
新支配層が政治権力を獲得する代わりに、始祖伝承や国づくり伝承は従来のものを受け継ぐということも考えられます。(支配層間の談合であり融和ですが...)
「日本書紀」が正史となったことから天皇家の出自を判断するよりも、埋葬様式の変化など文化の歴史的変容から判断するほうが好ましいと考えています。(埋葬様式はけっこう決め手になるものだと考えています)
どちらにしても、“騎馬民族”によるジェノサイドはなく、縄文人が基層として存続し続けていることは確かだと思われるので、「騎馬民族征服説」も、支配層の交替もしくは重層化として考えればいいものだと考えています。
政治史観(支配者の変動中心の歴史の見方)に縛られた歴史考察から抜け出す必要があると思っています。